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2026.9.10

川口市立美術館が開館。蜷川実花の「はじまり」をたどる特別展で幕開け

9月12日にグランドオープンする川口市立美術館。その開館記念特別展として「蜷川実花展 はじまりの光」が開催される。父・蜷川幸雄の故郷でもあり、蜷川実花が幼少期を過ごした川口を舞台に、約30年にわたるセルフポートレイトや新作、家族の記憶を通して作家の創作の源流をたどる本展。その会場をレポートする。

文=橋爪勇介(編集部)

会場風景より、「ROOM KEY」 撮影:編集部
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 JR川口駅西口からほど近い場所に9月12日、川口市立美術館(館長:建畠晢)がグランドオープンする。

新たな美術館、その幕開けに蜷川実花

 同館は川口総合文化センター・リリアと接続する位置にあり、既存の丘の地形を生かして計画された新築の美術館だ。1階・M2階・2階の3フロアで構成され、エントランスのある2階には2つの展示室とレストラン、ショップを、M2階には展示ホールやライブラリーを備える。内装には川口市の伝統産業である鋳物が一部用いられるなど、地域の文化や歴史を感じさせる意匠も随所に見られる。

 現在のコレクションは約220点。地域の美術愛好家や川口市ゆかりの作家らによる寄贈を中心に形成されており、鏑木清方や横山大観など日本美術を代表する作家の作品も所蔵している。

川口市立美術館 撮影:編集部

 この新たな美術館の幕開けを飾るのが、開館記念特別展「蜷川実花展 はじまりの光」だ。会期は11月29日まで。

 写真家、映画監督、現代美術家として活動し、近年はクリエイティブチーム「EiM」とともに大規模なインスタレーションを国内外で展開してきた蜷川実花。本展で軸となるのは、蜷川にとってすべての出発点とも言える「写真」、そして「家族」と「川口」というきわめて個人的な記憶である。

 川口は、父で演出家の蜷川幸雄(1935〜2016)が生まれ育った地であり、実花自身も幼少期、父方の実家があった本町周辺で多くの時間を過ごした。

 とりわけ強く記憶に残っているというのが、川口の「おかめ市」だ。見世物小屋やおもちゃの叩き売り、鯉を扱う露店、神社の周囲に集う様々な人々──。明るく華やかなだけではないものが入り混じる祭りの光景と、当時、父が手がけていた心中物や悲劇の舞台。それらの記憶が幼い蜷川のなかで重なり、「どこまでが創作で、どこまでがリアリティなのかわからない」ような世界をつくり出していたという。

 路地裏にともるオレンジ色の街灯や、迷路のような道、角を曲がれば現れる映画館など、川口で目にした風景について蜷川は、「ものをつくるときの原風景になっている」と振り返る。

記者会見に登壇した蜷川実花 撮影:植村マサ

 本展の依頼を受けた際にも、「川口は自分にとってとても大切な場所で、思い返してみれば創作の原点のようなところがある」と改めて気づいたという。そして、「これまであまり触れてこなかった家族に関する、プライベートなことをテーマにした展示ができたら」と考えた。

 つまり本展は、ただ新しい美術館のオープニングを飾る個展にとどまることなく、蜷川自身が自らの表現がどこから生まれたのかを、故郷とも言える土地で見つめ直す展覧会と言える。

色彩をいったん手放し、「写真を写真として見せる」

 展示は大きく2つの章で構成される。第1章では6つのテーマ、計194点の写真作品が並ぶ。

 ここでまず重要なのは、蜷川が本展を「写真を写真として見せる」展覧会と位置づけていることだ。

 近年の蜷川は、写真集や巨大なインスタレーションなど、複数の写真を集合体として見せる手法を数多く用いてきた。対して今回は、「ここに来て、あえて写真を写真としてしっかり見せることに挑戦したかった」という。展示方法も過度に演出せず、写真そのものと向き合うことを選択した。その姿勢は、会場全体の色調にも表れている。

 鮮烈な色彩は、言うまでもなく蜷川作品を象徴する要素だ。しかし蜷川自身、色彩の印象があまりに強いために、「その奥にあるものまで見てもらえていないのではないか」という思いを長年抱えてきたという。そこで本展では、自らの強みのひとつである色彩への意識をいったん手放した。「色彩に一切フォーカスせず、いいと思えるクリエーションだけに特化した結果」が、今回の展示だという。

