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2026.7.25

第17回芸術評論募集【次席】渡邉武徳「自然のもどき──藤本壮介《大屋根リング》批判」

『美術手帖』創刊77周年を記念して開催された「第17回芸術評論募集」。椹木野衣、清水穣、富井玲子、星野太の四氏による選考の結果、一席に寺町英明、次席に久保田荻須智広、渡邉武徳、佳作に石川嵩紘、大友渉、吉見太一が選出された。ここでは、次席に選ばれた渡邉武徳「自然のもどき──藤本壮介《大屋根リング》批判」をお届けする。※7月26日24時まですべての方に全文お読みいただけます。

2025年日本国際博覧会、藤本壮介による《大屋根リング》 ©IWAN BAAN

はじめに

 本論は、2025年日本国際博覧会の会場構想《大屋根リング》を手がかりに、藤本壮介の建築思想を、伊東豊雄および岡本太郎の試みとの連関のなかで批判的に検討するものである。とりわけ本論が焦点を当てるのは、藤本が一貫して肯定してきた「自然」や「未分化」といった概念が、現代社会における分断や疎外の感覚といかなる関係を結んでいるのか、という問いである。建築が包摂を語るとき、その空間はいかなる排除を内包しているのか。本論はこの逆説へと向けて出発する。

 師弟関係が作風を規定しやすい建築界において、藤本は伊東の弟子ではないが、その建築思想には顕著な近似が見られ、藤本自身も伊東からの影響を明言している(*1)。両者は、建築における近代を問題化し、情報環境を比喩的に重ねた「自然」を鍵概念として批評を展開する点で共鳴する一方、伊東が空間を開閉の操作によって構成するのに対し、藤本は閉じない建築を志向する点で乖離する。本論では、この差異を建築における「内/外」の反転という観点から検討する。以下では、その前提として、〈藤本と伊東の言う近代〉を共通の射程として簡潔に整理する。伊東、藤本両者が仮想敵とする近代は、〈機能による抽象〉という一言に集約される。

現代の建築家は、近代主義的な方法で建築をつくってきました。つまり、人間は自然の中で自然と関わりながらさまざまな振る舞いをしているのに、その振る舞いを「機能」という言葉で抽出、抽象して、その概念操作によって建築をつくるのが、当たり前のようになっています。(中略)周りの自然環境との関係をもてないという矛盾があるのです。このことは現代建築のかかえる本質的な問題だと感じています。(*2)

 伊東において前提とされているのは、人間が本来有している、その行為の計量化できない自然な多様性である。しかし近代建築は、その前提を切り詰め、人間の振る舞いを機能へと還元し、抽象化することで空間を構成してきたという。この考えは、2013年のプリツカー賞受賞スピーチにおいても、端的に表れている(*3)。そして伊東は、このような近代の建築的思考を、「ミースやコルビュジエの建築」に典型的に示されるものとして位置づけて、その建築の明快さの裏にある「排他性」(*4)が問題だと結論づける。そして、藤本においては、のちに詳述する森というトポスがその近代建築に対する応答となるのだが、それは「強制する機能ではなく許容する『場』」(*5)であり、「単純さと多様性が共存した、自然のもつ豊かさと同じ質のものといえる。抽象的な方法は消えて、空間体験が残る」(*6)ところであるという。さらには、その場所は、「機械としての建築に変わるもの」(*7)であると、つまりル・コルビュジエの考えに変わるものと言い切るのである(*8)。したがって、伊東が近代建築の排他性を批判しつつ人間本来の多様性へと立ち戻ろうとし、藤本がその応答を「森」というトポスにおいて徹底化し、近代建築の機械論的思考そのものを代替する空間概念として提示することで多様性を志向するとき、まさに〈機能による抽象〉が近代を集約する語として立ち現れてくるのである。そしてその〈機能による抽象〉の人工に対置されるのが、情報を影とする自然の姿なのだ。両者において情報環境と自然は、比喩的に重ね合わせられる。近代のあからさまな人工に対して、混沌とした自然を肯定的に志向する。両者が、建築が醸成する場において体現したいのは、ネットワーク環境に比されるような、多様なものが跋扈するリゾーム的自然、あるいは鵺的な空間であることを強調しておく。

*1──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁。
*2──伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、87頁。
*3──「人びとは均質なグリッドのユニットに閉じ込められ、人と人のつながりを失って孤独な生活を強いられています。自由で豊かな都市生活を夢見ていた人びとはいまや生き生きとした表情を失い、均質な個の集団と化してしまっているのです。近代主義の建築は自然との間に壁を築き、テクノロジーに頼っていかなる外部環境に対しても等質な人口環境をつくろうとしました。またそれは機能や性能ばかりを重視、地域に継承されていた独自の歴史や文化を受け入れませんでした」(伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、405頁)。
*4──伊東豊雄建築事務所編著『建築:非線型の出来事 smtからユーロへ』彰国社、2003、13頁。
*5──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、91頁。
*6──同上、45頁。
*7──同上、10頁。
*8──伊東・藤本の問題意識は、建築批評史の展開を裏付けとしている。抽象と機能は、1960年代以降の建築批評において、矢面に立たされてきた。むしろ近代建築を機能と抽象に抽象化することによって、いくつもの批評言語が生み出されてきたとすらいえる。いくつか例をあげると、後述の「建築家なしの建築」、アンリ・ルフェーブルの「空間の表象/表象の空間」の対比、多木浩二の「生きられた家」という概念、クリストファー・アレグサンダーの《ツリー/セミラチス》という構造分析などである。ここでは詳述しないが、アレグザンダーの次の言葉を引用することで、〈抽象による単純化(ツリー)─抽象によらない複雑性(セミラチス)〉すなわち〈人工─自然〉という二項対立が建築批評の根底に流れてきたことを暗示し、また、多木の言葉を参照することで、建築家が居住者によって生成される「生きられた」空間をそのまま設計に取り込むことの不可能性が、重要な論点として扱われてきたことを暗示するにとどめておく。「標題のツリー(tree)と言うのは葉をつけた樹のことではなく、抽象的な構造の名前である。私はそれをより複雑なセミラチス(semi-lattice)と呼ばれる構造と比較してみたい。都市はセミラチスであってツリーではない。」(クリストファー・アレグザンダー『形の合成に関するノート/都市はツリーではない』稲葉武司+押野見邦英訳、鹿島出版会、2013、217頁)。
「建築家がつくりだす空間は現実に生きられた時間の結果ではないし、一方、生きられた家は現在の行きつく果てをあらかじめ読みとって構成されるわけではないからである。それらはおそらく空間のテキストのふたつの極、詩的言語とコード化された言語というふたつの極を示しているにちがいない。その対立と相関のあいだに、われわれの空間についての思考のすべて、空間言語の多様さの一切が生じ、関係しあっている」(五十嵐太郎+菊池尊也編『現代建築宣言文集〔1960-2020〕』彰国社、2022、150頁)。

 第一節:藤本壮介──原初・森・内と外

 藤本壮介は、1971年に北海道で生まれ、東京大学工学部建築学科卒業後、北海道と東京を行き来しながら思索を深め、2000年に藤本壮介建築設計事務所を設立。藤本は自ら「原初的で初源的な価値」「身体と空間」「内部と外部」「自然と人工」「個と共同体の関係」等が建築のテーマであると説明している(*9)。本節では、そのなかでもとくに「原初」と「内部と外部」の二項に絞り込んで藤本の思想を記述しようと試みる。

  まず、藤本のいう「原初」とはなんだろうか。

建築が建築になる以前にさかのぼる。そして建築の始まる瞬間に⽴ち返る。さかのぼるといっても、ローマ、ギリシアという歴史をさかのぼるのではない。⼈のいる場所のかすかな始まりに思いを馳せ、あいまいな、ぼんやりした場の起伏のなかから、建築がにじみ出てくる瞬間を想像する。(中略)建築の、というよりも、⼈のいる場所としての、圧倒的に未分化な状態にさかのぼる。

 藤本は、その人がいる場所としての未分化な状態を洞窟と表現する(*10)。藤本がここで仮想敵とするのは、コルビュジエのドミノであり、ドミノを巣であるとし、洞窟と区別する。巣はつくるものが住みやすいようにつくる一方、洞窟は「もともとそこにある」「機能を強制するのではなく、誘発し、許容する場」(*11)であるといい、藤本は後者を評価する。それでは、洞窟のような場所(*12)における未分化であることとは、どういう意味だろうか。

家と森とは区別されなかったに違いない。⼈間にとって未分化な状態にあった「居場所」の時点までさかのぼってみたい。だとすれば、家であり同時に都市であり、そして同時に森であるような場所を作り出すことができないだろうか。(*13)

 まず、未分化な場所としての洞窟は、森的なる場所であり、それは家-都市-自然の未分化な場所だ(*14)。これは、建築が始まる前、歴史的スケールにとどまらない時間、「個と共同体が分かれる以前の、未分化の原始共同体」(*15)まで遡行することによる未分化である。さらに、藤本は「ものの始まり」をコルビュジエ《ロンシャンの礼拝堂》(1955)に見て、上述の未分化であることと重ね合わせる。

