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2026.3.16

「中西夏之 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」(国立国際美術館)開幕レポート。不安定な絵画に見え隠れする強度

大阪・中之島の国立国際美術館で、特別展「中西夏之 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」が開催される。会期は3月14日〜6月14日。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

イーゼルに載せられて展示された絵画。左から《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)、《R・R・W―4ツの始まり-2001-Ⅱ》(2002)、《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)、《4ツの始まり-2001-Ⅰ》(2001)
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 大阪・中之島の国立国際美術館で、戦後日本を代表する画家・中西夏之(1935〜2016)の回顧展「中西夏之 緩やかにみつめるためにいつまでも佇む、装置」が開幕した。会期は6月14日まで。担当は同館主任学芸員の福元崇史。なお、本展は山梨県立美術館(7月4日〜8月23日)、セゾン現代美術館(9月5日〜11月3日)、茨城県近代美術館(11月12日〜27年1月17日)に巡回する。

 中西夏之は1935年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。当初は画家を志しながらも、1960年代前半は高松次郎、赤瀬川原平と立ち上げた「ハイレッド・センター」の一員としてのパフォーマティブな活動を行なった。その後、本格的に絵画へと回帰。以降、絵画における水平と平行について問い続けた。2016年没。近年は国際的な評価も高まっている。

展示風景より、大きな「ℓ」が前景化してきた時代の作品「ℓ字型―左右の停止」シリーズや「LℓR―目前のひびき」シリーズなど

 福元は本展を手がけるにあたり、中西の絵画の全体像を貫いているものを「不安定」というキーワードでとらえたという。中西が多用する色彩の持つ両義性、曲線を多用した卵型の転がってしまう立体、後期の絵画における光や時間といった曖昧な主題などにそれらが見出だせるという。なお、こうした不安定性については、茨城県近代美術館主任学芸員の永松左知も本展の図録に寄せた「中西夏之の絵を見つづけるために」(P.8-11頁)において、南雄介、宇野邦一、林道郎らの議論を参考しつつ言及している。本展ではこの「不安定」というテーマを念頭に、中西が絵画と対峙しながら探求したことを探ってみるのもいいだろう。

左から《背・円-XIII 06》《背・円-XI 06》(ともに2006)、《背・円-Ⅰ 05》(2005)。紫と白の集合が円を表すシリーズ

第1章「生体と物質の錬金術」

 展覧会は全4章で構成されている。第1章「生体と物質の錬金術」は、中西が本格的に絵画に取り組むまでの前史的な内容となっている。中西は東京藝術大学で小磯良平の教室に所属していたものの、授業にはほとんど行っていなかったようだ。学生時代の中西は労働運動へのコミットをしつつ、古典的なデッサンや心象風景のドローイングなど、自らの表現すべきものを模索していた。

 学生時代の作品《天の岩戸》(1955)は、『古事記』に題材を得た作品だが、絡み合う立体的な人体と強烈な光陰の表現からは、中西のもつ描画技術の高さをうかがい知ることができる。また、59年からの「韻」シリーズのT字の連続は、その後の中西の絵画に頻出する同一の形態の連続性との関連を見いだせるだろう。

奥壁は中西が東京藝術大学在学中に描いた《天の岩戸》(1955)。手前は同作のドローイング
左から《韻 YS》(1959)、《韻》(1960)。凹凸のある「T」が連続している

 本章では、高松、赤瀬川とのハイレッド・センターでの活動も、前後史を含めて取り上げられている。結成前、中西が高松らと実行した「山手線のフェスティバル」(1962)は、顔に白いドーランを塗って山手線に乗車し、卵型の《コンパクト・オブジェ》を手にパフォーマンスをする試みだ。このときに使用された樹脂にハサミ、洗濯バサミ、歯車といったものを封入したこのオブジェの実物を、会場で見ることができる。

