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2026.10.3

「禅とジブリ」京都展(京都市京セラ美術館)開幕レポート。なぜ、ジブリが禅なのか?

スタジオジブリが企画制作する展覧会「禅とジブリ」京都展が、10月3日に京都市京セラ美術館 新館 東山キューブで開幕した。鈴木敏夫と3人の禅僧による対談をまとめた著書『禅とジブリ』を原点に、『君たちはどう生きるか』を中心とした空間演出やジブリ作品の場面、鈴木の書画などを通して、「禅的なまなざし」とは何かを問いかける。その会場をレポートする。

文・撮影=橋爪勇介(編集部) 

会場冒頭に登場する青サギ(『君たちはどう生きるか』) ©︎ Studio Ghibli
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 京都市京セラ美術館の東山キューブで「禅とジブリ」京都展が開幕した。会期は12月6日まで。スタジオジブリと日本テレビが企画・制作する本展は、一見すると意外にも思える「禅」と「ジブリ」の関係を、空間そのものを通して体感しようとする展覧会だ。

『君たちはどう生きるか』から「あっちの世界」へ

 展覧会の原点となったのは、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫が2018年に刊行した『禅とジブリ』(淡交社)。鈴木が玄侑宗久、横田南嶺、細川晋輔という3人の禅僧と対話し、『もののけ姫』『火垂るの墓』などのジブリ作品や、宮﨑駿、高畑勲との映画制作をめぐる経験を通して、死生観や人生について語った一冊だ。

 では、なぜ「禅」と「ジブリ」なのか。両者を結びつけるのは、ジブリ作品に見られる、善悪を単純に二分せず、答えを急がない姿勢だ。すべてを理解し、割り切ろうとするのではなく、ときに曖昧さを残したまま世界を受け止める。そうした態度は、物事を性急に判断することなく、ありのままに見ようとする禅の考え方とも重なっていく。その関係をもっとも象徴的に示す作品として、本展の中心に据えられているのが、宮﨑駿監督の長編映画『君たちはどう生きるか』(2023)だ。

会場に向かう廊下にも「青サギ」が登場する ©︎ Studio Ghibli
会場風景より、『君たちはどう生きるか』の絵コンテと原画 ©︎ Studio Ghibli

 同作では、母を亡くした主人公・眞人が、アオサギに導かれ、現実とは異なる世界へと足を踏み入れていく。本展でもこの構造をなぞるように、アオサギを起点として、第1章「あっちの世界、こっちの世界」へと来場者を誘う。

 そこに広がるのは、『君たちはどう生きるか』に登場する「時の回廊」を思わせる空間だ。いくつもの扉の向こうには、それぞれ異なるジブリ作品の世界が展開されている。『千と千尋の神隠し』(2001)では湯婆婆が待ち構え、『崖の上のポニョ』(2008)ではポニョが巨大な魚の上を駆け、『ハウルの動く城』(2004)では城がダイナミックな動きを見せる。

第1章展示風景。右の扉の奥には『ハウルの動く城』の世界が広がる ©︎ Studio Ghibli

 ジブリ作品では、日常から非日常へ、あるいはこちら側から「あちら側」へと、登場人物が境界を越えていく場面が繰り返し描かれてきた。本展では、そうした様々な「あっちの世界」を、立体造形や映像、空間演出によって横断していく。

 本展を担当したスタジオジブリ プロデューサー部の出野龍郎によれば、展覧会は鈴木の発案から約5年をかけて構想されたという。その中心に『君たちはどう生きるか』を選んだ理由について、出野は、ひとつの映画を深掘りすることに加え、同作が「あちら側」へ行き、再び「こちら側」へ戻ってくる構造を持つ作品であることを挙げる。そして本展そのものが、「『君たちはどう生きるか』が投げかけた問いへのひとつの応答」でもあり、来場者にとって禅とは何かを考えるきっかけになればと語っている。

カオナシが誘う空間 ©︎ Studio Ghibli

宮﨑駿と鈴木敏夫、40年にわたる「禅問答」

 いっぽう、本展が見せるのはジブリ作品の世界だけではない。その背後にある、宮﨑駿と鈴木敏夫の関係も重要なテーマのひとつとなっている。

 鈴木は宮﨑との関係について、40年にわたり過去の話をほとんどせず、つねに「いま、ここ」に向き合ってきたと語っている。展覧会では、そんなふたりの関係を、過去でも未来でもなく現在に意識を向ける禅的な姿勢と重ね合わせる。

