2026.9.13

「下呂 Art Discovery 2026」開幕レポート。「日本最深部」で展開される新たな芸術祭の見どころとは?

岐阜県下呂市の市内各所を舞台に、芸術祭「下呂 Art Discovery 2026」が開幕した。会期は11月8日まで。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

ジョンペット・クスウィダナント《繰り返す、記憶する》(2026)
前へ
次へ

 岐阜県下呂市の市内各所を舞台に、芸術祭「下呂 Art Discovery 2026」が開幕した。会期は11月8日まで。

 日本三名泉のひとつ、下呂温泉で知られる岐阜県下呂市。人口約2万8000人、総面積の約9割を森林が占める豊かな自然に恵まれた地域だ。いっぽうで、観光地としての知名度とは裏腹に、過疎高齢化という深刻な課題を抱えており、地域全体の活性化が急務となっている。

 こうした状況のなか、2024年秋には本芸術祭の前身となる清流の国文化探訪「南飛騨 Art Discovery」が開催された。21組のアーティストによる現代美術やパフォーミングアーツ、伝統産業や食を紹介するマルシェ「楽市楽座」などを展開し成功を収めた同イベントを受け、開催エリアを市内の複数箇所へ拡大・展開したのが、今回の「下呂 Art Discovery 2026」である。

 総合ディレクターを務めるのは、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」を手がけてきた北川フラム。北川は岐阜という土地を、戦国時代の歴史において重要な舞台であった歴史的背景や、日本列島の中心に位置する地理的条件から「日本最深部」と捉える。その「日本最深部」を舞台とする本芸術祭には、14の国と地域から59組のアーティストが参加している。

 会場は大きく3つのエリアで構成される。飛騨川沿いの温泉街や合掌造りの家々を移設した「合掌村」を擁する「下呂エリア」、自然豊かな南飛騨健康増進センターと街並みが広がる萩原商店街からなる「萩原エリア」、そして築70年の旧湯屋小学校を再利用した御嶽山の麓の「小坂エリア」だ。

下呂エリア

 まずは温泉街や合掌村がある「下呂エリア」。ここでは2組の作家が作品を展開している。温泉街の地下2階建ての建物を舞台にするのは、弓指寛治の新作《Small Town》(2026)だ。

弓指寛治《Small Town》(2026) 

 観光地としての下呂だけではなく、この土地で生活を営む人々に焦点を当てた本作。弓指は実際に滞在し、スナック「ラウンジ魔女」で働くなどして住民への取材を重ねた。屋内空間から川沿いの屋外へと連なる展示には、猟師やスナックのママらの生の声やモチーフが、手書き文字や立体作品として刻まれ、この土地のリアルな営みを浮き彫りにする。なお、開幕前日の取材時点では施工の途上であったが、会期中には下呂の魚をモチーフにしたぬいぐるみが展示空間の各所に配されるほか、テキストの英訳版も用意される予定だ。

トゥ・ウェイチェン《飛騨神話遺跡ー両面宿儺 神龍退治》(2026) 

 合掌村の駐車場に巨大な「架空の発掘現場」を出現させたのは、台湾出身のアーティスト、トゥ・ウェイチェン(涂維政)だ。飛騨の伝説に登場する豪傑・両面宿儺(りょうめんすくな)の骨が発掘された──という想像力をもとに構築した本作は、幅8メートル、長さ12メートルにおよぶ大作である。精巧につくられた現場の解説パネルにあるQRコードを読み込むと、架空の報道ニュースへ遷移する仕かけも遊び心に溢れている。

萩原エリア

 続いて、かつて飛騨街道の宿場町として栄えた「萩原エリア」。酒蔵や和菓子屋などの店舗が並ぶ萩原商店街と、広大な森林施設が舞台となっている。

スタシス・エイドリゲヴィチウス《蛇》(2026)

 商店街に隣接する諏訪神社で作品を発表するのは、リトアニア出身のスタシス・エイドリゲヴィチウスだ。国際的に活躍するスタシスは、神社に伝わる「片目の蛇」の伝説から着想を得た彫刻を制作。リトアニアと岐阜県は、かつて多くのユダヤ人難民に「命のビザ」を発行した岐阜県出身の外交官・杉原千畝の縁で深い交流を持つ。木造社殿の内部に現れる直径5メートル、全長50〜60メートルに及ぶ銀色の立体物は、木造の神社の静謐な空間で静かに存在感を放つ。

ムニール・ファトミ《2つの面影の狭間で》(2026)

 モロッコ出身・スペイン在住のムニール・ファトミは、かつて理容店だった店舗と隣接する空き家を会場に選んだ。残された本や文房具、食器などの生活用品をワイヤーやケーブルで無数につなぎ合わせたインスタレーションは、かつてここで営まれていた暮らしの記憶や、人とものとの見えない関係性を浮き彫りにする。

 そのほか商店街では、旧楽器店で時間の層をたどる竹中美幸、土蔵造りの蔵に残るオルガンと奈良時代の百万塔に着想を得たマッシモ・バルトリーニ、地域の地図をモチーフにした旗を住民と制作した佐藤悠らの作品が展開されている。商店街から少し足を伸ばせば老舗酒蔵「天領酒造」や昔から続く和菓子店など魅力的なスポットも多く、芸術祭を通じた新たな人の流れが期待される。

