2026.1.24

登録有形文化財「kudan house」でCURATION⇄FAIR Tokyoが開幕。展覧会「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」がシリーズ最終章へ

東京・九段のkudan houseを会場とする展覧会とアートフェアで構成される「CURATION⇄FAIR Tokyo」。その展覧会パート「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」が開幕した。

文・撮影=橋爪勇介(ウェブ版「美術手帖」編集長)

展示風景より、正面に見えるのは内田巌《タイトル不詳》(1936)
前へ
次へ

 東京・九段の登録有形文化財「kudan house」で、キュレーターによる展覧会とアートフェアの二部構成で構成されるCURATION⇄FAIR Tokyoが今年も開催。展覧会パート「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」が幕を開けた。会期は2月8日まで。アートフェアは2月13日〜15日。

 キュレーター・遠藤水城が手がける展覧会「美しさ、あいまいさ、時と場合に依る」は、2024年、25年に続き、今回が3回目の開催。川端康成と大江健三郎によるノーベル文学賞受賞講演を起点に、日本の近現代史と美術の関係を多層的に読み解く試みとなっている本展は、2024年から続いてきたシリーズの最終章となる。展覧会は李朝白磁、明治・戦後美術、現代作家による新作など、時代やジャンルを横断する複数のパートで構成。

 受付のすぐ脇にある「ガレージ」は、展覧会の導入部に位置づけられている。ここでは、明治期の浮世絵師・小林清親の木版画《平壌攻撃電気使用之図》(1894)を中心に、曽根裕《Movie Theater》(2017)や香月泰男《業火》(1969)が並び、「光」がもつ政治性と美学性を交差させる。

ガレージ会場

 1階では、第二次大戦後に結成された日本美術会を構成した多様な作家たちに焦点が当てられる。日本美術会は、戦後の焼け野原となった日本で芸術文化を立ち上げようとした集団である。本展では、その創立声明文に署名した内田巌、山口薫、松本竣介、丸木位里らの作品が展示され、新たな時代をつくろうとした美術家たちの多様性が、会場空間として再現されている。

展示風景より、日本美術会の作家たちの作品がずらりと並ぶ

 2階の中心となるのは、数百年前の朝鮮半島で焼かれた「李朝白磁」である。柳宗悦らによって価値が見出された、精神性の結晶である白磁。同時に、無名の工人たちの痕跡、さらには日本の植民地主義の帰結として、捉え直す展示が試みられている。こうした複層的な視点は、本展タイトルに掲げられた「あいまいさ」とも呼応する。

2階には李朝白磁と伊庭靖子、丸山ゆかりの絵画が展示。同じ構成の部屋が3つ続く

 また2階の畳敷きの広間では、ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ、津田道子、高嶺格、奥村雄樹、高田冬彦、大木裕之らの映像作品が複数上映される。遠藤が選定した映像や、ドキュメンタリー性の高い作品群が並び、時間をかけた鑑賞を促すパートとなっている。

 3階では雨宮庸介が、VR(仮想現実)を用いた新作《美しさあいまいさ、確からしさ》(2025)を発表。kudan houseという建築が抱える記憶と、大江健三郎の世界観が接続され、空間そのものを媒介にした体験が立ち上がる。

 最新技術を用いた雨宮の作品と対照をなすように、地下空間は五月女哲平による抽象絵画のみで構成される。1階の展示とは異なり、絵画は空間にそっと添えられるように配置され、1点ずつとじっくり向き合うための静かな環境がつくられている。

地下の展示風景より、五月女哲平《誘拐》と《台形》(ともに2026)

 本展が提示するのは、「美しさ」を普遍的な基準として確定することではない。むしろ美は、見る者の立場や時代背景によって揺れ動くものとして浮かび上がる。kudan houseの空間性も相まって、作品同士の関係は固定された解釈へ回収されることなく、曖昧さを含んだまま鑑賞者へと手渡される。フェアパートでどのような対話と選択が生まれるのかも含め、この試みは継続的に注視されるべきだろう。