 その後の63年の読売アンデパンダン展で、中西は《洗濯バサミは撹拌行動を主張する》(1963)を発表。日用的な工業製品である金属製の洗濯バサミをキャンバスに大量に食いつかせた本作は、反芸術的な性格が強いが、同一の記号を繰り返すというその後の中西の創作に共通する表現を見出すことができる。

右端が「山手線のフェスティバル」のパフォーマンスで使用された《コンパクト・オブジェ》(1962)
《洗濯バサミは撹拌行動を主張する》(1963)。中西の実家の工具店に来ていた若い職工たちがバイクのファンに冷却効率を高めるために洗濯バサミをつけていたことから発想したという

 読売アンデパンダン展後の1963年に結成されたハイレッド・センターの活動は広く知られていることだろう。会期初日に画廊を閉鎖、最終日に開廊する「大パノラマ展」(1964、内科画廊)や、東京オリンピック開催に合わせて白衣にマスクで東京の歩道を徹底的に掃除する「首都圏清掃整理促進運動」(1964、東京都内各所)などの資料を会場で見ることができる。

 この時期、中西は舞踏家の土方巽との交流も深めていき、協業のなかで、中西は本格的に絵画への回帰を志向し始める。この時期の中西の活動についても、福元はその「不安定」性を指摘する。舞踏においてしばしば発生する、不安定な足の接地、身体の重心の揺らぎなどに対する興味が、中西の絵画にも影響を与えていったという。

ハイレッド・センターの活動の記録写真や資料

第2章「絵のある場所と絵の形」

 第2章「絵のある場所と絵の形」では、本格的に画家としての活動を開始した時期の中西の作品を展示している。「K.T像」シリーズは、正面に向かってシャツの前ボタンを開き胸をさらけ出す写実的な人物像と、鮮やかな、オレンジと黄緑の筆跡が生み出す扇形や矩形の抽象的な図形が組み合わされたものだ。直接的な身体への言及、そして内から外へと広がっていくような文様は、当時の中西の、身体と絵画双方を結びつける運動性への興味が見て取れるだろう。

 69年から71年にかけて制作された「山頂の石蹴り」シリーズは、キャンバス上の左右の要素を、中心に向かって統合していく過程が表れたかのような作品群だ。緻密に計算された色彩が複雑に重なり、融合と反発を繰り返しながら表れたそのイメージは、宗教的な図像を思わせる。

左から《K.T像・オレンジドア》《K.T像・グリーンドアⅢ》(ともに1966)。中央の人体像には素材となった青焼きが存在する
左から《山頂の石蹴り No.3》(1970)、《山頂の石蹴り No.2》(1969)。そのタイトルは作品の内容ではなく「つくられた場所と身体の動作または作画の所作」を表しているという。

第3章「無限遠点からの弧線」

 第3章「無限遠点からの弧線」では、70年代から80年代にかけての竹弓、そし象徴的な紫、そして巨大な「ℓ」型の線を取り入れた絵画シリーズを紹介している。

 73年頃、中西はキャンバスの縦辺を、巨大な曲線の一部として捉えるという発想にたどり着く。これを端的に表現したのが、弧の一部に見立てた曲がった竹弓をキャンバス表面に接合した「弓形が触れて」や「arc・ellipse」シリーズだ。ここに来て、中西の絵画表現はキャンバスの平面から、その垂直方向、つまり鑑賞者が立つ空間までを問題にするようになっていく。

左から《arc・ellipse Ⅴ》《arc・ellipse Ⅵ》《arc・ellipse Ⅶ》(すべて1980)、竹弓による曲線は実物を斜めから見ることで初めてそのコンセプトが理解できる

 その後、中西の海外には象徴的な紫の色彩が登場する。「紫・むらさき」シリーズを見ると、白を基調とした「☓」型の連続のなかに現れる、立体的な紫の色彩が竹弓に成り代わるような役割を果たしていることがわかるだろう。白の比率を変えながら塗り重ねられたその紫は、被写界深度の浅いレンズが生むボケのような効果をもたらし、平面的なキャンバスから鑑賞者に向かってくる、垂直方向の運動性を生んでいる。

