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2025.11.22

「小林徳三郎」(東京ステーションギャラリー)開幕レポート。知られざる画業を紐解き、再発見への一歩を踏み出す

東京ステーションギャラリーで、洋画家・小林徳三郎の初となる回顧展が開幕した。会期は2026年1月18日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、手前は小林徳三郎《読書》(1936)
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 東京駅直結の東京ステーションギャラリーで、洋画家・小林徳三郎(1884~1949)の初となる回顧展が開幕した。会期は2026年1月18日まで。担当学芸員は田中晴子(東京ステーションギャラリー 学芸員)。

 小林は1909年に東京美術学校を卒業後、若手による先鋭的な絵画運動として知られる「フュウザン会」に参加し、雑誌『奇蹟』の準同人として出版活動にも携わった。また、劇団「芸術座」の舞台装飾も担当。洋画家としては院展や円鳥会展に出品し、23年からは春陽展を中心に活動を展開した。40代半ば以降は子供たちをモデルにした作品を多く手がけ、明るい色調の静物などにも挑戦。晩年は江の浦(沼津市)などの自然風景を描き、死の直前まで精力的に制作を続けた。

 約300点におよぶ作品と資料を4章構成で紹介する本展では、これまで一般に触れられる機会の少なかった小林の画業を取り上げ、その再評価を試みている。会場では、小林の作品に加え、親交のあった眞田久吉、萬鐵五郎、木村荘八、硲伊之助らの作品もあわせて展示している。

展示風景より、手前は小林徳三郎《金魚を見る子供》(1929)

 第一章「洋画家を目指して」では、東京美術学校時代に小林が描いた自画像や妻のスケッチなどを取り上げている。卒業後は、当時新たな美術運動として注目を集めていた「フュウザン会」に参加。展覧会では油彩画や水彩画のみならず、木版やエッチングによる版画制作にも精力的に取り組み、多様な表現方法を自身の創作に取り入れようとする意欲がうかがえる。

展示風景より、右は小林徳三郎《自画像》(1909)
展示風景より
展示風景より。親交のあった眞田久吉、萬鐵五郎、木村荘八、硲伊之助らの作品も紹介されている
展示風景より、小林徳三郎《胸》(1912頃)と「フュウザン会」に関する資料

 第二章「大正の大衆文化のなかで」では、小林が大衆文化のなかでどのように自身の画風を展開していったのか、その仕事ぶりを資料とともに探る。フュウザン会は1913年に解散したものの、前年には文芸雑誌『奇蹟』の表紙画や扉絵、文筆に携わり、翌年には結成されたばかりの劇団「芸術座」の舞台背景も手がけるなど、多岐にわたる活動も見られる。

 本章では、舞台背景や衣装・美術などのデザイン案や、出版物のために制作された下絵や原画が展示されている。

展示風景より
展示風景より、文芸雑誌『奇蹟』に関する資料
展示風景より、舞台『復讐』のためのスケッチ群

 洋画家としてのキャリアに注力するために芸術座を辞した小林は、自身の制作や教師の仕事に注力していた。やがて院展洋画部に入選した《鰯》が写真家・野島康三の目に止まり、洋画団体「春陽会」に参加。個展を開催するに至った。

 第三章「画壇での活躍」では、洋画家として充実期を迎えた小林による豊かな作品群が並ぶ。なかでも《金魚を見る子供》の制作をきっかけに家族をテーマとした作品が増え、その作風には穏やかさと柔らかさが一層深まっていった。作品を所蔵していた小説家・林芙美子は、その魅力を「空気のはいった、生活のはいった何気なさにある」と評している。さりげない日常を描きながらも、形や色彩の緻密な設計が施された作品は見応えがあり、同時に鑑賞者へ安心感を与えている。

展示風景より、左が小林徳三郎《鰯》(1925頃)
展示風景より、右は小林徳三郎《金魚を見る子供》(1928)。自身の息子を描いた本作をきっかけに、小林は家族をテーマに描くようになる。家族間ならではの力の抜けた表情がとらえられ、息子のおでこに映る水槽の反射光が、画面にみずみずしさを添えているようにも感じられる
展示風景より

 画壇で成功を収め、順調に洋画家としての道を歩んでいた小林であったが、肺結核を患い活動を中断。千葉・館山で療養をすることとなる。第四章「彼の日常、彼の日本」では、療養以降の制作活動とその作品を追うことができる。

展示風景より、手前は小林徳三郎《読書》(1936)
展示風景より、小林徳三郎《江の浦二》(1942)

 小林は晩年、人物・静物に加え、入り江や渓流、自宅周辺などをテーマに、数多くの油彩画やスケッチを描いた。大らかな筆致ながらも豊かな色面を備えた作品は、対象となる人物や風景の生命力を生き生きととらえている。

展示風景より
展示風景より、手前は小林徳三郎《夕景》(1948)

 「絵かきは絵をかけ」という言葉を学生たちに残し、自身も最晩年まで制作活動を楽しんだ小林。「描くこと」に真摯に向き合い続けたその姿勢は、当時の批評家たちからも愛されたが、没後は長らく再評価の機運に恵まれなかったという。今回の展覧会は、小林徳三郎作品に携わる研究者や学芸員らの熱意が随所に感じられる内容であった。