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2026.1.20

「知覚の大霊廟をめざして──三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション」開幕レポート。インタラクティヴ作品を通じて、自らの知覚とインタラクションのメカニズムに向き合う

2015年に急逝したアーティスト、三上晴子の活動をメディア・アート的側面から振り返る「知覚の大霊廟をめざして──三上晴子のインタラクティヴ・インスタレーション」が、2026年3月8日までNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で開催されている。

文・撮影(*を除く)=中島良平

展示風景より、《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025)
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 1984年より、情報社会と身体をテーマとした大規模なインスタレーション作品の発表を開始したアーティストの三上晴子。90年代以降には知覚をテーマとするインタラクティヴ・インスタレーションを国内外で発表し、人間が世界と接続し、関係を結ぶ端緒となる知覚行為そのものをテーマとする作品によって注目を集めてきた。

 2015年の急逝を機に、近年では1990年代前半の4作品が東京都現代美術館に収蔵されるなど、再評価の機運が高まっている。しかしながら、規模が大きく作品設置に複雑な工程を要することから、インタラクティヴ作品の展示機会は限られていた。そんななか、97年の開館前のプレ活動期から三上と関係を深めてきたICCにおいて、大型インスタレーション作品3点を同時に展示する、国内外で初となる機会が実現した。企画を担当したのは、NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で学芸員を務める指吸保子だ。

展示風景より、《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025)。写真は作品説明をする指吸保子(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] 学芸員)

 最初に向かった作品が、三上晴子が建築家の市川創太と共同で手がけた《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025)。複数の人が自由に歩き回ることで起こる変化が、リアルタイムで画像・音・光へと変換され、相互に関係しながら空間全体が大きく変容していく体験型インスタレーションだ。「Gravity(重力)」により、複数の要素としての「Cell(細胞、小さな部屋)」が影響し合うという意味を込めた造語がタイトルとなっているように、重力が本作の重要なテーマとなっている。

 指吸は「私たちは重力の負荷を無意識に受けていて、その影響下で生活をしている」と話す。

人はなぜ、嬉しい時には上を見上げ、胸が高鳴り、飛び上がるのか。そして、悲しい時は首をもたれ、うつむくのか。これらは、私達は精神までも重力に縛られていることの表れであり、「上下」という価値観は、神は常に情報に存在し、地獄は地下にあるとされていることからもうかがえる。(*1)

「重力とそれに対する抵抗のなかで、私たちは刻々と変化しながら生きている。そのことが、このインタラクティヴなインスタレーションに表現されている」と指吸は語る。

展示風景より、《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025)

 展示空間に構築されているのは、重力とそれに対する抵抗という、相互に引き合う仮想の力の場だ。体験者がパネルを敷き詰めた床の上に足を踏み入れると、その位置、重さ、速度を床下のセンサーが検知し、それらによる力の場の変化が線の歪みや音として表現される。さらに、会場上空にあるGPS衛星も、仮想の力学場の要素となり、作品空間に影響を与えていく。万有引力が働くこの世界では、我々の身体や知覚もまた、立ち、歩き、移動する際に重力を前提条件としている。作品の上を歩き、線の歪みや音の動きと同期することで、その事実を再認識させる作品だ。

 ちなみにこの作品は、2003年にICCの無響室にてプロトタイプ《重力と抵抗:無響室バージョン》が発表され、翌04年に山口情報芸術センター[YCAM]にて委嘱制作されたものだ。10年にはアップデートが行われ、頭上に位置するLEDが明滅する四角いフレームが4面のスクリーンに置き換えられたが、今回は空間的な条件などの理由から、オリジナルバージョンのLEDを用いて展示された。技術の進歩や展示環境との関係のなかで変容しうる、メディア・アートならではの特性も感じさせる。

展示風景より、《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025、部分)
展示風景より、《gravicells—重力と抵抗》(2004/2010/2025、部分)

*1──三上晴子+市川創太《gravicells− 重力と抵抗》は、2004年に山口情報芸術センター[YCAM]にて発表された。本文は、当時配布されたカタログ内「作品の背景にある重力と知覚について」より引用。

 次に向かったのは、《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019)の展示室だ。体験者の視線を視線入力装置によって感知し、その軌跡を仮想の三次元空間内に生成していくインスタレーション作品で、予約制でひとりずつ体験することができる。

展示風景より、《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019)

 原型となっているのは、アーティストとキヤノンのエンジニアとのコラボレーションにより作品制作を行うキヤノン・アートラボで、三上が1996年に発表した《モレキュラー インフォマティクス—視線のモルフォロジー》である。同作は2002年までにVer. 4.0までアップデートが重ねられた。それから、およそ7年を経て同作品を再制作する機会が生じたが、コンピュータの処理速度の大幅な向上により、視線の軌跡を描画するスピードが飛躍的に高まったことや、音響システムが三次元音響へ構成し直されたことなどから、新作としてタイトルが改められた。

 体験者は、視線の動きと方向を計測できるゴーグル型のデバイスを装着し、視線の向きによって仮想空間を浮遊することができる。「視ることそのものを視る」「リアル・ヴァーチュアリティ」というコンセプトは前作から引き継がれており、鑑賞終了後には、体験中の自身の視線による移動の軌跡でできたヴァーチャルな立体物がスクリーンに映し出される。その彫刻的なかたちで立ち現れる軌跡こそが、「視ることそのものを視る」を具現化したものだと言えるだろう。

