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2026.7.24

「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」(東京都美術館)開幕レポート。3つの場所の風景から美術館の100年を捉え直す

東京・上野の東京都美術館で、同館の開館100周年を記念した展覧会「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が開幕した。会期は10月7日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=三澤麦(編集部)

第三部「ブエノスアイレス―《百日草の庭》をめぐる100年」の展示風景。作品は藤岡鉄太郎《百日草の庭》(1926)の複製
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 東京・上野の東京都美術館で、同館の開館100周年を記念した展覧会「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が開幕した。会期は10月7日まで。担当は同館学芸員の大内曜。

 東京都美術館は、いまから100年前の1926年に日本初の公立美術館「東京府美術館」として上野公園内に誕生した。この100年という時間の単位は、人間ひとりの生涯とも等しく、社会のあり方や価値観が一巡するには十分な年月だ。そして、その変化の様相は「場所」によっても大きく異なる。

 本展は、この「100年」という膨大な時間を、「上野」「大牟田」「ブエノスアイレス」という3つの異なる地で紡がれた創作活動を通じて見つめ直す試みだ。一見すると接点のないように思えるこれらの場所が共鳴しあうとき、東京都美術館の100年はどのような姿として浮かび上がってくるのだろうか。

「上野」で紡がれた東京都美術館の100年

 展示は、3つの場所に則した3部構成となっている。第一部「上野—東京都美術館の100年」では、1920年代の誕生から戦中・戦後、そして1975年の新館開館以降の歩みを、当時の上野の風景とともに俯瞰する。

第一部「上野—東京都美術館の100年」の展示風景。「戦争美術展」に出品された作品や当時の上野の様子がわかる記録が並ぶ
左から、女流美術家奉公隊《大東亜戦皇国婦女皆働之図(春夏の部)》《大東亜戦皇国婦女皆働之図(秋冬の部)》(ともに1944)

 冒頭では、国家事業や公募展の舞台となった開館当初の姿を提示。いっぽうで、戦時下の戦意高揚のために開催された「戦争美術展」や、当時の上野で暮らす人々の日常を、絵画作品やスケッチ、記録写真などによって多角的に照らし出していく。

「読売アンデパンダン」展に出品された作品群
「読売アンデパンダン」展には九州派の作家らも作品を出品した

 さらに第一部の後半では、戦後の民主化のなかで広がりを見せた無審査・自由出品の「アンデパンダン展」、とりわけ同館を象徴する「読売アンデパンダン展」の出品作を振り返る。ここで第二部への重要な足がかりとなるのが、前衛美術集団「九州派」の存在だ。反東京・反公募展を掲げ、いわば「東京への殴り込み」を仕掛けた表現活動の背景には、福岡県大牟田市などの三井三池炭鉱で勃発した「三池争議」をはじめとする激しい労働争議があった。

 加えて、東京都美術館の開館には実業家・佐藤慶太郎による巨額な寄付があった。その資金源もまた、佐藤の故郷である九州の炭鉱業であったという示唆に富んだ事実も浮かび上がる。

「大牟田」で暮らした画家の100年

 同館の成り立ちと九州派の足跡をフックに展開する第二部「大牟田—江上茂雄の100年」では、大牟田で生きた画家・江上茂雄(1912〜2014)にスポットを当てる。三井三池鉱業所で働く傍ら独学で絵を学び、生涯にわたって大牟田の身近な風景を描き続けた人物だ。

同館のメインスペースには、第二部「大牟田—江上茂雄の100年」として江上の作品群が展示されている
江上によるスケッチ

 ここでは、江上が遺した膨大な作品群からおよそ400点を厳選し、展示している。若き日の水彩画や、徴兵を免れた際に肩身の狭さを抱えながら描いた路上植物のスケッチ、クレパス等で描かれた重厚な大画面の風景画、そして定年退職後の約30年間に描かれた水彩画までが、同館のメインギャラリーを埋め尽くす。江上が生きた101年のなかで紡がれた多彩な表現は、本展のハイライトのひとつと言えるだろう。

定年退職後に描かれた水彩の風景画。毎日遠方に出かけては1日1枚の風景画を完成させ、帰路に着くという取り組みを約30年間続けた
江上茂雄

 第一部で示された「上野」の100年と、「大牟田」で制作を続けた江上の100年。九州の炭鉱資金によって建てられた都美術館と、炭鉱の地で生活に根ざした表現を貫き、美術の中央とは距離を置いた江上。一見交わるはずのなかった2つの場所と時間がこの展示空間で交差したとき、見る者は何を受け取るのだろうか。

第一部の続き。左から、藤岡鉄太郎《百日草の庭》(1926)と鈴木昇一《臨海学校》(1927)
第二部の続き。江上が孫に宛てて送った絵入りのはがきと写真

 なお、本展のおもしろさは、この3つの場所がたんに綺麗に3分割されているわけではない点にある。第二部を抜けると、第一部の続きである「1975年の新館開館以降の活動」へと一度連れ戻されるのだ。ここでは本格的なコレクション収集の起点となった収蔵品、藤岡鉄太郎《百日草の庭》(1926)と鈴木昇一《臨海学校》(1927)の2点を紹介している。その後、再び第二部の「晩年の江上の活動」を経て第三部へと向かう。場所と時間が折り重なるような構造によって、それぞれの「風景」の境界線は徐々にぼやけ、重なりあっていく。

「ブエノスアイレス」に渡ったある日本人の100年

 第三部「ブエノスアイレス―《百日草の庭》をめぐる100年」では、先述の《百日草の庭》を出発点としたリサーチプロジェクトの成果が明かされる。

プロジェクトの開設を行う松本篤(AHA! 世話人)

 本プロジェクトには、個人の私的な記録の保存・活用をテーマに活動する「AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]」の松本篤が同館とともに並走した。作者でありながら経歴不明だった藤岡鉄太郎(ふじおか・かねたろう)の足跡を追う調査のなかで、作品収蔵の年である1927年にアルゼンチンへ渡った同姓同名(同字異音)の人物「藤岡鉄太郎(ふじおか・てつたろう)」の存在が浮上し、舞台は地球の反対側であるブエノスアイレスへと移動する。

第三部「ブエノスアイレス―《百日草の庭》をめぐる100年」の展示風景

 展示では、史料や遺族へのインタビュー、遺品などをもとに「ふたりの鉄太郎は同一人物なのか?」という謎にせまる。当時、炭鉱の閉山に伴い海を渡った人々が多く存在したという背景も重なり、「上野」「大牟田」「ブエノスアイレス」という遠く離れた地が、記憶と記録の奥底にある水脈で緩やかにつながっていく。

リサーチの過程が順を追って展示されている

 本展で展開される壮大なストーリーは、東京都美術館の「100年」を多角的に浮かび上がらせる試みでありながら、安易な結論を用意するものではなかった。周縁に追いやられてしまう大小様々な記録や記憶を丁寧に拾い上げるプロセスは、この視点に立体感と奥行きを与えている。その多層的な世界観に触れ、鑑賞者が歩んできた自身の時間や居場所を重ね合わせたとき、また新たな「この場所の風景」が立ち現れてくるのではないだろうか。