2026.10.1

特別展「生誕140年記念 染織家 山鹿清華─宙翔ぶイマジネーション」(京都市京セラ美術館)開幕レポート。染織芸術のパイオニアの足跡を辿る

京都市の京都市京セラ美術館で、特別展「生誕140年記念 染織家 山鹿清華─宙翔ぶイマジネーション」が開幕した。会期は12月20日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

山鹿清華《星座・月・ロケット》(1958)手織錦、壁掛 京都市美術館
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 京都市の京都市京セラ美術館で、特別展「生誕140年記念 染織家 山鹿清華─宙翔ぶイマジネーション」が開幕した。会期は12月20日まで。

 明治から大正、昭和へと至る日本の染織史において、革新的な足跡を残した染織作家・山鹿清華(1885〜1981)。1900年に西陣の図案家に師事し、10年には神坂雪佳に師事した。自身で図案から織りまでを一貫して手がける「手織錦(ておりにしき)」を考案し、27年の帝展で特選を受賞。官展や日展での発表にとどまらず、祭礼装飾や奉納懸装品、さらには建築や豪華客船の室内装飾まで幅広く手がけ、69年には文化功労者に選ばれた。

 本展は、染織芸術のパイオニアである山鹿の仕事を回顧する、40年ぶりの大規模な回顧展である。会場はプロローグとエピローグを含む全6章で構成されている。

プロローグ「山鹿清華とはなにものか──《和蘭陀船》、志を乗せた出帆」

 京都の工芸界の第一線で活躍した山鹿であるが、1985年の「近代染織の創始者:山鹿清華」展以来、その全貌を総覧する機会は長らく失われていた。あらためて山鹿の創作世界を紹介する入り口となる本章では、27年、新設されたばかりの第8回帝展・美術工芸部門に出品され、満場一致で特選に選ばれた《和蘭陀船(おらんだぶね)》織の下絵が展示されている。10代から図案と絵画の双方で研鑽を重ねた山鹿が、作家としての評価を確固たるものとした記念すべき一作であり、その創作世界をひも解く導入となっている。

山鹿清華《和蘭陀船(織下絵)》(1927)紙に墨、鉛筆 京都市美術館

1章「指先で描く──手織錦の世界」

 山鹿の代名詞である「手織錦」は、自身によって名付けられた造語である。最大の要素は、図案の構想、下絵制作、糸の選定、そして織り上げに至るまでの全工程を作家ひとりが手がける点にある。色彩や糸の選択を自ら行い、従来の染織の概念を超えて織りの技法そのもので絵画的・立体的な表現をつくり出した点こそ、山鹿が「染織芸術のパイオニア」と呼ばれるゆえんのひとつだ。

山鹿が制作に用いた糸

 会場には、山鹿がのこした多種多様な糸も展示されている。山鹿にとって糸はたんなる素材ではなく、作品の質感や空間性を決定づける重要な表現要素であった。絹や綿といった天然繊維から、化学繊維、再生糸にいたるまで種類は多岐にわたり、通常の織物では用いられないものも取り入れられた。

山鹿清華《闘士カンガルー》(1960)手織錦、額 京都市美術館

 例えば《闘士カンガルー》(1960)には、その実験精神が顕著に表れている。ナイロン糸や透明なビニール紐などの異素材を織り込むことで、従来の糸だけでは表現できない力強い表面の凹凸を生み出している。別の展示室では、染織作家・蔵田和枝による同作の再現展示や制作過程の動画も紹介され、異素材が織り込まれていく実際のプロセスを深く理解できるよう工夫されている。

山鹿清華《星座・月・ロケット》(1958)手織錦、壁掛 京都市美術館

 また、高さ3メートルを超える大作《星座・月・ロケット》(1958)も圧巻だ。ロケットや噴煙のモチーフは横糸を主体に密に織り出されるいっぽう、周囲の星座群は縦糸の効果を用いて軽やかに表現されている。この織り方によるコントラストは、山鹿の卓越した織りの技術と造形感覚の賜物と言える。

2章「貪欲に学ぶ──日本画、図案、そして古裂の研究」

 本章は、山鹿の創作の源流を紐解く内容となっている。10代で日本画を河辺華挙に、織物図案を西田竹雪に学び、写生の基礎とデザインの素養を磨いた山鹿は、25歳のときに日本画家・図案家の神坂雪佳に入門する。絵画・工芸・デザインの領域を自在に横断した雪佳からの学びは、山鹿の創作に大きな影響を与えた。展示室には、雪佳の作品とともに、山鹿が若き日に描いた作品が並ぶ。

