2026.5.25

「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 -その魂の召喚-」(茅ヶ崎市美術館)会場レポート。圧倒的な写実表現を極めた画家は、何を描き続けたのか

神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎市美術館で、画家・牧野邦夫の生誕100年を記念した展覧会「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 -その魂の召喚-」が開催中。会期は6月7日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=三澤麦(編集部)

「第3章:想いのままに -完成期・昭和50年代-」の展示風景。手前は《海と戦さ(平家物語より)》(1975)
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 神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎市美術館で、画家・牧野邦夫(1925~86)の生誕100年を記念した展覧会「生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫 -その魂の召喚-」が開催されている。会期は6月7日まで。監修は山下裕二(美術史家/明治学院大学教授)、担当は小澤由季(同館学芸員)。

 東京府渋谷区幡ヶ谷に生まれた牧野は、1943年に東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科に入学。画家の伊原宇三郎や安井曾太郎の指導を仰ぐも、45年に軍へ招集される。終戦翌年に復学し、卒業。その後、実姉らが運営する「マッコール洋裁学園」の開校に伴い、小田原から茅ヶ崎へ転居。制作に励むかたわら、学園の運営も支えながら日々を過ごした。

牧野邦夫による自画像の数々。左から《群集の中の自画像》(1979)、《室内の自画像》(1976)、《ひん曲がった食卓》(1982)

 牧野邦夫の名を聞いて、その作品を即座に思い浮かべられる人はそう多くないだろう。というのも牧野は卒業後、どこの画壇にも属することなく、個人で作品の発表を続けていたからだ。権威主義の残る戦後の画壇において、多くの若者が欧米の現代美術に傾倒するなか、牧野は17世紀のオランダの画家・レンブラントを敬愛し、独自の写実表現を突き詰め続けた。そのため、美術館への収蔵こそ少ないものの、熱烈な個人コレクターたちの手によってその作品群は収集されてきた。

 本展は、2013年に練馬区立美術館で開催された回顧展に端を発するもので、牧野の生誕100年を記念した大規模な展覧会だ。コレクター秘蔵の作品を中心に構成された本展は、昭和という激動の時代を駆け抜けた牧野の画業を振り返るとともに、未だ謎に包まれるその人物像にもせまるものとなっている。

「第2章:レンブラントとの対話 -開花期・昭和40年代-」の展示風景

巨匠レンブラントへの憧憬

 展覧会は全5章で構成される。「序章:内面を見つめて -生涯のテーマ・自画像-」で紹介されるのは、牧野による膨大な自画像だ。展示室の冒頭、どのキャンバスを見ても牧野自身の顔が並ぶ光景には圧倒される人が多いだろう。「1日12時間描く」ことを己に課していた牧野にとって、自分という存在は、その目標に付き合える唯一のモデルでもあった。

牧野邦夫による自画像の数々。ここまで自画像の並ぶ展覧会も珍しい
《複製のある部屋》(1962)。本作は新鋭画家の登竜門であった「安井賞」に入選した作品でもある

 続く「第1章:描く対象を求めて -模索期・昭和30年代-」では、東京美術学校の卒業後、単独で制作活動を続けていた時期の作品が並ぶ。徹底した写実技法によって、独自の内面世界と自身の顔のイメージが一体となった、濃密な絵画世界を見ることができる。

 いっぽうで、自身の住んでいたアパートの室内をモチーフに、非現実的な情景を含ませた《複製のある部屋》(1962)は、若き日の牧野の暮らしぶりが垣間見える。本作は当時、新鋭画家の登竜門であった「安井賞」にも入選を果たしている。

「第2章:レンブラントとの対話 -開花期・昭和40年代-」の展示風景

 「第2章:レンブラントとの対話 -開花期・昭和40年代-」では、牧野が生涯にわたって敬愛したレンブラント・ファン・レイン(1606〜69)の影響が色濃く表れた作品に焦点を当てている。画集や書籍を通じてレンブラントへの想いを募らせていた牧野は、1966年41歳のときに経験したオランダを中心とする欧州旅行で、西洋の古典絵画の真髄に触れ、大きな刺激を受けた。この頃から自画像のみならず、物語絵や裸婦像へと画題が広がり、画家として表現の幅が劇的に開花していく様子も見受けられる。

ミューズ・千穂との出会い

 50歳を過ぎると作品はより大型化し、自由な画風が際立つようになる。「第3章:想いのままに -完成期・昭和50年代-」で展示されている《海と戦さ(平家物語より)》(1975)は、壇ノ浦の合戦を圧倒的なスケールで描いた大作であり、牧野作品においても見逃せない傑作だ。

「第3章:想いのままに -完成期・昭和50年代-」の展示風景。手前は《海と戦さ(平家物語より)》(1975)
牧野のミューズ・千穂が描かれた作品群

 また、本章で欠かせないのが、牧野のミューズであり、のちに夫人となる千穂の存在だ。50歳を過ぎた牧野の前に突如として現れた千穂を、本人は「悪魔に祈って得たモデル」と称したほどであり、牧野の創作意欲を大きく刺激した。会場内には、彼女を描いた作品がずらりと並ぶ空間があり、画風が以前よりも明るく生活感の漂うものへと変化したことが見て取れる。千穂をモデルに据えて以降、作品は評論家からも高く評価され、熱心なコレクターも増えていったという。

牧野が京都滞在時に描いた《戒壇院を追はれる浮浪者D君》(1984)
「終章:魂の召喚 -その終焉・昭和60年代-」。ここでは主に牧野による晩年の作品が展示される

 1983年から約2年間を京都で過ごし、帰京した牧野は、身体の不調を覚えながらも絵画制作を続けていた。しかし、86年夏にガンの宣告を受け、そのわずか3ヶ月後に急逝してしまう。「終章:魂の召喚 -その終焉・昭和60年代-」には、遺品のなかに残されていた未完成の絶筆や、亡くなる前年に描かれた作品が並ぶ。死の足音が近づくなかでも、徹底した写実表現と独自の世界観の揺るぎなさに驚かされる。

《未完成の塔》。本作は牧野が50歳のときに描き始めた作品で、10年ごとに一層ずつ描き進めていく構想が立てられていた

 なお、同館ならではの企画として、青春時代を茅ヶ崎で過ごした牧野の足跡をたどる小展示も実施されている。実姉らが運営する「マッコール洋裁学園」に関する資料もあわせて展示されており、牧野がこの地でどのように日々を過ごしていたのかを知る貴重な機会となっている。

「茅ヶ崎 マッコール洋裁学園での日々」の展示風景

 画壇に属さず、当時は「時代遅れ」とも言われていた写実表現を、執念とも言うべき情熱で突き詰めていった牧野。没後、千穂夫人が遺志を継いで展覧会開催に尽力し、2013年の練馬での展覧会も担当した本展監修・山下裕二との約束を経て、この生誕100年という節目の年に集大成となる展示が実現した。

 敬愛したレンブラントや西洋的写実表現、そして独自の世界観への偏愛ともいうべきこだわりは、既存の美術史の枠組みだけで語るには足りないかもしれない。令和の時代に本展が開催されたことで、今後どのような再評価がなされていくのか、興味が尽きない。