EXHIBITIONS
楢橋朝子「1961 They Were Standing There」
(楢橋國武遺品のネガより)
PGIで、楢橋朝子による個展「1961 They Were Standing There」が開催されている。
楢橋は、学生だった1980年代半ばに写真家・森山大道のワークショップ「フォトセッション」に参加した。卒業後の1989年、個展やグループ展を含め、一年を通して約10回に及ぶ展覧会を開催。沖縄をはじめ、国内の各地へ撮影行を繰り返し、写真家としての活動を始める。当時はとくに写真展というかたちにこだわり、自身の作品を発表する場として1990年にギャラリー「03FOTOS」をオープンした。
1997年には初めての写真集『NU・E』(蒼穹舎、1997)を出版。その後も『フニクリフニクラ』(蒼穹舎、2003)を出版し、2000年ごろより、のちに『half awake and half asleep in the water』(2007)としてまとめられ、またその後も『Ever After』『近づいては遠ざかる』などに続いていく、水の作品の撮影を開始。『half awake and half asleep in the water』は世界的にも大きな反響を受け、国内外での展示や出版へとつながった。
本展では、新作《1961 They Were Standing There》を紹介。「1961」の文字が示すように、1961年、楢橋の父・楢橋國武が訪れたソ連、東欧の写真を、昨年夏より作家が選び、プリント制作した作品となっている。
撮影から63年後の2024年、楢橋が選び、制作されたプリントには、時代やテクノロジー、国家や個人のアイデンティティの変化など、写真には写らない移ろいを描き出すように、粒立つ粒子、剥離や傷、ビネガーシンドロームの痕跡が、ゼラチンシルバープリントによって描き出される。
楢橋は、学生だった1980年代半ばに写真家・森山大道のワークショップ「フォトセッション」に参加した。卒業後の1989年、個展やグループ展を含め、一年を通して約10回に及ぶ展覧会を開催。沖縄をはじめ、国内の各地へ撮影行を繰り返し、写真家としての活動を始める。当時はとくに写真展というかたちにこだわり、自身の作品を発表する場として1990年にギャラリー「03FOTOS」をオープンした。
1997年には初めての写真集『NU・E』(蒼穹舎、1997)を出版。その後も『フニクリフニクラ』(蒼穹舎、2003)を出版し、2000年ごろより、のちに『half awake and half asleep in the water』(2007)としてまとめられ、またその後も『Ever After』『近づいては遠ざかる』などに続いていく、水の作品の撮影を開始。『half awake and half asleep in the water』は世界的にも大きな反響を受け、国内外での展示や出版へとつながった。
本展では、新作《1961 They Were Standing There》を紹介。「1961」の文字が示すように、1961年、楢橋の父・楢橋國武が訪れたソ連、東欧の写真を、昨年夏より作家が選び、プリント制作した作品となっている。
撮影から63年後の2024年、楢橋が選び、制作されたプリントには、時代やテクノロジー、国家や個人のアイデンティティの変化など、写真には写らない移ろいを描き出すように、粒立つ粒子、剥離や傷、ビネガーシンドロームの痕跡が、ゼラチンシルバープリントによって描き出される。