• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」(ヒカリエホール)…
2026.8.5

「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」(ヒカリエホール)開幕レポート。歴史の表舞台から見落とされてきた多様な写真表現に光を当てる

東京・渋谷のヒカリエホールで「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」が8月26日まで開催中。会場の様子をレポートする。

文・撮影=三澤麦(編集部)

第1章「『写真』をめぐる冒険──想像力を解き放て!」の展示風景
前へ
次へ

 東京・渋谷のヒカリエホールで、日本の女性写真家30名を紹介する展覧会「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」が8月26日まで開催されている。キュレーションを担当するのは竹内万里子(批評家・作家/京都芸術大学教授)。

 本展は、南フランスで開催された「アルル国際写真フェスティバル」を皮切りとする国際巡回展だ。1950年代から今日まで、写真表現の世界で重要な役割を果たしてきた女性写真家たち。そこに光を当てることで、日本の写真史を新たな角度から捉え直し、その豊かさを見つめ直す機会となっている。

 凱旋展となる日本会場では、新たに4名の写真家が加わった。会場にはインスタレーション、コラージュ、映像など、「写真」という既存の枠組みを超える作品約200点が一堂に集結。記憶、身体、日常、ジェンダーなど、彼女たちが注いできたまなざしと表現の軌跡を4つの章で紐解いている。

 出展作家は、石内都、石川真生、今井壽惠、岩根愛、潮田登久子、岡上淑子、岡部桃オノデラユキ片山真理川内倫子、小松浩子、今道子、澤田知子、志賀理江子、杉浦邦恵、多和田有希、常盤とよ子、長島有里枝、楢橋朝子、西村多美子、蜷川実花野口里佳野村佐紀子、原美樹子、ヒロミックス、藤岡亜弥、やなぎみわ、山沢栄子、米田知子、渡辺眸。

「写真」をめぐる冒険──想像力を解き放て!

 まず第1章となる「『写真』をめぐる冒険──想像力を解き放て!」では、今井壽惠、岡上淑子、オノデラユキ、小松浩子、今道子、杉浦邦恵、多和田有希、蜷川実花、山沢栄子らの作品が紹介されている。

「『写真』をめぐる冒険──想像力を解き放て!」の展示風景。山沢栄子や杉浦邦恵の作品が並ぶ

 冒頭を飾るのは、日本の女性写真家のパイオニアとして知られる山沢栄子(1899〜1995)だ。いまからおよそ100年前、貨物船でアメリカ・カリフォルニア州へ渡り写真と出会った山沢。彼女を起点とするこの100年を「日本の女性写真家によるひとつの歴史的時間軸」と捉えることが、本展の骨組みとなっている。

オノデラユキによる「古着のポートレート」シリーズ
写真という枠組みを超えた多様なアプローチが目立つ

 また、作家たちの実験精神あふれる表現が数多く並ぶのも本章の見どころだ。フォトグラムやコラージュから、プロジェクション、大型インスタレーションまで、写真というメディアが持つ多様な表現とその広がりを目の当たりにすることができる。とくに、ヒカリエホールの天井高のある空間をダイナミックに生かした小松浩子のインスタレーションは、「写真を鑑賞する」という受け身の行為に揺さぶりをかけている。

蜷川実花の作品としては珍しいモノクロームのシリーズ「Dancing with Shadows in the Light」(2024)

「記録と記憶」をめぐる冒険──目に見えないものに向かって

 続く第2章「『記録と記憶』をめぐる冒険──目に見えないものに向かって」では、石内都、石川真生、岩根愛、志賀理江子、常盤とよ子、西村多美子、米田知子、藤岡亜弥、渡辺眸らの作品が登場。現実の記録にとどまらず、「目に見えるもの」を通じて「目に見えない感情や空気」に向き合おうとした写真家たちが並ぶ。

第2章「『記録と記憶』をめぐる冒険──目に見えないものに向かって」の展示の様子。左壁面には石内都による作品群が並ぶ
石川真生「アカバナー」シリーズ(1975〜77)

 印象的なのは、石川真生(1953〜)と渡辺眸(1939〜)のまなざしだ。 沖縄出身の石川は、沖縄返還協定をめぐる機動隊とデモ隊の衝突をきっかけにカメラを手にした。基地の街のバーで働きながら、そこで生きる女性たちのたくましさと黒人米兵たちの姿を捉えた「アカバナー」シリーズには、血の通った人間模様が見て取れる。

渡辺眸「東大全共闘」シリーズ(1968〜72)