 「ℓ字型―左右の停止」「LℓR―目前のひびき」「白、緑より白く」といったシリーズでキャンバス上に現れる大きな「ℓ」は、2つの交差する円弧という発想から生まれた。やがてこの「ℓ」は後退していくが、代わりに「大括弧」や「中央の速い白」といったシリーズのように、無数の色点とともに鮮やかな緑が現れる。この緑は平面的かつ無機的であり、周囲の複雑な描点や短線の立体感をより強調しているようにも感じられる。

左から《紫・むらさき XVII》(1983)と《紫・むらさき XVI》(1982)。紫の部分が周囲の色彩とは異なる位相にあることが印象付けられる
左から《大括弧Ⅴ》(1989)、《白、緑より白く-Ⅵ》(1988)。「ℓ」と鮮やかで平面的な緑の出現と後退していく過程にある作品

第4章「想像的地表にあふれる光」

 最後となる第4章「想像的地表にあふれる光」は90年代から晩年にかけての作品が展示される。

 2001年以降、断続的に描かれた「4ツの始まり」シリーズは、イーゼルに立てた状態で展示されている。「中西夏之新作展 絵画の鎖・光の森」(渋谷区立松濤美術館、2008)で試みられたこの展示方法も、福元は「絵画が地面や壁に接面していない『不安定』な展示形式」と評する。いっぽうで鑑賞者は絵画の裏に回ることができ、また下から覗き込むことさえ可能になるため、「板に貼られた帆布に描かれている」という絵画というメディアの平面性をより実感することにもなるだろう。では、その平面を超越するために中西が何をしたのか。このイーゼルを用いた展示はそういった問いをも喚起する。

左から《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)、《R・R・W―4ツの始まり-2001-Ⅱ》(2002)、《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)、《4ツの始まり-2001-Ⅰ》(2001)。「中西夏之新作展 絵画の鎖・光の森」(渋谷区立松濤美術館、2008)と同様にイーゼルに載せられている

 本章の最後を飾るのは、中西最晩年の作品《連れ舞》(2015)だ。俵屋宗達《舞楽図屛風》(17世紀、江戸時代)に着想したという本作は、二曲一双の屏風のように寄り添う。演舞のような運動性を感じる「☓」型の連続が、キャンバスの右上方向に向かっていく。いっぽうで判然と平面性を主張する白と黒の長方形は、周囲の文様に奥行きを与えている。本作からは、鑑賞者がここまでに辿ってきた、中西の数々の試みを追憶するような体験が得られるだろう。

《連れ舞》(2015)。具体的なモチーフはないものの、不思議と俵屋宗達《舞楽図屛風》とも通底する「舞」のイメージがかたちづくられている

 最後に改めて、本展担当の福元が投げかけた「不安定」というキーワードを考えてみたい。こうしてその画業を辿ってみれば、たしかに中西の作品には図像や色彩において「不安定」を志向しており、その均衡がもたらす緊張感が通底している。いっぽうで、実際にその絵画を前にすると、不安定とは真逆ともいえる、絵画の持つ確固たる強度に圧倒される。描かれたモチーフの図像的意味やマチエールの質感に頼らずとも、キャンバスの上の要素の構成によって周囲の観客を巻き込んでいく説得力。むしろ中西は自身の卓越した技術と色面の構成が生み出す強く安定した力を超えるため、「不安定」を求め続けたのかもしれない。まさに絵画というメディアのもつ可能性を極限まで突き詰めた中西の、類稀な創作を体感できる展覧会といえるだろう。

手前が《擦れ違い/S字型還元》(2012)。絵画の「背面」が意識されるようにイーゼルに立てられたキャンバス同士が背を向けている