2026.10.9

万博の「null²」が横浜で“転生”。落合陽一の常設ミュージアムシアター「null²ⁿ」とはどんな場所?

メディアアーティスト・落合陽一が手がけ、大阪・関西万博で大きな話題を集めたシグネチャーパビリオン「null²(ヌルヌル)」。その世界観を継承した常設ミュージアムシアター「null²ⁿ(ヌルヌルネクサス)」が、10月14日に横浜ランドマークタワー内にオープン。万博から約1年を経て、どのように進化したのか。オープンを前に、その内部をレポートする。

文・撮影=橋爪勇介(編集部)

会場風景より
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万博から横浜へ。「null²」の新たな展開

 2025年の大阪・関西万博で、大きな注目を集めたパビリオンのひとつが、メディアアーティスト・落合陽一がプロデュースした「null²(ヌルヌル)」だ。その体験を継承する常設ミュージアムシアター「null²ⁿ(ヌルヌルネクサス)」が、10月14日に横浜・みなとみらいのランドマークプラザ5階にオープンする。

 大阪・関西万博の「null²」は、仏教哲学の「空」と計算機科学の「null」を重ね合わせた概念を基盤に、特殊ミラー膜やLED、ロボティクスなどを組み合わせた体験型インスタレーションとして制作された。落合が提唱する「計算機自然(デジタルネイチャー)」の世界観を具現化し、会期中にはのべ約60万人が来場した。

大阪・関西万博の「null²」パビリオン

 万博の閉幕後には、パビリオンのレガシーを未来につなぐためのクラウドファンディング「ぬるぬるのお引越」が実施され、1万5821人から約2億8150万円の支援を集めた。今回の横浜での常設化は、そうした万博のレガシーを継承するプロジェクトでもある。

 ただし、「null²ⁿ」は大阪のパビリオンをそのまま移設したものではない。万博での体験を核としながら、新たな空間構成や演出を加え、独立したミュージアムシアターとして再構成されたものだ。

落合陽一 国際園芸博覧会「GREEN×EXPO 2027」公式マスコットキャラクター「トゥンクトゥンク」と大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」とともに

 記者発表に参加した落合は、今回の施設について「大阪万博ではやりきれなかった作品要素がある」と説明。万博では物理的な展示物が比較的少なかったのに対し、横浜では様々な実物の道具や装置を取り入れ、人間が道具をつくり、現在の計算機とともに生きるに至った過程をたどれる構成にしたという。

 その背景にあるのは、落合が長年研究してきたコンピューターと道具の関係だ。「人間が道具を使い始めてから約300万年。AIが出てきて、人間は道具を自分でつくることから卒業しそうになっている。人間以外のものが発明し、人間以外の工場設備がそれをつくるようになれば、私たちの考え方も、自然との付き合い方も、人と人とのコミュニケーションも大きく変わっていくのではないかと思います」(落合)。

 落合によれば、そうした変化のなかで、人間の身体や記号、知性とは何かという問いを、難解な理論としてではなく、体験を通して理解し、芸術的に感じられる施設を目指したという。「null²ⁿ」の名称にある「NEXUS」は、結節点を意味する。落合は「ここに人が集い、何かのハブになるような場所になってほしい」と語り、たんなる展示施設を超えた場としての発展にも期待を寄せる。

5つの体験エリアと2つのLEDシアター

 では、実際に「null²ⁿ」ではどのような体験が待っているのだろうか。今回の施設の核となるのが、2つの巨大なLEDシアターだ。大阪・関西万博ではLEDシアターは1室だったが、横浜では2室へと拡張。光と鏡、映像を組み合わせることで、現実と仮想の境界が曖昧になるような空間体験を生み出す。

 施設は5つの体験エリアを中心に構成され、入口の「門」から最後の「橋」まで、約60分かけて順番に巡る構成となっている。落合自身による各エリアの解説とともに、その内容を紹介していこう。

 最初に訪れるのは、「門(Gate)」と呼ばれる空間だ。「皆空鏡門」と題されたこの場所では、大阪・関西万博でも使われたミラー膜で覆われた震える壁面が、「null」の世界への入口として来場者を迎える。落合によれば、視覚や聴覚だけでなく身体全体で感じる体験によって、日常の世界から非日常的な空間へと移行する感覚を生み出しているという。

「門(Gate)」と呼ばれる最初の空間

 続く「壱(First Room)」は、「さよならホモサピエンス」と題されたエリア。大阪・関西万博のミラーシアターを横浜向けに再構成したもので、万博では4面だったLEDが5面へと拡張された。

