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2026.5.22

保坂健二朗が語るアール・ブリュットの現在地──国内外におけるコレクションの形成、マーケット、そして役割と可能性について

生(なま)の芸術と訳される「アール・ブリュット」は、既存の美術史や規範の外部で生み出される純粋な創作活動を指している。しかし、日本ではしばしば「障害者アート」と同一視されることも多い。滋賀県立美術館では、現在収蔵品の約28パーセントをこのアール・ブリュットが占めるようになるなど、独自の収集方針を打ち出している。近年、世界的なコレクションの形成やマーケットの高騰が加速するなか、この領域の「現在地」はどう変化しているのか。滋賀県立美術館ディレクター(館長)・保坂健二朗に国内外の最新動向を寄稿いただいた。※5月23日24時まですべての方に全文お読みいただけます

文・写真=保坂健二朗

ポンピドゥー・センターのabcdコレクションより。アール・ブリュットの世界ではもっとも有名な作家のひとりであるマッジ・ギル(1882〜1961)の、幅274センチメートルにも及ぶ大作。2023年10月撮影
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アール・ブリュットと美術館の関係

 日本で「アール・ブリュット(生々しい芸術)」は、しばしば「障害者のアート」として理解されてしまっている。確かにそのつくり手に障害のある人は少なくない。しかし、障害のない人だっている。それになにより、アール・ブリュットをそのように理解してしまうのは、1945年の夏に生まれたこの概念のもっている可能性を、見落としてしまうことになるだろう。

 アール・ブリュットという言葉=概念の命名者であるフランスのアーティスト、ジャン・デュビュッフェ(1901〜85)によると、その「定義」は次のようになる。

それは芸術的文化によって傷つけられていない人たちによって制作されたものであり、知識人の場合とは異なり、模倣がほとんどあるいはまったくない作品のことだ。従ってその作者たちは、すべて(主題、利用する素材の選択、置換の方法、リズム、書き方など)を自分自身の奥底から引き出してくるのであって、古典的芸術や流行の芸術という月並みな作品からではない。そこには作者によってひたすら自分の衝動から、あらゆる面にわたって完全につくりなおされた、まったく純粋で、なまの芸術活動が見られるのだ。(*1)

 「定義」というにはいささか入り組んでいて、「説明」といった感じである。なんにせよ、アール・ブリュットとは、芸術的文化、すなわち制度化された美術や文化的規範から逸脱したところで成立、あるいは生存している創造のことである。もっと単純化して言えば、アール・ブリュットは、美術史の外部で成立している純粋な芸術活動のことである。

 当然のことながら、こうしたアール・ブリュットと美術館の関係は、つねに緊張関係にある。美術館とは、ある基準によって作品を選別、収集、分類、解釈し、今風に言うならば「価値」を与える制度だからだ。収集が蓄積とつながる以上、基準のなかには時間軸が生まれ、それはやがて美術史となる。そうした基準をデュビュッフェは、芸術文化の言葉で象徴させつつ、それによって傷つけられていない創作を探し、集めたのだ。

 だから、印象派の歴史というのと同じ意味での「アール・ブリュットの歴史」なるものは存在しないし、成立しえない。アール・ブリュットは、つくり手同士の影響関係や時代精神の発露といったものから自由な場所でつくられていることを成立要件とするからだ。もしその歴史をどうしても書き記したいのであれば、それは、アール・ブリュットという概念をめぐる受容史のような内容になるだろう。

 アール・ブリュットという概念=存在は美術館の準拠する美術史的な価値観の外部に位置する……このことがよくわかるエピソードがある。デュビュッフェは、自らが集めたコレクションをフランスの公的機関に寄贈しようとしたと言われている。しかし、当時のフランスの文化機関の制度では、それを独立したコレクションとして位置づけることができなかったというのだ。その結果、彼は寄贈先をスイスはローザンヌ市に決めた。1972年に寄贈が正式に受理され、76年、「コレクション・ド・ラール・ブリュット(Collection de I’art brut)」がオープンすることとなった。事実上は美術館であるこの施設の名前に「museum」が含まれていないのは、デュビュッフェがその概念を嫌っていたからだとされる。これは、アール・ブリュットの本義を考えれば当然のことだろう。