展示風景より、《Eye-Tracking Informatics》(2011/2019)。写真は、体験後に映し出される視線の軌跡

 無響室でも、ICCコレクションの1作品《存在、皮膜、分断された身体》(1997)を予約制で体験することができる。音の反響がない特殊な空間に身を置いた鑑賞者自身が、聴診器型のツールで自身の心拍や肺の音をスキャンすると、それがパラメータとなって3Dポリゴンを継続的に変化する映像となる。同時に、スピーカーから流れる体内音がリアルタイムで増幅されることで、自身の内と外から聞こえる音のずれが生じ、意識や感覚と身体との分離を引き起こすことが狙いとされている。

 ICCが1997年4月に開館する際、常設展示として10作品が委嘱制作されたが、そのうちの1点である本作は、展示室のひとつとして設けられた無響室で展示された。三上はこの作品を、身体器官の音を空間内に拡張・変容させていく「知覚による建築」を提示するものだと表現している。

無響室(*) 撮影=冨田了平 写真提供=NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

 2000年を最後に展示の機会がなかったため、再展示に向けて調査と修復が進められたものの、来場者がインタラクティヴに体験できる完全な状態まで復元することは叶わず、アーティスト自身の心音で体験する「サウンド・インスタレーション版」の再現展示となった。自分自身の体内音を用いたインタラクティヴ作品を体験できなかったのは残念だが、三上晴子の体内音と、それを光に変換した映像による体感型作品を通じて、そこにはいない作家の存在を感じながら無響室に身を置く体験は、異世界と接続するかのような不思議で印象深いものだった。

展示風景より、「視ることそのものを視る—《モレキュラー インフォマティクス》から《Eye-Tracking Informatics》へ」

 本展では、「メディア・アートの修復──《存在、皮膜、分断された身体》の場合」や「視ることそのものを視る──《モレキュラー インフォマティクス》から《Eye-Tracking Informatics》へ」をはじめとした複数の資料展示があり、発表時の展示方法や作品のアップデートについての履歴が、映像やパネル、書籍などを通じて紹介されている。

 さらに、現役のアーティストである久保田晃弘、平川紀道、堂園翔矢による「インタラクションのアーカイヴとその計算論的分析」も展示されている。その理論的基盤として書かれたテキストの一部が、次のように引用されている。

インタラクティヴ・メディア・アートにおける「インタラクション」は、技術的なフィードバックだけではなく、感覚・知覚・時間経験を通じて主体と客体の境界を撹乱し、再編成する美的体験である。(中略)インタラクションは鑑賞者の行為によって実際に立ち上がる動的なプロセスで、作品の形態(ゲシュタルト)は鑑賞者の参与によって初めて具現化する。この生成過程こそがインタラクティヴ・アートの美学の核心である。

 三上の《Eye-Tracking Informatics》を対象に、展示で記録された鑑賞体験データを分析することで、インタラクションの分析と保存に向けた方法論の提案が行われているのだが、テクノロジーの進化によって表現のアップデートが繰り返されるメディア・アート特有の課題について、深く考えさせられる内容であると感じた。

展示風景より、「インタラクションのアーカイヴとその計算論的分析」

 最後に、三上晴子の大型インスタレーション《欲望のコード》(2010/2011)へ。センサーと小型カメラを搭載した90個の装置が一面に設置された「蠢く壁面」、天井から吊るされたカメラとプロジェクターを搭載した6基のロボット・アームによる「多視点を持った視覚的サーチアーム」、そして昆虫の複眼のように61画面で構成される巨大な円形の「巡視する複眼スクリーン」という、3つの要素で構成されている。

 カメラを搭載した装置は来場者の動きを感知して追尾し、撮影を続け、その映像は「巡視する複眼スクリーン」や床面に投影される。同スクリーンには、世界各地に設置された監視カメラ(CCTV)の公開映像も混在しており、情報学習によって生成AIが進化し、個人がデータ化され、監視社会が進行する現在を予見していた作品としてとらえることができる。

展示風景より、《欲望のコード》(2010/2011)
展示風景より、《欲望のコード》(2010/2011)の「巡視する複眼スクリーン」(*) 写真提供=NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

 三上は、「眼は単に視るものではなく、耳は単に聴くものではない。すなわち、耳で視て、鼻で聴いて、眼で触ることが可能である」(*2)という言葉を残しており、鑑賞者が自らの知覚とインタラクションのメカニズムに向き合う体験を、作品を通して提示することを試みたのだ。

 つまり、個人が世界とどのように接続しうるのか。個人の身体において膨大な情報量を伴う運動が生まれ、それがインタラクティヴに世界と結びつくことで、人間の潜在能力が引き出され、知覚領域の拡張が起こるのではないか。そんな想像を喚起するインスタレーションを、ぜひ会場で体験してほしい。

展示風景より

*2──『SEIKO MIKAMI:三上晴子 記録と記憶』馬定延/渡邉朋也 編著、NTT出版、2019。