2026.9.30

作曲家・武満徹とは何者だったのか? 水野蒼生×畠中実が語る、ジャンルを飛び越え創作に向き合った表現者の多面性

現代音楽の領域で国際的な評価を確立しながら、映画音楽や合唱曲、ポピュラーソングまで多様な作品を残した作曲家・武満徹。その没後30年の節目に、東京・渋谷のNHKホールで、NHK音楽祭関連企画「ASOBIBA TAKEMITSU〜まだ知らない、武満徹。〜」が開催される。「武満の音楽で、遊ぶ。」というコンセプトのもと、ジャンルを超えた表現者たちが新たな武満像を描き出す本公演。開催に先立ち、公演の音楽監督を務める水野蒼生(クラシカルDJ・作曲家・指揮者)と、畠中実(キュレーター・批評家)による対談が実現。武満徹の多面的な魅力と本公演の試みに迫る。

聞き手=大橋ひな子(編集部) 構成=近江ひかり 撮影=稲葉真

左から、水野蒼生、畠中実。NHKホールにて
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あらゆるジャンルを飛び越える

──武満徹は様々な音楽のジャンルを横断して活動を行ってきた、多面的な表現者だと思います。まずは武満は作曲家としてどのような活動をし、どう評価されてきたのかについて、お二人の考えをお聞かせください。

水野蒼生(以下、水野) 僕が武満徹という名前を初めて知ったのは中高生のときです。最初は「世界的作曲家」という認識でした。武満は、20世紀におけるクラシック音楽の最先端の形式のひとつであり、フランス音楽から影響を受けた「前衛音楽」と呼ばれるジャンルで世界的に評価されました。そのなかでもあらゆる音楽を分け隔てることなく、平等に扱いながら作品をつくってきた、まさに多面的で稀有な人だと思います。

畠中実(以下、畠中) 僕も中学生の頃に、教科書で知ったのが最初だったと思います。山田耕筰と並んで日本を代表する作曲家という位置づけで、代表作《ノヴェンバー・ステップス》(1967)や、和田誠による《武満徹自選映画音楽》(1980)などのレコードジャケットのイメージ(こちらは美術の教科書だったかもしれません)も印象的でした。

 武満が昭和という時代、そして日本を代表する現代作曲家になったのは、やはり《ノヴェンバー・ステップス》の存在が大きいと思います。邦楽(和楽器)と西洋音楽の合体という試みを、アメリカからの委嘱で成し遂げた。日本から始まり、西洋のものを取り込んで、伝統音楽と現代音楽を融合し、世界的に評価されたという経緯もあり、日本のみならず多くの人々の記憶に残っているのだと思います。

──当時、国内と海外での武満に対する評価には違いがあったのでしょうか?

水野 おそらくあったと思います。僕はその時代を生きていないので本で読んだ知識ですが、日本では《ノヴェンバー・ステップス》でブレイクする前から、映像作品を通して武満の名前にふれる機会が多かったはずです。とくに力を入れていたのが映画音楽で、黒澤明監督の映画はもちろん、大河ドラマやテレビCMの音楽まで幅広く担当していました。まず映像業界内での認知が絶対的なものとなり、そこから映画ファンなどにも評価が定着していった。同時並行で前衛音楽の領域でもキャリアを築き、《ノヴェンバー・ステップス》で世界へ飛び出していった。このような流れで武満は広く知られていったので、国内・海外での見られ方には多少違いがあったのではないかと。

畠中 武満はもともと美術や映画が好きで、それによって大変多くの映画音楽を手がけるようになったのだと思います。武満の映画音楽は本当にメロディーが良くて……もちろん前衛的な手法が使われたものもあるのですが、現代音楽の作曲家がつくったと言われなければ気づかないくらい、親しみやすいですよね。

 いっぽう、時代背景もあると思いますが、つねに同時代の新しいものにふれ、ミュージック・コンクレート(*1)作品をつくったり、図形楽譜(*2)を試したりと、新しい動向をひと通り実践していました。ジャズやブルースやシャンソンといった大衆音楽を含め、あらゆるものを取り入れて、最終的には無調から調性の音楽へ回帰していった。感度が非常に高く、様々なスタイルを吸収して、自分の作品として昇華し続けた人だったと感じます。

──武満が新しい文化や他ジャンルを取り込んでいくというスタイルをとっていた背景には、誰かからの影響があったのでしょうか? それとも、ほかにきっかけがあったのでしょうか?

