2026.10.10

特別展「Double Body―細江英公と土門拳」(土門拳写真美術館)レポート。「肉体」を通じて見える2人の巨匠の美学とは

山形県酒田市の土門拳写真美術館で、特別展「Double Body―細江英公と土門拳」が10月12日まで開催されている。会場の様子をレポートする。

細江英公が撮影した三島由紀夫を被写体とする写真集「薔薇刑」(1963)
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 山形県酒田市の土門拳写真美術館で、特別展「Double Body―細江英公と土門拳」が10月12日まで開催されている。担当は同館学芸員の田中耕太郎。

 土門拳写真美術館は、旧称「土門拳記念館」として1983年に開館した。谷口吉生の設計による建築、勅使河原宏が手がけた庭園、イサム・ノグチの彫刻、亀倉雄策による銘板など、土門とゆかりの深い表現者たちの協働によって生まれた意匠が深い印象を残す。酒田市出身の写真界の巨匠・土門拳(1909~1990)の約13万5000点を収蔵する、日本初の写真専門美術館として知られる存在だ。館内では、代表作「古寺巡礼」をはじめ、「ヒロシマ」「風貌」「筑豊のこどもたち」といった昭和のドキュメント、そして日本の美と心を追求した名作群が、テーマごとに展示替えを行いながら紹介されている。

 本展が光を当てるのは、近現代の写真史に大きな足跡を残した土門と、細江英公(1933~2024)の2人だ。土門は当初画家を志すも断念し、一時は農民運動に身を投じたが、24歳で写真館の内弟子となり表現者としての新たな回路を見出した。1935年に名取洋之助が主宰した「日本工房」へ参画すると、最先端のフォトジャーナリズムを吸収し、報道写真家としての才能を一気に開花させていく。

 いっぽうの細江は山形県米沢市生まれ。幼少期に東京へ移住するも、戦時下の学童疎開で再び山形へと戻った。戦後の復興期に写真と出会い、学生時代から「富士フォトコンテスト」で最高賞を受賞するなど早くから異彩を放つ。のちに戦後写真史において、肉体やヌードを題材にした金字塔を打ち立てることとなる

展示風景

 会場では全13章におよぶ細やかな切り口を通じ、2人の歩みと表現のあり方を多角的に追う。約200点もの作品を介し、世代も作風も異なる両者を「肉体」という視点から読み解く初の試みだ。なお、館内では銀の額縁が土門、黒の額縁が細江作品と色分けされている。

萌芽する才能、研ぎ澄まされる肉体への視線

 第1章「美しい肉体と傷ついた身体」では、写真家として歩み始めた1930年代から戦後に至る土門の初期活動を紹介する。写真館の門生として営業写真を手がけるいっぽう、それだけにとどまらず「日本工房」に参加。報道写真家としての第一歩を踏み出した。

第1章「美しい肉体と傷ついた身体」の展示風景

 戦時中には『NIPPON』(日本工房、1934〜44)や『写真週報』(内閣情報部、1938〜45)といったグラフ誌で写真を担い、国策プロパガンダの一翼を担うこととなる。しかし敗戦を迎えると、戦時の演出的な表現を深く反省し、新しい写真のあり方を模索。1950年頃からは現実をありのまま捉える「リアリズム運動」を精力的に展開し、多くの若手写真家へ大きな影響を与えた。

健康な身体、傷痍軍人の対比。戦後日本のリアルな姿を伝える

 土門がキャリアを打ち立て始めた頃、細江が誕生する。学生時代からすでに頭角を現していた細江は、大学受験を控えた17歳頃に「富士フォトコンテスト」で最高賞を獲得。第2章「細江英公登場」では、その受賞作であり、東京・成増の米軍キャンプ地で外国の子供たちを捉えた「ポーディちゃん」(1950)が展示されている。

 1952年に東京写真短期大学へ入学した後は、友人の画家・瑛九が主宰する「デモクラート美術家協会」に加入。河原温をはじめ、のちの現代美術界を牽引する異能たちとジャンルを超えた芸術論を交わした。さらに舞台やダンスにも深い関心を寄せてダンサーを精力的に撮影したほか、1956年には「プロは自分のテーマを持たなければならない」という思想のもと、フォトストーリー作品も発表している。

第2章「細江英公登場」の展示風景より、「ポーディちゃん」(1950)

 のちに細江作品を象徴することになる「人間の生命や肉体の輝き」「国際的な視座」「記録と美術としての写真の横断」「舞台的・演劇的な時空間」といった要素は、すでに初期から刻み込まれていたようだ。その軌跡は第2章をはじめ、第3章「おとこと女」、第4章「抱擁」からもうかがい知ることができる。なかでも第3章で紹介される「おとこと女」(1959〜60)は、暗黒舞踏の創始者・土方巽らダンサーたちを捉えた傑作であり、細江の出世作と言えるシリーズだ。

第3章「おとこと女」の展示風景
第4章「抱擁」の展示風景

 第5章「2つの『八章』-肉体と皮膚」では、土門が戦後間もない1940年代後半に手がけた実験的シリーズ「肉体に関する八章」「皮膚に関する八章」を取り上げる。写真表現における「新即物主義」的なアプローチでありながら、タイトルと対象の存在感をストレートに連動させ、観客の身体感覚へ直接訴えかけるような表現が試みられている。写真という媒体の限界を押し広げようとした、土門の強い意欲が伝わる展示だ。

