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2025.6.6

単数的にして複数的な探究。中島水緒評「ヒルマ・アフ・クリント展」

東京国立近代美術館で6月15日まで開催中の「ヒルマ・アフ・クリント展」。そこでは代表シリーズ「神殿のための絵画」を中心に、ひとつの世界観や宗教的なテーマが体系的に描かれている。いっぽうで、ひとりの画家が描いたとは思えないほど、シリーズごとの表現様式の多様性が際立っている。この二面性をどのように考えればよいのか。美術批評家・中島水緒がレビューする。

文=中島水緒(美術批評家)

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「10の最大物」(1907)の展示風景 撮影=三吉史高
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単数的にして複数的な探究

1.

 近年再評価の機運が高まるスウェーデンの画家、ヒルマ・アフ・クリント(1862-1944)の展覧会が東京国立近代美術館で開催された 。代表的な作品群「神殿のための絵画」(1906-1915)をはじめ、初期から晩年までの作品をバランスよく配したアジア初の回顧展である。作品の借用が難しいのか、重要なシリーズのいくつかが抜け落ちているのは残念だが(*1)、今回の展覧会が謎多き画家を検証する土壌をつくったことに異論の余地はないだろう。

 1944年、路面電車からの転落によるケガがもとで不慮の死を遂げるまで、アフ・クリントは精力的に制作を続けた。本展に集まった約140点の作品は、終生衰えぬ画家の勤勉さと、勤勉の域をもはや超えるファナティックな衝動を証明するものである。よく語り継がれるように、彼女が「神殿のための絵画」の制作に取り組んだきっかけは、アナンダ、アマリエルといった名で呼ばれる「高次の霊的存在」からの啓示だったというが、まとまった数の作品を通観すると、「啓示」だけでは説明のつかない画家の強靭な意志がむしろ浮き彫りになってくるのだ。

 いったい何がアフ・クリントを駆り立てていたのか。霊的存在による導きが本当にあったかどうかはともかく、世界の成り立ちを知りたい、真理に到達したいという願望、バラバラに分断された世界像・宇宙像を統合するという神智学的なテーマが彼女を突き動かしていたのは間違いない。これは、ひとりの人間が成し遂げるにはあまりにも途方もないプログラムである。だがもし、そのプログラムに挑んだのが彼女ひとりではなかったとしたらどうか。

 宇宙の真理をもとめる霊的探究がもっとも壮大なスケールで表現されているのは、足かけ10年もの制作期間を費やした「神殿のための絵画」だろう。これらを構成する193点の絵画は、「Ⅰ」から「Ⅹ」までの数字を振られたグループ、もしくは「WU」「WUS」「US」「SUW」といったアルファベットの名称をもつ複数のシリーズに分類され、その分類を部分的に重ね合わせながら厳密に体系化されている(例外的に、分類からはずれた作品群や、グループ/シリーズのための習作もある)。

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「原初の混沌、WU /薔薇シリーズ、グループⅠ」(1906-07)の展示風景 撮影=三吉史高
ヒルマ・アフ・クリント エロス・シリーズ、WU /薔薇シリーズ、グループⅡ、No.5 1907 キャンバスに油彩 58×79cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

 この重層的なシリーズ構成のなかで、アフ・クリントはさまざまな様式を実行した。最初のシリーズ「原初の混沌、WU /薔薇シリーズ、グループⅠ」(1906-07)では、渦状の抽象的な形態、あるいは精子や麦の穂を思わせる図像があらわれ、創世記的な世界観が描かれる。続く「エロス・シリーズ、WU /薔薇シリーズ、グループⅡ」(1907)では、淡いピンクを基調とした画面に花弁のような形態が据えられ、図案風の平面的な構成が展開される。「知恵の樹、W シリーズ」(1913-15)では巨大樹のモデルに託した宇宙像が細密描写で描かれ、「白鳥、SUW シリーズ、グループⅨ:パートⅠ」(1914-15)においては2羽の白鳥が幾何学的な形態へと変態するプロセスがストーリーテリング的な流れで表現される。シリーズの最後を飾るのは、巨大な黄金色のオーブと階梯状の三角形が鎮座して礼拝の対象さながらに厳かな雰囲気を醸し出す「祭壇画、グループⅩ」(1915)だ。

