2025.7.15

第36回世界文化賞にピーター・ドイグ、マリーナ・アブラモヴィッチら

世界の優れた芸術家に贈られる「高松宮殿下記念世界文化賞」。その第36回受賞者が発表された。

文=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部) 写真提供=公益財団法人日本美術協会

ピーター・ドイグ
Peter Doig
© The Japan Art Association / The Sankei Shimbun
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 1988年に設立され、世界の優れた芸術家に贈られる「高松宮殿下記念世界文化賞」。その第36回受賞者が発表された。

 同賞は、1887年に設立された公益財団法人日本美術協会の設立100年を記念し、前総裁・高松宮殿下の「世界の文化芸術の普及向上に広く寄与したい」という遺志を継いで創設されたもの。毎年、世界の芸術家を対象に絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門において受賞者が選ばれ、それぞれに感謝状、メダル、賞金1500万円が贈られる。

 これまで高松宮殿下記念世界文化賞では35ヶ国180名の受賞者が選ばれており、オラファー・エリアソンアイ・ウェイウェイ、妹島和世+西沢立衛/SANAAウィレム・デ・クーニングデイヴィッド・ホックニー李禹煥草間彌生杉本博司三宅一生アントニー・ゴームリージェームズ・タレルなどが名を連ねている。昨年は、ソフィ・カルや坂茂ら5名が選出された

 第36回となる今年は、ピーター・ドイグ(絵画部門/イギリス)、マリーナ・アブラモヴィッチ(彫刻部門/セルビア)、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(建築部門/ポルトガル)、アンドラーシュ・シフ(音楽部門/イギリス)、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル(演劇・映像部門/ベルギー)の5名が受賞。さらに、今年で第28回となる若手芸術家奨励制度の対象団体も同時に発表され、ナショナル・ユース・シアター(イギリス)が選ばれた。

 絵画部門を受賞したピーター・ドイグは1959年スコットランド生まれ。現代美術における絵画の一潮流「新しい具象(ニュー・フィギュラティブ・ペインティング)」の代表的な画家として知られている。「絵を描くためのインスピレーションはいつも過去の記憶のページから生まれてくる」と語るように、写真や絵はがき、映画などから得たイメージや過去の記憶をもとに豊かな色彩と独特な筆致で風景や人物を描くことからも、世界でもっとも重要な画家のひとりであると評価されている。

ロンドンのアトリエにて 2025年4月
At his studio in London, April 2025
© The Japan Art Association / The Sankei Shimbun

 ドイグは幼少期を過ごしたトリニダード・トバゴや北米カナダの環境的影響を強く受けており、その経験が視覚的感性の形成にもつながっているという。

 代表作のひとつ《のまれる》(1990)はホラー映画『13日の金曜日』から着想を得て描かれているほか、《ラペイルーズの壁》(2004)には日本の映画監督・小津安二郎による『東京物語』の影響も含まれている。1994年にはターナー賞にノミネートされたほか、2008年にはルートヴィヒ美術館現代美術協会よりヴォルフガング・ハーン賞を授与された。

ピーター・ドイグ 《のまれる》 1990年
Peter Doig, Swamped, 1990
Oil on canvas 197 x 241 cm
© Peter Doig
ピーター・ドイグ 《ラペイルーズの壁》 2004年
Peter Doig, Lapeyrouse Wall, 2004
Oil on canvas 200 x 250.5 cm
© Peter Doig

 彫刻部門に選ばれたマリーナ・アブラモヴィッチは1946年セルビア(旧ユーゴスラビア)生まれ。自らの身体を使うことを主な表現手法としており、時に観客も作品の一部となるような「パフォーマンス・アート」の先駆者でもある。その功績からも、個人的には遅すぎる受賞だとも感じられるほどだ。

ロンドンのアトリエにて 2025年4月
At his studio in London, April 2025
© The Japan Art Association / The Sankei Shimbun

 実験対象として観客に自らの身体を委ねた《リズム0》や《リズム5》(ともに1974)では、何度も命を落としかけながらも、身体と精神の限界に挑むような自己表現を行い、世界中の観客を魅了してきた。とくに有名な《The Great Wall Walk(万里の長城を歩く)》(1988)では、当時公私のパートナーであったアーティストのウーライと中国の万里の長城を両端から90日間かけて歩き、約2500キロかかる中間地点で再会し別れを告げた。

 「パフォーマンスのリハーサルは一切しません。常に観客の前で初めて試します。なぜなら、私は観客無しでは何もできないからです」と語るアブラモヴィッチにとって、観客はただの傍観者ではなく、「創造の共同制作者」と言える存在なのだ。

マリーナ・アブラモヴィッチ 《リズム5》 1974年
Marina Abramović, Rhythm 5, 1974
Performance 90 Minutes
Student Cultural Center, Belgrade
Photo: Nebojsa Cankovic
Courtesy of the Marina Abramović Archives
マリーナ・アブラモヴィッチ 《アーティスト・イズ・プレゼント》 2010年
ニューヨーク近代美術館(MoMA)
Marina Abramović, The Artist Is Present, 2010
Performance 3 months
The Museum of Modern Art, New York, NY
Photo: Marco Anelli
Courtesy of the Marina Abramović Archives