 その言葉通り、会場にはモノクロームの作品が目立つ。そこで前面に出てくるのは、いわゆる「蜷川実花的」な色彩ではなく、写真に刻まれた感情や時間そのものだ。

会場エントランス 撮影:来田猛

生と死が近接する海へ

 展示冒頭で目を引くのが、吹き抜けの空間を活用して展示された「Dancing with Shadows in the Light」シリーズだ。

 蜷川が自ら海に潜って撮影した、初の本格的な水中写真シリーズである。意外にも、ダイビングをしていたから海を撮り始めたのではない。「海の写真を撮ろうと思って、ダイビングのライセンスを取った」のだという。

「Dancing with Shadows in the Light」シリーズ 撮影:編集部

 その理由について蜷川は、海を「生と死が近しい場所」と感じたからだと語る。潜り始めた当初は、呼吸するだけで精一杯だった。だからこそ「いい写真を撮ろう」という意識すら薄れ、そこで感じたことがダイレクトに写真へと写り込んでいった。その感覚にのめり込み、この1年半ほどで約70回も海に潜ったという。

 極彩色の作品群とは対照的に、ここに並ぶのは静かなモノクロームの世界だ。しかし、光と闇、生と死といった相反するものをひとつの画面のなかにとらえようとする眼差しは、これまでの蜷川作品とも地続きにある。

過去の家族と「出会い直す」──「First Light」

 続いて注目したいのが、本展で初公開される新シリーズ「First Light」だ。素材となったのは、実家で見つけた父・幸雄と母・宏子の古いアルバム写真。70年ほど前の小さな写真を、蜷川がマクロレンズでもう一度撮影した。そこにあるのは、たんなる複写とは異なる時間の層だ。

「First Light」シリーズ 撮影:来田猛

 「自分の知らない時代の父と母に出会い直すような感覚があった」と蜷川は語る。例えば新婚旅行の写真には、父が撮った母、母が撮った父の姿が残る。そこには、父が母をどのように見ていたのか、母が父をどのように見ていたのかという、撮影者の眼差しまでもが写り込んでいる。

 そして数十年後、それを娘である蜷川が再び撮る。蜷川はこの行為を、「本来見ることのできない、時空を越えた出会いをし直すこと」と表現する。同じ写真であっても、撮影する日によって見え方は変わった。蜷川自身の感情がそこに重なることで、ひとつの古い家族写真がまったく異なる像として立ち現れる。

 当初から作品化を意図して始めたものではなかったというが、結果として「First Light」は本展の核心を担うシリーズとなった。

自分を保つためのセルフポートレイト

 モノクロームのセルフポートレイトシリーズ「Self-image」も圧巻だ。蜷川が大学在学時に写真家としてデビューした際に発表したのもセルフポートレイトだった。それ以来、約30年にわたり断続的に撮影を続けてきたが、これほどまとまったかたちで展示されるのは今回が初めてとなる。

「Self-image」シリーズ 撮影:来田猛

 映画や大規模インスタレーションなど、大勢のスタッフとともに巨大なプロジェクトを進めるときほど、蜷川はひとりで完結できるセルフポートレイトを撮りたくなるという。三脚を立て、セルフタイマーを使い、自分ひとりでつくる世界。それは、「自分を保つため」「前に進むため」「確認するため」に必要な、ある種の「シェルター」でもあるそうだ。

 鮮烈な色彩の花や人物のポートレイトなど、一般にイメージされる「蜷川実花」の作品とは大きく異なり、画面に現れるのは、ひとりの人間としてカメラの前に立つ蜷川自身だ。自分を撮ることで、自分と世界との接点を確認する。その意味では「Self-image」は特殊なシリーズであると同時に、蜷川の写真表現全体を考えるうえでも重要な作品群と言えるだろう。

生と死のあいだで撮られた「うつくしい日々」

 「うつくしい日々」も、本展を理解するうえで欠かせないシリーズだ。2014年に父・蜷川幸雄が倒れてから、16年に亡くなった後までの約1年半にわたり撮影された作品群。蜷川は毎朝のように病院へ通い、その往復や日常のなかで写真を撮り続けた。

「うつくしい日々」より 撮影:編集部

 家族の死が近づく時間を記録した作品でありながら、そこに映るのは必ずしも直接的な悲しみではない。窓から差し込む光、花、道端の風景。ごくありふれた日常が、失われていく時間のなかで異様なまでの鮮明さをもって立ち現れる。そしてこの時期、蜷川の次男が誕生している。

