2025.11.15

「ドナルド・キーン展  Seeds in the Heart」(世田谷文学館)開幕レポート。その足跡が映し出す、日本文化への深いまなざし

世田谷文学館で、日本文学者・ドナルド・キーンの偉業と日本文学の魅力をあらためて紹介する展覧会「世田谷文学館 開館30周年記念 ドナルド・キーン展  Seeds in the Heart」がスタートした。会期は2026年3月8日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 東京の世田谷文学館で、日本文学者・ドナルド・キーン(1922~2019)の偉業とあらためて日本文学の魅力を紹介する展覧会「世田谷文学館 開館30周年記念 ドナルド・キーン展  Seeds in the Heart」がスタートした。会期は2026年3月8日まで。

展示風景より

 ドナルド・キーンはアメリカ・ニューヨーク生まれ。10代でアーサー・ウエーリ訳『源氏物語』と、日本思想史を教える角田柳作と運命的に出会い、日本・日本文化への深い関心を抱いた。戦後は、コロンビア大学大学院、ハーバード大学大学院で近松門左衛門など日本の古典作品を研究し、1953年には京都大学大学院に留学。この間に、生涯の友となる永井道雄や嶋中鵬二と出会い、谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫など様々な作家の知遇を得ることとなった。2011年の東日本大震災をきっかけに日本国籍を取得。日本で暮らしながら晩年まで精力的に活動し、古典から現代文学まで日本文学・日本文化をひろく海外に紹介した。おもな著作には『百代の過客』『日本文学史』『明治天皇』『ドナルド・キーン著作集』などが挙げられる。

 本展では、日本人以上に日本と日本文学を理解し、その価値を世界へ伝え続けたキーンの仕事と、日本文化の奥深さを、原稿や書簡、著作、愛用品など約400点の資料を通してたどることができる。キーンが「黄金時代」と語った日本での時間は、いったいどのようなものだったのか。様々な資料を通じてその問いにせまるものとなっている。

 開幕に先立ち、養子であるキーン誠己は、本展について次のように語った。「2022年に横浜で父の生誕100周年を記念する特別展があったが、この3年間で調査が進み、多くの資料が新たに見つかった。今回は、出生証明書から手書き原稿、骨董品、さらには仏壇まで展示している。父の生涯を丁寧にたどることができる内容のため、ぜひゆっくりご覧いただきたい」。

キーン誠己(浄瑠璃三味線奏者・五代目鶴澤淺造)

 展示は全5章で構成される。第1章「日本文学研究への道」では、少年期から戦後、そして日本文学研究へ向かうまでの足跡を、著作や書簡を通して追っている。16歳でコロンビア大学に進んだキーンは、在学中に『源氏物語』(アーサー・ウェイリー訳)に出会い、日本思想史を講じていた角田柳作を「先生」として仰ぐことで、日本文化への関心を一段と深めていった。

展示風景より
展示風景より
展示風景より

 その後、ケンブリッジ大学大学院を経て、1953年には京都大学大学院へ留学。京都の街で伝統芸能に触れ、下宿先で親しくなった永井道雄や嶋中鵬二らを通じて日本の文壇にもその縁は広がった。第2章「黄犬(キーン)交遊抄 ─京都時代と文壇」では、谷崎潤一郎や三島由紀夫らをはじめとする文学者たちとの交流の様子が紹介されている。

展示風景より
展示風景より
展示風景より、石川啄木 自筆資料「ローマ字日記」(複製) 

 2年間の京都滞在を終えたキーンは1955年に帰国し、母校コロンビア大学で教壇に立つことになる。以後、日本文学の研究と教育を続けながら、長くニューヨークと日本を行き来する生活を送った。

 第3章「著作と日本文学史」では、和洋あわせて100冊を超える著作や、晩年の評伝作品、そしてライフワークである『日本文学史』が取り上げられる。とくに『日本文学史』は着手から完成まで25年を要したもので、日本文学と日本文化へのキーンの揺るぎない情熱が凝縮されている。

展示風景より
展示風景より

 キーンは日本文学のみならず、「日本人の生き方」や「生活の有り様」といった文化的背景にも深い関心を寄せていた。とりわけ幼い頃から演劇を好んでいたこともあり、日本の伝統芸能への探究心は年を追うごとに高まっていった。第4章「日本の文化と芸能」では、狂言の稽古に励むなど実践も交えながら芸能研究を進めたキーンの視点にふれることができる。

展示風景より

 2011年の東日本大震災を契機に、キーンは日本国籍と永住権を取得し、翌年には交流の深かった上原誠己(浄瑠璃三味線奏者・五代目鶴澤淺造)を養子に迎えた。

 最終章「黄犬ダイアリー」では、帰化後のキーンが日本での日常を楽しむ姿や、周囲の人々との温かな交流を、ゆかりの品々や写真を通して紹介している。仏壇も展示されており、キーンの人柄にもふれることのできる貴重な機会となっている。

展示風景より
展示風景より

 本展を通して強く感じられるのは、ドナルド・キーンを貫く日本文学への情熱だ。膨大な翻訳と研究に向き合い続けた姿勢からは、学問の枠を超え、日本語という表現の奥行きを見つめる日本の言葉に対する深い洞察がうかがえる。そしてその根底には、生涯をかけて日本と向き合った彼ならではの、揺るぎない日本文化への愛が息づいていた。キーンのまなざしは、日本文化に生きる我々にとっても、学ぶべきものがあるのではないだろうか。

展示風景より