第5章「2つの『八章』-肉体と皮膚」の展示風景
土門の「新即物主義」の影響は、第7章「千年の身体」で紹介される「古寺巡礼」シリーズにも見受けられる

時代を穿つ被写体を捉えた、ふたつの美学

 1939年に日本工房を去り、戦後はリアリズム運動を牽引した土門。このおよそ10年の間に、彼はどのような思想を胸にカメラを構えていたのか。第6章「戦後肉体群像」ではその足跡を追う。

 戦時中は戦意高揚のための国策写真を手掛けた土門だったが、雑誌『広告界』1941年1月号の表紙を飾った《女人目玉》や、1946年に復刊した写真雑誌『カメラ』で発表した、まだ乳飲み子だった実娘を写した《真魚子》などを世に送り出していく。

第6章「戦後肉体群像」の展示風景

 いっぽう、1947年に新生社から創刊された雑誌『東京』や『女性』には、敗戦後の解放感と欧米化を謳歌する都市の若者やダンサーの姿が捉えられている。これらは雑誌側の企画意図を反映した側面も強いと見られるが、第5章から続く「肉体」への並々ならぬ関心がそのまま息づいていることがわかる。土門が戦時中に捉えた肉体とは、明らかに異なる意味合いを帯び始めた「戦後の肉体」。この時期の作品群はこれまで目にする機会が限られていたが、本展のために新たにプリントされた貴重な作品も出品されている。

第8章「芸術家たちの肖像」。細江にとって重要な先達であった暗黒舞踏の大野一雄や美術家の靉嘔らの写真。そのカットの数々は舞台のワンシーンを切り取ったかのような緊張感が伝わる

 1965年頃になると、細江は知人の肖像を継続的に撮影し、『アサヒカメラ』や『中央公論』の連載で発表していく。第8章「芸術家たちの肖像」では、細江のレンズが捉えた多彩な芸術家たちのポートレートが一堂に会する。

第9章「被寫體・三島由紀夫」より、細江英公が撮影した三島由紀夫を被写体とする写真集「薔薇刑」(1963)

 そして、この2人の写真家にとってきわめて重要な被写体となったのが小説家の三島由紀夫(1925〜1970)だ。第9章「被寫體(被写体)・三島由紀夫」では、2人が三島という稀代の表現者をいかに捉えたかを対比しながら鑑賞できる。細江は「おとこと女」を高く評価した三島本人からの依頼を受けて撮影を開始。本展のメインビジュアルでもある裸体写真集『薔薇刑』(1963)は、その耽美でドラマチックな世界観が国内外に大きな衝撃を与えた。

土門が撮影した「三島由紀夫の衣・食・住」(1955)

 このおよそ10年前、土門もまた三島を撮影していた。「三島由紀夫の衣・食・住」(1955)に収められた20代半ばの三島は、プライベートな佇まいや日常の柔らかな表情を見せており、素顔の人物像が透けて見えるようだ。会場には一般に知られる「イメージとしての三島」とは異なるアナザーカットも並び、非常に興味深い。キャプションに記された「写真の選ばれ方や使われ方によってその被写体が与える印象は大きく変化することを示している」という言葉が、この章の魅力を見事に物語っている。

故郷の風と子供たちに刻まれた、生と未来のビジョン

 第10章「海を超えて」では、当時の日本では先駆的だった細江の国際色豊かな作品群と、その裏で深まっていく日本人のアイデンティティを感じさせる作品を交えて展示する。続く第11章「日本の肉体-社会と古典」では、戦後の土門の活動として重要な写真集『ヒロシマ』(研光社、1957)を紹介。戦後の都市の空気、伝統美、そして社会問題を捉えた土門の仕事は、「日本」という巨大なテーマそのものを内包している。

第11章「日本の肉体-社会と古典」の展示風景。手前は『ヒロシマ』(1957)より、《被爆者同士の結婚》

 美術館のある山形県酒田市は土門の生誕地だが、彼は6歳で上京して以来、47歳になるまで故郷の土を踏むことはなかった。「日本一の写真家になるまでは帰らない」と公言するなど、東北に対しては愛憎半ばする複雑な感情を抱いていたとされる。対する細江は米沢市に生まれ、終戦までの幼少期をこの地で過ごした。第12章「東北より愛を込めて」では、同じく東北・秋田の出身の土方巽を捉えた細江の代表作「鎌鼬(かまいたち)」シリーズと、取材で再び酒田を訪れた際の土門のポートレート2点が並ぶ。東北にルーツをもつ2人が、いかにして郷土を見つめ直したのか、その深層が浮かび上がる。

第12章「東北より愛を込めて」の展示風景

 最終章となる第13章「生まれ出づる身体」では、土門と細江が捉えた子供たちの写真が一堂に会する。そこにどのような未来や希望を見出そうとしたのか、作品群が隣りあい、あるいは向かいあうかたちで並ぶ。

 とりわけ強い印象を残すのが、戦後リアリズムの潮流のなかで流行した「乞食写真」の扱いだ。過酷な社会課題として現実に切り込んだ土門と、どこまでも子供の愛らしさや生命力をすくい取った細江による母子写真。対照的な2つが象徴するように、同じ時代背景を共有しながらも、「肉体」というテーマを通じて描き出されたのは、2人の巨匠による美学そのものであった。

第13章「生まれ出づる身体」の展示風景