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2026.6.23

「洋館 明治の夢と挑戦」(江戸東京博物館)開幕レポート。文明開化を洋館建築から読み解く特別展

大規模改修を終え、今年リニューアルオープンした東京都江戸東京博物館。その開館記念特別展第2弾として、「洋館 明治の夢と挑戦」が開幕した。その見どころをレポートする。

文・撮影=橋爪勇介(編集部)

展示風景より
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 今年リニューアルオープンした東京都江戸東京博物館。その開館記念特別展第2弾として、「洋館 明治の夢と挑戦」が開幕した。会期は前期が7月26日まで、後期が7月28日から8月23日まで。

 本展が焦点を当てるのは、日本が近代国家へと歩み始めた明治時代に急速に広まった「洋風建築」だ。江戸から明治への転換は、政治や制度だけでなく、人々が暮らす都市空間そのものを大きく変えた。西洋から流入した新しい建築技術や意匠は、日本の大工や技術者、建築家たちによって吸収され、やがて独自の発展を遂げていく。本展は、その変革のプロセスを200点以上の資料によってたどる試みとなっている。

 会場には、図面や模型、錦絵、古写真、建築部材、家具などが並ぶだけでなく、明治東京の街並みを立体的に再現する演出も導入されている。建築史展でありながら、都市の記憶や人々の憧れを体感的に伝える構成が特徴だ。会場では随所にパノラマが用意されており、明治の都市、時代の雰囲気を伝える。

 展示は「プロローグ 前夜―幕末の東京・横浜風景―」「第1章 ナマコ壁と擬洋⾵建築」「第2章 建築家がやってきた―外国⼈建築家と『都市⾵景』」「第3章 開花する洋館の明治―⽇本⼈建築家の挑戦」「第4章 羨望の住処―明治の洋風邸宅」で構成され、日本における西洋建築の受容から成立までのプロセスをたどる。

プロローグ 前夜―幕末の東京・横浜風景―

プロローグで展示される横浜のパノラマ風景

 展覧会は、明治の洋館が登場する直前、幕末の東京と横浜の風景から幕を開ける。開国によって西洋文化が流入し、外国人居留地や新たな都市景観が生まれていくなかで、日本人は未知の建築様式と出会った。ここでは、洋館が突然現れたものではなく、幕末から明治へと続く社会の変化のなかで受容されていったことが示される。

第1章 ナマコ壁と擬洋風建築

 第1章では、明治初期に大工たちが生み出した「擬洋風建築」に焦点を当てる。 

第1章の展示風景

 擬洋風建築とは、江戸時代からの大工の棟梁たちが見よう見まねでつくった和洋折衷の建築のことを指す。本展におけるその最たる例が、明治元年(19868)に竣工した、東京初の洋館とされる築地ホテル館だ。同館の設計にはアメリカ人建築技術者リチャード・ブリジェンスが関わり、工事は大工棟梁・二代目清水喜助が担った。

手前が歌川広重(三代)《東京築地ホテル館表掛之圖》(1869)

 同館は左右対称の全体像、中央の塔といった洋風建築の要素にナマコ壁など日本の伝統的技術を用いものであり、まさに和洋折衷建築だった。この建築は多数の錦絵が描かれ日本全国の擬洋風建築に大きな影響を与えたという。

小林清親《海運橋 第一銀行雪中》(1877)
手前が第一国立銀行のシャンデリア

 なお二代目清水喜助はのちに、銀行建築第1号である第一国立銀行の設計・施工も手がける。同じ1章では、小林清親による第一国立銀行を描いた《海運橋 第一銀行雪中》(1877)や第一国立銀行のきらびやかなシャンデリアなどを通じて、明治初期の人々が洋館に抱いた驚きと憧れをたどることができる。

第2章 建築家がやってきた―外国人建築家と「都市風景」

 第2章では、外国人技師や建築家たちが日本にもたらした本格的な西洋建築が紹介される。

 擬洋風建築は生まれたものの、明治政府が求めたのは「本物の西洋」だった。そうしたなかで、ジョサイア・コンドル、ヘルマン・エンデ&ヴィルヘルム・ベックマンら外国人建築家たちは、東京の都市景観を大きく刷新していく。