ものと空間が分かれる前、その圧倒的な未分化な状態が内包する無限定の可能性。(中略)ものによって空間ができるのか、空間によってものが生まれるのか、その境目は限りなく曖昧になる。その未分化から再び建築を構想する。(中略)ものと空間は別々のものではない。(*16)

 ものと空間が分かれる前というのは、ものと現象が分離する以前のことを指している。その空間における未分化な状態に、藤本は、家─都市─自然の──プレモダンどころかプリミティヴな──時間における未分化を比喩的に重ね合わせることで、ただ形式的にプレモダンに遡るのでなく、かといって表層的なポストモダンの記号の戯れに陥ることもなく、建築を思考することを可能にしているのだ。これら時空間における遡行を一括でまとめ上げる言葉が、森というメタファーである(*17)。そして、この森としての建築をバーナード・ルドフスキーのいう「建築家なしの建築」(*18)を実現する術であるかもしれないと説明する。

未来の森としての建築が示唆するのは、いかに自然のような複雑で多様なものを、直接的な模倣ではなく、人間がつくることができるのか、という問いである。かつて人間がつくり得なかったもの、建築家なしの建築、と言われていたものを、いよいよ人間がつくることができるかもしれない。単に自然に帰るのではなく、自然の多様性を再構築すること。だから未来は原初的である。(*19)

 藤本が「建築家なしの建築」を志向する理由は、それを近代建築への批評的介入として構想しているためである。というのも、藤本にとって近代とは、人間を抽象的な機能単位へと還元することで空間を目的別に分節し、そのことが結果として人々の関係性をも分断してきた時代であった。藤本が、未分化な人々のつながりを生み出す場所を建築の本質的役割として捉えてきたことを踏まえるならば(*20)、設計主体としての建築家の権限を相対化し、生成的な関係性を誘発する環境そのもの──森──を構築するという意味で、「建築家なしの建築」は藤本にとって近代的空間の分節構造を転覆するための有効な手段として構想されている。以下は、藤本がバンコクのスラム街を見て述べた感想である。

かなり隙間だらけでがさがさした作りになっている。意外と大きな集落だが、道は土がむき出しでくねくねとしており、その土間がそのまま家の中にも入り込んでいる。どこからが家でどこからが街なのか、はっきりとはしない。さらに熱帯性の気候ゆえにさまざまな樹木が繁茂して、時に屋根を突き破って、壁を破壊して成長している。〔中略〕集落全体はほこりをかぶったような雰囲気だが、その中の生活は、ゆったりとしながらも生き生きとしている。(*21)

 この記述から読み取れるのは、藤本にとって建築家なしの建築をつくることは、建築と生活が「生き生き」と共に立ち上がる状態を創出することにほかならないということだ。バンコクのスラムでは、建物に穴が開き樹木が突き抜け、無数の隙間によって内/外の区別が曖昧になり、「外側にいる感覚と内側にいる感覚の両方が混在する」(*22)身体感覚が生じている。ここに、建築家なしの建築ないしセミラティスと形容されるところの自然がある。こうした近代建築の形における内/外が分離する以前の未分化は、藤本において、森における時空間的に遡行した未分化と比喩的に重ね合わされている。つまり、時空間を遡行するその潜勢的な思考を、ものとしての建築物へ外化する生成手段として、内/外の未分化があるのだ。

 まとめると、まず、時間における家─都市─自然の分離以前すなわち建築以前への遡行(これが以下二つの思考のトポスになる。つまり森は多様な人々の居場所であると同時に思考する場所でもある。さらにこれが基底であるために、以下二つを含めて藤本は森としばしば言う)があり、それを基底に、空間におけるものと現象の分離以前への遡行、形態における内/外の分離以前(*23)への遡行の三つが、観念と物の次元を隔てて比喩的に並び絡み合っているのが、藤本の建築思想なのである。

 それでは、藤本が森──内/外の未分化──という、設計における形式的な方法ないし思想的な概念を、いったいどこから学んだのだろうか。もっとも妥当性の高い参照先として挙げられるのは伊東豊雄である。そこで次に、伊東豊雄における内/外の反転とその建築思想を検討することで、藤本壮介との連続性と差異を明らかにしていくことにする。

*9──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、6頁。
*10──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、195頁。
*11──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、24頁。
*12──「居場所とは、人が居るための場所である。しかしそれは人が居るためにしつらえられた場所ではない。ある場所を、人が発見することであり、そのきっかけに満ちた場所である。それは例えば「巣」ではなく、「洞窟」であると言ってよい。巣はそこに住むものに合わせてつくられるが、洞窟はただそこにあり、その起伏の中に、居場所が見出される」(藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、74頁)。
*13──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、108頁。
*14──藤本は、北海道の自然と東京の入り組んだ都市をメタフォリカルに重ね合わせる(伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、佐藤淳『建築のちから──02 20XXの建築原理へ』INAX出版、2009、69頁)。実際、東京をバーナード・ルドフスキーの言う「建築家なしの建築」だと思ったと述べており、例えばそれは《情緒障害児短期治療施設》(2007)などの、要素がバラバラであるのに不思議と一つであるといった設計に帰着すると述べる(隈研吾『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ』INAX出版、2007、23頁)。この考え方は、《リング》にまで連続的である。

*15──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、367頁。
*16──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、119頁。
*17──「森は僕にとって重要なメタファーとなる」(藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁)。
*18──「建築家なしの建築」とは、建築家がつくる住居に対して「無学の工匠」による場所特有のヴァナキュラーな「庶民の住居」「無名の建築」を世界中の各地域から収集し展示した、1962年にニューヨーク近代美術館にて行われた展覧会および書籍である。企画者のルドフスキーは、「専門家の芸術になってしまう以前の建築からは学ぶべきことがたくさんある」とし、「今日の私たちのように自然を“征服”しようとするのではなく、気候の気まぐれや地形のけわしさをよろこんで受け入れる」と自然と人間の関係を強調する(バーナード・ルドフスキー『建築家なしの建築』渡辺武信訳、鹿島出版会、1984、22頁)。
*19──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、11頁。
*20──「建築家とは、人と人、人と自然の関係を紡ぐ『場』をつくる仕事でもあり、それは私にとっては自然と人工が溶け合う『未来の森』のような場所だと言えるかもしれません。様々な価値がばらばらであることの良さと寂しさが行き交うこの時代に、そこに豊かな『つながり』をつくり出せないかと模索しています。」(藤本壮介『藤本壮介の原初・未来・森』美術出版社、2025、12頁)。
*21──伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、佐藤淳『建築のちから──02 20XXの建築原理へ』INAX出版、2009、69-70頁。
*22──同上、72頁。
*23──形態における藤本の方法論で、内/外の未分化とパラレルであるのが、部分と部分(森においては、木々である)があたかも無秩序に集まることでつくり出される一つの秩序ある場所(=森)という考えである。ここには、複雑系理論の影響が見られる。そこでは、藤本が自然に見ている混沌が、情報環境におけるネットワークと比喩的に重ね合わせられている。紙幅の関係上、ここでは深く取り上げないが、以下に引用を提示する。「当時僕は、部分と部分が関係し合うことで生まれる緩やかな秩序、というものにとても大きな興味をもっていた。大学を卒業してすぐに読んだプリゴジンの著書や複雑系の理論に触発されて、これこそが近代を超える新しい秩序の在り方だと熱狂していたのだ。巨大な軸線やグリッドの幾何学ではなく、部分と部分がネットワーク的に関係し合うことで生まれる局所的で緩やかな秩序」(藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、30頁)。

第二節:伊東豊雄──母胎をひっくり返す

 伊東豊雄は、1941年京城(現・ソウル市)に生まれ、その後東京の高校へ入学するまで長野県諏訪郡(現・諏訪市)で育つ。東京大学工学部建築学科を卒業し、菊竹清訓設計事務所に勤務したのちに独立した。

 伊東の作品群は、不思議な変遷を辿っている。その変遷とは、《中野本町の家》(1976)において完全に外に対して閉じていた空間が、《シルバーハット》(1984)を経て《せんだいメディアテーク》(2000)において内/外を反転するという意味で開ききり、また《座・高円寺》(2009)、《台中国家歌劇院》(2016)に至るまで、その反転を保持したまま回帰するように空間を閉じていくという、空間の開閉についての変遷である。山本理顕は、《中野本町の家》の閉ざされた空間を「空間の純粋性」であるとし、「外部性の排除」であると述べる(*24)。そして、山本は、その社会性の欠如に自ら気づいた伊東は、開かれることで他者性を包含しながらも、自らの純粋性を保持する方法はないのかと探り始めたと、説明する。