ヒルマ・アフ・クリント 知恵の樹、W シリーズ、N0. 1 1913 紙に水彩、グァッシュ、グラファイト、インク 45.7×29.5cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation
「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「白鳥、SUW シリーズ、グループⅨ:パートⅠ」(1914-15)の展示風景 撮影=三吉史高

 具象/抽象の単純区分では追いつかないほどの作風の変化である。近年ではアフ・クリントを抽象絵画の先駆者とする見方が喧伝されているが、彼女はカンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチといった抽象絵画の草創期に重要な仕事を残した作家たちとは明らかに異なる原理で動いている。「神殿のための絵画」では、渦巻き、螺旋、カタツムリ、十字架、卵型の形態といった象徴が繰り返しあらわれ、グループ/シリーズ間をつなぐ連関や対関係も随所に見受けられる(*2)。確固たる世界観や宗教的なテーマが全編を通して感じられるのだが、そのいっぽう、ひとりの画家が描いたとは思えないほどに様式が分裂しているのも看過できない特長だ。一見して「きれい」と形容せざるを得ないファンシーな色遣いと、ニュー・ペインティングを彷彿とさせるキッチュな人物像が、あるいはキリスト教から東洋哲学までを横断した多様なコンテクストが、「神殿のための絵画」のなかに節操なく詰め込まれている。こうした様式の複数性ないし異種混交性を、どう解釈すべきか。

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「祭壇画、グループⅩ」(1915)の展示風景 撮影=三吉史高

*1──今回の展覧会には出品されていないが、「神殿のための絵画」のなかでも異彩を放つ「US シリーズ、グループⅦ/グループⅧ」(1908 / 1913)、「鳩、UW シリーズ、グループⅨ:パートⅡ」(1915)のような作品群を検証する機会があれば、シリーズ全体の印象が大きく変わってくるはずである。
*2──例えば「US シリーズ」は、紙に水彩で描かれたグループⅦ(17点)と油彩によるグループⅧ(7点)で構成されるが、一部の作品は「WUS /七芒星シリーズ」と同時期に、それらのスタイルを踏襲するかたちで描かれている。おそらくグループⅦが「WUS /七芒星シリーズ」のグループⅤに、グループⅧがグループⅥに対応していると考えられる。「神殿のための絵画」の後半という大事な局面において、グループ/シリーズ間をつなぐ靭帯の役割を果たしたのが「US シリーズ」であるのかもしれない。

2.

 ひとつの様式から別の様式へ。それはおそらく、複眼的なヴィジョンで、もしくは複数のルートから宇宙の姿を探ることに等しい。単一の様式では現世の常識を超える霊的探究のプログラムを表現しきれない。ゆえに、このようなハイブリッドな方法論が要請されたのではないか。港千尋はアフ・クリントの描く宇宙が「一神教文化から生まれた多世界宇宙論」のようだと述べ、マルチヴァース論からアフ・クリントの絵画を読む興味深い観点を示しているが(*3)、「神殿のための絵画」の重層的なシリーズ構成はまさに「複数の宇宙」のモデルになぞらえたくなるものだ。一連の絵画をまとめて見れば、鑑賞者は異なる秩序がつかさどる別々の宇宙を、階層を行き来するようにトリップするだろう。このトリップ感覚を確保するためにも、一連の作品は一点ものではなく集合体として捉える必要があるわけだ。

 では、画家自身にとっては、複数の様式を矢継ぎ早にこなしていく制作プロセスはどのような経験だったのか。「10の最大物、グループⅣ」(1907)の10点組は、4日に一枚というハイペースでわずか2ヶ月の間に仕上げられたという。制作日数や作業の進め方は高次の霊的存在からの指示によって厳格に定められていたという。となると、そこに画家の主体性はどれほどあったのか、という疑問が浮かぶ。

