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2026.4.11

「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」(パナソニック汐留美術館)開幕レポート。日本初のアトリエの再現も

東京・汐留にあるパナソニック汐留美術館で、「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」が開幕した。会期は6月21日まで。会場をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

第4章「1940〜50年代ー最後のアトリエ」の展示風景より。手前はジョルジュ・ルオー《モデル、アトリエの思い出》(1895/1950)
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 東京・汐留にあるパナソニック汐留美術館で、「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」が開幕した。会期は6月21日まで。

 同館は2003年の開館以来、20世紀のフランスを代表する画家ジョルジュ・ルオー(1871〜1958)の作品を中心に収集し、現在では約270点のルオー作品を所蔵している。とりわけ近年は、ルオーの師であるギュスターヴ・モロー(1826〜98)のアトリエで学んでいた時期の初期の作品群も充実し、またモローの作品も新たにコレクションに加わった。

 ルオーは、1871年パリのベルヴィル生まれ。14歳でステンドグラス職人に弟子入りする傍ら、国立高等装飾美術学校の夜間クラスに出席。90年には国立美術学校に入学し、ジュール=エリー・ドローネ(1828〜92)、続いてモローのアトリエで学ぶ。同教室には、アンリ・マティス(1869〜1954)、アルベール・マルケ(1875〜1947)などが所属していた。

 モローの死後、マティス、マルケ、ルオーらはともにサロン・ドートンヌを創設し、革新的な作品を次々に発表。1890年代にはアンブロワーズ・ヴォラール(1866〜1939)の画廊でポール・セザンヌ(1839〜1906)の作品に出会ったルオーは深い感銘を受け、モローやセザンヌの影響から、ルオーは次第に「かたちと色の調和」を追い求めるようになった。キリスト教主題の作品を多く描きながら、サーカスや娼婦、裁判官など、同時代に生きる人間を主題に描いた作品も多く発表している。

 本展は、近年新たに迎えた収蔵作品を中心に、同館のルオーコレクションを改めて紹介する展覧会。なかでも、ルオーの創作の場である「アトリエ」に焦点を当て、作品がいかなる環境で、どのような画材を用いて描かれたのか、初期から晩年までの代表作を通じて紹介する内容となっている。

第3章「1920〜30年代ーアンブロワーズ・ヴォラール邸での制作」の展示風景より

国立美術学校時代〜1930年代

 会場は、ルオーの画業を時代ごとに区切り、初期から晩年までを追うように全5章で構成されている。第1章「国立美術学校時代ーギュスターヴ・モローのアトリエ」では、ルオーが国立美術学校時代に制作した初期の作品が紹介されている。この時代のデッサンは市場に出ることも少なく、大変貴重な作品群といえる。

第1章「国立美術学校時代ーギュスターヴ・モローのアトリエ」の展示風景より、モローの作品とルオーの作品が並べて展示されている

 本館に収蔵されている、ルオーの師・モローの《オルフェウスの苦しみ または 地上で涙にくれるオルフェウス(習作)》(1891)も展示されている。本展ではその作品も展覧されている。ルオーは色彩感覚やマチエールの重要性をモローから学んだと言われているが、それぞれの作品を見比べることでその共通項に気づくことができるだろう。

第2章「フォーヴ時代一画家仲間との共同アトリエ」の展示風景より、マティスやマルケと共同アトリエで制作していた時代の作品群

 第2章「フォーヴ時代一画家仲間との共同アトリエ」では、モローが亡くなった後のルオー作品が紹介されている。師匠の死にショックを受けたルオーは、学校も退学し、一時期制作を止めていたという。しかしその後、国立美術学校時代の学友であるマティスやマルケらと再会し、複数の共同アトリエを構えることで制作を再び開始する。この時期より、ルオーはアカデミックな描き方を変えていき、作風はのちにフォービズムと呼ばれる力強いものへと変化していく。

