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2026.7.11

「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」展(国立西洋美術館)開幕レポート。レンブラントが追求した銅版画の可能性とその影響をたどる

東京・上野の国立西洋美術館で、レンブラント・ファン・レイン(1606〜69)の銅版画に焦点を当てる展覧会「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が開幕した。会期は9月23日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

レンブラント・ファン・レイン《書斎の学者(ファウスト)》(1652頃)エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館
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 東京・上野の国立西洋美術館で、レンブラント・ファン・レイン(1606〜1669)の銅版画に焦点を当てた展覧会「版画家レンブラント 挑戦、継承、インパクト」が開幕した。会期は9月23日まで。担当は同館研究員の中田明日佳。

 本展は、誰もが知る17世紀オランダを代表する画家、レンブラント・ファン・レインの「版画家」としての側面に光を当てるもの。オランダ・アムステルダムのレンブラント・ハウス美術館と国立西洋美術館が所蔵する銅版画を中心に紹介し、その表現の豊かさを紹介するとともに、様々な後進作家の実作を展示することで後世への影響についても考察できる展覧会だ。

左から、エドメ=フランソワ・ジェルサン『レンブラント全作品のカタログ・レゾネ』(1751)、アダム・フォン・バルチュ『レンブラントおよび主要模倣者による全版画作品のカタログ・レゾネ』(1797)。18世紀半ばよりレンブラント版画の収集熱が高まった。初のカタログ・レゾネはジェルサンにより編纂された

レンブラントの創作の軌跡を版画から知る

 本展の中心に据えられるレンブラントは1606年、オランダ・ライデン生まれ。69年没。製粉業を営む裕福な家庭で育ち、ライデン大学に進学するも、数ヶ月で退学し画家の道を志す。イタリアでの留学経験をもつ画家ヤーコプ・ファン・スワーネンブルフに学んだのち、24年にアムステルダムに出て、著名な歴史画家ピーテル・ラストマンに師事。同年にライデンに戻って工房を構え、18歳で画家として独立する。ライデンでは兄弟子のヤン・リーフェンスと切磋琢磨し、しばしば共同制作を行うこともあった。31年にアムステルダムに移住。50年代にかけて画家として全盛期を迎えるも、晩年は初期の細やかな筆運びから一転し、油絵具の厚塗りにより立体感のある、光をまとった画風へと移行していった。

 会場は、第1章「レンブラント、版画の挑戦」、第2章「受け継がれる遺産─17-18世紀」、第3章「世紀を超えるインパクト─19-20世紀」の3部構成となっている。また第1章では5つのキーワードが設定され、レンブラントの版画への理解を深めることができるようになっている。

壁面左から、ヘンドリク・ホルツィウス、コルネーリス・コルネーリスゾーン・ファン・ハールレムにもとづく《竜に噛まれるカドモスの部下》(1588)エングレービング、ヤン・ファン・ドゥーテクムおよびリュカス・ファン・ドゥーテクム、ピーテル・ブリューゲル(父)にもとづく《大風景画:深い谷のあるアルプスの風景》(1555-56頃)エッチング、エングレーヴィング ともに国立西洋美術館。手法の違いを知ることができる参考出展作品。ケース内は銅版画の素材や道具等の資料

 本展を見るうえで知っておきたいのが銅版画の基礎知識としての「エッチング」と「ドライポイント」だ。「エッチング」は銅版に塗った防蝕剤をニードルで剥がし、薬品でその溝を溶かすことで版をつくる技法で、スケッチやドローイングのような自然な線を表現することができる。いっぽうの「ドライポイント」は、薬品を用いずに直接銅版を「ニードル」と呼ばれる鉄筆で引っかくことで、傷の周囲が盛り上がりにじみが生まれるという技法だ(なお、同様に銅版を直接削る手法に「エングレービング」がある。「ビュラン」という彫刻刀を用いて削り取った部分を綺麗に除去するので、ドライポイントとは異なるシャープではっきとした線を刷ることが可能)。レンブラントはこの2つの手法を巧みに使い分け、作品に豊かな表現を与えたことで知られている。会場では、双方の手法の実演動画や道具、実作を展示するセクションも、章とは別に設けられている。まず始めにこれを見ることで、展示作品への理解がより深まるはずだ。