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「10の最大物」(1907)の展示風景 撮影=三吉史高

 解体すべきは作品の産み手としての主体性に押しつけられた芸術家神話だ。主体性が希薄であることは必ずしも批判される点ではない。そもそも、霊からのメッセージを媒介するために滅私の様態に近づくこと、なるべく純粋なメディアと化すために主体を放棄することは霊媒の条件である。「個」としての主体を超え出ること、集合的無意識にアクセスすること、そこに霊的な探究の要諦がある。だから、複数の様式間のサーフィンが主体の分裂を招くとしても、アフ・クリントにとってそれは畏れる事態ではなかったのかもしれない。1905年、「神殿のための絵画」を制作する前に、アフ・クリントが霊的存在から受けたとされる啓示の言葉がある。「汝、盲目と戦え。汝、己を否定せよ。汝の誇りは打ち砕かれるであろう。汝の弱さが試され、よろめきつまずくであろう。汝、叫ぶ声となれ。だが、その前に砕かれ塵となるであろう」(*4)。

 「啓示」のファクトチェックは不可能なので、ここでは「啓示」の受容プロセスが主体にもたらす変容に焦点を当てる。「啓示」の声は「啓示」を受けた者に対し、霊的探究に従事する前にまず自己を否定し、塵として雲散霧消しなければならない、と語りかける。これは、宗教哲学者のルドルフ・オットーが『聖なるもの』(1917)でまとめた、神秘的・超越的な存在にふれた人間が辿る心的状況の図式と一致する。オットーによると、合理的概念で把握しえない「語りえぬもの」を前にして、人間はまずおのれの無力さを徹底的に思い知り、自身の虚無性に打ち沈む。すべての被造物の上に立つ超越者に比して、自分は塵芥に過ぎないとする自覚を、オットーは「被造者感情」と呼んだ。あらゆる神秘体験はこの被造者感情をベースとし、自身を低い段階に置く落ち窪みの様態、つまり否定形を契機に始まるということだ(*5)。

 他方で、霊的な経験にふれた人間は、超越的な存在との合一を果たしてエクスタシーへと至る場合もある。我を忘れた恍惚状態、すなわち法悦である。エクスタシーの原義はギリシア語で「外に立つこと」を意味する「エクスタシス(ekstasis)」であり、魂が肉体を離れて宙にさまよい出ることを指す。滅私、脱魂、脱自、法悦、忘我……。霊的探究の始点にも極点にも、さまざまな呼び名で語られる自己超出の様態がある(*6)。

 接頭辞「ex-」には「外へ」「離れて」の意味があるが、興味深いのは、「我を忘れる」「自己の外に出る」といった「ex-」の経験が、造形芸術における「抽象」の定義とも響き合うことだ。心理学者のルドルフ・アルンハイムが「抽象とはなんでないか」を考察する際に参照した「抽象」の原義を引こう。

その文字どおりの意味では、抽象(abstraction)という語は消極的である。それは取り除くことである。abstrahereという動詞は能動的には、なにかをどこかから取り去ることで、受動的にはなにかを取り去られることだから、それは除去を意味する。オックスフォード辞典は十七世紀の用法を引用している。「われわれが肉体から抽象されるほど、……われわれは神の光を見るにふさわしい」。放心状態の人は「抽象されている」。[…]「抽象のなかにある」人は、ほんとうに知らない人のことである。(*7)

 ここでは何かから何かを引く、取り去るという減法の発想が「抽象」の基底にあるものとして確認されている。「私(の意識)」が「私(の肉体)」から取り去られているとき、つまり「私」が「私であること」を忘れる放心状態のとき、まさに「私」が「私」の外に出るエクスタシスの様態においてこそ「抽象」が成り立つというわけだ。むろんここで、『抽象と感情移入』(1908)の著者であるウィルヘルム・ヴォリンガーによる理論を思い出してもよい。ヴォリンガーによれば、すべての美的体験の共通的な欲求とは「自己抛棄の欲求」である。そして「抽象衝動においては、自己抛棄の欲求の強さは比較にならないほど大きな、そして徹底的なものである」(*8)。

 以上を踏まえて、アフ・クリントの絵画は還元主義的な意味合いでの「抽象絵画」ではないが、「私」から「私」を取り去る抽象作用の産物であったと読み替えることができるかもしれない。すなわち、アフ・クリントは、自己投擲というすぐれて抽象的な経験を経て普遍へと開かれ、一連の作品を生み出したのだ、と。