 なお、いささかややこしいことに、デュビュッフェ自身もまた、アール・ブリュットがモダン・アートの文脈に回収されてしまうことには警戒心を持っていたと言われている。彼にとって重要だったのは、アール・ブリュットという名のもとに集めた作品群が、モダン・アートのようなほかの価値観に統合されることなく、隔離したままに評価されることであった。

*1──Jean Dubuffet, L'art brut préféré aux arts culturels, la Compagnie de l'Art Brut, Paris, 1949, no pagination. 訳は末永照和『評伝ジャン・デュビュッフェ アール・ブリュットの探求者』(青土社、2012)、118-119頁を参照。

世界の美術館におけるアール・ブリュットのコレクション

 ところが、である。ここ数年、アール・ブリュットと美術館の関係は大きく変化している。少なくない総合系の美術館がアール・ブリュットの「コレクション」を有するようになったのだ。

 例えば、フランス・リールにある美術館「LaM(ラム)」。正式名称はLille Métropole Musée d'art moderne, d'art contemporain et d'art brut、あえて日本語に訳すのであればリール・メトロポール・近現代美術とアール・ブリュットの美術館と極めて長く複雑になる。もともとヴィルヌーヴ=ダスク近代美術館(Musée d’art moderne de Villeneuve d’Ascq)として誕生した同館が、アール・ブリュットにおいて主要なコレクションのひとつ、「アラシン・コレクション(Aracine Collection)」を受贈することを決めたのは1999年のことだった。すでにフランス国内外でも知られていた同コレクションの寄贈に際しては、アール・ブリュットを常設展示するためのスペースを用意することが条件となっていた。2010年9月にリニューアルオープンしたLaMの総展示面積はおよそ4000平米。そのうち近代美術に950平米、現代美術に600平米、企画展示に1000平米、休憩スペースとマルチメディアスペース通路に350平米、そしてアール・ブリュットには1100平米もの面積が割かれている。

 リール以外でも、アメリカ合衆国のフィラデルフィア美術館には、ボノヴィッツ・コレクションが将来の寄贈を前提に寄託されている。同国のミルウォーキー美術館にはアンソニー・ペトゥッロ・アート・コレクション(The Anthony Petullo Art Collection)があり、英国マンチェスター大学のウィットワース・アート・ギャラリーにはマスグレイブ・キンレイ・アウトサイダー・アート・コレクション(The Musgrave Kinley Outsider Art Collection)がある。

 いずれも、美術館という組織が主体的にゼロからコレクションを形成したのではなくて、個人の長年の収集活動の成果を引き受けたというかたちをとっている。それは、アール・ブリュットの作品群であると同時に、(美術史による)評価の定まっていなかった作品を、個人が、己の感覚と財力とネットワークによって作品群にまでつくりあげた成果でもある。

ポンピドゥーの4階には、アール・ブリュットの命名者であるジャン・デュビュッフェのインスタレーション《冬の庭》が常設されている。その入り口の向かいの展示室も、アール・ブリュット作品を展示する場として用いられている。2023年10月撮影
ポンピドゥーは、展示室と展示室のあいだに生まれる通路的な空間を、資料系の展示などに上手く使う。美術史の外部に位置するアール・ブリュットにとっては、ある意味ふさわしい空間とも言える。これは5階で、右に澤田真一の作品群が見える。2023年10月撮影

 この構図は、2022年6月にポンピドゥー・センターが受贈を発表したabcdコレクション(ART BRUT / collection abcd)においても繰り返されている。映画製作者のブルーノ・ドゥシャルムが1970年代半ばから収集を始め、4000点を超える規模となっていたコレクションのうち、242作家、921点が寄贈された。ドゥシャルムはabcd(art brut connaissance et diffusion)協会の創設者であり、アール・ブリュットに関する展覧会やモノグラフ、研究プロジェクトの発展を支援してきた人物だ。ポンピドゥーへの寄贈にあたっては、アール・ブリュットを常設することも条件に入っていたようで、実際に22年10月より、小さな規模ではあるものの、常設展示室の一角で紹介されるようになった。ちなみに、私が23年10月に確認した際には、澤田真一、舛次崇2人の日本人の作品が展示されていた。ほかにも、河合由美子、齋藤裕一、坂上チユキ、坂元郁代、瀬古美鈴、田中乃理子、寺尾勝広、西岡弘治、戸次公明、松本国三、宮川祐樹、森川里緒奈、吉川秀昭、与那覇俊といった日本人の作品がabcdコレクションとして収蔵されている。