多分、伊東は自らつくった「中野本町の家」を現実に体験することで、こうした閉鎖性に改めて気がついたのだと思う。これ以降、どうしたらこの閉鎖性を解放できるのか。「空間の純粋性」を確保しながら、それでも一方でこの外部に対する閉鎖性を開放することができるのか、それが伊東にとって最大の問題になっていったのである。(*25)

 以上の山本の発言は、伊東が《せんだいメディアテーク》において、ただ空間を都市に対して開くだけでなく、外部を内部とし、内部を外部へと反転する結果にいたったことを説明している。ただ物理的建築を開くと言っただけでは、観念的な「内部」は保持され得ないのであるから、あくまで「反転」としなければならないのである。藤森照信が「伊東さんの建築のどこが若い人たちの建築に影響を与えたかというと『内と外の反転』だと思う」(*26)と述べるように、伊東の特徴は、その内/外の反転の操作にある。

 《せんだいメディアテーク》を見てみよう。建物全体は、計13本の鉄骨独立シャフト(以下チューブ)と7枚のハニカムスラブで構成され、外壁は全面ガラス張りである。ガラス面のファサードは軽快で、街路樹が映り込み、都市と内部、自然と人工の連続性を感じさせる。チューブは、デザインであると同時に建物を支える柱としての構造体の役割を担っている。ガラスの空間内部は機能に沿った壁によっては区切られず、広がった空間にチューブが物々しく現れるその周りに、均一でない場をつくり出している。そこは区切られてはいないが、かといって同一の空間が広がるのではなく、異質な場がチューブによって確かに存在している。この場所について、伊東は「『場所』という言葉を『均質空間』の対立概念」(*27)「『場所』の対立概念は『機能』という言葉」(*28)と説明し、《せんだいメディアテーク》について以下のように言う。

最初から空間を均質に切り分けて、その中に人びとの活動を封じ込むのではない、人びとが「場所」を選んで行為を起こす、それを喚起できるような「場所」の違いを建築内に生み出したかった。(*29)

 この場所の概念は、〈機能による抽象〉という近代に抗うものである。そして、この場所は、確かに内部空間でありながら、その内部にとっての外部空間はチューブを通って内部を貫通しているために、「『チューブ』の狭間に広がる連続した空間は、『チューブ』からすれば外部空間である。ここは建築の内部でありながら同時に外部空間でもある」(*30)といった反転が起こるのだ。この内/外の反転こそ、藤本に「伊東豊雄さんのせんだいメディアテークのコンペ案は大きな衝撃であり、当時の僕にとってのひとつの出発点となった」(*31)と言わせたアイデアであり、翻って、藤本における森というトポスは、伊東の《せんだいメディアテーク》がなければあり得なかったものと断言できる。

 《せんだいメディアテーク》におけるもう一つの特徴として、それが国家という単位を超えて肥大した情報環境が優位となった21世紀を象徴する建築であることだろう。そもそも、「メディアテーク」という建築の類型自体、それまでの博物館や市庁舎といった、すでに完成されているタイポロジーではない。あらかじめ決定された枠組み──国家ないし美術館等──を、「ヴァーチャル」や「エレクトロニック・エイジの建築」といった言葉で切り込み、相対化する試みが《せんだいメディアテーク》において見られる(*32)。エレクトロニック・エイジとは、伊東によればテクノロジーが自然と対立するどころか、新たな自然の形を生み出す時代である(*33)。そこでは、「電子メディアを介して私たちは閉じた個を外界に対して否応なく結びつけられるのだ。〔中略〕新しいメディアの登場は知らず知らずのうちに、内と外の境界を曖昧にしてしまうので」(*34)ある。さらには、その環境を「森」という言葉で表現する。

ヴァーチャルな身体をいかにプリミティヴな身体に統合し得るかが今日の身体に問われている(中略)私たちが建築空間に森あるいは林といったイメージを生み出そうと試みたのも、こうした空間の二重性の解消を意図したからである。すなわち林立する樹木のような空間によって空間の流動性を生み、建築の内と外を連続させることができれば、自然環境と建築による人工環境との関係も、またフィジカルな建築空間とイメージによるヴァーチャルな空間との関係も統合に向かうと考えられるからである。(中略)「せんだいメディアテーク」は積層された都市の森である。(*35)

 もはや、伊東の発言なのか藤本の発言なのか、見分けがつかない。この伊東の発言は1995年であるから、藤本が初期作である《聖台病院作業療法棟》(1996)を設計する前である。したがって、藤本における「森」や「原初」という概念は、伊東から継承されたものであり、そこには情報環境や現実の都市を森として捉えて創造へとジャンプする、両者の思考の近似性が見られるのである。

 ところが、伊東の建築は、《せんだいメディアテーク》の反転はある意味で保持したままではあるが(外壁にしばしば見られるガラスや穴が反転を担っている)、《中野本町の家》に回帰するように、すなわち「空間の純粋性」に遡っていくのである。それが、《座・高円寺》や《台中国家歌劇院》である。伊東は、《中野本町の家》と《台中国家歌劇院》を比較し、こう述べる。

ふたつの作品に共通するのは身体の内部へと分け入っていくような感覚なのである。そしてこれらふたつの建築の間に挟まれた四〇年間の建築は、こうした「内向性」からの離脱と回帰のくり返しであったように思われてくる。(中略)地上と地下との相互運動、とでも言えようか。(*36)

 伊東のいうこの内向性は、別のところで「洞窟・子宮感覚」(*37)と言い換えられている。この身体感覚に戻ってきてしまう自分自身を、「『胎内回帰』願望」(*38)があると述べており、これは、母と子が分離する以前の未分化への遡行である。その遡行は、ある意味で全体化の欲望であるといえる。《台中国家歌劇院》は、まるで入り組んだ地下の洞窟を、キューブで区切って持ってきて地上にそのまま置いたような構造をしている。ユークリッド幾何学に相反する執拗な曲線に囲まれた内臓かのような内部空間は、ガラスを介して外部と連続はしているものの、《せんだいメディアテーク》のように全開放されてはおらず、四方の外壁部のコンクリートによってある程度まで閉ざされている。端的にいえば、《台中国家歌劇院》は、《せんだいメディアテーク》を混ぜ込んだ《中野本町の家》なのである。

 ところで、この内向性への回帰以外に、伊東は別の気づきが《せんだいメディアテーク》を建設したあたりの時期にあったと述べている。その気づきが、「『物質(もの)』の力」(*39)であるといい、それが内/外についての悩みを解消してしまったのだという。

私は「せんだい」まで薄く軽い透明度の高い皮膜によって内/外の境界を消失させようと考えていた。しかし薄さとか軽さに執着すればするほど、逆に境界は大きな存在として私の前に立ちはだかってきた。つまり、そのとき建築は抽象的な存在として、環境から自立してしまうのである。透明性の罠であり、ミース的近代建築が本質的に内包する矛盾である。ところが、「まつもと」のGRC板のように「もの」の具体性を失わない素材を用いた途端に、この矛盾から解放されたように感じたのだ。(*40)

 「まつもと」とは《まつもと市民芸術館》(2004)のことであり、その外壁は、ガラス繊維強化プレキャストコンクリートにガラスをはめ込んだ板を連続させることで構成されている。この壁の素材の質感に、「『もの』の具体性」を伊東は感じ、その内/外を無化する力を「示したい」(*41)のだという。なぜならば「生を感じさせるリアリティを回復したいという意志にほかならない。『新しいリアル』とは、『モダニズムの先にある物質(もの)性』とでもいったらよいであろうか」(*42)というように、近代を超克するための武器の刃として、物はその柄を握られているのである。この子の母胎への回帰と現象の物自体への回帰がパラレルであることは、まったく偶然ではない。のちに触れることになる岡本太郎が、若年のパリ時代に薫陶を受けたマルセル・モースは、「物質の観念に先行する諸概念」という論文のうちで、フランス語で物質 matièreは、ラテン語materia に由来し、それは「女性的な生成力(puissance génératrice féminine)であるmater(母)から派生」(*43)しているという。したがって、伊東の身体的な感覚として母胎に回帰するときに物に出逢うことは、言語のレベルにおいても一致する。さらには、元来、材木や森を意味するギリシャ語の質量 hyleは、アリストテレスによって哲学的含意が付される前の古層において materに由来し、ラテン語の森 silvaに対応する。その場所は、「一つは安全な場所、つまりキャンプであり、もう一つは外の世界、つまり危険が潜む場所」(*44)といった内/外の両義性を含んだ場所であるという。つまり、母と関連のある森は、内/外が曖昧な場所であり、その観念は、伊東・藤本のいう森とも奇妙な一致を見せている。