 「(次男が)寝返りが打てるようになる、(父が)寝返りが打てなくなる。(次男が)流動食が食べられるようになる、(父が)流動食も食べられなくなる」。乳児として成長していく息子と、少しずつ身体の機能を失っていく父。その変化が同時進行で「きれいに交差していった」と蜷川は振り返る。

 そこで蜷川が圧倒的なリアリティをもって感じたのが、生命がつながっているということだった。父の死が近づくいっぽうで、目の前の風景は妙に明るく、美しく見える。「死ぬってことは、こんなに美しいんだ」と思うほどに、光が鮮烈に感じられる瞬間もあったという。写真を撮ることは、感情が極度に高ぶったその時期に、蜷川が自身を保つための行為でもあった。

 こうして見ていくと、本展のタイトルにある「光」という言葉も、たんなる視覚的な美しさ以上の意味を帯びてくる。写真を成立させる光は同時に、失われていく時間や、そこにある生命を強烈に意識させるものでもあるのだ。

「うつくしい日々」より 撮影:編集部

10年間手をつけられなかった父の書斎を再構築

 そして本展でもっとも異質な存在感を放つのが、第2章「ROOM KEY」だ。ここでは、蜷川幸雄の死後も約10年間そのまま残されていた書斎を起点に、大規模なインスタレーションが展開されている。

「ROOM KEY」の展示風景 撮影:編集部

 蜷川実花にとって、その書斎は子供の頃の遊び場であると同時に、創作の原点のひとつでもあった。しかし、父の死後は「どうしたものか」と考えながらも、片付けることができなかったという。今回の展覧会を機に、蜷川は初めてその部屋と本格的に向き合い、物を運び出し、展覧会場で再構築した。

 空間の中心には蜷川幸雄が愛用した机。その周囲には、合田佐和子の絵画や四谷シモンの人形、西洋絵画の複製、演劇や映画のポスター、台本、舞台にまつわる品々などが密集する。父の部屋にあったテレビやDVDプレーヤーもそのまま持ち込まれ、舞台で使用された音や映像も空間に入り込む。

「ROOM KEY」の展示風景 撮影:編集部
「ROOM KEY」の展示風景より 撮影:編集部

 それはただの「書斎の再現」ではない。蜷川が意図したのは、「創作の場」と、そこで生まれたものが外の世界へと広がっていく場所との境界を曖昧にすること。父の私的な書斎を起点としながら、現実と虚構が浸食し合う空間へと変換している。

 その周囲を取り囲むのが、母・蜷川宏子が長年制作してきた巨大なキルト作品だ。さらに「First Light」を発展させた作品も加わり、父、母、娘、それぞれの時間がひとつの空間のなかで重なり合う。

「ROOM KEY」の展示風景より、蜷川宏子のキルト作品 撮影:編集部

 じつは蜷川は、これまで家族をテーマに作品をつくることを意識的に避けてきたという。若い頃、作品そのものではなく両親との関係ばかりを問われることに強い抵抗があり、それゆえ「あえてそこに触れて何かをつくることをしないできた」と話す。

 しかし父の死から時間が経ち、自身も長いキャリアを重ねた。そして何より、川口という場所で展覧会を行う機会が訪れたことで、初めて家族と自然に向き合うことができたという。

「蜷川実花」以前の蜷川実花を見る

 近年の蜷川実花といえば、色彩豊かな写真を拡張した巨大なインスタレーションの印象が強い。いっぽう本展では、そのイメージからいったん離れ、写真家・蜷川実花とじっくり対峙することができる。

 ここで前面に出てくるのは、「蜷川実花」という広く知られた作家像を成立させてきた代表的なイメージではない。その手前にある感情や家族、記憶、日常だ。

 海中で生と死の近さをとらえた「Dancing with Shadows in the Light」。自分自身を撮り続ける「Self-image」。父の死と息子の誕生のあいだで撮影された「うつくしい日々」。過去の家族と時空を越えて出会い直す「First Light」。そして、10年間手をつけられなかった父の書斎。それらをたどることは、現在の蜷川の表現を構成する源流へと遡ることでもある。そしてその源流には、幼少期に歩いた川口の路地や祭りの記憶、父の舞台、家族が生活し、ものをつくっていた空間がある。

「いろんな展覧会をやってきたが、この展覧会は私にとってとても重要。川口だからこそのきっかけをもらって、新しい表現の広場になったと思う」と蜷川は語る。

 川口という蜷川自身の「はじまり」の土地で、新たな美術館の「はじまり」に、自らの創作の原点へと立ち返る。その二重の「はじまり」が、本展をほかの蜷川実花展とは異なるものにしている。