 本章の見どころのひとつであり、本展のハイライトとなるのが、日本初公開となるエンデ&ベックマンによる「国会議事堂案 外観透視図」(1887-88)だ。

右がエンデ&ベックマンによる「国会議事堂案 外観透視図」(1887-88)

 本作は官庁集中計画の一環として設計された建築案のなかでも、ひときわ巨大なもの。ドイツ・バロック建築の特徴であるランタンや中央にそびえる巨大なドームと随所に配された小塔、二層を貫く柱などが、建物外観に圧倒的な威厳を示している。現在の国会議事堂よりも高く、実現すれば、当時の東京のなかでも群を抜く高さになったという。実現しなかった幻の計画案でありながら、近代国家の象徴を建築としていかに構想しようとしたのかを伝える貴重な資料である。

小林清親《新橋ステンシヨン》(1881)
鹿鳴館の階段(1883)と長椅子(明治前期)

 本章では、小林清親が描いた《新橋ステンシヨン》(1881)や鹿鳴館の装飾部材、家具なども展示。それらからは、西洋建築が明治東京の風景をどのように変えていったのかが見えてくる。

第3章 開花する洋館の明治―日本人建築家の挑戦

 第3章では、外国人建築家に学んだ日本人建築家たちの挑戦が主題となる。

 1879年、ジョサイア・コンドルが育成した工部大学校造家学科の卒業生から、日本人最初の建築家たちが誕生した。辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次郎らは、西洋建築を学びながら、やがて日本の近代建築を自らの手で担っていく。

3章では、辰野ら4人の卒業設計が勢揃いする。手前は辰野金吾の卒業設計である「自然歴史博物館」立面詳細図(1879)
片山東熊の卒業設計「美術学校」正面図(1879)

 また辰野金吾による日本銀行や東京駅中央停車場、片山東熊の帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)など、現存する建築と失われた建築の双方を資料によって紹介。外国人建築家から学ぶ時代を経て、日本人建築家が国家的プロジェクトを担う存在へと成長していく過程が浮かび上がる。

 なかでも辰野による中央停車場建物展覧図は一際巨大であり、その幅は3メートル以上。乗車口と降車口の違いが人間の克明な描写によって表現されている点にも注目したい。

中央停車場建物展覧図(1911)
片山東熊が設計した「内匠寮奈良博物館建築工事図面 奈良博物館新築色分ヶ図 百分壱」(1890-95)

第4章 羨望の住処―明治の洋風邸宅

 最後の章では、皇族や上流階級のために建てられた洋風邸宅に光を当てる。

有栖川宮の舞踏室で使用されていた長椅子(1884)

 明治の建築家たちにとって、国家を飾る公共建築だけでなく、邸宅もまた重要な創作の場だった。とりわけジョサイア・コンドルは邸宅建築を得意とし、有栖川宮邸などを手がけた。こうした洋館は、限られた人々の住まいであると同時に、明治の東京を華やかに彩る「羨望の住処」でもあった。

 会場では、コンドルによる岩崎家弥之助深川別邸や岩崎久弥邸洋館などの平面図・立面図をはじめ、有栖川宮邸の舞踏室で使われた長椅子、片山東熊が手がけた東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)の写真・家具などを展示。古写真や絵画資料、現存家具、空間再現を通じて、洋館がたんなる建築様式ではなく、新しい暮らしや社交文化の象徴でもあったことを伝えている。

東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)の写真・家具
東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)の写真・家具

 本展が描き出すのはただの建築史ではない。そこにあるのは、西洋の文化様式への変化を迫られた日本人が、それを模倣し、学び、やがて自らのものへと変えていった近代化の物語だ。図面や模型といった専門的資料だけでなく、パノラマ的な空間演出によって当時の都市の空気感まで再現しようとする展示手法は、建築に詳しくない来場者にも明治という時代の熱気を伝えてくれる。