 その関係をユーモラスに見せるのが、第2章「お茶をどうぞ」だ。トトロと『君たちはどう生きるか』のサギ男がお茶を淹れる空間に、宮﨑と鈴木の日常的なやりとりが重ねられる。壮大な物語を生み出してきたふたりだが、その創作の根底にあるのは、日々交わされる何気ない会話でもある。ここでは、宮﨑と鈴木が長年続けてきた対話そのものが、一種の「禅問答」のように浮かび上がる。

第2章の会場 ©︎ Studio Ghibli
カウンターの中にはトトロとサギ男が ©︎ Studio Ghibli
宮﨑駿と鈴木敏夫の問答がテキストで展示 ©︎ Studio Ghibli

ジブリ作品の言葉から「禅」を考える

 続く第3章「うまれるところ」では、『禅とジブリ』で鈴木と3人の禅僧が交わした言葉が、ジブリ作品の場面写真とともに紹介される。

 ここで目指されているのは、禅を難解な宗教思想として解説することではない。見覚えのある映画の場面と、禅僧や鈴木の言葉を重ねることで、それぞれの言葉を自分自身の生き方やものの見方へと引き寄せて考えることが促される。

 さらに展示されるのが、鈴木が描いた絵に、龍雲寺住職の細川晋輔が賛を添えた「ジブリ禅画」だ。そこに登場するのは、トトロをはじめとするお馴染みのキャラクターたち。映画プロデューサーとして長年にわたり宮﨑の絵と向き合ってきた鈴木自身が、「書く」「描く」という行為を通して禅へと接近していく様子を見ることができる。

第3章の展示風景 ©︎ Studio Ghibli
ジブリ禅画にはお馴染みのキャラクターたちが描かれている ©︎ Studio Ghibli
第3章の展示風景 ©︎ Studio Ghibli

「禅」は僧侶だけのものなのか

 展覧会後半になると、視野はジブリの世界からさらに外側へと広がっていく。第4章「それぞれの禅」では、修行僧たちの日常生活を、実際に使われている生活用品などとともに紹介する。禅を坐禅や寺院のなかだけに存在するものとしてではなく、食事や掃除、仕事といった日々の営みのなかにも見出そうとするものだ。

第4章展示風景 ©︎ Studio Ghibli

 ここで取り上げられるのが、禅を「ZEN」として海外に紹介した仏教学者・鈴木大拙、京セラを創業し、経営と人間形成を結びつけて考えた稲盛和夫、そして江戸時代を代表する禅僧で、独特の禅画でも知られる白隠慧鶴だ。

 3人が遺した書やゆかりの品を通して見えてくるのは、禅が必ずしも僧侶だけのものではないということだ。それぞれ異なる立場にありながら、禅を自らの生き方や仕事へと引き寄せてきた人々の姿が示されている。

「この時代をどうやり過ごすか?」

 そして展覧会の終盤、「この時代をどうやり過ごすか?」を占めるのが、鈴木敏夫による多数の書画だ。

 鈴木はスタジオジブリの映画や展覧会で数多くの題字を書いてきた。その関心はやがて、白隠慧鶴の禅画にも向かっていく。白隠への関心は、「禅とジブリ」という企画そのものが生まれるきっかけのひとつにもなったという。

第5章の入り口 ©︎ Studio Ghibli

 会場には、白隠の禅画を模した掛軸をはじめ、「火垂庵」と題された茶室、そして鈴木が記してきた様々な言葉が並ぶ。その先で来場者を迎えるのが、本展のキャッチコピーにもなっている「この時代をどうやり過ごすか?」という問いだ。

左が白隠の禅画を模した掛軸 ©︎ Studio Ghibli

 「禅とジブリ」が提示するのは、ジブリ作品のなかに禅思想の「正解」を探し出すことではないだろう。むしろ、作品のなかに存在する割り切れなさや余白をそのまま受け止めながら、目の前にあるものをどう見るのかを来場者自身に委ねている。その意味では、本展自体もまた、ひとつの答えへと鑑賞者を導くものではない。

 『君たちはどう生きるか』という問いから、「この時代をどうやり過ごすか?」へ。よく知られたジブリ作品の世界を入口としながら、その背後にある「ものの見方」や「生き方」へと視線を移していく。禅を知るためというよりも、禅を手がかりに、自らの現在を見つめ直すための展覧会となっている。