 この空間では生命が出現するかのような映像表現や、アプリを使用することでデジタルヒューマンとなった自分自身との対話、AIと人間が生み出す様々な風景を体験できる。人間が日常的に身につけている記号や意味を手放し、自らの身体や存在を捉え直すことを促す空間だ。

壱(First Room)
壱(First Room)
壱(First Room)

 次の「弐(Second Room)」は、「無眼界の夢」と題された空間。ここでは一転して視覚的な演出が排除されている。

 落合はこの空間について、視覚的な体験を一切設けていないことを特徴として挙げた。視覚情報に依存しがちな現代人に対し、聴覚と身体感覚による異なる世界の認識を提示するものとなっている。

 さらに「参(Third Room)」の「質量への承継」では、これまでのデジタルな体験から一転して、物理的な道具や装置が主役となる。このエリアには、カメラや工具など、人間が長い歴史のなかで生み出してきた様々なメディアや道具を集めた棚が設けられている。これらは人間が道具を用いていかに世界を認識し、記録し、表現してきたかという歴史を浮かび上がらせるものだ。

棚が無限に続くように見える「参(Third Room)」

 ここで落合が問いかけるのは、人間にとって「記号」とは何なのか、ということ。今回の施設で重視した、人間と道具の関係がもっとも具体的なかたちで示されるエリアと言えるだろう。

「参(Third Room)」には現代ではなかなか目にすることがない機器なども展示
「参(Third Room)」より

 そして「肆(Fourth Room)」の「潜在空間の夢」では、再びデジタル空間へと足を踏み入れる。

 ここで展開されるのは、コンピューターが内部で見ている世界や、AIが学習していく過程を可視化したかのような映像空間だ。落合はこのエリアについて、人間と計算、そして計算と自然との関係を、説明を聞くのではなく、五感を通して捉え直すことを意図していると説明。インタラクティブな演出も取り入れられており、鑑賞者の存在によって変化する体験が用意されている。

肆(Fourth Room)
肆(Fourth Room)

 最後の「橋(Bridge)」は、「記号の彼岸」と題された空間。デジタルとフィジカル、視覚と聴覚、記号と物質の世界を巡った来場者は、ここを通り抜けることで再び日常へと戻っていく。

万博のレガシーはどこへ向かうのか

 この「null²ⁿ」は、落合が構想する「計算機自然」の新たな展開の一部でもある。2027年3月19日に横浜で開幕する国際園芸博覧会「GREEN×EXPO 2027」では、新作となる「null⁴(テトラヌル)」が公開される予定だ。「null⁴」は、同博覧会の「SATOYAMA Village」に設置される生命彫刻館として構想されている。4棟の鏡面体が回転しながら周囲の風景を映し込み、花や空、森、人々の姿を取り込むことで、自然環境そのものを変容させる作品となる。

null⁴のイメージ ©Yoichi Ochiai

 大阪・関西万博の「null²」が建築的なパビリオンとして「計算機自然」を体現し、横浜の「null²ⁿ」が都市の常設施設としてその体験を再構成するのに対し、「null⁴」では自然環境そのものへと表現の領域が拡張されることになる。こうした展開のなかで、「null²ⁿ」が常設施設であることにも大きな意味がある。

 落合は、施設に多くの計算機器が導入されているいっぽう、演出の大部分がソフトウェアによって構成されていることを説明。「例えば中の演出を変えたり、花火と連動させたりと、時期に合わせてこの常設シアターの中も大きく変わっていく」と語った。

 つまり、「null²ⁿ」は一度完成したら終わりという施設ではない。今後もソフトウェアの更新や演出の変更によって、作品そのものが変化していくことが想定されているのだ。「これからが新しいスタートです。いろいろなものがアップデートされたり、作品がより良くなっていったりすると思うので、ぜひ一度ではなく、何度も遊びに来ていただければと思います」(落合)。

 大阪・関西万博では、来場希望者の多さに対して入場者数が限られたことも課題だった。その点、横浜では常設というかたちで、より多くの人々が時間をかけて作品に触れることが可能になる。

 期間限定の巨大イベントで生まれたメディア・アートの体験を、いかに継承し、発展させることができるのか。「null²ⁿ」はそのひとつの試みであると同時に、変化し続けることを前提とした、新たなミュージアムのあり方を提示するものとも言えるだろう。大阪から横浜へ。そして、みなとみらいの都市空間から上瀬谷の里山へ。「null²」が提示した人間とテクノロジー、自然との新たな関係は、場所と姿を変えながら展開を続けていく。