2025.7.15

「三島由紀夫生誕100年=昭和100年 『豊饒の海』 永劫回帰に横たわる虚無展」(GYRE GALLERY)開幕レポート。三島由紀夫と「虚無」の時代を見つめて

三島由紀夫の生誕100年を機に、現代美術家たちが『豊饒の海』や『仮面の告白』を通して描き出す「虚無」と「再生」の風景を紹介する展覧会が、表参道のGYRE GALLERYで開幕した。会期は9月25日まで。

文・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 三島由紀夫の生誕100年、そして昭和100年という節目を迎える2025年。その記念企画として、表参道のGYRE GALLERYでは「三島由紀夫生誕100年=昭和100年 『豊饒の海』 永劫回帰に横たわる虚無展」が始まった。会期は9月25日まで。

 本展は、三島由紀夫の遺作である小説四部作『豊饒の海』を中心テーマとし、戦後日本美術における空虚と再生を多角的に見つめ直す試みである。企画を手がけたのは、スクールデレック芸術社会学研究所所長の飯田高誉。参加アーティストには、中西夏之杉本博司アニッシュ・カプーア、池田謙、森万里子、平野啓一郎、友沢こたおが名を連ねている。

 展覧会の背景には、フランスの哲学者ロラン・バルトが提示した「表徴の帝国」という日本文化のとらえ方がある。バルトは、日本文化における記号(シニフィアン)の連鎖が「意味」(シニフィエ)によって固定されることなく展開していく様を肯定的にとらえ、「意味の帝国」=西欧的論理に対するアンチテーゼとして提示した。

 いっぽうで、三島由紀夫は1970年の自決直前、「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」(*)と述べ、日本という存在に内在する空虚を鋭く指摘した。本展は、こうした2人の知性によってとらえられた「日本の虚無」に立脚し、『豊饒の海』という小説世界を通じて、中心なき戦後美術の地平を浮かび上がらせる構成となっている。

展示風景より、森万里子「ユニティ」シリーズ(2025)

 展示の冒頭を飾るのは、森万里子による新作シリーズ「ユニティ」(2025)である。森は『豊饒の海』第1巻『春の雪』をもとに、主人公・清顕と聡子の魂のありかをテーマに制作を行った。輪廻転生や唯識論といった三島が参照した思想に呼応し、物語の背後に潜む形而上学的世界を可視化するような作品に仕上がっている。

展示風景より、ジェフ・ウォール《三島由紀夫 作『春の雪』第三十四章より》(2000–05)

 カナダ・バンクーバーを拠点に活動する写真家ジェフ・ウォールの写真作品《三島由紀夫 作『春の雪』第三十四章より》(2000–05)は、聡子と清顕が密会し、鎌倉の海岸で過ごした後、馬車のような車で送られる場面を再現したものである。靴に入った砂を取り除く聡子の仕草が、砂時計のように時間の儚さを象徴する印象的な一場面としてとらえられている。

展示風景より、杉本博司の作品

 杉本博司は、『奔馬』と『天人五衰』の2つの場面を、それぞれ異なる海景写真によって表現。『奔馬』における自決の場面に登場する「日輪は瞼の裏に爀奕として昇った」という一節は、小田原の海の風景と重ねられた。また『天人五衰』では、「記憶もなければ何もない庭」という言葉を手がかりに、虚無の極点を写し出すような静謐な作品が展示されている。

展示風景より、中西夏之《着陸と着水》

 中西夏之の《着陸と着水》も、本展の文脈で再構成されたインスタレーションである。2016年に逝去した中西は、生前『天人五衰』の最終章に登場する「何もない庭」に強い関心を寄せていた。本作では、一見何もない空間に“目に見えない皮膜”が存在しているという感覚を、視覚的に体感させるような構成が試みられている。

展示風景より、アニッシュ・カプーアの作品

 イギリスを代表する現代美術家アニッシュ・カプーアもまた、三島作品の熱心な読者であり、本展のために2点のドローイング作品を出品している。和紙に墨で描かれた作品は、日本的な余白や静寂を感じさせるいっぽうで、内に秘めた抑圧的な情念が漂い、『天人五衰』の「夏の日の庭」と共鳴する印象を与える。

展示風景より、平野啓一郎の作品

 いっぽう、小説家の平野啓一郎は、『豊饒の海』における「生と死の相克」をめぐって独自の作品を制作した。聖セバスチャンやキリストの殉教図から着想を得て、自著『三島由紀夫論』に鉄棒を貫通させるという行為によって構成された作品は、「文学だけでは不十分だったのだろうか」という問いを三島に投げかける。文学のなかで生を貫きたいとする自身の選択と、行動によって死を遂げた三島の美学との対比が鮮烈に浮かび上がる。

展示風景より、友沢こたおの作品
展示風景より、友沢こたおの作品

 友沢こたおは、三島のデビュー作『仮面の告白』を主題に新作絵画を発表した。自身の身体を媒体とし、スライムや呼吸困難といった身体的感覚を通して「生きている」ことを描く友沢の表現は、三島が生涯格闘した肉体と魂の乖離に深く共鳴している。なかでも、三島が描いた思春期の海辺での葛藤──筋肉質な男性の身体に対する強い憧れと反応──は、友沢にとって「臓器に響くような」読書体験であったという。その記憶に向き合いながら制作された絵画は、文学と身体の交差点として強い印象を残す。

 本展は、三島由紀夫の小説世界『豊饒の海』を軸に、意味や一義性から解き放たれた芸術表現を通して、戦後日本の精神的風景を再構築する試みである。文学と美術、国内と国外、思想と身体──多様な視点が交錯しながら、中心なき美のあり方を問い直す場となっている。

展示風景より

 飯田高誉は、「三島の死は1970年の大阪万博の年、日本が高度経済成長の絶頂にあった時期に起こった。当時の日本社会が、かつて大切にしていた価値を喪失しつつあるという危機感が、三島の目には映っていた」と述べたうえで、次のように語った。

 「死の3ヶ月前には、日本社会が抱える“虚無”に言及しており、それはいまの私たちにとっても決して過去のものではない。むしろ、三島の言葉はいまなお現代性を失っておらず、鋭く私たちに迫ってくる。本展は三島の全体像を網羅するものではないが、若い世代が三島由紀夫という存在に出会い、その活動の一端でも理解する契機となることを願っている」。

*──1970年(昭和45年)7月7日付の産経新聞夕刊に掲載された三島由紀夫のエッセイ。