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2026.5.29

「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」(上野の森美術館)開幕レポート。ゴッホはなぜ「夜」を描いたのか

約20年ぶりに来日したフィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888)を中心に据えた「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」が、上野の森美術館で開幕した。クレラー=ミュラー美術館のコレクションを通して、ゴッホ制作の変遷をたどりながら、その色彩表現と創作思想の形成過程を読み解く本展をレポートする。

文・撮影=王崇橋(編集部)

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888年9月16日頃) キャンバスに油彩 80.7×65.3cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands
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 神戸、福島を巡回してきた「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」が、上野の森美術館で開幕した。会期は8月12日まで。

 本展は、オランダ・クレラー=ミュラー美術館の所蔵作品のみで構成される大規模展。ゴッホ研究において重要な位置を占める同館のコレクションを通じて、画家の前半生に焦点が当てられており、なかでも約20年ぶりに来日した《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888)は、本展の中心を成す存在だ。

 会場は、ゴッホが影響を受けたバルビゾン派とハーグ派に始まり、オランダ時代、パリ時代、そしてアルル時代へと至る5章構成となっている。上野の森美術館学芸員の斎藤菜生子は、本展について「ゴッホの長いオランダ時代をしっかり見てほしい」と語る。わずか10年の画業のうちの、約半分を占めるオランダ時代は、のちの鮮烈な色彩表現の印象からは見えづらいが、ゴッホ芸術の根幹を形成した重要な時期だった。

プレス内覧会で展示解説を行う上野の森美術館学芸員・斎藤菜生子

 第1章では、ゴッホが強い影響を受けたバルビゾン派とハーグ派の作品が紹介される。ジャン=フランソワ・ミレー《グリュシー村のはずれ》や《パンを焼く女》(いずれも1854)など、農民や労働者の日常を誠実に描いた作品群からは、ゴッホが惹かれた宗教的精神性や写実へのまなざしが浮かび上がる。

第1章「バルビゾン派、ハーグ派」の展示風景より、右はジャン=フランソワ・ミレー《パンを焼く女》(1854)

 斎藤によれば、聖職者を志していた経験を持つゴッホは、「貧しい人々の暮らしのなかにこそ誠実なものがある」と考えていたという。その視点は、ニューネンを拠点としていた時期の農民画へと結実し、ゴッホ初期の代表作《じゃがいもを食べる人々》(1885)へと結実していく。会場に展示されている《じゃがいもを食べる人々》はリトグラフ版であり、ゴッホが家族や画家仲間に自身の代表作を紹介するために制作したものだ。

第2章「オランダ時代」の展示風景より、右はフィンセント・ファン・ゴッホ《じゃがいもを食べる人々》リトグラフ版

オランダからパリへ

 オランダ時代の作品群では、暗い色調のなかに光を見出そうとする試みが印象的だ。《白い帽子をかぶった女の頭部》(1884-85)では、農婦の白い帽子が暗い背景のなかで静かに浮かび上がる。ゴッホは当時、「闇のなかに存在する光にこそ美がある」と考えていた。

第2章「オランダ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《夕暮れのポプラ並木》(1884)
第2章「オランダ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《白い帽子をかぶった女の頭部》(1884-85)

 しかし1886年、弟テオの勧めによってパリへ移ったことで、ゴッホの絵画は劇的な転換を迎える。会場ではピエール=オーギュスト・ルノワール、クロード・モネカミーユ・ピサロら印象派の作品が並置され、ゴッホが同時代の画家たちから受けた刺激が具体的に示されている。

第3章「パリの画家とファン・ゴッホ」の展示風景より、左からクロード・モネ《フールチェ・ファン・デ・スタット嬢の肖像》(1871)、《モネのアトリエ舟》(1874)