水野 武満自身のルーツが特殊であった点は影響していると思います。「世界的なクラシック音楽の作曲家」と聞くと、幼少期からピアノを習い、音大を卒業して……というイメージを持ちますが、武満の出自はまったく違いました。

 音楽を始めたきっかけはピアノではなく、ラジオから流れてきたフランスのシャンソンに強い影響を受けたことだと語っています。東京藝術大学を志した時期もありましたが、最終的には受験をやめ、進学しませんでした。

 クラシックを専門とする作曲家は、クラシックを柱として他ジャンルを見る目線になりがちですが、そうではないからこそ、あらゆるジャンルを平等に扱うことができたのだと思います。枠組みを飛び越え「すべてのジャンルが等しく音楽だ」という強い思いを持っていたことが、作品からも伝わってきます。

本公演で音楽監督を務める水野蒼生

畠中 音大での専門教育を受けていないことが、良い意味で大きく影響しているのでしょうね。同世代の黛敏郎(まゆずみ・としろう)や一柳慧(いちやなぎ・とし)はフランスやアメリカの名門音楽大学へ留学していましたが、武満はそうしなかった。ほかと違う道を選べた背景には、武満なりの自信のようなものがあったのかもしれません。若い頃はピアノを持っておらず、ピアノの音が聞こえる家に「弾かせてくれませんか」と頼みに行っていたという、ある意味おおらかな性格も印象的です。のちに黛が武満にピアノを贈ったというエピソードも有名ですね。加えて、美術、文学、映画など、多様なジャンルとの同時代的なつながりを持っていたことも非常に重要だと思います。

*1──ミュージック・コンクレートとは、録音された具体音を素材に、それを加工、編集して制作される電子音楽の手法のひとつ。「具体音楽」とも言われる。
*2──図形楽譜とは、いわゆる音符によってではなく、図表、図柄、色彩、形態、文字など様々な視覚的指示によって表された楽譜。演奏者の解釈に委ねられる部分が大きく、演奏には不確定性が伴う。

ポピュラー音楽や映画音楽も取り入れる自由な創作スタイル

──武満が手がけた作品の特徴についておうかがいします。武満の作品には、《系図 Family Tree》(1992)のようにナレーションや詩がついているものもあります。この手法が生まれた背景をどう考えられますか? 当時としては革新的な手法だったのでしょうか?

水野 クラシック音楽の文脈でいうと、オペラのなかで朗読と音楽を組み合わせる「メロドラマ」という手法がモーツァルトの時代から存在しました。しかし《系図 Family Tree》などはそうした文脈とは異なり、まったく別のアイデアから出てきた革新的なものだと僕は考えています。

 直接的には、武満が数多くの劇伴音楽(劇中伴奏音楽)を手がけていたことが大きく影響しているのではないでしょうか。映像作品では音楽と同時にセリフや環境音が流れることが当たり前なので、朗読を重ねることに違和感がなかったのだと思います。

 また20世紀には、イーゴリ・ストラヴィンスキーの《兵士の物語》(1918)やセルゲイ・プロコフィエフの《ピーターと狼》(1936)といった朗読劇とオーケストラを組み合わせる作品も生まれていました。この時代の象徴的なスタイルであったとも言えます。

畠中 現代作曲家が前衛的な合唱曲を書いたり、詩人とコラボレーションしたりなど、様々な試みがあった時代ですね。武満の場合、《系図Family Tree》でも表れているように「音のある部分」と「音のない部分(沈黙)」の緊張関係を非常に重視しています。ジョン・ケージの「沈黙(というものが存在しない、耳が聴くあらゆる音が音楽であるという考え)」の影響も受けつつ、楽曲内の「音」と「沈黙」の対比やバランスを独特の緊張感として表現していました。《系図Family Tree》の楽譜では、長い休符のあいだに喋らせる指示があったり、厳密なタイミングが指定されている部分があったりと、音とセリフのあいだに緻密な緊張関係がつくり出されています。

水野 武満自身が、西洋的なビート感からの脱却を目指していたことは有名です。「1、2、3、4」と均等に刻む拍は自然界に存在しないという考えから、いかに自然な「間」をつくれるかを研究し、例えば楽譜上は4拍子になっていても「3拍目を少し早めて4拍目を長くする」といった細かな指示が書き込まれています。

──武満は図形楽譜のように演奏者にその表現方法を委ねる作品を手がけていた印象があったので、楽譜に細かく指示が書かれているのは意外です。演奏により異なる音楽が生まれることについてどう考えていたのでしょうか?

畠中 図形楽譜は、演奏者の解釈に大きく依拠する作品のため、演奏ごとに表現が異なる音楽になります。武満が作曲した、青・赤・黄・灰・白の5色の正方形を用いた図形楽譜の作品《ピアニストのためのコロナ》(1962)では、パラメータの設定は武満が担当したいっぽう、楽譜化(グラフィックデザイン)をしたのは杉浦康平で、デザイナーとのコラボレーションによる作品です。

 しかし、武満はずっと非決定性・不定形な音楽だけに傾倒していたわけではありません。1960〜70年代は海外の現代音楽のトレンドである図形楽譜やミュージック・コンクレートを追う傾向が強かったのですが、80年代以降は様式に縛られず、ポピュラー音楽や映画音楽の要素も取り込み、より自由な感覚で制作するようになっていきました。

キュレーター・批評家の畠中実

水野 なぜ80年代以降、海外の形式や動向を追うことに縛られなくなったのでしょうか?