マッジ・ギルによる本作もドゥシャルムによる寄贈。言い換えれば、寄贈されるまで、どれほど有名であっても、アール・ブリュットの作家は収集されてこなかったということにもなる。2023年10月撮影
ポンピドゥーが所蔵する与那覇俊(1979〜)の大作《Gaikotsu Story’s》(2016)。沖縄生まれ、在住の与那覇の作品は、沖縄県最大の公募展である沖展をはじめ、ポコラート全国公募や岡本太郎現代芸術賞でも入選している。2025年2月撮影

アール・ブリュットとマーケット

 ここで注目したいのは、abcdコレクションの受贈に際し、ポンピドゥーを構成する機関のひとつである国立近代美術館のベルナール・ブリステンヌ館長が「今日、アール・ブリュット作品の一部が到達している価格のことを考えると、このようなコレクションを少しずつ形成していくことなど、考えられません」とコメントしている点だ。

 実際、アール・ブリュットを代表するアドルフ・ヴェルフリの作品は、現在オークションで10万ドル(約1600万円)を超える落札額となっている。2023年10月のParis+ par Art Baselでは、Andrew Edlin Galleryのブースでジュディス・スコット(1943〜2005)の作品が記憶のかぎり1000万円以上の価格で販売されていた。25年4月にはニューヨークのGladstone Galleryでチェコ出身のアンナ・ゼマンコヴァ(1908〜86)の個展が開催され、James Cohan Galleryの「Works Available」の欄には澤田真一の名前が長く掲載されている。

2023年、ロンドンのフリーズ・マスターズのスポットライトにジュディス・スコットが選ばれた(ギャラリーは、The Gallery of Everything)。スコットは、2014年にブルックリン美術館で個展が開催されるなど、アメリカ合衆国では極めて評価が高い

 アール・ブリュット専門のフェアもある。1993年にスタートした「アウトサイダー・アート・フェア」がそれで、ニューヨークで毎年開催されている。2012年にAndrew Edlin Galleryのサテライト企業であるWide Open Artsによって買収されて以来、運営やセレクトの質が向上し、アール・ブリュットの周知に大きく寄与することとなった。

Paris+ par Art Basel 2023では、パリにあるアール・ブリュット専門のギャラリー、Christian Berstがアンナ・ゼマンコヴァを個展形式でとりあげた。展示品は初日にしてすでにほぼ完売、ストックから出しつつの対応

 アール・ブリュットは美術史という評価基準および美術館という制度の外部にある。しかし、かつて交換や贈与というかたちでつくり手から個人の手に渡った作品の一部は、やがて市場へ流出していった。需要と供給の関係から市場での価格は上がり、いまでは、アール・ブリュットの価値に気づきコレクションを形成したいと考えたとしても、ポンピドゥーですら購入というかたちではできないほどになってしまった。

 そのとき、美術館はどうすべきか。収蔵を諦めるのか。ポンピドゥーのような「リーディング・ミュージアム」であれば、主要なコレクションの獲得に動くということもできるだろうし、コレクター側もポンピドゥーであればと、寄贈という選択肢をとってくれる可能性はある。しかし、そうではない美術館はどうか。購入も受贈も叶わないとなると、必要であるはずの作品を欠いたまま「これらこそがアートなのです」と見せなければならなくなる。美術館(とくに、museum of fine artsではなく、museum of artを名乗る館)は、建築やデザインなども含めつつ可能なかぎりの総合性を目指すべきであるにもかかわらず、だ(このあたりの感覚について、日本の美術館はファイン・アーツでもなければアートでもなく「BIJUTSU」という概念に縛られていて、あまり意識できていないように思えるのは私だけだろうか)。