*3──港千尋『ヒルマ・アフ・クリント 色彩のスピリチュアリティ』インスクリプト、2025年、217頁。
*4──エリック・アフ・クリント「ヒルマ・アフ・クリントとその作品」『ヒルマ・アフ・クリント展』東京国立近代美術館、日本経済新聞社、2025年、253頁。
*5──以下を参照。オットー『聖なるもの』久松英二訳、岩波書店、2010年。
*6──本展の担当学芸員・三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)は、図録に寄稿した論考において、アフ・クリントが制作において自身の立場を「忘我の道具」と見做していた点に着目し、「10の最大物」における画家の主体性の介入を考察している。三輪が注目するのは形象を支えるフィールドとしての「地=色面」である。「〈10の最大物〉の「地」を、アフ・クリントが高次の霊的存在を制作に導入し、主体を放棄した現われと捉えるならば、ここでアフ・クリントは「主体=画家」の立ち位置を離れ、自らを「客体=対象(オブジェクト)」と「絵画」との間へ挿し込んでいる」。以下を参照。三輪健仁「彼方よりの絵画」、前掲書(*4)、18-20頁
*7──ルドルフ・アルンハイム『視覚的思考 創造心理学の世界』関計夫訳、美術出版社、1974年、192頁。
*8──ヴォリンゲル『抽象と感情移入 東洋芸術と西洋芸術』草薙正夫訳、岩波書店、1953年、43頁。

3.

 アフ・クリントは「個」の殻に閉じこもる画家ではなかった。むしろ、みずから進んで「個」の外へと赴いた。親しい女性たちと「5人」というグループを結成し、交霊会で自動筆記の手法によるドローイングを描いていたのは、近年では周知のエピソードである。また「原初の混沌」「エロス・シリーズ」「10の最大物」なども、じつはアフ・クリントだけでなく、女友達が関与して制作を手伝っていたという説がある(*9)。自己を放棄する霊媒の手法が制作の軸にあり、複数の描き手によるグループワークが本当に行われていたのだとしたら、一連の作品をヒルマ・アフ・クリントという一人の主体の名に帰属させる作家論や、旧来的な美術史の記述は機能しなくなる。

 埋もれていた作品群が美術史の語りの作法を根本から覆す。ただし、こうしたコペルニクス的転回にも留保は必要だ。自己投擲した主体の在り方や集団制作ばかりを取り沙汰していては、アフ・クリントの作品をめぐる分析は片手落ちになる。長きにわたって研鑽を積んだ画家が「個であること」を完全放棄していたとは思えない。重要なのは、宇宙の真理に至るための探究が、アフ・クリント個人で単数的に行われることもあれば、志を同じくする他者たちと複数的に行われることもあったという二面性だと思われる。

ヒルマ・アフ・クリント ユリを手に座る女性[グステン・アンデション] 制作年不詳 キャンバスに油彩 70.5×56.5cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

 ここで注目したいのが、「単数として霊的探究に従事する存在」を描くのに適した「肖像画」というジャンルである。今回の出品作のひとつに《ユリを手に座る女性[グステン・アンデション]》(制作年不詳)という肖像画がある。自然主義的な作風で、アフ・クリント作品のなかではノーマルな部類の作品といえるが、ラフな筆触による描写には所々に奇妙な点が見受けられる。とりわけ異様なのが背景処理だ。人物の背後に画面を四分割する垂直・水平線があり、そこから光線のような放射線が派生している。四分割の線は露骨に十字架を連想させ、人物はこの十字架に磔にされているとも恩寵を受けているとも解釈できる。人物がまとうケープと椅子は同系統の緑色で一体化しており、俯いて物思いに耽る人物を外側から挟み込むように(拘束するように?)しっかりと固めている。さらに、ケープの包み込みがつくり上げる緩やかな螺旋状の流れは、人物の手先にあるユリを結節点として、ケープと腕を囲いとする虚の空間(それはまるで貝殻の内奥だ)に鑑賞者の視線を導く。ちなみに、ユリはアフ・クリントが「神殿のための絵画」でも繰り返し用いたモチーフであり、しばしばバラと対を成して二元性を象徴する。また、やや牽強付会かもしれないが、人物の左右から覗く椅子脚は、アフ・クリントの象徴体系において「高次の霊的存在」を意味する「H」の文字にも見えなくはない(*10)。明確に結像していない潜在的な要素も含め、アフ・クリントの絵画でお馴染みの象徴が画中に仕込まれているのだ。これは、内省する個人の身体に迫る、霊的経験の前兆を描いた作品なのではないか。

