2026.6.25

「ケニー・シャーフ&キース・ヘリング:K!K!」(中村キース・ヘリング美術館)開幕レポート。80年代ニューヨークシーンがいまに伝えるもの

山梨県北杜市の中村キース・ヘリング美術館で、1980年代のニューヨーク・アートシーンを牽引したケニー・シャーフとキース・ヘリングに焦点を当てた展覧会「ケニー・シャーフ&キース・ヘリング:K!K!」が開幕した。会期は2027年5月16日まで。会場をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

ケニー・シャーフの近作の展示。手前がケニー・シャーフ《BUMAMA》(1986/2021)
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 山梨県北杜市の中村キース・ヘリング美術館で、1980年代のニューヨークのアートシーンを牽引したケニー・シャーフ(1958〜)とキース・ヘリング(1958〜90)、ふたりのアーティストに焦点を当てた展覧会「ケニー・シャーフ&キース・ヘリング:K!K!」が開幕した。会期は2027年5月16日まで。

80年代ニューヨークで活躍した2人のアーティスト

 本展は1978年に出会い、公私ともに交流を深めたシャーフとヘリングの二人展。シャーフ自らが展示構成に携わり、同館のコレクションを基盤に、これまで十分に紹介されてこなかった共同プロジェクトや相互の影響関係に光を当てるものだ。

中庭での展示風景、左がキース・ヘリング《無題(アーチ状の黄色いフィギュア)》 (1985)、右奥が《無題(輪になった人物)》(1987)

 キース・ヘリングは1958年アメリカ・ペンシルベニア州生まれ。78年にニューヨークへ移り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツに入学。80年より「サブウェイ・ドローイング」と称した、地下鉄構内の黒い紙が貼られて使われていない広告板に白いチョークで描くグラフィティ・アートを開始。82年、ソーホーの大手画廊、トニー・シャフラジでのデビューを契機に躍進し、同年、24歳の若さでドクメンタ7(カッセル、ドイツ)に参加。続いて83年にホイットニー・ビエンナーレ、84年に第41回ヴェネチア・ビエンナーレに出展した。「アートはみんなのもの」をモットーに自ら作品の商品化を進め、86年、オリジナルグッズを販売する「ポップショップ」をニューヨークに開店。88年にエイズ感染の診断を受け、その翌年、恵まれない子供たちへの基金やHIV・エイズ予防啓発運動継続のため、キースへリング財団を設立。90年に31歳で亡くなるまで、アート活動を通してHIV・エイズ予防を呼びかけた。

ケニー・シャーフ、会場にて。横はキース・ヘリングに思いを馳せたシャーフの新作《Sky High Baby》(2026)

 いっぽうのケニー・シャーフは1958年カリフォルニア州生まれ。ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアと同時期にニューヨークで活動し、アニメーション、SF、音楽の要素を取り入れながら、絵画、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンスと多岐にわたる手法を展開した。80年代以降は、環境問題にも取り組み、エコロジーへの意識を促す作品を継続的に制作している。

シャーフとヘリング、ふたりの交友

 本展は「キース・ヘリング」「ケニー・シャーフとキース・ヘリング」「ケニー・シャーフ」の3部構成。第1部「キース・ヘリング」は、ふたりの出会いを紹介するとともに、ヘリングの初期作品を紹介する。

 ふたりの出会いは、スクール・オブ・ビジュアル・アーツ(SVA)だった。シャーフが同校で学んでいたある日、どこからかバンド「ディーヴォ」の楽曲が聴こえてきた。その音をたどって行き着いた部屋には、床に白黒で絵を描き、自分を部屋の隅に追い詰めていくヘリングの姿があったという。ここで、シャーフは「これこそが私がニューヨークに来た理由だ。こういう人たちに出会う必要があったんだ」(会場パネルより)と感じ、2人の交友が始まった。

左がキース・ヘリング《ブループリント・ドローイング》(1990)、手前が《無数の小さな男性器の絵》(1979)

 このときのヘリングの作品《自分を角に追い込むペインティング》(1970年代後半)の制作の様子は、会場の記録映像で見ることができる。また、ヘリングの初期の作品を、最晩年の90年に版画として再発表した《ブループリント・ドローイング》(1990)も展示。人類の歴史やその背景にある残酷さなどを叙事詩のようにコマを割りながら描いた本作は、明るい印象が強いヘリングの作品に、つねに人類普遍の暴力や排撃への批判性が宿っていたことを伝える。