第1章「レンブラント、版画の挑戦」

 第1章の1-1「肖像と頭部習作」は、レンブラントがエッチングに取り組み始めた1625年頃から晩年に至るまでの肖像画や自画像を紹介している。ここでは、レンブラントがエッチング技術の習熟のために制作した自画像や近親者の肖像などが展示されている。とくにレンブラントは、自身の驚いた顔や笑った顔といった様々な表情を作品に残しており、人間の表情を豊かに表現することに強い興味をもっていたことが示されている。

レンブラント・ファン・レイン《自画像、口を開けた顔》(1630)エッチング レンブラント・ハウス美術館。ほかにもレンブラントは様々な表情の自画像を制作した
左から、レンブラント・ファン・レイン《木製の義足をつけた貧窮者》(1630頃)エッチング、《ヒョウタンを持つ貧窮女性》(1629頃)エッチング ともにレンブラント・ハウス美術館。都市に生きる貧しい人々の姿をレンブラントは積極的に画題とした

 1-2「社会的周縁者と庶民たち」は、レンブラントがモチーフに注いだ眼差しの所以を検証。レンブラントが活躍した17世紀のオランダでは、女性たちの日常や娼館、祝祭の風景などを描いた風俗画が流行した。レンブラントもエッチングの技術習得の過程で、旅回りの楽師、行商人、無宿者といった社会の周縁にある人々をモチーフにしている。当時の都市に生きる人々の細かな仕草や表情を写し取ろうというレンブラントの眼差しからは、生きた人間のリアリティに切迫したいという熱意が見て取れる。

レンブラント・ファン・レイン《百グルデン版画》(1648頃)和紙にエッチング、ドライポイント、ビュラン 国立西洋美術。当時の一般的な労働者の数ヶ月分の給与に匹敵する100グルデンで取引きされたため、このような画題で呼ばれるようになった

 1-3「宗教主題」では、レンブラントが数多く手がけたキリスト教主題の作品群を紹介している。本セクションでとくに注目したい作品は《百グルデン版画》(1648頃)だろう。病人を癒すキリストの姿を描いた本作は、エッチング、ドライポイント、エングレービングといった手法が巧みに組み合わされており、レンブラントが銅版画で試みようとした豊かな表現が結実している作品といえる。キリストが放つ光によって生み出された影の部分には、ドライポイントによるにじみが効果的に使われており、陰影の豊かな階調が生まれている。また、こうしたインクの階調を忠実に写し取るために、日本から輸入された和紙が使用されているところも見逃せない。しばし、陰影の画家と評されるレンブラントだが、銅版画というメディアにおいてもそのこだわりは徹底していた。

レンブラント・ファン・レイン《カーテンの前に座る裸の男》(1646)エッチング。弟子たちとともスケッチをしながら即興的に制作されたと考えられている

 1-4「銅版上のスケッチ」では、銅板をスケッチブックのように用いて制作した習作風の作品を展示している。筆運びのような自然な線を表現できるエッチングを用いることで、レンブラントは即興的な線の表現を生み出していった。《カーテンの前に座る裸の男》(1646)は、弟子たちが裸体習作をする傍らで制作されたと目されており、即興的なスケッチをするように銅版に生き生きとした線が刻み込まれていたことがうかがえる。

 1-5「風景」はレンブラントの風景を主題とした銅版画を紹介。1640年代前半と、40年代末から50年代初頭のふたつの時期に、レンブラントは風景主題のエッチングを制作した。エッチングならではの自由な描線が、例えば山の稜線や草木の柔らかさなどの表現に寄与していることがわかるはずだ。

第2章「受け継がれる遺産─17-18世紀」

 第2章「受け継がれる遺産─17-18世紀」では、レンブラントの銅版画がその後の時代においてどのように受容され、再評価されていったのかをたどる。

 17世紀の時点では、レンブラントの弟子たちにおいても銅版画に積極的に取り組む者は少なく、その再評価は限定的だった。しかし、18世紀に入り、とくにドイツの芸術家たちを中心にレンブラントを模倣したり、未完成作品を「完成」させる動きが見られた。会場ではレンブラントの実作と影響を受けた作品が並べられて数多く展示されており、関係性がわかりやすく提示される。例えば18世紀におけるレンブラントの模倣者として代表的な存在であるゲオルグ・フリードリヒ・シュミット(1758)は、レンブラントの《窓辺でエッチングを制作する自画像》(1648)を着想源に自画像《窓の蜘蛛を伴う自画像》(1758)を描いた。大まかな構図をレンブラント作に則りながら、窓の蜘蛛や机の上の小道具といった演出を加えているところが興味深い。

