2026.8.3

「第12回ヒロシマ賞受賞記念 メル・チン展」(広島市現代美術館)開幕レポート。メディアを横断し社会を編み直す実践

広島県の広島市現代美術館で、「第12回ヒロシマ賞受賞記念 メル・チン展」が開幕した。会期は10月12日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大原愛美(編集部)

メル・チン《ファンク&ワグナルズ百科事典:AからZまで》(2012)The Universal Standard Encyclopedia(1953〜56年版、ウィルフレッド・ファンク社刊)から切り抜かれたページ、水性アーカイヴァル接着剤、紙 524個のコラージュ各20.3×27.9〜43.2×58.4cm 作家蔵
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 広島県の広島市現代美術館で、「第12回ヒロシマ賞受賞記念 メル・チン展」が開幕した。会期は10月12日まで。担当は同館学芸員の洲濱元子。

社会を編み直すための芸術

 1989年に創設されたヒロシマ賞は、「ヒロシマの心」を美術を通して世界へ発信することを目的に3年ごとに授与される。本展は第12回受賞者であるメル・チン(1951〜)にとって日本初の個展となる。環境問題や戦争、社会的不正義など複雑な社会課題に向き合いながら、彫刻や映像、公共プロジェクトなど多様な表現を展開してきたチン。本展では代表作に加え、広島のために制作した新作を通して、芸術が社会に介入する可能性を提示している。 

 メル・チンは1951年アメリカ・テキサス州ヒューストン生まれ。1970年代より制作を開始。環境汚染や戦争、教育、経済格差など、現代社会が抱える複雑な問題を主題としながら、彫刻、ドローイング、映像、アニメーション、ゲーム、公共プロジェクトまで既存のジャンルを横断する実践を続けてきた。作品制作では科学者や地域住民、教育機関などとの協働を行い、完成した作品だけでなく、人々の関係性やプロセスも表現の一部としている。

暴力のかたちを可視化する

 本展は全2章で構成され、初期作品から近作、新作までを通覧するものとなっている。第1章「奇妙な花の下で」では、主に2001年のアメリカ同時多発テロ事件を受けて2002〜06年に制作された作品が並ぶ。アメリカ国籍を持つチンは事件を契機として、世界中の暴力や支配構造が社会に残す傷跡に焦点を当てた作品を制作するようになったという。

 本章の中心に据えられているのは、竹と紐でつくられた巨大爆弾《私たちの民主主義の奇妙な花》(2005)だ。

メル・チン《私たちの民主主義の奇妙な花》(2005)竹、藁、黄麻布、ヤシ繊維、マホガニー、スチール、ボトルキャップ 直径457.2×548.6cm 作家蔵
チンは映画『世界残酷物語』(1962)を通じて「カーゴ・カルト」の存在を知り、衝撃を受けたという

 第二次世界大戦中、太平洋諸島の一部では、欧米から運び込まれた物資を神聖な贈り物として捉える信仰運動が見られ、のちに「カーゴ・カルト」と呼ばれるようになった。しかし、この概念は西洋中心主義的なラベリングであるとの批判もあり、こんにちでは慎重に用いられている。チンはこうした歴史的背景を踏まえ、オーストラリアの北から北東に広がる諸島群にある「カーゴ・カルト」の様式でアメリカ軍の巨大爆弾「デイジーカッター」を原寸大で制作。先住民の信仰体系と近代兵器の暴力性を重ね合わせることで、民主主義の名のもとに軍事行動を正当化する国家権力への疑義を投げかけている。

メル・チン《死の車輪》(2002)ファイアストン社のウィルダネスATタイヤ、ペイント・木製パネル 182.9×182.9cm モリー・ケンプ蔵

 また、《死の車輪》(2002)では、2000年にフォード社製自動車のタイヤ破裂事故をめぐって社会問題化したファイアストン社製タイヤを素材として使用している。この事故は、フォードとファイアストンのあいだで責任の所在が争われ、親会社ブリヂストンを含む大規模な訴訟へと発展した。チンは、仏教において人間の苦しみの根源とされる「三毒」、すなわち貪欲(鶏)、怒り(蛇)、無知(豚)をタイヤのゴムを用いて形づくることで、事故の責任を曖昧にしながら利益を追求する企業構造、さらにはその背後にある資本主義への批判を作品に織り込んでいる。

 本章では、第二次世界大戦中の軍事行為から、現代の環境破壊に至るまで、世界各国の具体的な事例に存在する不公平な権力構造を起点とした作品が紹介されている。さらに参照される思想や理念、歴史的伝承はメラネシアの民間信仰、ソクラテスの死因となった植物、仏教思想など多岐に渡る。広範な知識によって作品に強度を付与するチンのリサーチの厚みを垣間見ることができる。

歴史を現在に接続する

 第2章「逃れられない歴史」では、初期作品から最新作までを展示することで、半世紀にわたるチンの活動を紹介している。

メル・チン《逃れられない歴史》(1988)ヘブロン産大理石、木、オリーブ材、石膏、ドライウォール 直径205.7cm 作家蔵

 1988年に制作された《逃れられない歴史》は、現在も続くイスラエルとパレスチナの緊張関係をテーマとした作品。パレスチナのヘブロンで採掘された大理石には1949年以降の領土境界線が刻まれ、なかでもヨルダン川西域にあたる部分は伝統的な毛織りの投石具のポケットに収められている。投石具を固定する杭には、この地で古くから栽培されてきたオリーブ材が用いられている。壁面に刻まれた円形の痕跡は、投石具が繰り返し描く軌道を想起させ、歴史的な対立が現在まで反復されている状況を示唆している。本作は、約40年を経た現在もなお本質的な解決に至っていないイスラエル・パレスチナ問題を通して、歴史的な対立が人々の記憶と生活に長く影を落とし続けることを浮かび上がらせている。

