2026.9.3

「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」(UESHIMA MUSEUM)開幕レポート。像はいかに消え、光へと変わるのか

長谷川祐子がキュレーションを手がけるUESHIMA MUSEUM第3回コレクション展「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」が開幕した。地下から最上階へと移動する身体経験を軸に、風景、都市、肖像、断片を経て、イメージが徐々に輪郭を失い、光へと変容していく展示をレポートする。

展示風景より
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 東京・渋谷のUESHIMA MUSEUMで、第3回コレクション展「像は燃え、像は歪み、そして光に昇華する」が開幕した。キュレーションは、前回に引き続き長谷川祐子が手がける。

 2024年に開館したUESHIMA MUSEUMは、実業家・投資家の植島幹九郎によるUESHIMA MUSEUM COLLECTIONを公開する私設美術館だ。「同時代性」をテーマに形成されてきた同コレクションは現在850点を超え、国際的に活躍する作家から日本の若手作家まで、幅広い作品を収蔵している。今回のコレクション展では展示の大部分を刷新し、地下1階から5階までをひとつの連続した物語として再構成した。

 展示は、「消滅と風景」「都市と痕跡」「反復と像」「肖像と隠蔽」「断片と都市」「光と影──像を手放す場所へ」の6章で構成される。展覧会タイトルが示すように、その軸となるのは「像」の変容だ。地下から上階へと移動するにつれ、像は生まれ、揺らぎ、歪み、やがて具体的な輪郭を失って光へと移行していく。長谷川は開幕時のギャラリーツアーで、像が現れたり消えたりするプロセスをたどりながら、鑑賞者自身のなかでイメージがどのように変化していくのかを体験してほしいと説明した。

地下から始まる「消滅」の物語

 その起点となる地下1階「消滅と風景」で、まず強い存在感を放つのがラキブ・ショーの《The Pragmatic Pessimist》(2024)だ。冬の宮殿を舞台とする大画面には、芸術書を燃やして暖を取る画家自身の姿や、氷上に集まる動物たちなど、崩壊の予感と過剰なまでの美しさが共存する情景が広がる。

展示風景より、左はラキブ・ショー《The Pragmatic Pessimist》(2024)

 長谷川はここで、自然災害や氷河の融解といった人新世的な問題にも言及しながら、作品に描かれる混沌と、その向こうに広がる美しい自然との対照を指摘する。「悲観主義者」でありながら現実を直視し、そのなかでなお前へ進もうとする態度が、作品タイトルにも重ねられているという。

今津景《The Sea is Barely Wrinkled》(2025)の展示風景

 同じフロアには、インドネシア・バンドンを拠点とする今津景の《The Sea is Barely Wrinkled》(2025)も並ぶ。植民地支配の記憶や漂流する人々、船、西洋絵画を想起させる断片など、異なる時代と場所に属するイメージがひとつの画面上で交錯する。また、AKI INOMATA鈴木理策、石塚元太良、アレクシス・ロックマン、三家俊彦らの作品を通じて、自然と人工、記憶と環境変化が複数の視点から接続される。

都市をめぐるイメージから、「像」そのものへ

 1階「都市と痕跡」では、視点が自然から都市へと移る。JRによるルーヴル美術館への介入を記録した作品や、ダニエル・アーシャムの彫刻群、ミカ・ロッテンバーグ、梅沢和木、青島千穂、エリック・パーカーらの作品が並び、都市を満たすポップなイメージの背後に、時間による風化や物質の変容を読み取る構成となっている。

「都市と痕跡」の展示風景より、中央はミカ・タジマ《You Be My Body For Me (Unit 3)》(2020)
左からミカ・ロッテンバーグ《Lampshare (wall piece 5)》《Lampshare (bx 1.4)》(いずれも2025)

 2階「反復と像」では、今回初展示となるゲルハルト・リヒターの《STRIP》(2025)を中心に、アイ・ウェイウェイ奈良美智草間彌生村上隆×ヴァージル・アブロー、塩田千春池田亮司ピエール・ユイグらの作品が展開される。

「反復と像」の展示風景より、左はゲルハルト・リヒター《STRIP》(2025)
壁面はアイ・ウェイウェイ《I And My Village》(2023)。中央は同氏《Table with two legs》(2005)

 長谷川がここで強調したのは、イメージとメディウムの関係だ。リヒターは写真や絵画、プリントなどを横断しながら、ひとつの像を別の形式へと変換してきた。《STRIP》では、もとのイメージが細いストライプへと引き延ばされ、像としての輪郭を失っていく。同じイメージであっても、それが絵画なのか、写真なのか、プリントなのかによって、見る者への働きかけは変わる。

