2025.10.30

「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」(松本市美術館)開催レポート。信州美術の発展に尽くしたひとりの画家の画業に迫る

長野県にある松本市美術館で、「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」が開催されている。会期は12月7日まで。

文=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)、撮影(石井柏亭展)=稲葉真、撮影(草間彌生展)=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 長野県にある松本市美術館で、明治末から昭和期にかけて活躍した画家・石井柏亭(いしい・はくてい)(1882〜1958)の画業に迫る「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」が開催されている。会期は12月7日まで。

 柏亭は1882年東京生まれ。幼い頃から父・鼎湖に日本画を習い、16歳で洋画家・浅井忠に師事する。本格的に画家として活動を開始すると、早くから太平洋画会や文展で才能を認められ、やがて中央画壇の中心的存在として活躍した。油彩画のほか水彩画、版画、日本画にも優れ、歌人、詩人、批評家、教育者といった様々な顔を持つことでも知られている。雑誌『方寸』の創刊や、二科会、一水会の設立にも携わり、日本の近代美術の発展に大きな足跡を残した人物である。

 そんな柏亭は、1945年3月に、戦禍から免れるべく長野県松本市に疎開。東京大空襲により自宅とアトリエは全焼したが、松本で制作を続けていた。本展は、今年柏亭が松本に疎開してから80年であることを記念して、初期から晩年までの代表作に加え、信州ゆかりの作品・資料を通して、その多彩な画業に迫るものとなる。

展示風景より

 本展は全4章構成となっている。第1章「困難を乗り越えて」では、柏亭の幼少期から20代までの間に制作された作品を中心に紹介されている。柏亭の本名は石井満吉(まんきち)だが、幼い頃から父に日本画を学び、10歳より「柏亭」の号を用いて展覧会に出品していた。中学生の頃には、父の離職に伴い苦しい時期を過ごしたが、その後16歳のときには浅井忠の門下に入り、本格的に画家の道を歩みはじめた。

 太平洋画会や文展にも出品を続け、さらには、美術文芸雑誌『方寸(ほうすん)』の創刊、北原白秋らとの「パンの会」創設など、若くして多彩な活動を展開。会場では、第3回太平洋画会展出品作である《草上の小憩》(東京国立近代美術館蔵)が紹介されている。構図、題名ともにエドゥアール・マネの《草上の昼食》に着想を得たものとされており、柏亭の初期の代表作のひとつである。

第1章「困難を乗り越えて」の展示風景より、画面右は《草上の小憩》(1904)

 第2章「東奔西走の日々」では柏亭が30代から60代の頃に制作した作品が展開されている。1910年、柏亭はエジプト、イタリア、フランス、スペインなどを初めて訪れたことで、作品にもその影響が表れている。また帰国後は、1913年に丸山晩霞らと日本水彩画会を、翌年には津田青楓、梅原龍三郎らと二科会を創立し、日本洋画界の新たな潮流をつくった。そのほか、文化学院美術部長、東京帝国大学(現・東京大学)工学部講師として教育分野にも尽力している。

 会場には、本展における最大級サイズの作品《画室》が紹介されている。本作は第17回二科展出品作だが、この作品のなかには柏亭が第15回二科展に出品した《果樹園の午後》(福島県立美術館蔵)が描かれている。80年以上ものあいだ個人蔵となっていた本作だが、京都国立近代美術館に所蔵され、今回は所蔵後、他館への貸し出しははじめてとなる貴重なお披露目の機会となっている。2作品が並ぶように展示されており、比較しながら鑑賞することができる。

第2章「東奔西走の日々」の展示風景より
第2章「東奔西走の日々」の展示風景より、左:《果樹園の午後》(1928)、右:《画室》(1930)

 また柏亭は、写実の技術力の高さと、当時より画壇の中心的な人物であったことが背景となり、戦時下では従軍画家として戦争記録画も手がけていた。本展は、アメリカから無期限貸与として返還された《軍艦出雲》(東京国立近代美術館蔵、アメリカ合衆国より無期限貸与)を含め、一部戦争記録画も紹介されている。

第2章「東奔西走の日々」の展示風景より、画面右は《軍艦出雲》(1940)

 第3章は、「信州と柏亭」と題され、柏亭の疎開後から晩年の活動を取り上げた内容となる。柏亭は1945年3月、戦禍を逃れるように長野県東筑摩郡本郷村(現・松本市)の浅間温泉へ疎開した。東京大空襲により、日暮里の自宅やアトリエなど多くを失ったが、浅間温泉を拠点に制作を続け、亡くなるまでの約13年間で1000点を超える作品を残した。