メル・チン《スカル・チェア》(1984)拾得した折りたたみ椅子にメゾナイト、セピアインク、鉛筆
87.6×47×52.7cm サンドラ・ジェンセン・ローランドとF.クルーザー・ローランド蔵
メル・チン《自叙伝的二連作》(1989)左:マホガニー、バナナ繊維、ドライウォール用パテを用いた作家制作の木製パネルにグラファイト、モデリングペースト 右:ダメージ加工したホーロー鋼板、石膏を用いた作家制作のフレーム 左:48.3×48.9×10.2cm、右:47.9×48.9×10.2cm ハウン・ソーシー蔵

 80年代に制作された作品には、「メメント・モリ(死を想え)」を表現した《スカル・チェア》(1984)や、異質な存在の到来をテーマにした《よそから来たもの》(1985)、自分も世界の残酷さを構成する一部であるという現実を描いた《自叙伝的二連作》(1989)など観念的な主題をもつものも多く見られる。活動初期のチンが世界の様々な問題を観念的な主題として扱っていたことがうかがえる。

手前がメル・チン《リヴァイヴァル・フィールド》(1991〜)の実験に使用された、メル・チン《区画マーカー51番、62番、88番》(1993)レッドウッド、アルミニウム、ガラス、ベークライト製キャップ、亜鉛、銅、鉛、土壌残留物 作家制作の展示ケース:アクリルチューブ、真鍮、金具、合板 各62.9×10.2cm 

 本展では90年代以降にチンが手がけたアートプロジェクトも紹介されている。現在も継続的に展開されている《リヴァイヴァル・フィールド》(1991〜)では、有害廃棄物処理地に有害物質を吸収する植物を植えることで「グリーン・レメディエーション(持続可能な土壌再生)」を行っている。さまざまな共同体と協働しながら、問題に対して直接的に働きかけることで、作品は鑑賞の対象にとどまらず、現実社会と結びつく営みとなっている。こうしたプロジェクトは、80年代の作品に見られた問題意識を社会の現場に接続し、チンの活動が問題を提示する表現からその解決へ向けて働きかけるものへと発展していったことを示している。

軽快なイメージの再編

 本展のメインビジュアルになっているインスタレーション《ファンク&ワグナルズ百科事典:AからZまで》(2012)はチンが両親の遺品を整理した際に発見された百科事典の写真を切り抜き、コラージュを行なった作品だ。コミカルさも感じさせるダダイズム的なフォトモンタージュの手法によって、イメージは事典内での意味から解放され、新たな文脈が与えられている。

メル・チン《ファンク&ワグナルズ百科事典:AからZまで》(2012)The Universal Standard Encyclopedia(1953〜56年版、ウィルフレッド・ファンク社刊)から切り抜かれたページ、水性アーカイヴァル接着剤、紙 524個のコラージュ各20.3×27.9〜43.2×58.4cm 作家蔵
メル・チン《ファンク&ワグナルズ百科事典:AからZまで》(2012)の一部。チンが「羊のギャング」と呼んでいたこのコラージュのように、本作では百科事典の画像にコミカルな世界観を付与している

 語の普遍性を担保する百科事典の写真を、個人的な視点を用いながらコミカルなコラージュにすることで、ユーモアを込めながらも知識の体系を問い直す批評的な試みとなっている。

ヒロシマから未来へ

 本展の最後には、ヒロシマ賞受賞を記念して制作された新作《招待》(2026)が展示されている。原子爆弾をイメージした形状の陣太鼓の上に、広島の土を使用した陶でつくられた少年が立っている。戦いの始まりを告げる陣太鼓が再び鳴らぬようその上に立つ少年は、鑑賞者に手を差し伸べながら平和への道へと招待し、未来は選び取ることができると提示している。

メル・チン《招待》(2026)FRP、備前土(広島の土を含む)、スチール、オリーブドラブ顔料(1945頃) 直径254×254 作家提供

 本作は漫画『はだしのゲン』(1973〜1987)の作者である中沢啓治(1939〜2012)へのオマージュとして制作され、中沢による軍国主義やナショナリズムに対する批判精神を現代へと継承する。チンの制作に一貫する「芸術を通じて社会を編み直し、働きかける」という理念を力強く象徴している。

記者会見でのメル・チン(左)。「鑑賞する方には提示するものを越えて、さまざまな疑問を持っていただきたい」と語った

 本展の開幕に際して行われた記者会見でチンは、ヒロシマ賞受賞について「いままで受け取ったどの賞よりも光栄」として、「人類史上最悪の事態を経験した地ともいえるヒロシマで学び、伝えてゆく責任を感じている」と気持ちを述べた。また、詩人ライナー・マリア・リルケ(1875〜1926)による有名な一節「You Must Change Your Life(お前はお前の生を変えねばならない)」を引用し、「失われてしまった人々の声を聞き直し、伝えるべきことを知ること。それは自分自身の人間性を再構築していく上でも大事だ」と語った。チンは、歴史を記録することではなく、その記憶を社会へと接続し、鑑賞する個人の思考に働きかけることを目指してきた。本展は、彫刻や絵画、アニメーション、公共プロジェクトなど、多様な実践を通して、「芸術はどのように社会へ働きかけることができるのか」という根源的な問いを提示している。