菅井汲の絵画をもっと知るためのキーワード5つ

阪急電鉄のデザイナーとして働き、その後、パリを拠点に活躍した画家・菅井汲(1919〜96)。その画業の初期から晩年までを紹介する特別展「没後30年 菅井汲」(10月2日〜12月6日)が広島県立美術館で開催される。豊かなマチエールをもつ絵画から、明快な色彩と形態によるダイナミックな抽象絵画へと変遷した菅井の表現を、どのように読み解けばよいのだろうか。本稿では、美術批評家の沢山遼が5つのキーワードから、その作品世界を解説する。※10月3日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

文=沢山遼

菅井汲《Ma Voiture(PORSCHE)(私の車 ポルシェ)》(1975)紙にシルクスクリーン 33.8×95.5cm 広島県立美術館
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KEYWORD 1:記号

漢字の解体から始まる記号の探究

 菅井は、1952年に単身パリに渡り、画家としてのキャリアを開始した。だが、それ以前の彼は、阪急電鉄の事業宣伝課でポスターなどを制作するグラフィック・デザイナーだった。デザイナーから画家への転身は、菅井の仕事を考えるうえで重要である。50年代の半ばに描かれた一連の作品は、漢字のかたちやタイトルと関連する象徴的な形態を抽出・解体し、抽象表現主義と同時代性をもつ大きな筆触で、それを単純化して示す。この時点においてすでに、のちの菅井の制作で展開される記号や標識への関心の萌芽が見られる。

 記号や標識への関心はもちろん、彼のデザイナーとしての出自と関係する。これらの作品は抽象絵画であると同時に、書道を思わせる筆触をもつ。漢字を参照すること、あるいは具体的な事物から単純な形態をつくりだす手法は、漢字という表意文字への関心がそこにあったことを示すだろう。

菅井汲《鬼》(1958)キャンバスに油彩 146×114cm 東京都現代美術館

 ドイツの哲学者・ライプニッツは、概念(意味)や事物の構造を直接表示する漢字という表意文字に関心を寄せた。漢字は、ライプニッツの仕事における、事物の本性に基づく人工的な記号体系をつくること、すなわち「普遍言語」の探究に大きなヒントを与えたのである。菅井の50年代半ばの仕事もまた、事物から必要な要素を抽出し、新たな漢字=普遍言語をつくることに着手していた。

KEYWORD 2:ポルシェ

スピードがもたらした新たな絵画表現

 渡仏後、菅井は現地の交通の便の悪さを解消するためポルシェを購入した。だが、それがもたらすスピードの感覚は、菅井の中心的な主題になっていく。時速200キロ以上で疾走するポルシェのスピードがもたらす感覚は、彼の絵画がより洗練された形式になっていくことと連動していた(1965年の作品には《時速280キロ》というタイトルがついたものもある)。

菅井汲《Ma Voiture(PORSCHE)(私の車 ポルシェ)》(1975)紙にシルクスクリーン 33.8×95.5cm 広島県立美術館

 1967年、菅井は運転操作のミスにより大事故を起こし、大怪我を負って入院を余儀なくされる。だが、事故後、菅井はよりスピードの出るポルシェを購入した。さらに、この事故をきっかけとして、菅井の絵画は、それまで以上にミニマルで明快な形式へと展開した。同時に、毎日同じ食事を同じ時間に摂るなど、生活のルーティン化とアトリエでの作業の徹底的な効率化を図った。60年代以降の菅井は、作品における「あいまいなもの」「無駄」を省くことに注意を寄せていく。それは、ポルシェが与えた知覚の変容を絵画に実装することを意味した。つまり、単純化された形態、視覚的な強度、視認性の高さをもつ菅井の絵画の特質は、高速移動する主体が置かれた空間知覚や認知に関わる。菅井は言う。「アトリエに一人でいると、全速で車を運転しているときと同じ虚無を再発見することができるのです」(*1)。ポルシェは、スポーツカーのような精密化された機能をもつ具体物=機械へと絵画を変換することを菅井に教えたのである。

*1──Interview with Kumi Sugai by Myriam Smadja, “Painting the void,” The Unesco Courier, May 1966, p.28.

