作曲家・武満徹とは何者だったのか? 水野蒼生×畠中実が語る、ジャンルを飛び越え創作に向き合った表現者の多面性
現代音楽の領域で国際的な評価を確立しながら、映画音楽や合唱曲、ポピュラーソングまで多様な作品を残した作曲家・武満徹。その没後30年の節目に、東京・渋谷のNHKホールで、NHK音楽祭関連企画「ASOBIBA TAKEMITSU〜まだ知らない、武満徹。〜」が開催される。「武満の音楽で、遊ぶ。」というコンセプトのもと、ジャンルを超えた表現者たちが新たな武満像を描き出す本公演。開催に先立ち、公演の音楽監督を務める水野蒼生(クラシカルDJ・作曲家・指揮者)と、畠中実(キュレーター・批評家)による対談が実現。武満徹の多面的な魅力と本公演の試みに迫る。

あらゆるジャンルを飛び越える
──武満徹は様々な音楽のジャンルを横断して活動を行ってきた、多面的な表現者だと思います。まずは武満は作曲家としてどのような活動をし、どう評価されてきたのかについて、お二人の考えをお聞かせください。
水野蒼生(以下、水野) 僕が武満徹という名前を初めて知ったのは中高生のときです。最初は「世界的作曲家」という認識でした。武満は、20世紀におけるクラシック音楽の最先端の形式のひとつであり、フランス音楽から影響を受けた「前衛音楽」と呼ばれるジャンルで世界的に評価されました。そのなかでもあらゆる音楽を分け隔てることなく、平等に扱いながら作品をつくってきた、まさに多面的で稀有な人だと思います。
畠中実(以下、畠中) 僕も中学生の頃に、教科書で知ったのが最初だったと思います。山田耕筰と並んで日本を代表する作曲家という位置づけで、代表作《ノヴェンバー・ステップス》(1967)や、和田誠による《武満徹自選映画音楽》(1980)などのレコードジャケットのイメージ(こちらは美術の教科書だったかもしれません)も印象的でした。
武満が昭和という時代、そして日本を代表する現代作曲家になったのは、やはり《ノヴェンバー・ステップス》の存在が大きいと思います。邦楽(和楽器)と西洋音楽の合体という試みを、アメリカからの委嘱で成し遂げた。日本から始まり、西洋のものを取り込んで、伝統音楽と現代音楽を融合し、世界的に評価されたという経緯もあり、日本のみならず多くの人々の記憶に残っているのだと思います。
──当時、国内と海外での武満に対する評価には違いがあったのでしょうか?
水野 おそらくあったと思います。僕はその時代を生きていないので本で読んだ知識ですが、日本では《ノヴェンバー・ステップス》でブレイクする前から、映像作品を通して武満の名前にふれる機会が多かったはずです。とくに力を入れていたのが映画音楽で、黒澤明監督の映画はもちろん、大河ドラマやテレビCMの音楽まで幅広く担当していました。まず映像業界内での認知が絶対的なものとなり、そこから映画ファンなどにも評価が定着していった。同時並行で前衛音楽の領域でもキャリアを築き、《ノヴェンバー・ステップス》で世界へ飛び出していった。このような流れで武満は広く知られていったので、国内・海外での見られ方には多少違いがあったのではないかと。
畠中 武満はもともと美術や映画が好きで、それによって大変多くの映画音楽を手がけるようになったのだと思います。武満の映画音楽は本当にメロディーが良くて……もちろん前衛的な手法が使われたものもあるのですが、現代音楽の作曲家がつくったと言われなければ気づかないくらい、親しみやすいですよね。
いっぽう、時代背景もあると思いますが、つねに同時代の新しいものにふれ、ミュージック・コンクレート(*1)作品をつくったり、図形楽譜(*2)を試したりと、新しい動向をひと通り実践していました。ジャズやブルースやシャンソンといった大衆音楽を含め、あらゆるものを取り入れて、最終的には無調から調性の音楽へ回帰していった。感度が非常に高く、様々なスタイルを吸収して、自分の作品として昇華し続けた人だったと感じます。
──武満が新しい文化や他ジャンルを取り込んでいくというスタイルをとっていた背景には、誰かからの影響があったのでしょうか? それとも、ほかにきっかけがあったのでしょうか?
水野 武満自身のルーツが特殊であった点は影響していると思います。「世界的なクラシック音楽の作曲家」と聞くと、幼少期からピアノを習い、音大を卒業して……というイメージを持ちますが、武満の出自はまったく違いました。
音楽を始めたきっかけはピアノではなく、ラジオから流れてきたフランスのシャンソンに強い影響を受けたことだと語っています。東京藝術大学を志した時期もありましたが、最終的には受験をやめ、進学しませんでした。
クラシックを専門とする作曲家は、クラシックを柱として他ジャンルを見る目線になりがちですが、そうではないからこそ、あらゆるジャンルを平等に扱うことができたのだと思います。枠組みを飛び越え「すべてのジャンルが等しく音楽だ」という強い思いを持っていたことが、作品からも伝わってきます。

畠中 音大での専門教育を受けていないことが、良い意味で大きく影響しているのでしょうね。同世代の黛敏郎(まゆずみ・としろう)や一柳慧(いちやなぎ・とし)はフランスやアメリカの名門音楽大学へ留学していましたが、武満はそうしなかった。ほかと違う道を選べた背景には、武満なりの自信のようなものがあったのかもしれません。若い頃はピアノを持っておらず、ピアノの音が聞こえる家に「弾かせてくれませんか」と頼みに行っていたという、ある意味おおらかな性格も印象的です。のちに黛が武満にピアノを贈ったというエピソードも有名ですね。加えて、美術、文学、映画など、多様なジャンルとの同時代的なつながりを持っていたことも非常に重要だと思います。
*1──ミュージック・コンクレートとは、録音された具体音を素材に、それを加工、編集して制作される電子音楽の手法のひとつ。「具体音楽」とも言われる。
*2──図形楽譜とは、いわゆる音符によってではなく、図表、図柄、色彩、形態、文字など様々な視覚的指示によって表された楽譜。演奏者の解釈に委ねられる部分が大きく、演奏には不確定性が伴う。