畠中 1970年の大阪万博が大きな転換点になったと言われています。万博では、同時代の電子音楽やテクノロジー・アートが紹介され、カールハインツ・シュトックハウゼンやヤニス・クセナキスといった海外の巨匠が数多く集まり、武満も鉄鋼館でスペースシアターの音楽監督を務めたり、フランソワ・バシェの音響彫刻を用いた作品《シーズンズ》(1970)を手がけました。しかし次第に、日本の作家たちはそうしたテクノロジーに対する反動や自己批判の念を抱きはじめ、電子音楽と距離を置くようになっていきます。評論家の秋山邦晴も「万博以降、日本の作曲家はコンピュータの可能性を追うのをやめてしまった」と指摘しています。

 また、NHKの電子音楽スタジオも、電子音を合成する作曲手法自体が同時代的ではなくなり、80年代から発表される作品が減少したことで、99年に閉鎖しました。電子音楽でも、坂本龍一のように、アカデミズムを出自としながらポピュラー音楽の領域で活動する音楽家が登場するようになりました。

「もしいま武満が生きていたら」から始まる新しい表現

──次に、本公演についてもうかがいます。「武満の音楽で、遊ぶ。」というコンセプトを掲げ、従来のクラシックコンサートとは異なるかたちで制作される本公演の、狙いや今回音楽監督を務める水野さんの思いを聞かせてください。

水野 今年の春頃にNHKから「武満の没後30周年に向けて少し風変わりな企画をやれたら」とお話をいただいたのがきっかけでした。僕が主宰する「水野電氣交響楽団」は、弦楽カルテット、ドラム、さらにリアルタイムで音響や声を加工するダブワイズなどを備えた10人編成の現代的なオーケストラなのですが、本公演のプロデューサーの方が以前僕のライブに来てくださったことがあり、ゲストアーティストたちのバックバンドとして参加してほしいとご提案いただきました。

 僕にとって武満徹は伝説的な存在なので、当初は恐れ多く感じる部分もあったのですが、ご遺族の武満真樹さんとNHKの両者で考えたという「ASOBIBA TAKEMITSU」というタイトルを聞いてすごく救われたんです。「『遊び場』なら、武満の音楽で遊んでもいいんだ」と自由になれた気がして、ぜひ挑戦したいと思いました。現代のポップカルチャーのサウンドに当てはめて武満作品をリコンポーズ(再構成)し、ゲストの魅力を引き出していきたいと考えています。

NHK 音楽関連企画 武満徹没後30年「ASOBIBA TAKEMITSU」~まだ知らない、武満徹。~のメインビジュアル

──本公演は90分間のステージで展開されます。具体的にはどのような作品になるのでしょうか?

水野 演出家の小栗了さんが入ってくださっていることもあり、曲ごとに途切れるライブではなく、90分間で1本のシームレスな「ショー」にしたいと考えています。僕自身、クラシカルDJとしてノンストップな空間と音楽をデザインしてきた経験があるので、そうした強みを活かせると思っています。

左から、畠中実、水野蒼生。「武満がいま生きていたら」について語る様子

畠中 この企画を聞いたとき、2005年頃にイギリスで開催された「Playing John Cage」(*3)という展覧会を思い出しました。「Playing(演奏する/遊ぶ)」を掛け合わせた企画名で、様々な音楽家やアーティストが、ジョン・ケージの思想からインスピレーションを受けた作品を発表したものです。

 「ASOBIBA(遊び場)」というのは非常に良いタイトルですよね。一見、物故作家の作品で「遊ぶ」と聞くと怒られそうですが、もし武満が生きていたら、若い世代の作家や演奏家と一緒に「遊びたがった」と思うんです。生前にかなえられなかった「一般の人や若い世代と音楽でつながりたい」という思いをかなえるような意味合いもあるのではないでしょうか。

水野 今回取り上げる全8曲の楽曲をどうアレンジするか悩んでいたとき、武満が石川セリとつくったアルバム『翼~武満徹ポップ・ソングス』(1995)に勇気をもらいました。武満によって選ばれた様々なアレンジャーが、ジャンルの枠を越えて楽曲を書き換えている点が印象的です。

 もし武満がいま生きていたら、絶対に最新のサウンドや新しいジャンルに興味をもっていたと思います。そこで今回は、時代を経て進化してきた21世紀のビートやコード進行も取り入れ、「2026年の武満サウンド」としてアップデートするつもりでアレンジを進めています。つねにジャンルを超えて新しいことに挑戦してきた武満と、いまを生きる僕たちのコラボレーションをぜひ楽しんでいただきたいです。

*3──アーノルフィニ・ギャラリー(イギリス・ブリストル)で2005年11月4日〜06年1月14まで開催。キュレーターはデイヴィッド・トゥープ。