西陣織物館編集『綾錦』(全11巻より一部、1916〜25)京都市美術館

 さらに、山鹿が「座右の師」と仰ぎ終生研究を続けたのが「古裂(こぎれ)」である。当代の美術家や図案家が集い、名物裂を模写して木版で著した全34冊の豪華本『綾錦』プロジェクトにおいて、山鹿は描き手として参画しただけでなく、自蔵の古裂を提供するなど、14年間にわたり中心的な役割を果たした。

3章「躍動する手織錦──祭礼を彩る懸装品の競演」

 山鹿は、伝統的な祭礼空間を「手織錦」によって現代的に再生させる試みにも挑んだ。なかでも昭和期における祇園祭の山鉾装飾の復元・新調事業への貢献は大きい。本章では、日本の代表的な山車祭である「祇園祭」(京都)と「長浜曳山祭」(滋賀)を彩る山鹿の懸装品が紹介されている。

3章「躍動する手織錦──祭礼を彩る懸装品の競演」の展示風景

 祇園祭においては、水引、前懸、見送など計5点の懸装品を制作。菊水鉾(きくすいほこ)の水引制作をはじめ、1952年の再興期には、三輪晁勢、皆川月華・泰蔵、小林尚珉ら昭和の京都を代表する美術家・工芸家たちとともに制作を行った。

4章「時代を刻む──大陸の記憶、平和への希末」

 1981年に96歳で没した山鹿だが、生涯における海外渡航は二度に限られていた。そのうち一度が、1929年、香取秀真、二代伊東陶山、初代宮永東山、皆川月華ら工芸家とともに朝鮮半島から中国大陸を巡った約1ヶ月間の旅である。

山鹿清華《清晏舫図》(1930)手織錦、壁掛 京都国立近代美術館

 この旅で残された膨大なスケッチは、その後の山鹿の重要なモチーフ源となった。1930年の《清晏舫図(せいあんほうず)》はその結実の代表作であり、水面に映る影の繊細な揺らぎが多種多様な糸の質感を介して美しく表現されている。また、頤和園(いわえん)の名勝・万寿山を描いた《旭光万寿山》など、生涯にわたり繰り返し取り組んだ大陸のモチーフからは、異文化への敬意が読み取れる。

エピローグ「空間を彩る──社交場を飾るパノラマ」

 山鹿は、織物作品の制作にとどまらず、建築や大型船舶といった室内空間の装飾・デザインにも活動の幅を広げた。その代表例が、1939年に手がけた都ホテルの宴会場「稔りの間」の大壁画《豊穣》である。のちに染織作家として活躍する佐野猛夫や皆川泰蔵らを率いて制作された。果実や穀物を板絵で表現した本作は、織物とは異なる素材を用いた仕事のひとつ。壁画は1992年の改修時に解体されたが、本展では京都府および京都市美術館に収蔵されている実物の一部が展示されている。

山鹿清華《豊穣》(現存部分、1939)板に塗料、純金箔 京都府(京都文化博物館管理)、京都市美術館 背景画像提供=藤井健三
山鹿清華《大八洲図》(織下絵、一部、1939)紙に水彩 京都市美術館

 また、同ホテルの内装を手がけた建築家・村野藤吾との協働は、ほかのプロジェクトへも展開した。1939年竣工の南米航路の大型貨客船・初代「ぶらじる丸」において、村野が設計した一等ラウンジの出入口壁面を飾るため、山鹿は幅約12メートルの手織錦《大八洲図(おおやしまず)》を制作した。日本の自然を象徴する樹木や果実を織り出した大作であったが、1942年、太平洋戦争下の空母への改造中に沈没し現存していない。建築や船舶と一体となった空間装飾は、構造物の改修や失滅に伴って作品自体が消失する事例も少なくない。本章では、現存する資料や作品断片を通じ、山鹿が手がけた空間デザインの一部を展示している。

 本展は、山鹿清華が考案した「手織錦」の多様な表現にとどまらず、日本画や古裂研究に見られる創作の源泉から、建築・船舶の装飾まで、その多岐にわたる仕事を包括的に捉え直す機会となっている。従来の染織の枠を超えて領域を広げ続けたパイオニアの足跡と、その多角的な創作の全貌をたどることができるだろう。