「家庭」を超えた先にある女性たちの「創造的表現」。碓井ゆい評「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」
東京ステーションギャラリーで開催された、造形作家・宮脇綾子による個展「生誕120年 宮脇綾子の芸術 見た、切った、貼った」(2025年1月25日~3月16日)を、アーティスト・碓井ゆいがレビューする。創作アプリケの表現手法を用いて制作されてきた宮脇の作品の特徴、そしてその活動を通じて見えてくる「手芸」と「美術」、ジェンダー的構図はどのようなものか。

「家庭」を超えた先にある女性たちの「創造的表現」
「手芸を美術に格上げする構図」から脱却できるか
近年の女性アーティストの再評価の流れのなかで、歴史的に女性が担ってきたとされる、縫う行為や布を用いた作品を取り上げる展覧会が増えていると感じる。そのような潮流を踏まえたうえでの今回の展覧会なのだろうか。
日本の敗戦直後から1995年に90歳で亡くなるまで、アプリケ作家として多くの作品を発表した宮脇綾子。国内だけでなく海外でも数多くの展覧会が開催されてきたが、今展がこれまでと異なるとして注目されている点は、彼女の作品を美術史の言葉を用いて読み解くという試みだという。なせなら、アプリケはこれまで、美術ではなく手芸として扱われてきたからだ。さらに前述の潮流から考えて、「手芸が美術より格下だからこそ美術作品として格上げしてあげよう」という過去にも散見されてきた構図から脱却した、美術史の言葉を用いることでしかなしえない新鮮な作品理解の場になっているとのではないかと期待して足を運んだ。

宮脇作品を特徴づけるもののひとつとして、モチーフに対する観察眼が挙げられる。これは今展でもダ・ヴィンチやレンブラントが引き合いに出されて紹介されている。だからこそいわゆる手芸とは異なる「布絵」としか言いようのない、絵画のような創作行為なのだと。確かに彼女のアプリケ作品を見れば、展示されているスケッチブックの何倍もの量、日常的にクロッキーをしていたのであろうということは、容易に想像ができる。
《たこ》(1965)は「タコっておもしろいかっこうをしているな」と思い制作したという。そう言われると、陸に揚げられてきまり悪そうなポーズのタコに見えてくる。インドのブロックプリントと思しき布の丸いパターンをいくつも切りぬいてアプリケした吸盤の表現も秀逸だ。《ねぎ》(1964)の伸びやかさからは、鋏が布をスイスイと切り進んでいく光景が目に浮かぶ。《吊った唐辛子》(1963)は、様々な形状の唐辛子が5種類ほどの布で描き分けられている。乾燥してかさかさしたものはタオルのような生地で、ベルベットを使ったものはこっくりとした艶のあるものだったのだろうか。唐辛子を束ねる藁はそのまま本物が使われており、その大胆さも心地よい。


また、彼女の作品の最大の特徴であろう、布の選び方の巧みさについても、様々な概念を用いて分析している。些細な切れ端の布も捨てずに作品に活かしたという彼女の行為は、大量消費社会への批評性から、ヌーヴォー・レアリスムやアルテ・ポーヴェラに通ずるものがあると指摘されていたり、布の模様を活かすことは「見立て」、また逆に、模様や文脈をあえて関係のないモチーフに用いる行為はシュルレアリスムの「デペイズマン」との類似性が言及されていたりと、その特徴が美術史に紐づけられている。
使い終わったコーヒーフィルターの染みをうまく活かした《鰈の干もの》(1986)、使い古した石油ストーブの芯を利用した《めざし》(1975)、巴紋を効果的に用いた《芽キャベツ》(1977)や印半纏の印で皮を表現した《筍》(1978)などは、「やっているうちに、モデルや布切れが教えてくれるのですよ」という彼女の言葉を体現しているかのようだ。大漁旗のような布を用いた《赤い蟹》(1981)は、素材からもモチーフからも海を連想するが、同様の布でつくられた《れんこん》(1982)からは、前者を裏切るような遊び心が感じられる。


このように美術史の言葉は展覧会の随所に解説文として掲示されており、それは確かに新しい角度からの理解を観客に提供することの一助となっていたかもしれない。しかしそれは、予想していたよりも控えめな印象を受けた。例えば、宮脇のつくり出すデフォルメされたフォルムがモチーフの本質的なかたちをとらえているとして、マティスの切り絵が引き合いに出されていたが、ここでも文章のみで図版などは掲示されていない。観客のすべてがマティスを知っているのだろうかという疑問もさることながら、やはりそれを視覚的に示したほうが、美術との類似性は明らかに分かりやすいだろう。だとすると、美術史の言葉を文字のみでしか示さなかったのは、作品を最大限に見やすくしようという配慮なのかもしれない。しかしその結果、従来の紹介の仕方と大きく変わらない印象を受けたうえ、冒頭で挙げた「手芸が美術として格上げされているように見える」という構造は、なかなかしぶといものであると再認識させられる機会になった。