EXHIBITIONS
被爆80年企画展 ヒロシマ1945
東京都写真美術館で「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」が開催される。
第2次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、米軍がB29爆撃機「エノラ・ゲイ」から人類史上初めて、都市の上空に原子爆弾を投下。同日に広島が、その3日後に長崎が一発の爆弾によって焦土と化した。その頃、自ら被爆しながら、あるいは放射線被曝の急性障害に苦しむ人間の姿に衝撃を受けながら、カメラを手に原子野を歩いた人たちがいた。
広島では、その年末までに推計で14万人が犠牲になったとされている。あれから80年となる2025年現在、世界は9ヶ国が保有する1万2千発もの核兵器に脅かされ続けている。世界各地で戦火が絶えないいま、被爆者の「決して繰り返させてはならない」という訴えとともに、原爆写真と映像を広く共有することが求められている。
本展では、広島市民、報道機関のカメラマンや写真家の手による広島原爆写真約160点と映像2点を公開。資料の所蔵や保存・活用に携わってきた報道機関が連携し、原爆写真と映像の展覧会を主催するのは初の試みとなる。
なお、今回の展示は、2023年に報道機関と広島市が共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」に国際登録を申請した「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」(写真1532点、映像2点)をもとに構成。それらは、敗戦直後の混乱や占領期の報道統制に撮影者が抗い、自ら守り抜いた資料でもあるという。
第2次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、米軍がB29爆撃機「エノラ・ゲイ」から人類史上初めて、都市の上空に原子爆弾を投下。同日に広島が、その3日後に長崎が一発の爆弾によって焦土と化した。その頃、自ら被爆しながら、あるいは放射線被曝の急性障害に苦しむ人間の姿に衝撃を受けながら、カメラを手に原子野を歩いた人たちがいた。
広島では、その年末までに推計で14万人が犠牲になったとされている。あれから80年となる2025年現在、世界は9ヶ国が保有する1万2千発もの核兵器に脅かされ続けている。世界各地で戦火が絶えないいま、被爆者の「決して繰り返させてはならない」という訴えとともに、原爆写真と映像を広く共有することが求められている。
本展では、広島市民、報道機関のカメラマンや写真家の手による広島原爆写真約160点と映像2点を公開。資料の所蔵や保存・活用に携わってきた報道機関が連携し、原爆写真と映像の展覧会を主催するのは初の試みとなる。
なお、今回の展示は、2023年に報道機関と広島市が共同で国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界の記憶」に国際登録を申請した「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」(写真1532点、映像2点)をもとに構成。それらは、敗戦直後の混乱や占領期の報道統制に撮影者が抗い、自ら守り抜いた資料でもあるという。