 じつは、この「ユリを手に座る女性」と近い系統の作品が「神殿のための絵画」でも制作されている。「グループVIIIのための準備的習作、女性シリーズ」(1912)、「男性シリーズ」(1912)と呼ばれる2つの作品群のことである(残念ながら今回の展覧会には出品されていないが、図録のカバー裏に印刷された「神殿のための絵画」全点の図版で両シリーズを確認できる)。いずれも祈祷や瞑想に集中する修道女/修道士たちを一枚の画面にひとりずつ描いた肖像画であり、自然主義的なスタティックな作風ゆえに、様式の変化が激しい「神殿のための絵画」のなかではむしろ異彩を放っている。「女性シリーズ」の各作品に付された「剥奪(Deprivation)」「逡巡(Hesitation)」「恥辱(Humiliation)」「歓喜(Joy)」といったタイトルが顕著に示すように、これらは霊的探究の殉教者がたどる心的状況の定型表現なのかもしれない(オットーが『聖なるもの』で図式化した心的状況と比較してみてもよい)。

本展図録表紙帯の裏面「神殿のための絵画」一覧より。「グループVIIIのための準備的習作、女性シリーズ」(1912)、「男性シリーズ」(1912)

 だが本当に重要なのは、定型表現によって覆い隠された主体の内面の「うかがい知れなさ」のほうだ。修道女/修道士の一人ひとりは身体をすっぽりと包む僧衣をまとい、孤独な内的世界に閉じて沈滞している。彼・彼女らの内部に生起する感情や感覚は、外側からは計り知れない。つまり、祈る人を描く人(=アフ・クリント)は、単独者として聖なる経験をしている人の外側に立ち、外化された「信仰」の形式のみを距離をおいて客観的に表現しているということだ。「女性シリーズ」「男性シリーズ」は、目に見える外観と目に見えない内観の分離をむしろ強調する。目に見える外観の描写が達者なだけに、目に見えない内観が隠された主題として匂い立つと言ってもよい。

 ここで思い出されるのが、「黙読」という読書行為の起源をめぐる逸話である。アルベルト・マングェルは読書の歴史をたどる著書において、声を出さずにテキストを読む「黙読」という行為が中世以降に誕生した文化であることをまとめた。それ以前のキリスト教世界では、識字率も低かったため、テキストを読むという行為は他者と内容を共有する音読(朗読)が中心だったのだ。声に出して読む読書行為が一般的だった時代、神学者のアウグスティヌスが黙って書を読むアンブロシウスを目撃して、声も出さず舌も動かさずに読書する光景に面食らった、という伝説まである(*11)。黙読する人が聖典を「正しく」読んでいるとは限らない。この秘匿的な行為が大量の異端を生んだというのは非常に興味深い現象である。

 「ひとりで祈る人」というのは「黙読する人」に似ている。信仰に殉ずる彼・彼女らは不可侵の内的世界に閉じこもり、「自分」と「自分以外」の存在が決定的に異なる空間に属していることを見る者に突きつけるだろう。アフ・クリントが「女性シリーズ」「男性シリーズ」において一枚一枚のキャンバスに存在たらしめたのは、そのような外界とのズレを発生させる閉鎖系の身体だった。瞑想の小宇宙がそれぞれの修道女/修道士の閉じた内面のなかにまったく別個のものとしてある。そして、シリーズとして複数枚の肖像画が制作されると、瞑想の小宇宙が複数化する。一人ひとりの身に訪れているのは特殊な経験だとしても、群れを成せばそれらは霊的探究の段階を図示するサンプルとなり、普遍性をまとったカテゴリを形成する。さらに一群の絵画が、「女性シリーズ」「男性シリーズ」として「神殿のための絵画」のなかで対関係をつくることで「男性原理」「女性原理」という二元性が設定され、二元性の統合に向かう神智学的なプログラムの条件が整う。じつに重層的な入れ子構造だ。