鈴木初音《植えられた野草の庭》(2026)
バルトロメイ・トグオ《癒しの水》(2026)

 前身の会場でもあった県営施設「南飛騨健康増進センター」エリアでは、豊かな自然に呼応する作品群が並ぶ。同施設の「いろいろ体験ハウス」では、自然素材を用いて壁一面に壮大な壁画を描いた鈴木初音の作品を展示。古民家会場では、カメルーン出身、フランス在住のバルトロメイ・トグオがインスタレーション《癒しの水》(2026)を展開している。大小の陶器に満たされた温泉水と木々が配された空間は、鑑賞者が歩くわずかな振動で水面が揺れ、静けさのなかに緊張感を生み出している。

村上力《ここに在る森》(2026)

 「健康学習センター」では、村上力が麻布を用いた独自の乾漆手法による等身大の人物彫刻群を展示。会場に点在する等身大の人物彫刻群のあいだを縫うように歩いていると、ふとどれが鑑賞者(本物の人間)で、どれが作品なのか見失ってしまうような感覚に陥る。さらにトザキケイコによる自然素材を用いた祈りの空間や、スタシス・エイドリゲヴィチウスによる杉原千畝へのオマージュ作品も同施設内に展開されている。

遠藤利克《Triebー雨為る森・四美》(2026)

 同センターから根越林道を進んだ森のなかには、遠藤利克の作品が現れる。苔むした道の先に現れるのは、高所から垂直に水を落下させた人工の滝だ。遠藤が「『雨』と『水』、『自然』と『人為』、『現実』と『幻想』のあいだを仮設する」と語る通り、自然と人為の境界を揺さぶる体験となる。さらに森のなかには、マデライン・フリン+ティム・ハンフリーや坂田桃歌などの作品も点在している。自然のなかに足を踏み入れるエリアのため、散策には歩きやすい靴と装備が必須だ。

小坂エリア

 御嶽山の麓に位置する「小坂エリア」の会場は、築70年を超える旧湯屋小学校だ。ここでは本芸術祭の目玉企画のひとつであるアートプロジェクト「みんなの学校」が展開されている。少子化による廃校の増加や教育現場の課題を背景にスタートした本プロジェクトは、「こんな学校があったらいいな」というアイディアを一般公募し実現するもの。全国から集まった250件以上の応募のなかには、アーティストや建築家のみならず、ほか地域に住む中高生や、まちづくり団体、旧湯屋小学校の卒業生などによるプランが含まれている。

旧湯屋小学校の外観

 2012年に児童数38名で閉校し、一時は解体寸前だった同校。総ヒノキ造りの美しい木造校舎は、新たな学びと創造の場として再び活用されることとなった。校舎に一歩足を踏み入れると、かつての「学校」という日常の場が非日常のアート空間へと変化していることに気づかされる。

ジョンペット・クスウィダナント《繰り返す、記憶する》(2026)

 体育館では、インドネシア出身のアーティスト、ジョンペット・クスウィダナントによる《繰り返す、記憶する》(2026)が展開。同校最後の卒業生数と同じ38体の人型オブジェや鼓笛隊の制服、楽器の演奏、そして『ふるさと』をベースにした歌声によって、架空の卒業式の情景が構築されている。

沼田侑香《残像のリプレイ》(2026)

 沼田侑香の《残像のリプレイ》(2026)は、2階の教室で展開されている。テグスとビーズを用いた点描手法により、かつてこの場所で過ごした子供たちの姿を立体化。モデルとなったのは近隣の小坂小学校の児童10名だ。接近するとビーズの集合体だが、距離を置くと子供たちの姿が鮮明に立ち現れる。

マヤ・シェン《漂流のための装置》(2026)

 マヤ・シェン(MAYA SHEN)の《漂流のための装置》(2026)は、天井から1脚の椅子を宙吊りにしたインスタレーションだ。通常、生徒を特定の場所に固定する「学校の椅子」を浮遊させることで、視覚的・身体的な解放を試みる(実際に着席も可能)。校舎に響くチャイムの音が、学校というシステムの規範を想起させ、鑑賞者の固定観念を揺さぶる体験をつくり出している。

高橋匡太《雲の故郷へ》(2026)

 ほかにも、「時間や記憶」をテーマに理科室の実験器具や砂時計を用いて作品を制作する長澤伸穂、階段の吹き抜け空間に雲型のバルーンを配した高橋匡太、校庭に校舎と対峙する巨大な鏡を設置した豊福亮など、校舎全体に複数の作家による多様な作品群が展開されている。さらに会期中には、アーティストや研究者、経営者など多様な講師陣による1コマ50分の「授業」も開講され、正解のない問いに向き合う対話の場が創出される。

 前身の芸術祭からエリアを拡大して開催される「下呂 Art Discovery 2026」。各エリア間は距離があるため、基本的には車での移動、または下呂駅発着の芸術祭シャトルバスやJRとレンタサイクルの併用がスムーズだ。全エリアの作品を巡るツアーバスの活用も効率的だろう。1日での鑑賞も可能ではあるが、できれば1泊2日以上の旅程を組み、温泉や食、自然を満喫しながら巡ることを勧めたい。「日本最深部」という新たな文脈を得たこの土地と、現代美術がどのような化学反応を起こしていくのか、今後の展開に注目したい。