• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「アンドリュー・ワイエス展」(東京都美術館)開幕レポート。…
2026.4.28

「アンドリュー・ワイエス展」(東京都美術館)開幕レポート。窓、扉、そして人、「境界」をめぐる絵画との対話

東京・上野の東京都美術館で、アンドリュー・ワイエスの没後日本初となる回顧展「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」が開幕した。会期は7月5日まで。会場をレポートする。

文・撮影=三澤麦(編集部)

アンドリュー・ワイエス《オルソンの家》(1966)水彩、紙
前へ
次へ

 東京・上野の東京都美術館で、アンドリュー・ワイエス(1917〜2009)の没後日本初となる回顧展「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」が開幕した。会期は7月5日まで。担当は同館学芸員の髙城靖之。

 ワイエスは20世紀アメリカ具象絵画を代表する画家だ。第二次世界大戦後に脚光を浴びたアメリカ抽象表現主義、ネオ・ダダ、ポップアートといった潮流から距離を置き、ひたすら自身の身近な人々と風景を描き続けた。その作品は、眼前にある情景の再現描写にとどまらず、作家自身の精神世界が深く反映されている。

アンドリュー・ワイエス《粉挽き場》(1962)。ワイエス夫妻が新居として入手した古い粉挽き小屋と穀物倉が描かれている

 本展は、ワイエスが描き出した「境界」の表現に着目し、その眼差しを追体験することを試みるものだ。「境界」は西洋絵画史において伝統的なテーマであるが、ワイエスにとってはより私的な世界とのつながりとして機能しているといえる。日本での17年ぶりの個展であり、没後初となるこの大規模な回顧展で、ワイエスが70年にわたる画業のなかでどのようなテーマを選び取り、描き続けてきたのかを展望する。

左はワイエスのアトリエ風景。大きな窓と自然光の織りなす陰影がワイエス作品の印象と重なる

ワイエスとはどういう画家だったのか

 本展は全5章で構成される。第1章「ワイエスという画家」では、その生い立ちから育まれた作家性を紹介している。ワイエスは少年時代から91歳でこの世を去るまで、生まれ故郷であるペンシルヴェニア州と、夏の家があるメイン州の2つの拠点で生涯にわたって絵を描き続けた。絵画に関する正規の教育は受けず、挿絵画家であった父の指導のもと、技術を磨いていった。

 ワイエスに転機が訪れたのは1945年、父が列車との接触事故で急逝したことだ。この悲劇はワイエスに大きな衝撃を与え、以後、彼の作品の根底には「世の無常」や独自の死生観が流れることとなった。

アンドリュー・ワイエス《自画像》(1945)パネルにテンペラ

 また、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードにはアフリカ系住民の黒人コミュニティがあった。ワイエスは彼らの心の拠り所であった教会に出入りしており、当時としては珍しく、人種の垣根を越えて人々と交流。その親密な関係性は作品のモチーフにも色濃く表れている。

アンドリュー・ワイエス《マザー・アーチーの教会》(1945)パネルにテンペラ。薄暗い教会に窓から光が差し込んでおり、1羽のハトが室内に飛び込んでくる様子が描かれる

 第2章では、ワイエスが描き出した「光と影」の表現に着目する。一般的に光と影は「表裏」や「対立」として捉えられがちだが、ワイエスの描くそれは、その「あわい」の描写にこそ真髄があるように感じられる。そこには画家の経験や感情が投影された、静かな期待や開放感が見て取れる。

アンドリュー・ワイエス《洗濯物》(1961)には、ワイエスを支えた妻ベッツィが干した日光を浴びる洗濯物と、アトリエの暗い室内が対比として描かれる

 第二次世界大戦後、芸術の中心地がアメリカへ移ると、ジャクソン・ポロックらの抽象表現主義やポップアートが隆盛するなかで、ワイエスの写実表現は時代遅れと見なされたこともあった。しかし、周囲の評価が目まぐるしく変化するなかでも、彼は一貫して自身のリアリズムを追求し続ける。

ワイエスが描き出した「光と影」の表現に着目した作品群が並ぶ

オルソン・ハウスとオルソン姉弟

 ワイエスの70年にわたる創作活動において、欠かすことのできない主題がある。それは、妻ベッツィに紹介された、メイン州の「オルソン・ハウス」だ。ここは友人であるクリスティーナとアルヴァロのオルソン姉弟の自宅であり、ワイエスはこの建物に魅了され、30年にわたってこの家と周辺の人々を題材に描き続けた。

アンドリュー・ワイエス《クリスティーナ・オルソン》(1947)パネルにテンペラ。外部からの光と室内の暗さの対比のみならず、その境界を跨ぐかのようになびくクリスティーナの髪の動きにも注目したい
《クリスティーナ・オルソン》の習作。習作の段階ではクリスティーナの髪はなびいていないことも見て取れる

 とりわけワイエスを惹きつけたのは、クリスティーナの存在だ。彼女は進行性の病で足が不自由でありながら、自立心を保つ強い精神を持っていた。を持っていた。裕福な家庭に育ったワイエスは、自身にない彼女の強靭な精神に共鳴し、彼女をモデルとした作品を多く残した。本展で紹介される《クリスティーナ・オルソン》(1947)は、彼女をモデルとしたワイエスの代表作のひとつでもある。

 姉弟が紡いできた歴史が刻まれたこの家は、2人が亡くなった後も、ワイエスの重要なモチーフであり続けた。

手前は、アンドリュー・ワイエス《オルソンの家》(1966)水彩、紙
本章の最後には、誰もいなくなったオルソン家を描いた《オルソン家の終焉》(1969)が展示される

「窓」という境界、そして生命の予感

 ワイエスが描いたモデルは、クリスティーナだけではない。ペンシルヴェニア州では隣人の農場主カール・カーナーを、そしてカールの没後は、その介護を行っていたヘルガ・テストーフを長年にわたり描き続けた。第4章「まなざしのひろがり」では、特定の人物を起点としながらも、周辺の風景や静物へと広がっていくワイエスのモチーフの変遷をたどる。

ワイエスが描いた「窓」にフォーカスした作品群
《ゼラニウム》(1960)は、薄暗い台所に座るクリスティーナを窓の外から描いた作品だ。クリスティーナの衰弱や死を思わせつつも、その奥の窓からも光が差し込んでいる

 最終章では、本展のメインテーマである「境界」、そしてワイエスが繰り返し描いた「窓」に焦点を当てる。父の死を機に醸成された死生観は、ワイエスの絵に生命の息吹と死の無常を同居させている。それは直接的なモチーフで表現されているのではなく、窓や扉、あるいは水路に張った薄氷といった隠喩としてのモチーフに顕著に現れている。

アンドリュー・ワイエス《薄氷》(1969)パネルにテンペラ

 自宅付近の凍った水路を俯瞰で描いた《薄氷》(1969)は、ワイエス作品のなかでも抽象性が際立つ作品だ。凍りついた様子は停滞や死を想起させるが、氷に閉じ込められた水泡や、氷上に残された葉のリアルな描写からは、静止した時間のなかに息づく生命力が感じられる。

 ワイエスが描いた窓、扉、そして人々に見られる「境界」。それらは決して世界を分断するものではなく、往来する場所として捉えられているように感じられる。その視点は、多様な価値観が混在する現代を生きる私たちの価値観とも共鳴しうる可能性を秘めているのではないだろうか。

最後の展示室には、「境界」としての扉、そしてワイエスのポートレート。壁面の裏では映像が上映されており、技法の解説や晩年のワイエスのインタビュー(一部)を見ることが可能だ