顔を隠すこと、像を揺るがすこと

 3階「肖像と隠蔽」では、「人を描く」というもっとも古典的なイメージの形式が問い直される。

 象徴的なのが、エヴァ・ユシュキェヴィチの《Portrait with Cordyline》(2025)だ。歴史的な女性肖像画を思わせる華麗な衣装をまといながら、人物の顔は植物によって覆われている。長谷川は、伝統的な肖像画において女性が「見られる存在」として表象されてきたことに対し、ユシュキェヴィチの作品には、顔を隠すことで「見られないこと」を自ら選択するという反転があると説明する。装飾性や美しさを排除するのではなく、それらを最大限に保ちながら、見る側の視線から人物を後退させている点が重要だという(同作は現在、マドリードのティッセン=ボルネミッサ国立美術館で開催中のユシュキェヴィチ個展に貸し出されており、UESHIMA MUSEUMでの展示開始は9月20日頃を予定している)。

「肖像と隠蔽」の展示風景より、展示室中央の立体作品はアニカ・イ《Releasing the Human From The Human》(2019)

 同フロアでは、友沢こたおの《slime CLXXXIX》(2023)、小西紀行の《untitled》(2018)、アニカ・イの《Releasing the Human From The Human》(2019)、森本啓太アンディ・ウォーホルジュリアン・オピーら、まったく異なる方法で身体や人物像を扱う作品が並ぶ。

 4階「断片と都市」で、展示は再び都市へと戻る。ただし1階で提示された都市のポップな表層とは異なり、ここで扱われるのは、都市が個人の内部に残していく記憶や感情の断片だ。

「断片と都市」の展示風景より、エブリデイ・ホリデイ・スクワッド、篠原有司男、金氏徹平、桑田卓郎、森靖、ナイジェル・クックらの作品が並ぶ

 エブリデイ・ホリデイ・スクワッドの《patchwork my city / Shibuya》(2022)をはじめ、篠原有司男金氏徹平桑田卓郎、森靖、ナイジェル・クックらの作品が、渋谷という実際の都市空間とも呼応する。断片化された物体や既視感のあるイメージ、ノイズやグリッチが集積し、ひとつの都市像を形成していく。

「断片と都市」の展示風景より、左はナイジェル・クック《Nemesis》(2026)

最後に残る「光」

 そして5階「光と影──像を手放す場所へ」に到達すると、それまで展示を導いてきた具象的なイメージは大きく後退する。

 ダン・フレイヴィン、オラファー・エリアソン、アリシア・クワデ、ラティファ・エシャック、ミヤ・アンドウフランシス真悟、和田礼治郎らの作品を通して前景化するのは、光、反射、影、時間といった現象そのものだ。

「光と影──像を手放す場所へ」の展示風景より、右はラティファ・エシャック《Entre la nuit et l’aurore (Between night and dawn)》(2025)

 ラティファ・エシャックの《Entre la nuit et l’aurore (Between night and dawn)》(2025)は、ナイロンに通されたガラスビーズによって、夜から暁へと移行する微細な時間を表現する。鑑賞者が作品の周囲を移動すると、ビーズに反射する光も変化し、「夜」と「暁」のあいだにある時間の揺らぎが身体的な経験として立ち上がる。

 さらにオラファー・エリアソンの《Shadow lamp》(2005)や《Holo Lamp》(2005)では、光と影は何かを描写するための手段ではなく、それ自体が作品となる。地下から積み重ねられてきた風景、都市、人物といった「像」は、ここでついに具体的な対象から解放される。長谷川が語ったように、鑑賞者自身の位置や身体の動きによって、見える色や反射、光は刻々と変化する。見る対象だけではなく、「見る」という経験そのものが展示の最終的な主題として残される。

 また今回、6階では陶芸家・建築家の奈良祐希がキュレーションを手がける茶陶と現代陶芸展「時のうつほ」も同時にスタートした。茶の湯の伝統と現代アートの交差をテーマとする新たな取り組みで、樂一入(四代)、大樋芳土庵(初代)からシアスター・ゲイツ、桑田卓郎、安永正臣、奈良自身まで、17作家による作品を紹介する。器を外形ではなく、その内部に抱かれた「空=うつほ」から捉え直す試みだ。

 植島は開幕に際し、今年新設した茶室で、一般来場者が自ら抹茶を点てる体験も提供していることに触れ、現代アートと伝統的な茶器、現代の陶芸をあわせて楽しんでほしいと語った。