 岡﨑乾二郎は「神殿のための絵画」の「大型の人物像絵画、WU /薔薇シリーズ、グループⅢ」(1907)の分析において、同シリーズに描かれた人物像の身振りが、先行して制作された「原初の混沌」「エロス・シリーズ」に含まれる形象の意味を絵解きするものに見えると述べている(*12)。つまり、あるシリーズ(この場合は「原初の混沌」と「エロス・シリーズ」)の画面内に登場する形象を別のシリーズ(「大型の人物像絵画」)のなかに図表(ダイヤグラム)として再登場させ、指示的な身振りの描き込みによって注釈する構造がある、という話である。この論を敷衍するならば、「女性シリーズ」「男性シリーズ」の人物たちは、シリーズ内部ではなく「神殿のための絵画」全体に対して指示的な身振りを行なっていると考えられるのではないか。たとえば、修道女/修道士たちの内面に(「女性シリーズ」「男性シリーズ」以外の)「神殿のための絵画」全作品の世界が広がっていると想像することは可能だろうか。ちょうど、「小宇宙」のなかに「大宇宙」が内包されている、といった具合に。

 「神殿のための絵画」には、画中の要素からシリーズ内/外の連関に至るまで、相当に練り込まれた複数のレベルの入れ子構造がある。しかも、その構造の外縁は閉じることがなく、内外反転の契機すらも秘めている。シリーズ全体がつくりだす宇宙は、絵を見る「私」も含め、すべてを呑み込みうるものとして存在しているのである。

ヒルマ・アフ・クリント 大型の人物像絵画、WU /薔薇シリーズ、グループIII、No. 5、これまでの全作品(仕事)の鍵 1907 キャンバスに油彩 58×79cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

*9──港千尋『ヒルマ・アフ・クリント 色彩のスピリチュアリティ』(*3)、171-172頁。
*10──「H」の文字が画中にあらわれる代表的な作例としては、「大型の人物像絵画、 WU /薔薇シリーズ、グループ III」のなかでもっとも重要と思われる「No.5」(1907)を参照(同作は「これまでの全作品(仕事)の鍵」というサブタイトルを持つ)。
*11──アルベルト・マングェル『読書の歴史 あるいは読者の歴史』原田範行訳、柏書房、1999年、55-69頁。
*12──岡﨑乾二郎「認識の階梯:ヒルマ・アフ・クリントの絵画」『ヒルマ・アフ・クリント展』(*4)、220頁。

4.

 「女性シリーズ」「男性シリーズ」のような、「神殿のための絵画」のなかでややマイナーに位置づけられるシリーズが果たす意味合いについては、まだ検討の余地がある。もしかしたら「女性シリーズ」「男性シリーズ」にはアフ・クリントなりの、自分以外の他者による霊的探究に対する連帯の意識、私淑的なレベルの敬意の表明もあったのかもしれない。このとき、「私」であることと「我々」であること、単数であることと複数であることは、必ずしも背反せずに重なり合う可能性をもつ。

 それにしても、なぜ、霊的探究に殉じる者(たち)の姿を外側から眺める(という体裁で描く)必要があったのか。ひとつの仮説として、アフ・クリントが自分(たち)の仕事を客観的に判断する編集者目線に立つことを望んだから、という理由が挙げられる。後年は「神殿のための絵画」全点をみずからの手でアーカイヴ化する「青の本」(制作年不詳)なる10点組の冊子も製作していたほどだから、アフ・クリントに自分の仕事を要所要所で点検・総括する姿勢があったのは確かである。こうした客観化のプロセスは、いわば「霊性から醒める」=「我に帰る」ための作業として考えられるだろう。あるいは、霊的探究に殉じる身体の外側に立つことが、また別のレベルの霊的探究を意味するのかもしれない。ふたたび「エクスタシス」の語を引けば、そのとき画家は、修道女/修道士たちの「外に立つ」者、すなわち身体から抜け出た彼・彼女らの魂を代理する存在になりうる。使命に没頭する一制作者と、全体を見通して客観的な判断を下す編集者。霊的探求のために「私」を投げ出す者と、それを傍らで眺める別レベルの霊的存在。いずれにも内と外を行き来する運動がある。そしておそらく、この内と外を行き来する運動こそが「神殿のための絵画」の重層的なシリーズ構成の核となっていると考えられるのだ。

