2026.9.1

「方丈記に学ぶ─生きるを編み直す小さな建築─」(21_21 DESIGN SIGHT)開幕レポート。800年前の「小さな建築」から、いまの暮らしを問い直す

東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2で「方丈記に学ぶ─生きるを編み直す小さな建築─」が開幕した。会期は2027年1月11日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大原愛美(編集部)

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 東京・六本木の21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2で「方丈記に学ぶ─生きるを編み直す小さな建築─」が開幕した。会期は2027年1月11日まで。展覧会ディレクターは建築家の塚本由晴。

 出展作家は、江頭 慎、大室佑介+川長組、小渕祐介+中村 純、正田智樹+竹中工務店+ veig、須田悦弘、2m26、山口晃。

『方丈記』をいま、読み直す

 『方丈記』は鴨長明(1155〜1216)によって書かれた日本三大随筆のひとつ。鎌倉時代初期の1212年頃に成立したとされる。冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という一節に象徴されるように、災害や飢饉、社会不安が相次いだ時代を背景として、世の無常と、そのなかでいかに生きるのかが綴られている。人生の後半、長明は宮廷や都市から離れ、京都・日野山に一丈四方(約9平方米)の庵を構えた。必要最低限のものとともに暮らしたこの小さな住まいのあり方は、後世の建築家や思想家らにも繰り返し参照されてきた。

 本展では、この「方丈」を現代の生活を考えるためのひとつのスケールとして捉える。素材や構造、道具、自然との関係など、それぞれ異なる視点から現代の「方丈の庵」が構想された。

 本展の出発点には、現代の生活を取り巻く環境への問題意識がある。展覧会ディレクターの塚本は内覧会で、20世紀以降、人間は膨大な建物をつくり、それを支える巨大な産業の仕組みを構築してきたと指摘する。いっぽう、その仕組みを維持しながら地球環境や生物多様性といった問題に対処することは容易ではない。

 そこで参照したのが、800年以上前に小さな庵へと移り住んだ鴨長明だった。度重なる災害や飢饉、遷都、人間関係などを背景に都市から離れた長明の姿に、塚本は現代にも重なる背景を見る。

時代順にさまざまな書物や記録が紹介される壁面展示では、『方丈記』がいかに時代を問わず語られてきたのかをうかがい知ることができる
「方丈巡礼」ではヘンリー・デイヴィッド・ソロー、松尾芭蕉、内田百閒など、「方丈生活」を送った10人が紹介されている

 ギャラリー1では、このような『方丈記』と「方丈」をめぐる背景から展示が始まる。壁面には、収集・編集された『方丈記』にまつわる記録が年代順に並ぶ。写本や解説、翻訳などを通して『方丈記』が時代を超えて読み継がれてきた軌跡の紹介に加え、長明と同様に小さな住まいを構えた人々の生活や思想を紹介する「方丈巡礼」も展開される。

鴨長明の暮らした庵の再現「非実在空間としての方丈の庵」では、蕨の穂でつくられた寝床も再現されている

 また、会場には『方丈記』の記述を手がかりとして、長明の庵の記述を読み解き検証しながら再現した空間「非実在空間としての方丈の庵」も登場する。こうした導入部を経て、鑑賞者は現代につくられた複数の「方丈」へと進んでいく。

「一丈四方」から広がる現代の庵

 ギャラリー2の空間のなかには大小さまざまな庵が点在する。参加者たちに共通して与えられたのは、「方丈」という小さな空間を現代においてどのように考えるかという問いだ。

 《物置小屋 移築計画》(2026)で大室佑介+川長組が取り上げたのは、20世紀の私小説家・川崎長太郎(1901〜85)が複数の作品内で繰り返し描写した物置小屋だ。