80年代ニューヨークのムーブメントとともに

 第2部「ケニー・シャーフとキース・ヘリング」は、本展の中心となるセクションだ。80年代のニューヨークで生まれた様々なムーブメントのなかで行なった、ヘリングとシャーフの活動を追う。

ヘリングとシャーフの作品をともに展示。手前がキース・ヘリング《アクロバット》(1986)、右壁の平面がケニー・シャーフ《JANGARU!》(2023)
ドキュメンタリー『Restless -Keith Haring in Brazil』の上映。80年代当時のヘリングについてシャーフが語る

 シャーフとヘリングは、ときに住まいやスタジオを共有しながら制作と活動を展開した。本章ではふたりが参加した移動型遊図地のプロジェクト「ルナルナ」の紹介や、企業とのコラボレーション、さらにヘリングの床画をシャーフが修復する過程を追ったドキュメンタリー『Restless -Keith Haring in Brazil』の上映などを取り上げている。

下がヘリングが考案した移動型遊図地「ルナルナ」のメリーゴーランドの模型。上はシャーフによる月を模したキャラクター
ナイトクラブ「パラディアム」の記録写真(1980年代)。篠山紀信が撮影した

 また、当時文化の発信地で、2人が出入りしていた「パラディアム」や「クラブ57」といった80年代ニューヨークのクラブ、1989年から92年にかけて京都書院より刊行された全102巻からなるアートブック・シリーズ『ArT RANDOM』なども紹介。当時の豊かな文化的土壌を感じられる。

ケニー・シャーフが伝えるヘリングの功績

 第3部「ケニー・シャーフ」では、シャーフの作品が展開。冒頭では、シャーフが初来日する契機となった「アート・イン・アクション」展(1985、草月会館、東京)を、当時の作品の展示とともに、記録映像や資料などで振り返る。とくに、カラフルにペイントされたキャデラックに、ポップスターの仮装をしたシャーフが乗り込んで当時の東京を走り回ったパフォーマンス《夢の車》(1985)の記録映像は鮮烈だ。

「アート・イン・アクション」展(1985、東京、草月会館)のポスターや記録映像

 また、シャーフの近作も数多く展示されている。『宇宙家族ジェットソン』(原題:『The Jetsons』、1962〜63)や『原始家族フリントストーン』(原題:『The Flintstones』、1960〜66)といった、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作のアニメーションに幼少時から親しんできたというシャーフ。こうしたアメリカ製テレビアニメの絵柄や色彩が、作品に描かれたキャラクターに色濃く反映されている。

左からケニー・シャーフ《Pixman》、《Sky High Baby》(ともに2026)

 シャーフがヘリングに捧げた最新のペインティング作品も会場に並んでおり、とくに本展のための新作《Sky High Baby》(2026)は、ヘリングが亡くなったときに、追悼としてシャーフがニューヨークのストリートに描いた「ベイビィ」のイラストをモチーフとして取り入れたものだ。世を去ってもなお、赤ん坊のように再誕してメッセージを発信し続けるヘリングに対する敬意にあふれた作品だ。

ケニー・シャーフ《Cosmic Cavern》(2026)。暗室に入るとブラックライトによって浮かび上がったペイントに囲まれる

  インスタレーション《Cosmic Cavern》(2026)も、シャーフとヘリングの当時の協働をいまに伝える作品といえる。シャーフとヘリングは、タイムズスクエアの古い建物で暮らしたことがあり、そのロフトにある大きなクローゼットにブラックライトやさまざまなオブジェを用いて《Cosmic Cavern》という作品を制作した。本作はそのコンセプトを引き継いだ同名作品であり、当時のニューヨークでのふたりの関係性が内包されている。

 死後35年を過ぎ、すでに伝説的なアーティストとして扱われることの多いキース・ヘリング。しかし、ケニー・シャーフのように当時のニューヨークのアートシーンをヘリングとともに生き、その思想をいまに伝えるアーティストが活動を続けている。本展はヘリングの足跡のひとつを辿るとともに、いまも「生きた」アーティストであることを示そうとする展覧会と言えるだろう。