 この時代には、ギュスターヴ・モロー美術館も開館。ルオーはその初代館長に就任している。アトリエをいくつも構えていたルオーは、モロー美術館内にも制作場所を設け、師の作品を傍らに制作を続けたという。ほかの作家たちからも多大な影響を受けていた時期でもあり、会場の作品からはルオーが自身のスタイルを模索していたことが伺える。

第3章「1920〜30年代ーアンブロワーズ・ヴォラール邸での制作」の展示風景より、ヴォラール邸で制作された作品群
第3章「1920〜30年代ーアンブロワーズ・ヴォラール邸での制作」の展示風景より、ジョルジュ・ルオー『ミセレーレ』(1948)の作品群

画商、アンブロワーズ・ヴォラールとの出会い

 第3章「1920〜30年代ーアンブロワーズ・ヴォラール邸での制作」では、ルオーの画業を語るうえで重要な存在である画商、アンブロワーズ・ヴォラールのアパルトマンにアトリエを構えていた時期の作品を紹介。ヴォラールは、1890〜1930年代のパリで活躍した、当時もっとも革新的な画商のひとりであった。ポール・セザンヌやパブロ・ピカソを世に送り出した人物でもある。

 会場には、ヴォラールに認められ、彼のアパルトマンにアトリエを構えた時期の作品が並ぶ。裁判官、道化師、キリストといった、ルオー作品の中でも重要なモチーフが描かれたこれらの作品群には、厚塗りや黒く太い線を用いられており、ルオー作品の個性が色濃くなってきていることがわかる。

第4章「1940〜50年代ー最後のアトリエ」の展示風景より、手前はジョルジュ・ルオー《モデル、アトリエの思い出》(1895/1950)
第4章「1940〜50年代ー最後のアトリエ」の展示風景より、1940〜50年代の作品群

 第4章「1940〜50年代ー最後のアトリエ」は、1948年にルオーが構えた最後のアトリエで制作された作品で構成。なかでも注目したいのは、同館の新収蔵品である《モデル、アトリエの思い出》だ。本作は制作年の欄に1895年と1950年と記載されている。これは、1895年、つまりモローのもとで学んでいた時期に書かれた下絵に、晩年上から再度描き直されたことを意味している。

 主題や人体表現は最初期の作風が見て取れるが、太い黒の輪郭線や鮮烈な色彩は後年の作品の特徴であり、異なる時代のルオーの表現が同居している。本章では、同じく近年同館に収蔵された《老兵(アンリ・リュップ)》(1946)も展示されている。本作も過去制作されたものを描き直した作品だ。

日本初、ルオーのアトリエを再現

 会場の奥には、本展の目玉となっている空間がつくられている。ここは、パリのルオー財団の特別な協力のもと、ルオーが晩年アトリエで実際に使用していた画材道具や机などを用いて、アトリエの一部再現を試みている。

展示風景より、ルオー最後のアトリエの再現展示

 パリ12区リヨン駅前のエミール・ジルベール通り2番地に構えた最後のアトリエは、現在ジョルジュ・ルオー財団の拠点となっている。財団に展示されている道具類は一般公開されておらず、鑑賞できるだけでも貴重な機会となっている。作品と併せて、ルオーが制作していた当時の空気感や情景を想像することができる。

第5章「ルオーの『アトリエ作品』」の展示風景より、同館所蔵の「アトリエ作品」(一部)

 最後の第5章「ルオーの『アトリエ作品』」では、ルオーの娘かつ作品の管理者でもあったイザベル・ルオーによって、アトリエ印「ATELIER DEGEORGES ROUAULT」が押された「アトリエ作品」と呼ばれる絵画群が紹介されている。真作であることの証明として、アトリエに残された未完成作品の裏側にこのアトリエ印が押された。本章は同館が所蔵する一辺20センチにも満たない小さい風景画のコレクションを通じて、ルオーの作品世界を紹介する空間となっている。

 ルオーの最初期から晩年までの画業を追うことができる本展では、門外不出と言われたルオーの画材らを用いたアトリエの再現展示も見られる貴重な機会となっている。改めてルオーという画家の足取りを辿ることができる展覧会だ。