大室佑介+川長組《物置小屋 移築計画》(2026)
庵の外には川崎長太郎による物置小屋にまつわる記述が展示される

 川長組は、詩人・小説家の平出隆、建築家の青木淳と大室、近代文学研究者の齋藤秀昭からなる研究ユニット。川崎が描写した小屋について、作品内での記述や文脈を照合しながら調査を続けてきた。本展では、この物置小屋を原寸大で立ち上がらせ、ひとりの作家が何度もイメージの創出を繰り返した空間を来場者に体感させることで、 『方丈記』と「小さく暮らす」という現代の営みを接続する。

小渕祐介+中村純《歩く方丈》(2026)の6本脚の台車
小渕祐介+中村純《歩く方丈》(2026)の庵の部分

 小渕祐介+中村純が構想したのは、文字通り《歩く方丈》(2026)だ。脚を持った構造体が移動するこの作品では、住まいは土地に固定されたものではなく、身体とともに場所を移していくものとして捉え直される。この庵は飼料タンクをメインにつくられており、空調設備や断熱材を備えていない。しかし、住み良い環境を求めて動物のように移動することができる。

左が《歩く方丈》(2026)の内部にある鍵盤を演奏する小渕祐介、右が中村純

 さらに、庵の内部には鍵盤が備え付けられており、組み込まれたパイプとつながることでパイプオルガンのように内部音を共鳴させる。この構造の着想源となったのは、『方丈記』に記された庵の「自然や芸術を通して精神を養う」という機能だ。住まいを構成する要素を解体し、別の角度から捉え直すことによって「家とは何か」という問いが可動し、音楽を奏でる構造体として提示されている。

鴨長明が現代のロンドンにいたなら

 いっぽう、美術家・建築家の江頭慎は、「もし鴨長明が現代のロンドンに暮らしていたら」という仮定から《ロンドン方丈記 ─ Atlas / Afterimage》(2026)の制作を始めた。長年ロンドンを拠点に活動してきた江頭は、建築を完成された構造物ではなく、時間のなかで場所や人の営みと関係し、その変化を記述し続けるプロセスとして捉えてきた。

江頭慎《ロンドン方丈記 ─ Atlas / Afterimage》(2026)
ロンドンでの撮影に使用された5方向に向いているピンホールカメラ

 本作において江頭はまず文章を書くことから制作を開始したという。つぎに、5方向にピンホールカメラを取り付けた装置を人間の頭部ほどの大きさの「建築」として制作し、さらに、17世紀ロンドンの日常を克明に記録したことで知られるサミュエル・ピープス(1633〜1703)ゆかりの場所などを巡った。

 会場の宙吊りのスクリーンで映し出される映像は、一般的なカメラによる都市の記録とは異なり、像が揺らぎ、重なり合う。日常のなかでは見過ごしてしまう都市の断片を拾い上げることで、長明が身の回りの出来事を観察し、言葉として記したことと、現代の都市を「見る」行為とが重ねられている。

ホームセンターから考える「ユートピア」

 画家・山口晃による方丈《螺庵》(2026)もまた、現代の生活環境から出発したものだ。

山口晃《螺庵》(2026)

 山口が考えたのは、眠ることができ、水を確保できるといった生活の基本的な機能を備えながら、ホームセンターで手に入る身近な材料によって構成できる住まいだ。日本の伝統的な絵画様式と現代の都市風景を重ねてきた山口は、ここでは絵画ではなく「暮らせる場所」そのものを構想している。

 既存の住宅や都市インフラを当然の前提とせず、自分の手の届く素材と技術から生活を組み立て直す。その試みは、壮大な理想都市ではなく、ごく小さなスケールから始まる「ユートピア」の提案でもある。

2m26《living with》(2026) 展覧会後は京都・京北のアトリエの敷地内に移築され、訪れる人が宿泊できる施設にするという

 また、フランス出身の建築家、メラニー・ヘレスバックとセバスチャン・ルノーによる、京都拠点の建築・施工スタジオ2m26による庵《living with》も展示されている。2m26は、家具や住宅からワークショップ、パフォーミングアーツまでを横断し、建築を「自然とともに生きるための道具」として捉えてきた。この庵は山や森、動物とともに生きながら自然の素材を使って少しずつ改修を繰り返していくことが想定されている。この建物において「方丈」という制約は、縮小された住宅というよりも、生活に本当に必要なものを考えるための装置となっている。