 これらのことを踏まえて、《せんだいメディアテーク》について改めて言葉を付すなら、それは母胎を反転させたものであるといえるだろう。さらに付け加えるなら、藤本の森は、《せんだいメディアテーク》という母胎の反転がなければありえないのであるから、藤本のいう「原初」「洞窟」「建築が生まれるとき」「未分化」という言葉は、母と子の未分化への遡行を前提としていると結べるのである。伊東が、「処女作から一貫して、ぼくには『外部感覚』は無いのかもしれません。常に、何かに囲まれている『内部感覚』を前提に」(*45)していたと話すように、伊東の内/外反転の操作は、内部を外化することより外部を内化することが先立つもの、すなわち山本のいう自らの「空間の純粋性」を保持することが先立っている。このことが藤本にまで同様に当てはまることは後述するが、森という言葉が、そこに埋め込まれた身体感覚だけでなく言語の意味としての内/外の両義性を孕むことは確かであり、伊東と藤本は、母-森の連関と内/外の反転を蝶番として結ばれているのだ。

 だが、一つ疑問が残る。藤本は、「洞窟」「原初」「森」「生まれる」「未分化」などの言葉は使うものの、「母」ないし「母胎」とは述べず、決してその建築も閉じられているという印象は与えない。その作品を辿っても、本人のいうような洞窟とはとても思えず、最初からすべてが反転済みの母胎=森なのである。藤本の言葉の次元において、母が忘却されていることは何を意味するのだろうか。伊東において身体的感覚からどうしようもなく母胎に回帰してしまうが故に生み出された反転の技法をたんなる方法論として継承するときに、母胎は継承されなかったのだろうか。本論の道のりは、藤本は自身の知らぬところで母胎を継承していたともいえるだろうが、それは直接的な継承ではなく、むしろ、藤本の森とは伊東の母胎を無意識的に切り開き、消し去ることで、全体を母胎にしてしまう試みなのではないだろうか。いよいよ、《大屋根リング》(以下《リング》)へと足を踏み入れる。

*24──伊東豊雄『伊東豊雄 自選作品集 身体で建築を考える』平凡社、2020、179頁。
*25──同上、180頁。
*26──伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、116-117頁。
*27──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、18頁。
*28──同上、24頁。
*29──同上、63頁。
*30──同上、67頁。
*31──藤本壮介『Sou Fujimoto Architecture Works 1995-2015 藤本壮介建築作品集』TOTO出版、2015、365頁。
*32──「当然そこ[せんだいメディアテーク]では、コンピューター・ネットワークの発達した次世代の図書館の姿、美術館の姿が問われねばならない」(伊東豊雄『透層する建築』青土社、2000、459頁)。
*33──同上、461頁。
*34──同上、463頁。
*35──同上、342-343頁。
*36──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、479-480頁
*37──伊東豊雄『伊東豊雄読本̶̶2010』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010、68-69頁。
*38──伊東豊雄『伊東豊雄 自選作品集 身体で建築を考える』平凡社、2020、73頁。
*39──伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025、254頁。
*40──同上、186頁。
*41──同上、254頁。
*42──同上、255頁。
*43──Mauss, M., “Conceptions qui ont précédé la notion de matière” Œuvre, 2, Minuit, 1974, p.162
*44──Ibid. p.163
*45──伊東豊雄『伊東豊雄読本̶̶2010』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010、68頁。

第三節:《大屋根リング》──真床覆衾としての《太陽の塔》

 万国博覧会とは、近代化による科学技術の発展、帝国主義の成果を称揚し、分類展示することで、文明の進歩によりもたらされた所産が、民衆の生活にとって善であり正義であるという価値観をもって啓蒙することを使命としている。吉見俊哉は、ミシェル・フーコーを補助線にし、「博覧会は、博物館や植物園、動物園などにおいて発展してきた視覚の制度を、産業テクノロジーを機軸とした壮大なスペクタクル形式のうちに総合した」(*46)と説明する。吉見のいう「視覚の制度」とは、フーコーのいう規律訓練型の「《表》(タブロー)」のことであるが(*47)、その整然とした分類秩序に対してフーコーが、ルイス・ボルヘスのとあるテクストを挙げていることは、あまりにも有名である。そのテクスト、ボルヘスの挙げる中国で編纂された百科全書での分類において、異形や怪物が日常の景色に平然と並べられているその空間のうちにおける距離の近さを、フーコーは「〈混在郷〉(ヘテロトピア)」として「〈非在郷〉(ユートピア)」に対置する(*48)。このヘテロトピアに、藤本は魅せられたというのだ(*49)。つまり、藤本の森は、人為に対して無為の、人工に対して自然の、「ダブルベットの上」の「森」(*50)、すなわち権力のヘテロトピアに対して、それを無化するオルタナティブなヘテロトピアの種を胚胎しているといえるだろう。《リング》においてもそれは同様である。それでは、その《リング》とは、どのような建築であるだろうか。

 端的にいえば、藤本の森──母胎の反転──は、EXPO2025における《リング》においても実行されており、それは《中野本町の家》を開いて《せんだいメディアテーク》の場所を生成するような手口で、岡本太郎の《太陽の塔》(1970)に穴を開けて押し広げ、内外を反転させることで《リング》の外縁を形成した、という形で現れているのである。

 EXPO2025において会場デザインプロデューサーを務めた藤本は、直径625メートル、高さ12メートルの木組が外縁を一周する《リング》を設計した。椹木野衣が岡本の言葉を借りて「ベラボー」(*51)と称すように、印象としてはとにかく巨大な存在感で唖然とさせる代物である。藤本は、《リング》を「多様でありながら、ひとつ」(*52)を達成するものだと言うが、それは一見丸い一つの円で完全に閉じられていて、どこにも多様はありそうにない。しかし、「閉じられているはずの円環が外部に開かれている」(*53)と藤本が言うとき、それは円というより、バンコクのスラム街で木が突き破っていた屋根にあったような、《せんだいメディアテーク》でチューブが形成していたような穴である。

一九七〇年の大阪万博で丹下健三さんがつくったお祭り広場の大屋根は穴が開いていて、丸い空が切り取られていました。科学技術の粋を尽くした大屋根は未来だと言われました。しかし岡本太郎さんは、「いや、むしろ人の命がその先の未来だ」と穴を突き抜けたわけです。その時から空は、人間の命だけではなく地球全体のイメージを象徴する鮮やかな風景として、ここにつくられていました。ただ当時は、「太陽の塔」だけが空に向かって伸びていました。そこから五〇年以上の時を経て、この空をもっと大きく、世界中のパビリオンと地球上の人がみんなで共有できるひとつの空にして、もう一度この大阪の地に持って帰ってこようという思いも込めています。(*54)

 以上から分かることは、藤本の主張する《リング》は、理念的には岡本のアンチモダニズムな考えを組み込んではいるものの、あくまで丹下健三の《大屋根》に付随していた穴を、時間を超えて持ってきたものだという。そこにおいて、《太陽の塔》は忘却されている。しかしながら、《太陽の塔》とは、「母胎」(*55)ではなかったか。

根源の世界、つまり、はらわたの世界と、地上と、それから未来の空間。未来の空間のなかには、かなりそういう要素が加わってくるだろうと思うけれども、しかし、同時に人間は根源的なものを見失ってはいけない。現在の時点においても、つねに根源をもまたつかまなくてはいけない。だから根源の世界、混沌、迷路、はらわたの世界というものを打ち出しているわけだ。(*56)

 岡本の「根源」とは、藤本が建築家なしの建築の例として縄文の家を挙げていたことからも明らかなように(*57)、藤本のいう「原初」と部分的には重なり合っており、両者の未分化(岡本において混沌と言われているもの)は、質的には共通のものである。《太陽の塔》に刻み込まれた根源とは、世界中の仮面に象徴される多様な文化と《生命の樹》の周りで妖しく踊るアメーバから人間に至る数多の生物たちであった。《太陽の塔》が「はらわた」であり「母胎」であるとするなら、藤本の《リング》は《太陽の塔》をたんに忘却したのではなく、むしろその母胎を切り開くことで《リング》という、多様なものが多様なままある一つの森へと転換しているのだ。《太陽の塔》に胚胎された異形や怪物すなわち呪術と生命は、藤本によってその胞衣を切り開かれることで、日本という日常を跋扈する。このようにして、どこか縄文の薫りのする二つの万博には、奇妙な連続性がある。

 加えて、岡本はEXPO’70をしきりに「祭り」であると主張し、《太陽の塔》は「人間の誇りを爆発させる司祭」(*58)としたが、それは、塚原史が以下に述べるように、すでに殺された、殺されることで誕生を意味する司祭であった。

太陽の塔は、首を切断された太陽の像である。この太陽は女性=母であり、死を迎えた瞬間に、もうひとつの新しい太陽=新生児を産み落とそうとしているのだ。〔中略〕ふつうは下部の大きな顔に付随する腕と見なされている両側の突起も、母なる太陽が出産のために左右に広げた両脚だと言えないこともない。(*59)