 いっぽう東京出身の渡辺は、1960年代後半の激動の「政治の季節」に新宿の街へ繰り出した。そこで遭遇したデモをきっかけに学生運動に関心を持ち、東大全共闘のバリケード内への立ち入りを唯一許可された写真家として、活動家らとともに過ごしながらシャッターを切り続けた。

 ふたりに共通するのは、被写体の「外側」からではなく「内部」に飛び込み、同じ地平に立っている点だ。そこに横たわるのは、交流と信頼関係の確かさだろう。被写体が見せる表情や空間からは、記録された出来事以上の雄弁なドラマが立ち上がっている。誰もがスマホで簡単に撮影できる時代だからこそ、彼女たちが時間をかけて構築した関係性の大切さが身にしみる。

「女性」をめぐる冒険──ジェンダー、身体、セクシュアリティ

 第3章「『女性』をめぐる冒険──ジェンダー、身体、セクシュアリティ」では、岡部桃、片山真理、澤田知子、長島有里枝、野村佐紀子、やなぎみわを紹介。ジェンダーや身体をめぐる問題に対して、様々な角度から切り込む作品群が並ぶ。

左は、第3章「『女性』をめぐる冒険──ジェンダー、身体、セクシュアリティ」のトップバッターを飾るやなぎみわの作品

 本章のトップバッターを飾るやなぎみわ(1967~)の2点組《案内嬢の部屋 1F》(1997)は、制服姿の案内嬢たちがショーウィンドウに整列する写真と、全員が中央に倒れ、代わりに切花が飾られている写真が並べられている。女性が消費される記号として扱われるいびつさを、風刺的にとらえた作品だ。

手前は澤田知子による「OMIAI♡」シリーズ(2001)

 また、鑑賞者を巻き込む澤田知子(1977〜)のアプローチも面白い。自身が30人の異なる人物に扮して撮影したお見合い写真シリーズ「OMIAI♡」(2001)のエリアには、観客が「誰の印象が良かったか」を投票するコーナーが設置されている。一票を投じようとした瞬間、無意識に「選ぶ側」として品定めしている自分にハッとさせられるのだ。すべて同一人物であるにもかかわらず、外見という表面的な情報だけで内面を推し量ってしまう無意識の偏見を突きつけられる。

 「女らしさ」「男らしさ」という二項対立やルッキズムが根強く残る社会で、女性の身体と真摯に向き合ってきた彼女たちの仕事は、悲しくもいまなお強い切実さをもって響いてくる。

「日常」をめぐる冒険──見過ごされてきた風景の中で

 最終章となる「『日常』をめぐる冒険──見過ごされてきた風景の中で」では、潮田登久子、川内倫子、楢橋朝子、野口里佳、原美樹子、ヒロミックスらを紹介している。目まぐるしい日々を生きる現代人にとって「冒険」はやや遠い言葉に思えるかもしれない。しかし、日常にじっと目を凝らし、そこに新たな意味を見出すことも写真の持ち味と言える。

潮田登久子による「冷蔵庫」シリーズ

 潮田登久子(1940~)の「冷蔵庫」シリーズには、決して整理されているわけではない、生々しい生活の痕跡が見て取れる。そこには住人の暮らしの息づかいや密やかなルールがにじみ出ており、他人の家庭でありながらどこか懐かしさを覚える作品だ。

川内倫子による映像作品《illuminance》(2001~26)

 また、川内倫子(1972~)は今回《illuminance》(2001~26)という映像作品を出品している。ふたつのスクリーンに映し出されるのは、一見無関係でありながらもどこか関連性のあるイメージだ。川内作品ならではの柔らかく透明感のある光に包まれていると、まるで自分の感覚までその場所へトリップしていくような、不思議な心地よさと好奇心に満たされる。

山沢栄子を起点とする日本女性写真家の100年年表
1940年3月号『フォトタイムス』「カメラに生きる女性」より、山沢栄子の写真

 「日本女性写真家」というタイトルを目にして、「わざわざ『女性』と枠にはめる必要があるのか」と一瞬引っかかりを覚える人もいるかもしれない。しかし本展が提示しているのは、決して画一的な「女性ならではの繊細な表現」といったステレオタイプではない。

 本展が伝えるのは、「女性」というラベルによって歴史の表舞台から見落とされかけてきた、表現の豊かさそのものだ。そして「女性写真家」という言葉をあえて掲げなければならない現状は、社会が未だ発展途上にあり、過渡期にあることの表れでもあるのだろう。写真家たちの冒険に満ちたまなざしは、我々の現在地をも示唆しているようだ。