2026.9.19

前橋国際芸術祭2026で見るべき10作品。マルジェラから蜷川実花まで、初開催を歩くためのアートガイド

群馬県前橋市の中心市街地を舞台に、初の「前橋国際芸術祭2026」が開幕した。アーツ前橋を中心に、美術館の外へ飛び出し、商店街や再開発エリアなど街の各所へと広がる本芸術祭。多彩なジャンルの表現が集まるなかから、とくに押さえておきたい10の作品・プロジェクトを紹介する。

文・撮影=橋爪勇介(編集部)

マルタン・マルジェラ《PODIUM》(2024)
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 群馬県前橋市で初となる民間主導の国際芸術祭「前橋国際芸術祭2026」が始まった。会期は12月20日まで。主な会場はアーツ前橋を中心とする市街地の徒歩圏内に設定され、美術館のみならず商店街やホテル、既存建築、屋外空間など、街の各所に作品やプロジェクトが展開されている。公式マップでもアーツ前橋を起点に複数の展示会場や建築、パブリック・アートが紹介されており、街を歩きながら鑑賞する構成が本芸術祭の大きな特徴となっている。

 テーマは、前橋市が掲げてきたまちづくりのコンセプトでもある「めぶく。」。現代美術だけでなく、建築、音楽、ファッション、演劇、映画、食など多様なジャンルを横断する構成だ。実行委員長兼総合プロデューサーは田中仁(ジンズホールディングス代表取締役会長CEO)、プログラムディレクターは宮本武典(東京藝術大学准教授、アーツ前橋チーフキュレーター)が務め、今後ビエンナーレ形式で継続し、前橋の「次の10年」を見据えた都市の変化を考える場として位置づけられている。

記者会見より、田中仁(現段中央)と参加作家ら photo by tatsuki nakata

 田中によれば、この芸術祭は突然始まったものではないという。「前橋のまちづくりに関わって十数年が経つ。県庁所在地でありながら魅力が少なかったこの街をなんとかしたいと思って動いてきた。2016年にビジョンを策定し、今回の芸術祭は次の10年をつくるためのもの。人口減少社会という厳しい時代のなかで、選ばれる街になるためにアートは非常に大きな力がある。それを前橋の未来につなげていきたい」。

 さらに田中は、芸術祭によって街がどう変わるのかについては「まだわからない」としつつも、「作品とともに街を見ることで芸術祭は完成する」と語る。その言葉の通り、この芸術祭を見るうえで重要なのは、ひとつの美術館ですべてを見ようとしないことだ。中心となるアーツ前橋を出ると、作品は商店街や街路樹、ホテル、再開発を待つ建物へと入り込み、前橋という都市そのものが展示空間になっている。

 田中が中心となって進めてきたまちづくりのなかでは、藤本壮介が手がけたアートホテル「白井屋ホテル」や、平田晃久が手がけたギャラリーコンプレックスを含む「まえばしガレリア」などが誕生し、市街地にこれまでにない魅力を与えてきた。このように新たな展開を見せている前橋に、芸術祭はどのような新たな視点を持ち込むのか。ここでは、市街地を歩きながら見たい10の作品を紹介したい。

川俣正《Tree Hut in Maebashi 2026》──まずは芸術祭の「目印」から

 メイン会場のひとつであるアーツ前橋を訪れたら、まず見上げたいのが川俣正による《Tree Hut in Maebashi 2026》(2026)だ。

木の幹に載っているのが川俣正の《Tree Hut in Maebashi 2026》(2026)

 都市や建築に木材や廃材を介入させ、その場所の見え方そのものを変えてきた川俣。「Tree Hut」は2007年にノルウェーで始まり、世界各地で展開されてきた代表的シリーズだ。前橋ではアーツ前橋正面のケヤキなど、街に存在する樹木を舞台として作品が設置されている。

 美術館の内部ではなく、街にすでに存在する樹木そのものを支持体とするところが重要だ。何気なく通り過ぎていた街路樹に小さな建築物が出現することで、普段の前橋の風景がわずかにずれて見えてくる。

 作品を見るために立ち止まった瞬間、それまで背景だった街路樹や建物、道路そのものが意識の前景へと浮かび上がる、本芸術祭の入口として象徴的な作品だ。なお、本作は芸術祭終了後も継続して展示される予定だという。

川俣正《Tree Hut in Maebashi workshop No 1,2026》と《Tree Hut in Maebashi workshop No 2,2026》(ともに2026)