 これらを踏まえて、EXPO’70とEXPO2025を連続した儀式であったと見ることが可能になる。フレイザーはその膨大な主著『金枝篇』において、祭司である〈森の王〉がなぜ殺されなければならなかったかを探求しているが、その目的は共同体の再生であり、政治的・演劇的パフォーマンスを駆使して、権力を再編し、社会を再び結束へと向かわせ、王の宗教的威力を維持し続けるためである。岡本が「祭り」を意識したことと、藤本の「多様でありながら一つ」という言葉は、社会の再生産の意識をもって《リング》を建設したことを意味している。万国博という近代を象徴するお祭りにおいて、この儀礼のアルカイックなかたちが、日本における1970年から2025年にかけて存続していたことは、折口信夫がかつて「大嘗祭の本義」等で述べていた、真床覆衾(まとこおうふすま)にまつわるあまりに魅力的なフィクションから解き明かすことができる。

 皇位継承においてもっとも重要な儀式、新天皇が神々に新穀を捧げ、自らもそれを食して国家の安寧と五穀豊穣を感謝・祈念する宮中祭祀、大嘗祭(だいじょうさい)。神々との共食を通じて天皇と国民のつながりを確認する、すなわち王が宗教的威力をもって日本を治めるための、現在も続く儀礼である。夕刻から明け方まで続くその秘められた饗宴に、折口は、天皇が胞衣としての真床覆衾(*60)を被り、物忌を経たのち、その裳-衣をはねのけて誕生する、不変かつ一の天皇霊をまとって生まれきよまる天皇の姿を幻視した。母胎から現れる天皇というイメージは、天竜川の奥地、奥三河で行われている花祭りにおける霜月神楽の解釈、とくにその神楽の母胎となった大神楽における白山についての解釈からきている。

此神樂で、先注意しなければならぬものは、伊勢の神樂の眞床襲衾にあたるものを、こゝでは白山と言うてゐる事です。此に這行って生れ出る式があったのです。〔中略〕眞床襲衾が天幕の様になつた訣で、神樂の方では、これに這行る中心行事を、うまれきよまりと言うてゐます。(*61)

 「うまれきよまり」の一連の儀式は、修験道からもたらされている。その修験のものたちが、熊野から天皇の起源である伊勢を経て、天竜川の源流である諏訪に到達したのである(*62)。折口によれば、彼らは、国家意識がまだ芽吹く前から続く流浪する「神人團體」であり、「一種の宗教的呪力を持つて諸國を遊行し、其力で村々を幸福にもし、押へもした、後の山伏團體で〔中略〕藝能と咒力とを持つて、旅を続け」ており、また彼らは同時に「山人」であり「鬼」であるという(*63)。なぜ天竜川かといえば、山上である諏訪から山下である太平洋へと流れるその清らかな水が重要であったそうである。そして、その水が出るところとしての諏訪の大社には、柳田国男が『石神問答』で問題とした、石の神であり蛇の神である「ミシャグジ(御左口神)」が憑依し神懸かりすることで生き神となる童男、「大祝(おおほうり)」がいた。ミシャグジは、まさに国家以前の原初的な信仰であり、それは「縄文期のシャーマニズムの色が濃い」とする説もある(*64)。大祝における憑依としてのシャーマニズム、その霊の附着にまつわる道程について、安藤礼二は、白山の儀式と酷似すると指摘し、また天岩戸神話も重ね合わせる。

極楽浄土を模した神楽の庭に柱が建てられ、人々がそのなかに籠もるための巨大な「山」が、白い布と白い紙で築かれる。深夜にその「山」、つまり人工の子宮にして人工の「母胎」を切り裂いて人々を解放する者こそが「鬼」であった。神楽を執り行う者たちは、人々が生まれ清まる、つまり死と再生を体験するために籠もるその「白山」を「真床覆衾」と称していた。(中略)岩戸とは自然が創り上げた聖なる子宮である。大神楽の「白山」も、大祝の「神殿」も、自然の聖なる子宮たる洞窟を模して創り上げられた人工の子宮である。自然であり、人工でもある洞窟のなかで行われる儀式。(*65)

 まれびととしての鬼──山人──が、外からやってきて人工の内側を破り去り、自然を貫入し内/外を無化するところに、清めと誕生がある。もはや、強調するまでもないが、この手つきは、諏訪育ちの伊東が、《中野本町の町》を《せんだいメディアテーク》にしてみせた反転の技法と、ぴたりと一致する。実際、伊東は、歴史を辿ると大祝にたどり着く御柱祭が自身の原風景だとし、自身のキャリアを天竜川に模して語る(*66)。そして、その内/外の反転を鋭く見抜いたのも同じく諏訪育ちの藤森照信であった(*67)。ここで重要であるのは、大祝や大嘗祭が実際に記述通りにそうであったという実証的な事実ではなく、諏訪という地の風土や慣習が伊東に流れ込み、《せんだいメディアテーク》を通して藤本へ継承されたその事実の方である。天竜川の分流のように、伊東を源流として、弟子筋の妹島和世や藤本を介しさまざまな建築家へと流れ込んでいく、そんな景色が浮かび上がってくる。藤本の《リング》は、その分流の一つであり、母胎の反転である。フーコーはヘテロトピアの類型として、一過性の祝祭や「あらゆる種類の宗教的あるいは自然主義的価値が伴うような浄め」を挙げていたが(*68)、藤本の《リング》は、未だ謎の多い権力のヘテロトピアとしての大嘗祭に対して、ほとんど同じやり口で別のかたちの「うまれきよまり」を、オルタナティブとしてのヘテロトピアを志向しているのだ。

 まとめよう。諏訪から伊東を介して藤本へと、反転の技法が連続していることを本節では確認した。また、藤本の作品において母は忘却されているのではなく、既に開かれ形を変えられ、誕生がなされた状態なのであった。だからこそ、藤本の作品には、伊東との思想の近似性にもかかわらず、閉じられているという印象がないのだ。さらには、原初まで遡行していく藤本のプリミティヴな感性が、国家以前としてのプレモダンな自然、すなわち縄文をその範疇に入れていることも暗示したつもりだ。その思想がもっとも体現されただろう《リング》を前提とすることで《太陽の塔》は真床覆衾として位置づけ直され、穴を穿たれることによって内/外の区別を失う。その結果、鬼すらも含み込む多様な場でありながら、同時にひとつの母胎としての全体的な森が立ち現れる。「多様でありながら、ひとつ」は、多くの万博批判者が言うように達成されていなかったのではない、それは、ある程度まで体現されていた。しかし、だからこそ問題なのだ。森は一つであることによって、《リング》の外すらも内側へと変化させる、永遠の内側としての自然が、まさに何処までも空のように拡がっていく。その風景は、まさしく情報の氾濫する、否応なくつながってしまった現代社会そのものだ。21世紀とは、9・11という、未分化になった世界へのあまりにも悲惨な応答から始まった世紀ではなかったか。果たして、自然と立ち上がる未分化の、内/外がなし崩しになる場所は、藤本が企図するように、人々をつなげるのだろうか。

*46──吉見俊哉『博覧会の政治学』中央公論社、1992、18頁。
*47──「規律・訓練は《独房》・《座席》・《序列》の組織化によって、複合的な空間を、つまり建築的なと同時に機能的で階層秩序的な空間をつくりだす。〔中略〕規律・訓練の主要な操作の第一は、したがって、雑然とした、無益な、もしくは危険な多数の人間を、秩序づけられた多様性へと変える《生ける絵図(タブロー)》を構成することである。〔中略〕十八世紀には表は、権力の技術の一つであると同時に知の手段の一つである。多種多様なものを組織化して、それを端から端までたどり統御するための或る道具の入手が重要であり、しかもその多様なものに《秩序》を課すことが重要なのである」(ミシェル・フーコー『監獄の誕生──監視と処罰』田村俶訳、新潮社、1977、152-153頁)。
*48──ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』渡辺一民・佐々木明訳、新潮社、1974、16頁。
*49──藤本は、フーコー『言葉と物』を読んだ際にボルヘスを知ったという(平田晃久、藤本壮介、中村拓志、吉村靖孝、中山英之、倉方俊輔『建築家の読書術』TOTO 出版、2010、126頁)。
*50──「これらの反場所を、位置が確定されたそれらのユートピアを、子供たちは実によく知っている。〔中略〕木曜日の午後の──-両親のダブルベッドである。まさしくこのダブルベッドの上に、大海が見出されるのである。というのも、掛け布団の中で泳ぐことができるから。そしてまた、このダブルベッド、それは天空でもある。というのも、そのスプリングの上で飛び跳ねることができるから。それは森である。というのも、そこに隠れることができるから。それは夜である。というのも、シーツの中で亡霊になるから。そして最後に、それは快楽である。というのも、両親が帰ってきたときに罰を受けるから」(ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』佐藤嘉幸訳、水声社、2013、35頁)。
*51──椹木野衣「万博 美術の故郷で見た『ベラボーさ』」『好書好日』2025年4月23日、https://book.asahi.com/ 51 article/15718371、最終閲覧日2025年11月20日
*52──藤本壮介『藤本壮介の原初・未来・森』美術出版社、2025、186頁。
*53──同上、20頁。
*54──坂茂、藤本壮介、大西麻貴+百田有希/o+h『私の建築手法』東西アスファルト事業協同組合、2024、103頁。
*55──岡本太郎『岡本太郎の本1 呪術誕生』みすず書房、1998、11頁。
*56──岡本敏子、川崎市岡本太郎美術館編『対談集 岡本太郎 発言!』二玄社、2004、167頁。
*57──藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010、15頁。
*58──岡本太郎、泉靖一、梅棹忠夫共編『世界の仮面と神像』朝日新聞社、1970、1頁。
*59──塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』筑摩書房、2000、133頁。
*60──真床追衾は、『日本書紀』に登場する、天孫降臨の際に高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を覆って降臨させた、掛け布団のようなものや、座布団のようなものともいわれる神宝である。折口は、この真床追衾が、新天皇に天皇霊を付着させる儀式である大嘗祭の神座に置かれる衾(寝具)であるとする説を唱えた(折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第三巻』中央公論社、1975、195頁)。ここでは深入りしないが、大嘗祭に関するこの説自体は実証的な歴史学から否定されている。
*61──折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第十七巻』中央公論社、1976、335-337頁。
*62──山崎一司『花祭りの起源̶̶死・地獄・再生の大神楽̶̶』岩田書院、2012、13頁。
*63──折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第十七巻』中央公論社、1976、322-324頁。
*64──上田正昭ほか『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987、23頁。
*65──安藤礼二『列島祝祭論』作品社、2019、13-14頁。
*66──伊東豊雄「建築を耕す:文化としての建築をつくるために」伊東建築塾、2025年9月5日、https:// 66itojuku.or.jp/blog/13663、最終閲覧日2026年1月6日
*67──「とにかく、伊東さんの建築は反転っていう不思議な空間のつくり方をしていて、それが妹島和世さんをはじめとする若い建築家の連中に影響を与えているんだな、と僕は思う」(伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012、118頁)。
*68──ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』佐藤嘉幸訳、水声社、2013、46頁。