 もちろん、総合性を目指すといっても、完璧に網羅することは不可能である。だからこそ美術館は収集方針を表明してきた。しかしそのやり方では、方針に選ばれなかったものがなんであるかは見えづらい。そして、その方針の下での収集において、なにが漏れてしまっていったのかもなかなか認識しづらい。

コレクションを補完することの意味

 コレクションの「漏れ」や「欠落」をいかに表明し、補っていくか。この課題に、日本の多くの美術館も目下直面している。代表的な欠落のひとつは、女性アーティストによる作品だ。もうひとつは、日本がそこに属するはずのアジアのアーティストによるそれである。

 女性のアーティストについては、その不在をきちんと認め、過去への反省を表明しつつ、展覧会の開催や収集に動く館が増えている。購入予算があり積極的アプローチでコレクションを形成できる美術館が、候補をリストアップする際にジェンダーバランスに配慮するようになったのは大きな前進だ。

 しかし、もういっぽうのアジアのアーティストについては、なかなか難しい。というのも、(日本以外の)アジアのアーティストは日本の美術館に作品を寄贈することのメリットをほとんど感じていないからだ。収集するにしても購入しか方法はないのだが、その価格は以前とは比べものにならないほど高騰している(コレクターが所蔵する作品を寄贈してもらうという方法も一応は残されているが)。日本の国公立美術館が、今後アジアの現代美術のまとまったコレクションを形成するのは、ほぼ絶望的である。ほぼ、と留保を付したのは、大阪にある国立国際美術館が2025年6月付の館長メッセージで「近年の収集では(中略)アジアの動向に着目する」と明言しているからだ。国内美術館の常設展で、日本のアートをアジアのアートの文脈のなかで見ることの可能性は(それは、かなり重要なパースペクティブになるはずだ)、同館の今後にかかっているといっても過言ではない。

 とはいえ、女性アーティストにしてもアジアのアーティストにしても「美術史」のなかの話である。男性中心の美術史や欧米中心の美術史からは周縁化されてきたかもしれないが、完全に外部化されてしまっていたのかと言えば、そうではない。中心の力が周縁に追いやってしまったのであって、中心の在り方が変われば、それらは中心に近づくことになる。あるいは、中心/周縁という構図が解消し、脱中心化されたリゾーム的な状態になる。

 これに対して、アール・ブリュットはややこしい。そもそもアール・ブリュットは、美術史の外部に存在する、美術史的価値観では評価しえないような作品に評価を与えようとするものであった。その論理上、美術史の外部にあることが必要であり、美術史による評価は求めていないし、求め得ない。このねじれた評価基準は、アール・ブリュットの研究者やコレクターや関係者には受けいれられているものの、美術史側や多くの美術館の人々にとっては、なかなか理解できないだろう。それゆえ、アール・ブリュットは、美術史という評価基準からすると、いまなお外部であり続ける。つまり、研究や収蔵の対象外となりやすく、外部であるからこそ「欠落」として認識されることすらも難しい。

アジアで「生の芸術」を紹介した事例として、2025年のソウル・メディアシティ・ビエンナーレを取り上げる。テーマは「Séance: Technology of the Spirit(交霊会:精霊のテクノロジー)」。ナム・ジュン・パイク(1932〜2006)の作品の奥に見える幾何学的なドローイングはスイスのヒーラーのエンマ・クンツ(1892〜1963)。左のケースに並んだ茶碗は、大本教の教祖の一人である出口王仁三郎(1871〜1948)
ジョージアナ・ホートン(1814〜84)は英国の霊媒師にしてアーティスト。カンディンスキー(1866〜1944)に並んで抽象画のもうひとりの先駆者として再評価を集めているヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)よりもさらに上の世代に属する。2016年にロンドンのコートールド美術館で回顧展が開催された