 斎藤は、この時期のゴッホの重要な特徴として、「補色」を強く意識していた点を挙げる。色相環で向かい合う色──黄色と青、赤と緑など──を隣り合わせに配置し、それぞれの色彩効果を最大限に引き出そうとしたのだ。第4章で展示された花の静物画、《バラとシャクヤク》(1886)、《野の花とバラのある静物》(1886-87)、《青い花瓶の花》(1887)などは、その色彩実験の成果として位置づけられる。ゴッホは1886年の夏だけで約30点もの花の静物画を描いたという。

第4章「パリ時代」の展示風景より、右から《野の花とバラのある静物》(1886-87)、《バラとシャクヤク》(1886)

 また、パリ時代には25点もの自画像が制作された。本来は人物画を描きたかったゴッホだが、モデル代を払う余裕がなく、自分自身を描くしかなかった。今回展示される《自画像》(1887)には、短い筆触や明るい色彩など、印象派や新印象派の技法を吸収していく過程が鮮明に表れている。

第4章「パリ時代」の展示風景より、左はフィンセント・ファン・ゴッホ《自画像》(1887)

アルルで夢見た「希望」や「仲間たち」

 さらに、ゴッホが浮世絵に強く感化されていたことも、本展の重要なテーマのひとつだ。大胆な構図や鮮やかな色彩への関心は、のちのアルル時代へとつながっていく。

 1888年、ゴッホはパリを離れ、南仏アルルへ移住する。都会の人間関係や喧騒に疲弊していた彼は、強い陽光と豊かな色彩に満ちた土地に理想を見出した。そこには、浮世絵から想像した「日本的な理想郷」のイメージも重なっていたという。

 アルルでゴッホは、「黄色い家」に仲間を集め、芸術家共同体を築こうと夢見る。《夜のカフェテラス》(1888)は、まさにその理想に向かっていた時期に描かれた作品だ。斎藤は、この絵が制作された時期について、「仲間が来てくれるかわからない不安や孤独を抱えながらも、希望を持って準備していた時間だったのではないか」と語る。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス(フォルム広場)》(1888年9月16日頃) キャンバスに油彩 80.7×65.3cm クレラー=ミュラー美術館 © Collection Kröller-Müller Museum, Otterlo, the Netherlands

 会場の最後を飾るこの作品は、鮮烈な黄色と深い青の対比によって強い印象を残す。ゴッホ自身も手紙のなかで「黄色やオレンジがあれば必ず青がある」と述べ、補色の関係を重視していた。また、斎藤は次のような解釈も提示した。「カフェの黄色い光景を見たゴッホは、自身が追い求めていた黄色と青の対比を現実のなかに発見したのではないか」。

 本作について、ゴッホは妹ウィレミーン宛の手紙で、「これは黒のない夜の絵だ。美しい青と紫と緑しかなく、これを背景に、灯りで照らされた広場は薄い硫黄色と緑がかったレモンイエローで色づけされている」と記している。夜景でありながら黒を使わない表現は、ゴッホの革新的な色彩感覚を象徴するものだと言える。

 また、ゴッホにとって星空は「希望」の象徴でもあった。斎藤によれば、彼は別の手紙で、孤独を感じた夜には外に出て星空を眺めると、それが「仲間たちの群像のように見える」と書いている。本作の星々にも、彼が夢見た「仲間たち」の姿が重ねられているのかもしれない。

 さらに興味深いのは、この作品が屋外で描かれた点だ。当時、戸外制作自体は一般的になっていたものの、夜景を外で描くことはまだ珍しかった。ゴッホはろうそくの灯りを使いながら制作していたとされるが、彼は手紙のなかで、「夜を現場で描くのはとてつもなく楽しい」と語っている。

 オランダ時代からパリ、そしてアルルへと至る変化をたどる本展の展示からは、新たな絵画表現を切り拓こうとしていたゴッホの姿が浮かび上がっている。作品の背後にある希望や連帯への思いを知ることで、多くの人が知る《夜のカフェテラス》もより豊かな表情を見せてくれるだろう。