第四節:孤独な建築への序章

 これまで本論では、藤本の試みを、彼自身の言葉や信条に即して、豊かな多様性を実現するものとして、できる限り肯定的に捉えてきた。しかし、それを闇雲に否定すること自体は容易であった。これはヘテロトピアではない、多様性でもない、結局は多様という名の一様にすぎない──そうした文脈を欠いた直情的な批判は、単調であれメタ的であれ、いくらでも可能であった。また、会場プロデューサー選出が不透明である、IR(統合型リゾート)を含む乱暴な再開発に加担している、ジェノサイドや極右政党が台頭する現実の前で空疎である、といった批判を重ねたところで、建築家としての藤本は揺るがない。むろん、この言明は、それら批判を無駄な努力だと貶めることを意味しない。ただ、それらは作品の核心に触れていないことで、作品の本質を見誤るだけでなく、抜本的な批判の契機そのものを逸してしまっているのだ。では、抜本的な批判とは何か。それは、藤本が信じて疑わない自然や未分化を問い崩すことであり、彼が拠り所としている場所そのものを木っ端微塵にぶち壊すことである。それは、森に本当の他者を、荒ぶる神や鬼を放り込むことを意味する。端的に言えば、《リング》こそが、分断を引き起こす原因を胚胎しているのだ。

 藤本は、会場デザインプロデューサーを引き受けた理由として以下のように述べる。

トランプ大統領に象徴されるように、世界中で分断という言葉が強く言われていたことです。万博は世界のおよそ8割の国が一堂に集まるイベントなので、バラバラになりそうな世界情勢に対して、それでも世界は繋がることができるという希望を発信することは、世界に対しての鮮やかなカウンターメッセージになると思い、万博を開催するとてつもなく大きな意義があると考えました。(*69)

 ドナルド・トランプの当選は、メキシコとの国境に壁を建設する政策を実際に推進した事実に端的に示されるように、分断を基調とする政治的方向性を体現するものであり、その性格は間違いない。しかしながら、歴代米大統領でおそらくもっともグローバルな出自を持ったバラク・オバマに代わり、アメリカ国民がトランプを民主的に選択した理由のうちの一つは「(否応なしに)つながってしまった世界」(*70)へのアレルギー反応(*71)ではなかったか。インターネットという自立分散的システムがもたらした、多様性を許容する情報環境や、新自由主義的な自生的秩序としてのグローバル市場の浸透が、あたかも自然の摂理であるかのように不可避的なものとして受容されるなかで、そうした何処までも続く空のようなインクルーシヴな世界像から排除されたと感じる人々、あるいは依然として20世紀的な国家概念に強く依拠する人々が、世界への参与可能性を剥奪されたかのように経験する事態が生じた。その感覚に対するアレルギー反応の泡沫的な表出の一つが、トランプの選出であった。だとすれば、その分断反応に対して、その原因となったところと同質の理念に基づいた自然や未分化をぶつけることは、決してカウンターにはならないはずだ。《リング》は、問題となっている分断をことごとく反復する可能性を胚胎しているために、「日本人ファースト」などと、現実を黙殺し嘯く人々に何も響かないのだ。藤本が森概念を完成させるために必須だった東京という混沌体験から、批判を始めることができるだろう。

 東京の雑然としているにもかかわらず何処か秩序を感じさせる都市空間は、これまで、数々の建築家の想像力を喚起してきた。その東京の、自然発生的で混沌とした、身体感覚として何処までも広がっていく都市は、その中心に位置する皇居という巨大なヴォイドの存在によって、一定の秩序と均衡を保つことが可能になっている。これは、かつてロラン・バルトが指摘した「神聖なる『無』」の場所であり、「東京の都市全体が円をえがいて広がって」いく基盤となっている(*72)。さらに藤森は、山手線を、皇居を中心たらしめる円環状の構造であると指摘する(*73)。《リング》とはまさに、この皇居を空無として山手線を円の外縁とする東京という森にほかならない。つまり《リング》とは、未分化で混沌とした東京で住み続けることのできる人をモデュロールとした建築なのである。これは、上述した「インクルーシヴな世界像から排除されたと感じる人々」等は、モデュロールではないということを意味している。東京という空間──絶えず更新され続ける情報、動線、欲望が重層的に交錯する都市環境──は、そこに身を置くすべての人間にとって自明に受容可能なものではない。東京という混沌の只中に長くとどまることで、むしろ疲弊や過剰な緊張を覚える主体が存在するという事実は、この都市の秩序が普遍的な安定ではなく、特定の感受性の上に辛うじて成立していることを示している。機能による抽象化が汲み尽くせない多様性すなわちコルビュジエのモデュロールから溢れ出てくる人々を拾い上げる場所としての森は、また別の新たなモデュロールを暗に抱えているのだ。それは、《リング》が、何処までも続く一つの空無であることに由来している。

 ところで、「何処までも」とは、西田幾多郎の口癖ではなかったか。「主客身分の」(*74)「内外の別あるのではない」(*75)純粋経験を可能とする、「如何なる意味においての有無の対立をも超越してこれを内に成立する場所」(*76)としての西田の無の場所を、柄谷行人は、日本におけるポストモダンの言説空間と重ね合わせる。「『外部』をもたない閉じられた言説体系」(*77)と形容される他者不在のそれは、日本の近代を西欧の近代と同一視し、空回りな批評を繰り広げる者たちへの痛烈な批判であったが、柄谷は、西欧の言説における無矛盾的な構築への絶え間ない情熱、「建築への意志」を、日本のそれとは区別する。西欧における建築への意志とは、「混沌とした過剰な“生成”に対して、もはや一切“自然”に負うことのない秩序や構造を確立すること」(*78)であり、それは例えばヘーゲルの「精神」や、アレグザンダーのセミラティスという構造分析であって(*79)、無矛盾的であろうとすることによる「生きられ る世界」の現象学的還元にすぎないとする。故に、それは、構築を厳密に追求すればするほど、無根拠であることが露呈する。一方で、日本における建築への意志は、「宣長のいうような自然=生成」が、一見人工的な構築に対する批判であるかに見えて、それ自体が構築であるところのものだという(*80)。つまり、柄谷によれば、日本という場所は、何処までも空無な自然が底なしの権力をもって鎮座するために、この自然を揺さぶるのでなければ外部は現れない、他者は存在しないのである。柄谷は、この議論を天皇制へと接続し、空無というかたちで存在し、自然を装う「ゼロ記号」としての天皇は「発明」されたものだとするのだが(*81)、この発明されたものとしての自然の天皇とは、吉本隆明がいう〈天皇(制)〉である。

まずきわめてはっきりしていることは、〈天皇(制)〉が本来的に世襲してきたものは、特殊な宗教的な祭儀だけだといっていいことである。そしてこの祭儀は天皇位を相続する祭儀にもっとも集約してあらわれているといってもよい。(中略)この出自がすこぶる不明な〈天皇(制)〉の勢力は、世襲的な祭儀の中枢のところで、あたかもじぶんたちが農耕社会の宗家であるかのような位相で土俗的な農耕祭儀を儀式化したのである。(*82)