アレクサ・クミコ・ハタナカ《儚い》──アーツ前橋の吹き抜けを満たす和紙

 アーツ前橋の館内ではまず、カナダを拠点とするアレクサ・クミコ・ハタナカの《儚い》(2026)に注目したい。

アレクサ・クミコ・ハタナカの《儚い》(2026)
アレクサ・クミコ・ハタナカの《儚い》(2026)

 手漉き和紙を染め、刷り、縫い合わせながら作品を制作してきたハタナカ。本作では何百もの和紙の断片から身体のシルエットや魚の形態を生み出し、鯉のぼりや地元の鮎の魚拓などのイメージを重ね合わせる。

 作品はアーツ前橋の吹き抜けを生かして大きく展開されており、同館の空間的な特徴と強く呼応する。公式サイトでも本作は前橋国際芸術祭の主要作品のひとつとして紹介されている。

 紙という軽やかな素材は空間のなかで重力から解き放たれ、上下階を貫くように漂う。近くで見ると和紙の質感や染めの繊細さが際立ついっぽう、離れて眺めれば、複数の断片がひとつの巨大な身体や生命体のようにも見えてくる。

マルタン・マルジェラ《PODIUM》──人工毛に覆われた巨大な「台」

 本芸術祭でもっとも大きな話題のひとつが、マルタン・マルジェラの参加だろう。2008年にファッション界を離れて以降、アーティストとして活動するマルジェラ。今回は、アーツ前橋とまえばしガレリアなどを舞台に作品を展開している。

マルタン・マルジェラ《PODIUM》(2024)

 なかでも押さえておきたいのが、日本初公開となる《PODIUM》(2024)だ。タイトルは演壇や表彰台を意味するが、その構造物は人工毛に覆われ、もとの用途や機能を判別しづらい異様な物体へと変貌している。人の身体を支えるはずの「台」が、人間の身体を思わせる毛によって覆い尽くされる。人工物なのか、生物なのか。その境界は曖昧だ。

 衣服を通じて身体の表面と内部、見えるものと隠されるものを問い直してきたマルジェラの思考が、彫刻的なスケールへと拡張された一作と言えるだろう。

 まえばしガレリアやShop rin art associationでは彫刻作品なども展示されており、アーツ前橋とは異なる空間でマルジェラの複数の作品を見ることができる点も今回の大きな特徴だ。

まえばしガレリアでのマルジェラ展
まえばしガレリアでのマルジェラ展
Shop rin art associationでのマルジェラ展
Shop rin art associationでのマルジェラ展

石川直樹「伝次郎への旅」──赤城山からヒマラヤへ、前橋と世界をつなぐ写真

 この芸術祭がただ著名作家を前橋に招くイベントではないことをよく示すのが、写真家・石川直樹の展示「伝次郎への旅」だ。

石川直樹「伝次郎への旅」

 石川が着目するのは、日本人として初めてヒマラヤを撮影した写真家・長谷川傳次郎と、日本のスキー史に大きな足跡を残し赤城山に暮らした猪谷六合雄だ。1930年に千島で共同生活を送り、ヒマラヤ行きを夢見ながら戦争によってそれを果たせなかった2人の軌跡に、石川自身がカシミールやナンガ・パルバット、赤城山などで撮影した写真が重ね合わされる。

 世界各地を旅し続けてきた石川の写真が、赤城山という前橋にとって身近な山を起点として、過去の冒険家たちの記憶へとつながっていく。遠いヒマラヤと前橋が、個人の記憶と移動の歴史を媒介としてひとつの線で結ばれる。土地の歴史を現在から読み直す、本芸術祭らしい展示のひとつだ。

山縣良和《Where the story ends – つづく よ つづく– 》──終わりの見えない「行列」が空間を占拠する

 アーツ前橋の展示で、強い視覚的インパクトを放っていたのが、ファッションデザイナー・山縣良和による《Where the story ends – つづく よ つづく–》(2026)だ。

山縣良和《Where the story ends – つづく よ つづく– 》(2026)

 山縣はファッションレーベル「writtenafterwards」を主宰し、神話や物語、社会や歴史への問いをファッションの枠組みを越えて展開してきた。本作では「行列」をテーマに、玩具、剥製、石膏像など、異なる時間をまとった無数の物が一本の列となって展示空間を進んでいく。