左から、レンブラント・ファン・レイン《窓辺でエッチングを制作する自画像》(1648)、ゲオルグ・フリードリヒ・シュミット《窓の蜘蛛を伴う自画像》(1758)

 また、18世紀の出版印刷の歴史においても、レンブラントの人気をうかがうことができる。18世紀なかばに編纂されたレンブラントの銅版画の最初のカタログ・レゾネ(解題つき全作品目録)は高い人気を博し、影響を受けた後続の出版を促した。

第3章「世紀を超えるインパクト─19-20世紀」

 第3章「世紀を超えるインパクト─19-20世紀」では、19〜20世紀における、レンブラントの銅版画の影響を知ることができる章だ。

左から、レンブラント・ファン・レイン《ライオン狩り(大)》(1641)、フランシスコ・デ・ゴヤ《〈闘牛技〉5:勇壮なモーロ人ガスールは、規則に従って牡牛を槍で突いた最初の男》

 レンブラントの銅版画があまり知られてこなかったスペインでは、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828)が知人のコレクションなどに含まれていたレンブラントのエッチングを研究し、自身の版画作品に反映させていった。

左から、アドルフ・マルシアル・ポテモン《腐蝕銅版画家協会本部》(1864)エッチング 個人蔵、ジュール・ジャックマール《『腐蝕銅版画家協会集:近代の銅版画』第1集扉(エッチングのめざめ)》(1863)エッチング 町田市立国際版画美術館。エッチングの価値向上に大きな役割を果たした腐蝕銅版画家協会の隆盛を伝える資料

 また、19世紀のフランスでもエッチングが高く評価されるようになる。エングレービングのようなイメージの複製とは異なり、自由度の高い線描の表現が可能なエッチングは、作家性を発揮できる表現として再発見された。1862年、「芸術としてのエッチングの普及」を目的として、パリにて「腐蝕銅版画家協会」が設立。協会と、協会を支持するフランスの批評家たちは、レンブラントを「芸術としてのエッチング」を象徴する存在として評価し、そのエッチングの表現の豊かさや、刷りまでの工程を自らが担ってその芸術性を追求する姿勢がひとつの目標とされた。

レンブラント・ファン・レイン《書斎の学者(ファウスト)》(1652頃)エッチング、ビュラン、ドライポイント 国立西洋美術館
シャルル・ブラン『レンブラント全作品の記述と注釈』(1873)レンブラント・ハウス美術館。レンブラントの当時判明していた全版画と絵画作品が収録されていたカタログレゾネ 

 レンブラントが1652年頃に制作した《書斎の学者(ファウスト)》は、主題に見られる幻影や、添えられた意味深長なテキストなどから、世紀をまたいで様々に解釈され、人々の想像力を掻き立ててきた作品だ。例えば18世紀にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749〜1832)が本作を所有しており、戯曲『ファウスト』(1808)の着想源にもなった。さらに19世紀以降も、エッチングの再評価とともに多くの人に愛好される作品であり続けた。

アルベルト・ジャコメッティ《左:〈セザンヌ夫人の肖像〉の模写、右:レンブラント〈窓辺でエッチングを制作する自画像〉の模写》(1956)紙に鉛筆 国立西洋美術館。ジャコメッティはレンブラントを尊敬しており多くの模写を残した

 続く20世紀になっても、レンブラントの版画はアンリ・マティス(1869〜1954)、パブロ・ピカソ(1881〜1973)、アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66)といった芸術家たちに影響を与え、模写されたり、作品の着想源になっていった。

 本展の魅力は、レンブラントという著名な画家が版画に傾けた情熱を知ることができるだけではない。その創作を受容する風土を育んだ17世紀オランダの社会や、銅版画の可能性を信じた作家たちの創意工夫などが、豊富な作品群から読み取れる。版画というメディアが持っていた可能性を改めて教えてくれる機械であるとともに、今後の版画の見方に新たな射程を与える展覧会と言えるだろう。