 当初は〈天皇(制)〉に独占されることなく、王権成立以前から各地の共同体に共有されていた季節循環(自然暦)に基づく農耕儀礼は、新嘗祭や大嘗祭といった国家祭祀として再編成され、やがて編暦整備と相俟って、時間秩序を王権の権威と結びつけるかたちで上位化・制度化されていった。日本における「自然=生成」の構築とは、自然そのものでなく、徹底して人工的に構築されながらも、見事なまでに人為の痕跡が存在しないよう構築された自然にほかならない。磯崎新の言葉を借りれば、起源をもどく始源である。吉本は、この時間の乗っ取りを問題化することで、何処までも空無な〈天皇(制)〉を相対化しようとしているのだ。東京という混沌を模す《リング》は、北海道の自然に、あるいはインターネットの自然に限りなく近づいた、人工の自然──建築家なしの建築のもどき──である。したがって、建築家なしの建築を達成したいと話す藤本に対する、「だから簡単に言うと、藤本さんは時間の偽造をしたいと言っているのではないでしょうか?」(*83)という藤森の返答はじつに鋭い。なぜなら、自然を人工的に創造しようとするならば、〈天皇(制)〉がそうであったように、時間を偽造することでしか現れないからだ。藤本が遡行した末に辿り着く「根源」の無根拠(起源)、それを森やプリミティヴという騙りでもどくことで(始源)、《リング》は形成されていると言えるだろう。重要なことは、そのもどきを肯定的に転換し、多様が達成される自然な森であるかのように騙ったとしても、それが〈天皇(制)〉というもどきによって構築されてきた日本的自然の抑圧的構造を反復しているにすぎないという点であり、繰り返すが、文脈は異なれど、同じく何処までも空無で潜勢的創造性に満ちているはずのインターネット空間もまた、外部がないという点でこの〈天皇(制)〉と同質の構造を有している(*84)。したがって、同様の論理──内/外を消去し、包摂を騙る空無の中心──によって設計された〈天皇(制)〉的空間としての《リング》もまた、構造的に見て、分断に抗するカウンターにはなりえないのである。

 「(否応なしに)つながってしまった世界」、その結果としての自閉的なナショナリズムや陰謀論は、緩和しなければならないアレルギー反応と呼んで差し支えない。しかし、そのアレルギーの根幹には、これまで確認してきたように、疎外されているという感覚があったはずだ。この感覚自体は、個人の資質によるのでなくアーキテクチャのデザインの欠陥によるのであり、その欠陥とは、これまで説明してきた内/外のない無限の開かれと、それを正当化する包摂的な騙りにほかならない。他者として扱われなかった人々が声を上げること自体を、われわれは、非知性的だとして冷笑し退けてはならない。むろん、藤本の勇気ある試みも同様に嘲笑してはならない。だが、はっきりと述べておきたいことは、藤本が依拠する森的なものこそが、分断の契機の一端を担っているということである。われわれは、アレルギー反応に対して真摯に向き合わなければならない。諏訪もしくは〈天皇(制)〉を源流としながら伊東豊雄という天竜川を経て藤本壮介という遠州灘へと達し、太平洋という「永遠」(*85)が見つかるような空間が、分断に対するカウンターにならないとすれば、どのような方法がアレルギーへの根治療法として考えられるだろうか。建築を閉じることを、試みまでに提言したい。

 建築を閉じ、隔絶すること。具体的には、開かれた無時間的な空間を一時的なものとし、閉じられた時間──ディアクロニー(隔たった時間)(*86)──を挿入することで、閉じられた空間──ディアトピア(隔たった場所)──を創造すること。閉じられていることが、直ちに分断そのものであるわけではない。それは、原初へ赴くことで超越的な未分化を発見する一瞬手前、本当は断絶されていたものを神秘的につなぎ合わせる騙りの一歩手前、そのような本来の遡行の限界地点で止まり、他者へと向かって「命がけの飛躍」(*87)をするための場所を創造することにほかならない。

この跳躍はそのつど盲目的であって、そこにこそ“神秘”がある。われわれが社会的・実践的とよぶものは、いいかえれば、この無根拠的な危うさにかかわっている。そして、われわれが《他者》とよぶものは、コミュニケーション・交換におけるこの危うさを露出させるような他者でなければならない。(*88)

 盲目的な跳躍、目は、閉じられている。ここでいう他者とは、柄谷がいうところの言語ゲームが成立しないような他者であり、それは例えば「猫」である(*89)。そのような場所はまさしく閉じられている、が、開かれていないのではなく、もしかすれば暗夜を手探りで歩くことで、他者への道が創造されるかもしれない場所である。それは、接続がギリギリの地点で思考することを可能にするトポスにほかならない。対極主義──縄文土器を称揚しながらも神秘的世界を拒絶した岡本が立っていた地点とは(*90)、柄谷と文脈はまったく異なれど、そのような地点だったはずだ。

とかく「行動」といわれるのは、思想に従属した観念的な行動だ。もっと手に負えない、盲目的なアクションが「思想」と対決しなければならないと思う。それは現代の緊急な課題である。極論すれば、ナマなアクションをぬきにしてほんとうの哲学、思想はありえないと思うのだ。客観視しないと実体がつかめないというのは近代的思考の伝統だが。そうではなく、生きている瞬間に、無目的的に運命のまっただなかにとび込む。そしてはじめて思想が肉体化するのだ。(*91)

 岡本は、その隔絶された地点から盲⽬的に跳躍することを「挑む」と⾔っていた。実際、岡本は猫と対峙していた(*92)。猫と⼤真⾯⽬に向かい合う岡本は、果たしてばかばかしいのだろうか。滑稽であるだろうか。否、そうではないだろう。岡本が、《太陽の塔》が「孤独」(*93)を携えていると述べる理由は、それが⽬が閉じられた世界における建築だからである。その態度とは、他者性を包摂してしまわない態度にほかならないのである。建築が孤独の時間をもつこと、それは、乗っ取られた時間を奪取する空間をもつことだ。太平洋の永遠を前にして閉じられた⽬のような、隔たった孤独な場所──ディアトピア──を創造することこそが、希求されなければならないのである。