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「青の本」(制作年不詳)の展示風景 撮影=三吉史高

 アフ・クリントは約10年にわたって「神殿のための絵画」の制作に従事したが、1908年から1912年の4年間、失明した母親の看護のために制作中断の時期を挟んだ。倦まず弛まず制作に励んだアフ・クリントにしては、ずいぶんと長い中断期間である。思い出されるのは、画家が「神殿のための絵画」に取り組む前に受けた最初の啓示の言葉だ――「汝、盲目と戦え」。自分ではなく母の身を襲った事態とはいえ、画家にとって光を失う「失明」とは、たとえば神の導きを失うといったような、宗教的な含意をもつ恐るべき事態だったのだろうか。だが、私的なエピソードを過剰に神秘化する深読みは禁物である。近年の研究は、アフ・クリントがこの頃、薔薇十字主義の思想に大きく影響を受けた「13人」なるグループで女性の同志たちと活動していたと伝えている(*13)。表向きには絵画制作を離れたとされる4年間は、決してネガティブなものではなく、アフ・クリント(たち)が高次の霊的存在によって外部から与えられた仕事を自分(たち)のものにする、能動的にして自発的な学びの段階、シフトチェンジの時期だったとは考えられないか。

 壮大なスケールを誇る「神殿のための絵画」の完成後、アフ・クリントはどちらかといえば個人の裁量が物を言うような、比較的小さめのキャンバスや紙の仕事を中心に展開していく。なかでも、図表(ダイヤグラム)とテキストで構成される「花、コケ、地衣類」(1919-20)は、アフ・クリントの感覚の鋭敏さを物語る独自の植物研究として、興味深い作例である(展覧会では映像による資料展示のみ)。霊媒や大人数のグループワークとは別の仕方による、目の前の事象の観察や自然との交感に由来する一連の仕事は、アフ・クリントが「自力で目を開いた」からこそ成し得た、きわめて単数的なレベルの宇宙の探求と位置づけられるだろう(*14)。

 最後に、ヒルマ・アフ・クリントという特異な画家の語りがたさについて少しだけふれておく。本稿では、アフ・クリントが「高次の霊的存在」に啓示を受けて制作に臨んだという「前提」をある程度受け入れたうえで話を進めてきた。しかし同時に、必ずしも多くの人には受け入れられないであろう、本来であれば他者と共有不可能な神秘体験をベースに作品を考察することの限界は、本稿を書くうえでつねにつきまとう問題だった。「霊的存在」なるものを織り込み済みとする作品分析については妥当性を問い、「前提」から見直すような別の語り方を模索するのが本来の批評の役目であるとも感じる。前提を見直す作業とは何か。ひとつにはまず、近代スピリチュアリズムの歴史的検証が挙げられるだろう。もしかしたら現代人もまた、高度に発達した情報環境──それは一種の霊的ネットワークである──にとり憑かれた存在なのかもしれないが、現代の文脈とは異なる思想潮流として、時代背景と併せた近代スピリチュアリズムの考察が今後の課題となってくるはずだ。

 作品が、というよりも、一群の作品の背後にある重層的な構造が「かくあるべし」と私たちに「語らせる」。構造が押しつけてくる方向づけからの脱却が可能かどうかは分からないが、それができたときに私たちはようやく「未来の鑑賞者」として、アフ・クリントの絵画の外側に立つことができるのだろう。

*13──港千尋『ヒルマ・アフ・クリント 色彩のスピリチュアリティ』(*3)、173頁。
*14──2025年5月より、アフ・クリントの植物研究に焦点を当てた展覧会がニューヨーク近代美術館で開催されている(2025年5月11日〜9月27日)。 Hilma af Klint : What stands behind the flowers https://www.moma.org/calendar/exhibitions/5779