KEYWORD 3:カドミウム・レッド

明快さを追求した色彩

 1960年代以降、菅井はより洗練された絵画形式を推し進めた。その作品は、エルズワース・ケリー、ユリエ・クニファー(*2)、阿部展也、ドナルド・ジャッドらのミニマルな作品群と国際的な同時代性をもつ。ジャッドは、作品がより強く、明快、クリアかつダイレクトでパワフルであることを追究したが、同様の資質は菅井の作品にも見られる。ジャッドはカドミウム・レッドを好んだ。それは、この色彩が形態の形状と輪郭をもっとも明確かつ直裁に伝える色彩であると考えたからである。同じくカドミウム・レッドなどの原色、黒と白のストライプなどを多用する菅井の作品は、瞬時に認識可能な明確さ、明快さをもつ。こうした造形は、不必要なもの、余計なものを徹底的に切り捨てることによって現れる、もっとも単純な形態へと還元された標章であり標識である。以下の発言において菅井が言うように、原色への還元もまた、道路標識への接近を示す。

私が行っていることを定義できる言葉はありません。私の絵は、道路標識と似たところがあります。私にとって道路標識とは、即時の、完璧なコミュニケーションのためのモデルなのです。高速道路において、国籍や文化に関係なく、標識はどんなドライバーにも瞬時に理解できる明確なメッセージを伝えます。同じように、現代物理学で定義されるそれ以上分割不可能な要素のように、私はもっともダイレクトな要素だけを使いたいのです。それが、私が基本的な原色だけを用いる理由です。(*3)
菅井汲《Rouge de Cadmium11. 12(カドミウム・レッド11. 12)》(1992)キャンバスにアクリル絵具 250×264cm 広島県立美術館

KEYWORD 4:回転

機能性と速度を宿した絵画

 菅井の絵画では、同一形態が角度を変え、別方向に倒されながら連結される形式が繰り返し描かれる。それは、絵画に回転(旋回)運動をもたらす。ゆえに、それらの絵画は、唯一の正しい位置というものがなく、上下を反転させても機能する、と感じさせる。実際、菅井は一部の彼の作品について、固定された正位置はなく、回転させても機能すると考えていた。菅井の絵画において、形態は移動し運動する。それは、個々の形態が、具体的な機能的な連関をもって連結するということでもある。菅井は言う。「私は以下のような絵画制作を試みたい、1.人間精神の緊張感、つまり、我々自身の全人間的な緊張感と、正確に計算された機械の動きを統合させること」(*4)。菅井は、絵画をポルシェのような具体的な機能性と速度をもつ構造体へと変換することを志向していた。

菅井汲《VARIATION》(1978-79)キャンバスにアクリル絵具 200×200cm 南天子画廊

KEYWORD 5:S

都市空間と共鳴する絵画

 菅井の作品には、彼のイニシャルである「S」の字を思わせる形態が頻出する。それは同時に、S字カーブを描く道路やレーシングサーキットの記号=標識でもある。道路は、菅井がフランス語で高速道路を意味する「オートルート」シリーズを1962年から開始して以来、重要な指標となった。69年に菅井は、今後は、額縁のなかに収まる絵画ではなく、都市や建築とともにあるモニュメンタルな仕事だけをやりたい、と語っている(*5)。その発言は、菅井がSの字においてすでに道路を描いていたことと関係している。菅井は、絵画をより機能的なものにすること、公共的なものにすることを志向していた。実際、菅井は60年代後半から、公共的な空間での壁画制作など、大型作品の設置に関心を寄せていくことになる。それは、彼が「オートルート」シリーズの開始とともに、道路標識と類似する、明快な色彩と幾何学的な形態からなる絵画をすでに描いていたことと並行している。絵画は、建築や道路などのインフラストラクチャーやメガストラクチャーと融合する。その意味で菅井の実践は、同時代の絵画以上に、磯崎新が設計した「富士見カントリー倶楽部」(1973-74)「北九州市立中央図書館」(1974)の管状の長細いヴォールトの構造と共鳴している。

菅井汲《Septembre》(1987)キャンバスにアクリル絵具 197×197cm 南天子画廊

*2──2025年4月には、galerie frank elbazと南天子画廊の共催展「断続する線:ユリエ・クニファーと菅井汲」(BONDED GALLERY、2025年4月10日~29日)が開催された。本展にあわせて、沢山は論考を寄せている。
*3──Interview with Kumi Sugai, “Painting the void,” pp.29-30.
*4──Morita, Iida, Sugaï, Galeie Brusberg, 1965. 『菅井汲展』東京都現代美術館編、菅井汲展実行委員会、2000年、206頁に再録。
*5──『菅井汲展』、209頁。