*69──『新建築 特集:2025年大阪・関西万博』新建築社、2025、61頁。
*70──「『(否応なしに)つながってしまった世界』とは、自国の主権が及ばない地域の出来事が、瞬時にして直接自らの生活空間に侵入してくることが容易に想定し得る世界ということだ。サイバー、宇宙、金融、パンデミック、気候変動、テロなどの問題はその典型であろう。また日常的にも、インターネットをはじめとする通信技術の飛躍的向上、個人が入手できる通信デバイスの低価格化によって、人類の多数が常時つながっている状態が、人類史上初めて出現した。このような状況の出現にともない、個人、地域社会、主権国家、国際社会というユニットの関係性が変容しつつある。これは、完全には『局外者たり得ない世界』が到来したということだ」(中山俊弘『理念の国がきしむとき オバマ・トランプ・バイデンとアメリカ』千倉書房、2023、14頁)。
*71──「現代はカリフォルニアン・イデオロギーのもと、こうした情報産業を中心に、グローバルな市場にイノベイティブな商品やサービスを投入することで、『世界を変える』という思想がすっかり支配的になろうとしている。(中略)この21世紀は長期的にはグローバルな市場から世界が変わっていく時代であり、短期的にはそのアレルギー反応としてのナショナリズムの時代なのだ」(宇野常寛『母性のディストピア』集英社、2017、421-422頁)。
*72──ロラン・バルト『ロラン・バルト著作集7 記号の国』石川美子訳、みすず書房、2004、53頁。
*73──彦坂尚嘉、五十嵐太郎、新堀学編著『空想 皇居美術館』朝日新聞出版、2010、141頁。
*74──西田幾多郎『善の研究』岩波書店、2012、20頁。
*75──同上、22頁。
*76──西田幾多郎『西田幾多郎哲学論集1』岩波書店、1987、80頁。
*77──柄谷行人『批評とポスト・モダン』福武書店、1985、26頁。
*78──柄谷行人『隠喩としての建築』講談社、1989、15頁。
*79──この批判は、自然な対象に対する分析手法に関わるものであり、東京という都市そのものが混沌とした自然でないことを意味しない。すなわち、東京をどう見るかが問題とされている。もし自然生成的に構築されたそれを事後的に秩序だったものとして見るのであれば、「建築への意志」が働いているといえるだろう。
*80──柄谷行人『批評とポスト・モダン』福武書店、1985、47頁。
*81──「つまり、建武の中興の頃に、いちばんはやった熱狂的に読まれた哲学がありまして、それは朱子学なんですね。だから南朝の北畠親房の『神皇正統記』というのが、結局、中国の朱子学の正統論に興奮して、万世一系という観念をつくったわけですね。天皇がもう機能しないことがよくわかっているときに、その意味づけを、ゼロ記号としての連続性に求めたと思うのです。(中略)天皇はいてもいなくてもどうでも良いような時期がいっぱいあるわけですよ。しかし、それはずっと地下水みたいにつながっている。北畠たちがいうのはそういう種類の正統性だと思う。だから朱子学の適用ではあるけども、天皇が一種のゼロ記号であるということを、たまたまそうであった歴史的事実を逆手にとって“発明”したと思うんです」(柄谷行人、笠井潔、松本健一「天皇制̶抑圧的融和の弁証法」『文藝』河出書房新社、1986年5月号、253-254頁)。
*82──吉本隆明『吉本隆明全集11 一九六九─一九七一』晶文社、2015、307-308頁。
*83──藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008、130頁。
*84──無限の開かれを装うそのデザインゆえに、疎外的感情を喚起し、無理矢理外を策定する反射運動としてのフィルターバブルへの迎合やエコーチェンバーへの接続がある。開かれているが故に、開かれに適合しないモデュロールは、疎外による怒りの感情が惹起される。そして、永遠の内空間で外部が捏造され、抹殺されるという排外的運動が生み出されてしまう。
*85──アルチュール・ランボー『ランボー詩集』堀口大學訳、新潮社、1951、114頁。
*86──フェルディナン・ド・ソシュールによるシンクロニー(共時性)とディアクロニー(通時性)の用語法とはまた別の意味で用いられたエマニュエル・レヴィナスのディアクロニー(隔時性)という、共時に先立つ断絶した時間性として、他者との乗り越え不可能なずれを抱えているという含意のある用語をここでは利用したい。ただし、それは必ずしもレヴィナスが用いる意味での応答や責任を迫る〈顔〉を含意しない。そこからは、たんに隔たれているという意味だけをここでは抽出したい。
*87──柄谷行人『探求Ⅰ』講談社、1992、27頁。
*88──同上、50頁。
*89──同上、51頁。
*90──「私たちには、すでに四次元との対話はありません。しかし、あたかも彼らが超自然の世界と交渉したように、おなじく不可視ではありながら、つよく現実的にせまってくる切実な問題にふれています。それはたんなる美学にかかわりありません。二つの世界が冷たくまた熱く対立し、予告もなく水爆が炸裂し、とつぜん奇怪な経済恐慌がおこります。それはさながら原始社会における精霊のように、よいにつけ悪いにつけ、じっさいにわれわれの生活をおそってきているのです」(岡本太郎『岡本太郎の本2 日本の伝統』みすず書房、1999、42頁)。
*91──岡本太郎『岡本太郎の本5 宇宙を翔ぶ眼』みすず書房、2000、318頁。
*92──「あちこち見た後山猫の柵の前に来た。小生意気な眼をして居るので睨んでやつた。向ふもこつちを睨んで居る様だ。東洋人の眼の違つたところがわかるのかな?等と思つて尚も睨みつゞけると、向ふの眼が殺気立つて来た様に思へた。こうなればとこつちも必死になつて睨みつゞけてやる。突然異様な叫声と共に私の方に向つて飛びかゝつて来た。私は一歩退いた。あたりの人達もびつくりして振りかへつた様だつた。私は内心得意だつた。俺の眼光が山猫をいら立たせたのだ!」(同上、232-233頁)
*93──岡本太郎『岡本太郎 挑む/夢と誓い(抄)』日本図書センター、1998、52頁。

おわりに

 近年の建築コンペにおいては、ガラスを過剰に用い、開かれやつながりを無条件に称揚する作品が並ぶ傾向が顕著であり、建築学生もまたそれに無批判に追従して、似通った空間モデルを反復している。分断に抗うという理念のもとでである。そこには、本論で取り上げた建築家以外に、妹島和世や石上純也らの影響が少なからず作用しているだろう。しかし現在の建築状況は、あたかも建築を閉じることが禁忌であるかのような極端さを帯びている。その一様な空間的想像力こそが、分断を生み出す一契機である可能性を、本論では指摘してきた。私は、建築を閉じることが、建築を開くことと等価であり、時にそれ以上の批評的価値をもちうることを主張したいのである。本論はその試みとしては不十分であっただろう。だがこの問いを回避し続けるなら、他者を他者として思考する回路を失ったまま、アレルギー反応としての分断が固定化されたディストピアが到来するだろう。私は、この文章を同世代の建築学生に向けて書いている。未熟な試みにとどまるが、議論を考え直す契機となれば望外である。

主要参考文献
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伊東豊雄『透層する建築』青土社、2000
伊東豊雄『伊東豊雄 自選作品集 身体で建築を考える』平凡社、2020
伊東豊雄『この社会に建築は可能か』青土社、2025
伊東豊雄、中沢新一『建築の大転換』筑摩書房、2012
伊東豊雄『伊東豊雄読本 2010』エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010
伊東豊雄建築事務所編著『建築:非線型の出来事 smtからユーロへ』彰国社、2003
伊東豊雄、藤本壮介、平田晃久、佐藤淳『建築のちから‒‒02 20XXの建築原理へ』INAX出版、2009
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宇野常寛『母性のディストピア』集英社、2017
宇野常寛『庭の話』講談社、2025
上田正昭ほか『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987
岡本太郎『岡本太郎の本1 呪術誕生』みすず書房、1998
岡本敏子、川崎市岡本太郎美術館編『対談集 岡本太郎 発言!』二玄社、2004
岡本太郎、泉靖一、梅棹忠夫共編『世界の仮面と神像』朝日新聞社、1970
岡本太郎『岡本太郎の本2 日本の伝統』みすず書房、1999
岡本太郎『岡本太郎の本5 宇宙を翔ぶ眼』みすず書房、2000
岡本太郎『岡本太郎 挑む/夢と誓い(抄)』日本図書センター、1998
折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第十七巻』中央公論社、1976
折口博士記念古代研究所『折口信夫全集 第三巻』中央公論社、1975
柄谷行人『隠喩としての建築』講談社、1989
柄谷行人『批評とポスト・モダン』福武書店、1985
柄谷行人『探求Ⅰ』講談社、1992
柄谷行人、笠井潔、松本健一「天皇制─抑圧的融和の弁証法」『文藝』河出書房新社、1986年5月号
隈研吾『隈研吾:レクチャー/ダイアローグ』INAX出版、2007
ケネス・フランプトン『現代建築史』中村敏男訳、青土社、2003
ジェームズ・ジョージ・フレイザー『金枝篇──呪術と宗教の研究4 死にゆく神』神成利男訳、国書刊行会、2006
ジェームズ・ジョージ・フレイザー『金枝篇──呪術と宗教の研究8 スケープゴート』神成利男訳、国書刊行会、2023
塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』筑摩書房、2000
多木浩二「生きられた家」、五十嵐太郎、菊池尊也編『現代建築宣言文集〔1960‒2020〕』彰国社、2022
吉見俊哉『博覧会の政治学』中央公論社、1992
吉本隆明『吉本隆明全集11(一九六九─一九七一)』晶文社、2015
バーナード・ルドフスキー『建築家なしの建築』渡辺武信訳、鹿島出版会、1984
彦坂尚嘉、五十嵐太郎、新堀学編著『空想 皇居美術館』朝日新聞出版、2010
ロラン・バルト『ロラン・バルト著作集3 現代社会の神話』下澤和義訳、みすず書房、2005
ロラン・バルト『ロラン・バルト著作集7 記号の国』石川美子訳、みすず書房、2004
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西田幾多郎『善の研究』岩波書店、2012
西田幾多郎『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』岩波書店、1987
平田晃久、藤本壮介、中村拓志、吉村靖孝、中山英之、倉方俊輔『建築家の読書術』TOTO出版、2010
藤本壮介、伊東豊雄、五十嵐太郎、藤森照信『藤本壮介 原初的な未来の建築』INAX出版、2008
藤本壮介『建築が生まれるとき』王国社、2010
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藤本壮介『藤本壮介の原初・未来・森』美術出版社、2025
坂茂、藤本壮介、大西麻貴+百田有希/o+h『私の建築手法』東西アスファルト事業協同組合、2024
ミシェル・フーコー『監獄の誕生──監視と処罰』田村俶訳、新潮社、1977
ミシェル・フーコー『言葉と物──人文科学の考古学』渡辺一民、佐々木明訳、新潮社、1974
ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』佐藤嘉幸訳、水声社、2013
柳田国男『定本柳田国男集 第十二巻』筑摩書房、1963
山崎一司『花祭りの起源──死・地獄・再生の大神楽──』岩田書院、2012
Mauss, Marcel “Conceptions qui ont précédé la notion de matière.” Œuvres, vol.2, Minuit, 1974
『新建築 特集:2025年大阪・関西万博』新建築社、2025年12月号

ネット記事
椹木野衣「万博 美術の故郷で見た『ベラボーさ』」『好書好日』2025年4月23日、https://book.asahi.com/article/15718371
伊東豊雄「建築を耕す:文化としての建築をつくるために」伊東建築塾、2025年9月5日、https://itojuku.or.jp/blog/13663