2026.9.13

アン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」展(銀座メゾンエルメス ル・フォーラム)開幕レポート。光と知覚へのインビテーション

銀座メゾンエルメス ル・フォーラムでアン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」展が開幕した。会期は2027年1月11日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大原愛美(編集部)

アン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」展示風景
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 東京・銀座の銀座メゾンエルメス ル・フォーラムで、アン・ヴェロニカ・ヤンセンによる個展「東京、銀座5丁目4-1」が開幕した。ヤンセンにとって日本初の個展となる。会期は2027年1月11日まで。担当キュレーターは節田礼子。

 ヤンセンは1956年、イギリス・フォークストン生まれ。現在はベルギー・ブリュッセルを拠点に活動している。70年代後半から、合板やガラス、コンクリートなどの簡素な素材を用いた制作を始め、90年頃からは光や音、人工煙霧といった、明確な輪郭を持たない要素へと表現を広げてきた。彫刻やインスタレーション、映像、写真に加え、コンテンポラリー・ダンスの舞台美術など、その活動は複数の領域にまたがる。

形ではなく、知覚そのものを扱う

 ヤンセンの制作で継続して扱われてきたのが、空間のなかに置かれた身体と、その知覚の変化だ。反射する光や色、透明性、霧、音といった要素を介し、見る者が空間や時間をどのように認識しているのかを問い直してきた。

アン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」展示風景

 ヤンセンの作品は固定された物体としてのみ存在するものではなく、光の状態や鑑賞者が立つ位置、身体の移動によって、見えていたものが失われたり、異なる色や奥行きが立ち現れたりする。物質と非物質、可視と不可視のあいだを往還するような状況をつくり出すことで、ヤンセンは鑑賞者自身の感覚を作品を成立させる要素のひとつとして組み込んできた。

 また、こうした関心は、美術の領域だけにとどまらない。2009年にはナタリー・エルジーノとともに、アーティストと科学者が空間、時間、身体、脳の関係を探る「ブレイン・スペース・ラボラトリー」を設立。また、振付家のアンヌ・テレサ・ドゥ・キールスマケルらとの協働を通じ、身体と空間をめぐる実践を展開してきた。

「銀座5丁目4-1」という場所から

 展覧会名となった「東京、銀座5丁目4-1」は、銀座メゾンエルメスの住所そのものだ。ヤンセンはこのタイトルについて、住所が持つ「音楽性」に加え、それが客観的な情報でありながら、同時に誰かをある場所へと招く「インビテーション」にもなり得ると説明する。特定の場所と時間を指定し、そこでの「ランデブー=出会い」を想起させるものとして、この住所が展覧会のタイトルに選ばれた。

アン・ヴェロニカ・ヤンセン「東京、銀座5丁目4-1」展示風景

 本展でヤンセンが扱うのは、それ自体を直接つかむことはできないものの、会場の空間を満たしている、光や空気、時間といった要素だ。それらを変化させ、あるいは知覚できる状態へと置き換えることで、既存の空間とは異なる輪郭を内部につくり出していく。本展では、作品単体を見ることに加え、鑑賞者がそのなかを移動することで生じる知覚の変化そのものが、展示を構成することになる。

光を受け、像を変えるガラスと金属

 8階の展示室では、ガラスや金属を用いた作品が並ぶ。ヤンセンが継続して扱ってきたのは、物体そのものだけではなく、そこに光が当たったときに生じる反射や屈折、そして鑑賞者の移動に伴う見え方の変化だ。

《Magic Mirrors (Pink and Green)》(2013)
《Magic Mirrors (Pink and Green)》(2013) 横から観察すると、表裏を強化ガラスに挟まれた中間層のガラス板に亀裂が生じている様子が見える

 《Magic Mirrors (Pink and Green)》(2013)は、複数のガラス板を重ね、圧力を加えることで内部に亀裂を生じさせた作品。中間層を走る細かな亀裂に光が入り込み、鑑賞する位置や光の状態によって、その表面に異なる色や輝きが現れる。

《Water Glass Roll (110)》(2017)

 同じくガラスを用いた《Water Glass Roll (110)》(2017)は、チェコで制作された鋳造ガラスによる環状の彫刻だ。長い冷却過程のなかで内部の気泡が残る部分と消える部分が生まれ、均質ではない透明度を持つ。床に置かれた円環状のガラスには周囲の光や空間が入り込み、その向こうにある風景もまた作品を介して見える。

《Untitled (23)》(2023〜24)

 壁面に設置された《11.06.23》(2023)や《Untitled (23)》(2023〜24)では、ガラスそのものの構造によって生じる「構造色」が用いられている。表面に顔料で色を塗るのではなく、光の反射や干渉によって色が立ち現れるため、見る位置によって色彩は変化する。《Untitled (23)》では、ドーパミンをメラニンへと変化させ、それをガラス表面に付着させる手法も採用されているという。

《IPE 250》(2010〜13)