自然とともに暮らすことをどう考えるか

 会場内の中庭である「サンクンコート」で作品を展示した正田智樹+竹中工務店+veigは、異なる2つのアプローチから現代の住まいを考える。

《蓑庵》(2026)の内部
《蓑庵》(2026)の外観と《マウン庭》(2026)

 正田と竹中工務店による《蓑庵》(2026)は、蓑虫が身の回りの枝葉を集め、自らの巣をつくる姿から着想されたものだ。外壁には様々な素材が集積され、人間が建築のために新たな素材を生産するのではなく、すでに身の回りにあるものから住まいをつくる可能性を探る。

 その傍らにはveigによる《マウン庭》(2026)が広がる。造園やランドスケープデザインを軸に、生態系のなかの目に見えない関係性を探ってきたveigは、人間の生活と自然環境との距離に着目。人間の生活圏が近づくほど自然は後退し、逆に人間が遠ざかるほど自然が豊かになるという関係を、庭と建築のあいだに立ち現れる空間として提示する。ここでは「自然とともに暮らす」という言葉が単純な共生のイメージとして示されるのではなく、人間がそこにいること自体が環境を変化させるという前提から、自然との距離の取り方が問い直される。

建築の外側の「方丈記」

 こうした大きな構造物とは対照的に、会場の思いがけない場所にひっそりと展示されている作品もあった。植物を木で精巧に彫り、彩色する作品で知られる美術家・須田悦弘は、『方丈記』に登場するアサガオの記述に着目した。現在「あさがお」と呼ばれる植物は奈良時代頃に中国から渡来したとされるが、古典に登場する「あさがお」は、現在の桔梗など別の植物を指していたとも考えられている。

須田悦弘《朝顔》(2026)の花弁には一滴の水滴が載っている

 本展では、須田による《朝顔》(2026)が会場のなかにひっそりと現れる。大きな「庵」を探しながら歩いてきた鑑賞者の視線を、壁際に咲く一輪の植物へと向ける仕掛けだ。800年以上前に書かれた言葉を現代において読み返すとき、その意味は必ずしもひとつに定まらない。須田の作品は、植物の名前ひとつにも時間のなかで生じた「ずれ」が潜んでいることを示している。

「生きる」を自分の手に取り戻す

 本展に並ぶ「方丈」は、必ずしも鴨長明の庵を忠実に再現したものではない。文学作品の記述から失われた建築を再構成した作品もあれば、都市を移動する装置、自然との距離を測る庭、ホームセンターの材料からつくる住まいとして読み替えた作品もあった。

 それぞれに共通するのは、普段は意識することの少ない「暮らすために何が必要なのか」という問いを、小さな建築を通じて具体的なものとして考えようとする姿勢だ。電気や水、食料、住居をはじめ、現代の生活の多くは巨大な社会システムによって支えられている。便利さを享受するいっぽう、その仕組みは個人の手から遠く離れ、生活がどのようにつくられているのかを意識する機会は少ない。

展覧会入り口 本展のグラフィックデザインは田部井美奈が担当した

 災害や飢饉、社会の混乱を経験した長明が最後にたどり着いたのは、一丈四方という小さな場所だった。もちろん、800年前の隠遁生活をそのまま現代に取り戻すことはできない。だからこそ本展は、「方丈」をひとつの答えとしてではなく、現在の生活をいったん解体し、自分にとって必要なものを考え直すための尺度として提示する。会場に並ぶ複数の庵を巡ることは、800年前の『方丈記』を追体験することではない。本展における遊びや発見を伴う実践の数々は、いま自分たちが暮らしている環境を別の角度から眺め直すための視点を提示している。