 小さなアヒルのおもちゃやミニカー、ぬいぐるみの列から始まり、石膏像や動物の剥製、家具へ。そしてその先には巨大な遊具のような構造物までが現れる。一つひとつのものは、玩具店や博物館、学校、家庭など、まったく異なる文脈に属するものだ。しかし「並べる」という単純な行為によって、それらは不思議な秩序を持ちはじめる。

山縣良和《Where the story ends – つづく よ つづく– 》(2026)

 何より面白いのは、美術館の展示室を作品が大胆に横断していることだ。作品は壁面に収まるのではなく、空間そのものを占拠するように長大な列をつくる。鑑賞者はその外側から全体を眺めることもできれば、列に沿って歩き、まるで自分自身も行進の一部になったような感覚を味わうこともできる。

 山縣の3歳の息子が無心におもちゃを一列に並べる姿から着想を得たと言う本作。実際に目の前にすると、その印象はどこか祝祭的でありながら、不穏でもある。玩具も、古典彫刻も、動物も、家具も、価値や年代の違いを超えて同じ方向へ進んでいる。それが人間社会の縮図のようにも、時間そのものが連なっているようにも見える。タイトルが示すように、「物語が終わる場所」の先にも列はなお続いていく。

山縣良和《Where the story ends – つづく よ つづく– 》(2026)

山田紗子《outline bar》──建築は「見るもの」なのか?

 アーツ前橋のなかで、作品と人間の関係そのものに目を向けさせるのが建築家・山田紗子の《outline bar》(2026)だ。

山田紗子《outline bar》(2026)

 細いスチールバーによってつくられるこのインスタレーションは、空間を仕切る壁でもなければ、明確な用途を持つ家具でもない。むしろ重要なのは、人がその内部に入り、腰掛け、立ち止まり、誰かと話すことで初めて空間として立ち上がることだ。

 作品を「鑑賞する」のではなく、その一部になる。そうした身体的な体験は、本芸術祭における建築の位置づけを考えるうえでも興味深い。山田は前橋市内で実際の建築プロジェクトにも関わっており、作品と都市の実践が地続きになっている点にも注目したい。

ドットアーキテクツ《アーキジム》──美術館のなかにつくられた「広場」

 《outline bar》とあわせて見たいのが、建築家ユニット、ドットアーキテクツによる《アーキジム》(2026)だ。アーツ前橋で行われた活動やワークショップの成果を再構成し、美術館内に一種の「広場」を生み出す作品である。

 ここでは展示されているものを遠くから眺めるのではなく、人が集まり、使い、時間を過ごすことそのものが作品の一部となる。完成された建築物を鑑賞するというより、「人が場所をどのように使うのか」という行為そのものを建築として提示していると言っていいだろう。

 芸術祭期間中にも人や活動を受け入れながら変化する《アーキジム》は、完成品としての建築というより、美術館のなかに仮設的な公共空間をつくる試みとして見ることができる。

ドットアーキテクツ《アーキジム》(2026)の一部

渋谷慶一郎《Abstract Music》──音だけで街の風景を変える

 アーツ前橋をひと通り見たら、ここからは街へ出たい。オリオン通り商店街で渋谷慶一郎が展開するのは、サウンドインスタレーション《Abstract Music》だ。

オリオン通り商店街

 作家が蓄積してきた膨大な音響データを、プログラムがリアルタイムで組み合わせるため、聞こえてくる音は常に変化し、同じ組み合わせは二度と現れない。かつて商店街として賑わい、現在は多くのシャッターが下りるオリオン通りに、風や囁きのように音が流れ、響きあう。

 大きな造形物を置くのではなく、音によって街の知覚だけを書き換える。その控えでありながらも強力な介入は、都市型芸術祭におけるパブリック・アートのあり方を考えさせる。

蜷川実花 with EiM《空だけは、こっちを見てこなかった》──「衰退と再生」の裏側を見る

 蜷川実花は、宮田裕章、Enzoらとともに活動するクリエイティブチーム・EiMとして、ハウゼビルを舞台に新作《空だけは、こっちを見てこなかった》(2026)を発表した。

 蜷川は2023年のアーツ前橋開館10周年記念展「ニューホライズン 歴史から未来へ」でも前橋を舞台に作品を発表している。今回の会場は、かつての夜の街の雰囲気を色濃く残す場所だ。

蜷川実花 with EiM《空だけは、こっちを見てこなかった》(2026)