「否定的媒介」としてのアール・ブリュット

 それでも、アール・ブリュットという1945年生まれの概念はいまなお生き延びている。美術館も収蔵を始め、研究論文も増えているという事実が示すのは、やはりその概念や作品自体が魅力的であるということだ。スイスのキュレーターであるハロルド・ゼーマンはヴェルフリを重視し、ハンス・ウルリッヒ・オブリストは、ハンス・クルージーというアール・ブリュットのアーティストが自分にとって重要な存在であったと述べている。彼らは、美術史が取り込めない存在を深く知ろうとしたからこそ、美術史の限界=境界線を見極めつつ、そこから翻ってその可能性を引き出すことができた。彼らはアール・ブリュットを「否定的媒介(Nagative Mediation)」として機能させようとしたのだとも言える。

 ただ、展覧会のキュレーションと作品の収蔵ではロジックが異なる。アール・ブリュットを美術館という制度の内部に取り込むには、既存の美術史とは別の評価軸が必要だ。それは、現在の収蔵事例からだと、以下のような評価軸に分類できる。

①美術史の再編成という壮大なプロジェクトの一環として行う方法(ポンピドゥーなど)
②「個人が築いたコレクション」という点を重視するという方法(ウィットワース・アート・ギャラリーなど)
③フォーク・アートやセルフ・トート・アート(独学の芸術)などの既存のタームにアール・ブリュットを取り込む方法(ハイ美術館、フィラデルフィア美術館など)
④歴史ではなく地域文化との関連を重視する方法(サンフランシスコ近代美術館、滋賀県立美術館など)

 ジョージア州アトランタにあるハイ美術館は、1975年から存命の独学のアーティストたちの作品収集を開始したことで知られている。彼らが活動しているディープ・サウスの文化圏にあっては、例えば、ニューヨーク近代美術館が形成してきたような、ヨーロッパを源流とするアートの発展史観は説得力をもたない。それよりも、あるオーディエンスにとっては、地元で脈々とつくられてきたフォーク・アートや、そこから派生しうるセルフ・トート・アートのほうがより重要となる。それゆえに同館は、アメリカの総合的な美術館としては初めてとなるFolk and Self-Taught Art専門の部門を1994年という段階で立ち上げることができるほどのコレクションをつくりあげてきた。これは言い換えれば、同館が、自分たちの地域に多く住むBIPOC、つまり黒人(Black)、先住民(Indigenous)、有色人種(People of Color)へのリスペクトを、コレクションの形成に反映させてきたということでもある。

 また、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)は2023年10月、障害のある人の創作を、制作、展示、販売と広い角度からサポートしている、地元のクリエイティブ・グロウス・アート・センターとパートナーシップを締結。記者発表では、SFMOMAがこれから2年のあいだに、100点以上の作品を収蔵するとともに、展覧会を2つ以上開催する計画が発表された。興味深いのは、SFMOMAにとってこのパートナーシップは、「ベイエリアにおけるアートと障害者運動の出現を称え、この地域の芸術的豊かさの重要かつ見過ごされがちな側面を前面に押し出す」ためであり、「より多様なアーティストの作品を展示・収集し、美術史とそれを形成してきた物語やアーティストに対する理解を広げるというSFMOMAのビジョンを実現するための継続的な努力の一環」でもあるとしている点だ(*2)。上記の分類で言えば、④をメインに①を少し入れている感じである。なお彼らは、アール・ブリュットでも、その英語訳に相当するところのアウトサイダー・アートでもなく「障害とともにあるアート(Art with Disabilities)」という言葉を用いている。

 最後に付言しておくと、私が勤務している滋賀県立美術館がアール・ブリュットを収蔵方針のひとつに掲げているのも、戦後間もない頃から、八木一夫などのアーティストが関わるかたちで障害者の芸術創作の支援が行われてきた地域の背景があるからである。

 いま、世界中の美術館が何かしらの評価軸を用いながらアール・ブリュットを収蔵しようとしているのは、それが美術史や美術館に対する「否定的媒介」として働き、美術館をより強くする可能性があると信じているからだろう。日本においても、上記の①から④の評価軸に基づくことで、あるいはそれ以外の評価軸を打ち立てることで、各地の美術館にアール・ブリュットの収蔵品が増えることを心から願っている。

*2──サンフランシスコ近代美術館公式ウェブサイトより。https://www.sfmoma.org/press-release/sfmoma-and-creative-growth-art-center-announce-unprecedented-partnership-in-celebration-of-creative-growths-50th-anniversary/