2025.11.11

田中泯が語る、坂本龍一と「言葉」

2023年3月に、この世を去った音楽家・坂本龍一。その晩年の闘病と創作の軌跡を日記とともに辿ったドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: Diaries』が11月28日より公開。坂本と親交があり、この作品で坂本の日記を朗読した田中泯が、坂本龍一と「死」、そして「言葉」について語った。

聞き手=松井茂(詩人・情報科学芸術大学院大学[IAMAS]教授) 撮影=morookamanabu

田中泯
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幼少期からそばにあった「人の死」

──このドキュメンタリーは死を扱ったものでもあります。田中泯さんも踊りを通して「死」をテーマにしてきたことがおありかと思います。「死」についてどのように考えますか?

 僕が生まれたのは終戦の年の3月でした。僕は子供の頃から相当死体を見ているはずなんですよね。人が死ぬのは歴然たる事実なのだということが、子供のころから死は頭にありました。そして、一生とは何か、大人とは何か、僕が大人なるとはどういうことなのか、という疑問も。

 人間ひとりが、ひとり分の人生をまるで生かしてもらっているかのようにして送っていくこの世の中はいったいなんなのか。人間がほかの生き物と違うと思っているのであれば、このイマジネーションをなぜ働かせないで人間は生きることができるのか、というテーマはずっとあります。

田中泯

──ご自身の踊りにおいても、「死」はテーマだということでしょうか。

 そうですね。自分の時間と、それから踊りの時間をどういうふうに面白く見せるかということもあるし、「一生」という時間に私たちは何をかけているのかということを、踊りでは見せられるかもしれない。

──本作では「日記」の書き手が亡くなっていることを前提に構成されています。朗読前に実際の「日記」も読まれたと伺っています。この朗読にはどのように対峙されましたか?

 まず日記ということと文字にして残すということが彼にとってなんだったのかを考えましたね。僕自身でいうと、子供の頃から絶対に言葉を表現の対象として使う仕事は絶対にやらないぞと決めていましたから。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』より © “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

 僕はやっぱり感覚のほうを信じようと思ったんです。そういう人になりたいと。結局、気が付いたら喋ることは好きじゃなくなりましたね。ただ、文字を読むのはすごく好きで、──もちろん押し付けがましいことを書いているものは投げちゃいますが──ずいぶん読んできました。

 僕は記憶の方法が多分ほかの人たちと違っていて、言葉自体を記憶することはほとんどありません。いくら読んでも全部忘れていくんです。ただし、本当に僕にとって貴重なことを書いたものはちゃんと何かがカラダの中に残っている。ただ、その何かを具体的に説明することは絶対にできないのですが、「俺にとって大事なものである」というふうには言える。感覚の仲間入りをさせるということですね。


──しかし泯さんはずいぶんたくさん文章を書いてますよね。

 どんなに脱線しても平気な書き方をしているんですよね(笑)。あと、嘘は一切つかないということ。僕は文章書きでもないし、どちらかというと踊りに近いポジションで言葉を使っているのかもしれませんね。  


田中泯

「坂本さんはギリギリまで希望を捨てなかった」

──坂本さんが日記として残した言葉を、泯さんはどういう種類の言語と捉えましたか。

 明らかに、音楽の譜面を書くように言葉を書いていたのだと思います。書くときのコンディションをどう表現するのかも考えていたのではないでしょうか。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』より © “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners
『Ryuichi Sakamoto: Diaries』より © “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

──すると演奏家として楽譜に接し、解釈したということでしょうか。

 聞かされる人にこちらの解釈を付け加えるのは絶対に迷惑なことだと思うのです。坂本さんらしくするためには、僕の言葉に匿名性を持たせる、僕が読んでいることを感じさせないようにと考えました。

──ご自身を消去するということは、誰かになるということでもないわけですね。

 映画やテレビの演技に関してもしばしば考えているのですが、セリフは技術で語るものなのか、感情で語るものなのか。日常会話は違いますよね? 本当のリアルは日常の遥か向こうにあるものではないでしょうか。それを演劇というかたちでやるときに、「セリフを語る」とはどういうことなのかをずっと考えているのです。だから面白いですね。

──収録は順調でしたか。

 制作陣も含めて皆さんがそばで聞いているわけですが、自分でもやり直しには気づくのです。「あ、これもう一回だ」ってね。だからそんなに時間はかからなかったですね。

──完成した映画を拝見すると、坂本さんの声と泯さんの声が重なり、2人の坂本龍一がいるような感覚になります。坂本さんを“演じた”ということではないのですね。

 全然違いますね。そう聞こえたなら、それは偶然です。

──坂本さんは亡くなる直前まで、自身の身体を音楽として開かれた存在にすることを選んだのかと思います。泯さんはどのように受け止めていますか。

 死ぬことがわからないでいるときと、わかるとき──その認識の前後ではだいぶ違うと思うのです。もちろん僕は体験がないから、自分だったらどうするのだろうかと考える。人によってそのあり方は違ってくるし、坂本さんはギリギリまで希望を捨てなかったような気がします。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』より © “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

「坂本さんが言葉のレベルを上げてくれた」

──坂本さんと初めて出会ったのはどのような機会でしたか? そして、どのような交流をもってこられたのでしょう?

 2007年のことです。インドネシアを旅して島々で踊ることを映画にしたのですが、そのDVDを坂本さんに送り、感想を求めたのです。とても素敵な感想をくださり、そのあとニューヨークに行ったときにすぐお会いして、以降は行くたびにお会いしていましたね。

 まさに「教授」とお話しているような感じで、世間話もしない。人間の話、戦争の話、大人の嘘の話などをしていましたね。だから一緒に仕事をしようとなったのはずいぶん後なのです。

『Ryuichi Sakamoto: Diaries』より © “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners

──泯さんと坂本さんに共通する人物として、哲学者フェリックス・ガタリを想起します。泯さんは80年代初頭に出会われたと思います。また坂本さんは、1985年に東京で出会い、意気投合されたそうです。もちろん、こうした共通の知己を挙げれば枚挙に暇無いとは思うのですが、ガタリはすこし特殊な共通項に感じられました。何か想起されることがあれば、教えていただきたく存じます。

 そうでしたか。坂本さんがガタリと交流を持っていたことは知りませんでしたが、納得はしますね。ガタリはとてもマトモな人でした。死ぬときもプツッと終わる。いくら言葉を使っても追いつかないドラマティックなものでしたね。

──泯さんと坂本さんの表現分野は異なりますが、海外での表現活動を重ね、その普遍的な体験を経て、日本のアートシーンとも向き合ってきた点は共通していると思います。いまこの時代、この列島に関して思うことを教えていただきたく存じます。

 当たり前のことですが、すべてのことには始まりがあったということです。それは植物の世界であり、坂本さんが森にこだわったのもそうだからでしょう。始まりに戻るのではなく、始まりを引き寄せるような動機をなぜ僕らは持てないのか。神や仏に頼るのではなく、それ以前の世界に戻ろうじゃないかと。踊りがまさにそうです。言葉以前のコミュニケーションとはなんだったのか。人と人との親しみとはいったいなんだったのか。いまは言葉でなんでもできますが、腐った言葉もまた世界をつくってしまっている。それはなぜなのか。

──この映画の言葉は、それとは違う種類のものです。

 そうですね。坂本さんが言葉のレベルを上げてくれたと言えるでしょうね。

田中泯
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