 ここで蜷川とEiMは、架空のショーパブ「SCARLET MIRRORS」をつくり出した。実際の建物に残された過去の痕跡と、フィクションとしてつくられた空間を重ねることで、現実と虚構の境界を揺さぶるインスタレーションとなっている。

蜷川実花 with EiM《空だけは、こっちを見てこなかった》(2026)

 店内には花や写真、煌びやかな装飾物などが点在し、そのあいだから「かつて店で働いていた5人」の声が聞こえてくる。語られる人物や物語そのものはあくまでフィクションだ。しかし、そこで想起される「誰かがここにいた」という感覚や、店が閉じられ、人が去ったという不在の感触は、この場所に実際に刻まれた時間と重なり合う。

 とりわけ興味深いのは、本芸術祭が「めぶく。」という未来志向の言葉を掲げるなかで、本作がそこからこぼれ落ちるものにも目を向けていることだ。都市が新しく生まれ変わるとき、そこから失われる場所や記憶も存在する。

 再開発によって新たな前橋がつくられつつあるいま、その陰で消えていくものへ視線を向ける本作は、この芸術祭に別の時間軸を持ち込んでいる。

蜷川実花 with EiM《空だけは、こっちを見てこなかった》(2026)
蜷川実花 with EiM《空だけは、こっちを見てこなかった》(2026)

尾花賢一+石倉敏明《赤城山リミナリティ Part3 山と凧と十二様》──芸術祭を街の外側へつなぐ

 最後に挙げたいのが、尾花賢一と石倉敏明による《赤城山リミナリティ Part3 山と凧と十二様》(2026)だ。2人は2019年から、赤城山の民俗や信仰と周辺地域の生活をリサーチする「赤城山リミナリティ」を継続してきた。

 第3作となる今回は、赤城山から吹き下ろす「からっ風」に着目。強風を受けて飛ぶ凧に、山の神「十二様」にまつわる伝承や風景を描き、「山・街・人」の関係を再び結び直そうとする。

尾花賢一・石倉敏明《赤城山リミナリティ Part3 山と凧と十二様》(2026)

 前橋の中心市街地だけを歩いていると、ともすれば芸術祭は「都市再開発とアート」をめぐる物語だけに見えてしまう。しかし、その都市の背後には赤城山があり、利根川があり、風や信仰、人々の生活が長い時間をかけてかたちづくってきた土地がある。

 群馬県太田市生まれの尾花は、馬場川(ばばっかわ)通り沿いの複合施設「ばばっかわスクエア」に設置されたパブリック・アート《ばばっかわ男》(2025)も手がけており、その活動は前橋という土地の地理や歴史とも結びついている。《赤城山リミナリティ Part3 山と凧と十二様》は、芸術祭の視線を市街地からそのさらに外側へと広げ、現在の前橋と、そこに蓄積された長い時間を結び直す作品となっている。

尾花賢一《ばばっかわ男》(2025)

芸術祭を見ることは、前橋を歩くこと

 前橋国際芸術祭2026の大きな特徴は、「この作品だけを見ればいい」という巨大なシンボルが中心にあるのではなく、街の様々な場所に作品やプロジェクトが入り込んでいることだろう。

 アーツ前橋を出て商店街を歩き、再開発を待つ建物を眺め、馬場川へ向かう。すると川俣正の小さな建築、渋谷慶一郎の音、蜷川実花 with EiMのインスタレーション、そして街にすでに存在する店舗や建築、人々の生活とが織り重なり、新たな風景をかたちづくっていることに気づく。

白井屋ホテルではミロコマチコの作品を屋外展示

 近年の前橋では、アーツ前橋や白井屋ホテルに加え、まえばしガレリア、ばばっかわスクエアなど、アートや建築を核とする場所が増えてきた。今回の芸術祭は、それらを一つひとつの「点」として紹介するのではなく、歩くことによってひとつの都市体験へと結び直そうとする試みでもある。

 宮本が言うように、芸術祭にやってくるアーティストは、前橋にとっての「他者」だ。その異なる視点に触れることで、街に暮らす人にとっては当たり前だった風景が、別の姿を見せ始める。そして田中の「作品とともに街を見ることで芸術祭は完成する」という言葉は、本芸術祭の性格を端的に表している。

 作品を見るために前橋を歩くのか、前橋という街を見るために作品を訪ねるのか。その区別が曖昧になったところから、この第一回前橋国際芸術祭は始まっている。