 また自身の制作活動のかたわら、信州美術界の再興と発展にも尽力する。1945年夏には、疎開作家、地元作家らと浅間温泉にて展覧会を開催。本展で紹介される《松本城》(個人蔵)は、その際に展示された作品だ。いかなる場合でも文化活動は止めてはいけない、そして傷ついた人たちを少しでも癒す機会をつくりたい、という強い想いから、展覧会の開催を決定したという。奇しくも展覧会の最終日は終戦日と重なった。同年11月には、全信州美術展覧会(のちの長野県展)が開催され、その中心にも柏亭がいた。

第3章「信州と柏亭」の展示風景より、画面左は《松本城》(1945)
第3章「信州と柏亭」の展示風景より、《山河在》(1945)
第3章「信州と柏亭」の展示風景より、「画作控」

 最後の第4章「松本をえがく」は、柏亭の松本での様子がうかがえるような構成となっている。終戦から1年後、浅間温泉での生活も1年になろうというタイミングで新聞社に宛てた原稿には、松本に腰を据える覚悟、そして美術が都市部に偏っている状況を打破するためのきっかけをつくりたい、という意志がしたためられている。

第4章「松本をえがく」の展示風景より

 展覧会の最後は、繰り返し描いた松本の姿を象徴するような《松本城外堀》(個人蔵)が飾る。本作の制作中、柏亭は「(画作を)何十年もやっているが、なかなかうまくゆかないものです」と語ったという。多岐に渡って華々しい活躍を遂げた柏亭だが、それでもまだその先を目指し続けたハングリー精神を感じさせるエピソードに、柏亭の人物像が浮かび上がってくるようだ。

第4章「松本をえがく」の展示風景より、《松本城外堀》(1956)

草間彌生の代表作や初期作品が楽しめる特集展示

 また同館では、草間彌生による「草間彌生 魂のおきどころ」も通期展示として開催されている。世界を舞台に活躍する草間は松本市で誕生した。同館では、2002年の開館時から、草間の作品を数多く所蔵しており、世界的にも屈指の草間の常設作品展示を展開している。21年に行われた大規模改修工事を経てから本展の開催は続いており、年に4回展示替えが行われる。

 本展では、草間の多様な作品をめぐるように鑑賞することが可能だ。会場入ってすぐのところに展覧されるのは《チューリップに愛を込めて》。美術館の入り口に立つ高さ10メートルを超える巨大なパブリック彫刻《幻の華》を感じさせるインパクトのある作品だ。

展示風景より、《チューリップに愛をこめて》(2023)All Images © YAYOI KUSAMA ※画像転載不可

 その後、展示室を囲む鏡張りの壁に無数のシャンデリアが映り込む《傷みのシャンデリア》や、草間の代表的な「インフィニティ・ミラールーム」シリーズの《魂の灯》が続き、草間ワールドに迷い込んだようにも感じられるインスタレーションが展開される。暗い部屋のなかに現れる《天国への梯子》を覗き込めば、館内のどこにいるのかわからなくなりそうな無限の空間を感じることができるだろう。また同タイプの黄色いかぼちゃの彫刻のなかでは最大のサイズを誇る《大いなる巨大な南瓜》も紹介されており、草間ならではの独創的な世界観が立ち現れる。

展示風景より、《傷みのシャンデリア》(2011)
展示風景より、《魂の灯》(2008)
展示風景より、《天国への梯子》(2012)
展示風景より、《大いなる巨大な南瓜》(2017)

 なお現在、愛知県名古屋市にある松坂屋美術館では、「松本市美術館所蔵 草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」も開催中。同展は、草間の版画世界に焦点を当てたものだ。1970年代後半から積極的に取り組み続けてきた版画制作は、現在の評価につながる大きな原動力となっている。

 同展では、南瓜やドレス、帽子などのモチーフが多く登場する初期作品から、近年の木版画による富士山の連作、モノクロームの大型シルクスクリーン作品「愛はとこしえ」シリーズまでが紹介されている。松本市美術館が所蔵する作品に作家蔵を加えた約160点で草間彌生の版画芸術の軌跡をたどるものとなっている。

「草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」(京都市京セラ美術館)第3章「愛すべき南瓜たち」の展示風景より © YAYOI KUSAMA
「草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」(京都市京セラ美術館)第1章「わたしのお気に入り」の展示風景より、「富士山」の木版画

 晩年浅間温泉を拠点に活躍した画家・石井柏亭の画業をたどる「戦後80年 石井柏亭 えがくよろこび」、松本市で誕生し、いまなお世界で活躍を続ける草間彌生による「草間彌生 魂のおきどころ」。同館で開催中のこの2展示に加え、松坂屋美術館で開催されている「草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」を通して、松本という土地に深く関係のある2名の巨匠の画業に、思いを巡らせてみてはいかがだろうか。