 いっぽう、床に横たわる《IPE 250》(2010〜13)は鋼製の梁を用いた作品で、その一面だけが鏡面状に研磨されている。工業製品としての梁の重量感を残しながら、磨かれた面にはガラスブロックの壁や照明、周囲を歩く人の姿が映り込む。ここでも、作品の外側にある光景が表面へと取り込まれ、鑑賞者の移動とともに変化していく。

ブランコが記録する、身体と時間

 ヤンセン自身が自身の作品について「パフォーマティブ」であり、そこにはムーブメントが含まれていると言及したように、本展では鑑賞者の身体そのものが作品の状態を変えるものもある。その代表例が、展示室の中央に吊り下げられた《Swings》(2000〜23)だ。約7メートルのロープの先に円形の座面を備えたブランコで、鑑賞者は実際に腰掛け、揺れることができる。

《Swings》(2000〜23)は実際に鑑賞者が座って作品を楽しむことができる

 座面には熱に反応する素材が使われており、人が座ると体温を受けた部分の色が変化する。立ち上がったあともしばらくその痕跡が残り、やがて元の状態へ戻っていく。身体の接触とその温度が、一時的な像として表面に記録される仕組みだ。人が乗れば、身体の動きによって周囲の空気も動く。ここでは建築の内部に存在しながら通常は視覚化されない空気が、ブランコの運動を介して意識されることになる。同時に、座面に残される体温の痕跡は、身体がそこに存在した時間を一時的に留める。

撒かれたグリッターがつくる一度きりの像

 床面に広がる《Untitled (blue glitter)》(2015〜)も、固定されたかたちを持たない作品だ。用いられるのは、青を基調とするイリデッセント・マイクログリッター。制作に際して行われるのは、それを床へ撒くという簡潔な行為だ。しかし、粉末が落下して広がる状態を完全に再現することはできないため、展示のたびに異なる輪郭や密度を持つ像が生まれる。

《Untitled (blue glitter)》(2015〜)

 グリッター自体も、見る角度やそこに差し込む光によって異なる色に見える。床上に広がる不定形の像は、絵画のような色面をつくりながら、支持体に固定されることなく展示空間のなかに置かれている。

見える色から、頭のなかに生まれる色へ

 階上の9階では終日照明が落とされ、光や色をめぐる問いが、異なる方法で展開される。新作《Donut》(2026)は、ヤンセン自身の声による8分46秒のサウンド・インスタレーションだ。本作で彼女は自身の同名の過去作品《Donut》(2003)を言葉だけで描写する。実際の像は提示されず、鑑賞者は声によって伝えられる色や形についての言葉から、それぞれの頭のなかに像を組み立てる。

《Donut》(2026)では無地の画面に字幕のみが表示される

 本来はフランス語の音声のみで構成される作品だが、本展では日本語字幕が加えられた。暗い空間に言葉が断続的に現れては消えることで、音声を聞くことに加えて、文字そのものが光として明滅する状態が生まれている。色を直接見せるのではなく、言語を介して色を想像させることで、ひとつの言葉がどこまで同じイメージを共有できるのかという問いが作品のなかで提示されている。

《Orange》(2010)

 その近くで展示される《Orange》(2010)は、ガラスの内部に液体を封入した作品だ。鮮やかなオレンジ色を帯びた直方体は、その表面と内部を光が通過することで、見る位置によって色の濃度や透明感を変える。ヤンセンが長く取り組んできた「物質の非物質化」という問いが、ここではガラス、液体、光、色彩の関係を通して扱われている。

霧のなかに現れる「星」

 8階のもうひとつの展示室では、《Rose》(2007)と《Calcium Carbonate》(2026)がひとつの空間を構成している。《Rose》は、7基のスポットライトと人工霧による作品。室内の中心へ向けて光を照射し、その光線が霧の粒子によって可視化されることで、複数の線が空中で交差する。特定の位置から見ると、それらは三次元の星形のような像を結ぶ。

《Rose》(2007) 時間によって輪郭や色が異なって見えるという

 星の像は固定されているわけではなく、鑑賞者が位置を変えれば線同士の関係も変わる。霧そのものも、近づくと透明に見える。外光が差し込む時間帯には光の線が淡くなり、室内の明るさによってもその見え方は変化する。捉えたと思った像が身体の移動や環境の変化によって失われるという状態が、ここでは光と霧によってつくられている。

 その《Rose》を取り囲む壁面に施されたのが、《Calcium Carbonate》(2026)だ。炭酸カルシウムによって壁面を白く覆う本作は、この会場のためにつくられた新作という位置づけになっている。本作は《Rose》の展示空間を検討する際に、単純に暗くするのではなく、壁面にテクスチャーを残しながら光を受け止める方法として発案された。

 「東京、銀座5丁目4-1」という特定の場所に集められた作品は、光や空気、身体の動きによって絶えず異なる状態を見せる。そこに現れる像は固定されることなく、鑑賞者が立つ位置や訪れる時間によって変化していく。本展は、そうした一時的な現象を通じて、私たちが空間をどのように見ているのかをあらためて意識させる構成となっている。