 建築部門に選出されたエドゥアルド・ソウト・デ・モウラは1952年ポルトガル生まれ。モダン建築と自然を融合させた建築を数多く生み出しており、その功績からもポルトガル建築界の第一人者としても知られている。

エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ
Eduardo Souto de Moura
Photo: Shun Kambe
© The Japan Art Association

 代表作には、首都リスボン近郊の《ポーラ・レゴ美術館》(2009)や、ポルトガル北部の修道院を改修した国営ホテル《ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス》(1997)などが挙げられるほか、2004年のサッカー欧州選手権にあわせて設計された《エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ》(2003)は、巨大採掘場と隣りあわせという類を見ない建築物となり、世界中から注目を集めた。2011年にはプリツカー賞、18年にはヴェネチア・ビエンナーレにて金獅子賞を受賞。24年にはフランス文科省から芸術文化勲章を授与された。

『ポウザダ・モステイロ・デ・アマレス』 1997年
Pousada Mosteiro de Amares, 1997
Photo: Shun Kambe
© The Japan Art Association
ブラガ市営競技場『エスタディオ・ムニシパル・デ・ブラガ』 2003年
Estádio Municipal de Braga, 2003
Photo: Shun Kambe
© The Japan Art Association

 音楽部門を受賞したアンドラーシュ・シフは1953年ハンガリー出身。現代ピアニスト最高峰のひとりとして知られ、室内オーケストラの創設やピアノを弾きながらオーケストラを指揮する「弾き振り」を行うなど、多彩な表現活動が注目されてきた。

バレンボイム・サイード・アカデミー/モーツァルトホールにて(ベルリン)2025年4月
At the Mozart Auditorium of the Barenboim-Said Akademie in Berlin, April 2025
Photo: Pablo Castagnola
© The Japan Art Association

 また、ヴァイオリニスト・塩川悠子との結婚を通じて日本文化にも関心を持ち、とくに「間」や「沈黙」の美学に感銘を受けたことから、演奏にも新たな深みがもたらされているという。シフの演奏や活動は広く評価されており、2006年にベートーヴェン・ハウス名誉会員、14年にはイギリスでナイトの称号を受けた。このほかにも、数多くの受賞経歴を持つ。

バレンボイム・サイード・アカデミーでのマスタークラス教習 2025年4月
The masterclass teaching at the Barenboim-Said Akademie in Berlin, April 2025
Photo: Pablo Castagnola
© The Japan Art Association
アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカのコンサート 2025年3月21日
ミューザ川崎シンフォニーホール
Concert of András Schiff & Capella Andrea Barca, March 2025
MUZA Kawasaki Symphony Hall
Photo: Taichi Nishimaki

 演劇・映像部門に選ばれたアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルは1960年ベルギー生まれの振付師/ダンサー。自身のカンパニー「ローザス」の芸術監督として、1980年代以降のコンテンポラリー・ダンス界を牽引してきた人物だ。

アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
Anne Teresa De Keersmaeker
© Anne Van Aerschot
Courtesy of Rosas

 ニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・ジ・アーツに留学し、帰国後に《ファーズ》(1982)を制作。この作品は、スティーヴ・ライヒ(2006年世界文化賞受賞)の音楽と緻密に連動する振り付けによって大きな注目を集めることとなった。翌年にはカンパニー「ローザス」を旗揚げ。デビュー作である《ローザス・ダンス・ローザス》(1983)は、87年にニューヨークの優れた舞台芸術に贈られるベッシー賞を受賞した。

 現在は次世代の育成にも取り組んでおり、2021年には自身のアーカイブの保存・研究と若手ダンサーへの奨学金支援を目的とした「ATDK財団」も設立した。

『ワンス』 2002年
Once, 2002
© Herman Sorgeloos
Courtesy of Rosas
『ファーズ/ヴァイオリン・フェイズ』 2011年
Violin Phase, Fase, 2011
© Herman Sorgeloos
Courtesy of Rosas

 若手芸術家奨励制度の対象団体に選ばれたナショナル・ユース・シアター(NYT)は1956年のロンドンにて設立。ダニエル・クレイグやヘレン・ミレン、コリン・ファースなど、のちに有名となる俳優を数多く輩出してきたことでも知られている。

 NYTの活動は多岐にわたり、近年ではNetflixやマイクロソフトなどと提携した特別コースも設立。俳優の育成のみならず、脚本家や演出家、舞台美術家、衣装デザイナーなど演劇業界における様々なキャリア促進の機会も創出・提供している。

教室でウォームアップするメンバーたち ナショナル・ユース・シアター(ロンドン北部)
2025年4月
Members warming up in the classroom.
National Youth Theatre (North London), April 2025
© The Japan Art Association / The Sankei Shimbun
『動物農場』 NYTのワークショップ・シアター 2021年
Animal Farm, The Workshop Theatre, 2021
Photo: Helen Murray
Courtesy of National Youth Theatre

 なお、今回の選考委員は、建畠晢(美術評論家/絵画・彫刻部門)、三宅理一(建築史家/建築部門)、堤剛(サントリホール館長/音楽部門)、松岡和子(演劇評論家/演劇・映像部門)が務めた。10月22日には、東京・元赤坂の明治記念館で授賞式典が開催される予定となっている。