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2026.6.9

冨安由真が見た「ロン・ミュエク」(森美術館)。リアルの位相の交錯が生む、観客に残された余白

東京・六本木の森美術館でカルティエ現代美術財団との共催により開催している「ロン・ミュエク」展(4月29日〜9月23日)。パリ、ミラノとソウルを巡回してきた本展を、心霊や超常現象、夢などの事象を手がかりに、現実と非現実の境目を探る作品を制作する美術家の冨安由真が訪れた。視点や次元のずれを観客の身体に届ける作品をつくり続けてきた冨安の目に、ミュエクの精緻な彫刻群はどう映ったのか。話をうかがいながら会場を回った。※6月10日24時まですべての方に全文お読みいただけます

文=灰咲光那 撮影=手塚なつめ 取材協力=田篭美保(森美術館シニア・コーディネーター)

ロン・ミュエク《イン・ベッド》(2009)と冨安由真。「素材はリアルなスケールのままで、モチーフのサイズが拡大されている。そこにリアルさと違和感が同居しています」
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 オーストラリア・メルボルン出身でイギリスを拠点とするロン・ミュエクは、実物よりはるかに大きく、あるいは小さくつくられた、強いリアリティを持つ人体の具象彫刻で知られる作家だ。ひとつの作品を仕上げるのに数ヶ月から数年を要するため、30年あまりのキャリアで世に出た作品は49点にすぎない。森美術館で開催中の「ロン・ミュエク」展は、日本初公開6点を含む11点を集めた貴重な機会となっている。

 本展を訪れたのは美術家の冨安由真。絵画や立体、映像、サウンド、VR、さらには演劇的演出までを横断する大型の体験型インスタレーションで知られる美術家だ。心霊や超常現象、夢など、科学では捉えきれない領域から、現実と非現実の境目を問う作品を制作してきた。ゆっくりと会場を歩き、一つひとつの彫刻に時間をかけて目を向けていった。

物語をもたない彫刻の世界

 「素材がすごく多彩ですね」。冨安がまず気にかけたのは彫刻の素材と肌の質感だった。ミュエクは身体や顔といった人間の部分を硬性樹脂で形づくり、表面に施す彩色までを自らの手で行う。髪には人毛や馬毛、人工毛を使い分け、衣服や革靴には本物の布や革をそのまま用いる。

 「リアルでありながら、どこかリアルではないような、不思議な感覚があります。私たちの世界のマテリアルをそのまま使っているので、服に用いられている布や繊維は現実のスケールの質感があるのですが、そこに身体の拡大や縮小が加わると。意外な違和感が生まれますね」。

ロン・ミュエク《枝を持つ女》(2009)と冨安

 観客に判断を委ねるこの構えは、冨安自身の制作姿勢とも深く重なる。薄暗い空間に絵画や家具、映像、音、仕掛けを配した彼女のインスタレーションは、心霊現象やデジャブを明示するのではなく、現実と非現実のあいだで揺れる感触を観客に体験させることを核としてきた。物語に回収させない、というその手つきを、冨安は次のように語る。

 「自分の作品にストーリー性は入れたくないと思っているので、物語として読み取れてしまうものは、むしろ排除するように意識してきました。何かを示唆するオブジェクトを置くこともありますが、点と点を結ばずに、断絶した体験を目指しています」。

冨安由真「KAAT EXHIBITION 2020 冨安由真展|漂泊する幻影」(2021)展示風景 Photo by Masanobu Nishino

 こうした姿勢を経由してミュエクの作品を見つめ直すと、その彫刻は冨安の目に「独立した存在」として浮かび上がる。「インスタレーションに寄せた作品もありますが、例えば人物の立像でも、絵画の人物画でも、読み取ろうと思えば物語は引き出せます。でもミュエクの彫刻は、その回路から切り離されています。1点で完結していて、独立したものとして佇んでいるように感じられました」。

YBAではないリアリズム

 本展の見どころのひとつが、ミュエクの初期の代表作《エンジェル》(1997)だ。1998~2000年にかけて開催された「センセーション展」の巡回展に出品された本作は、その後、個人蔵に収まって以来、公開される機会がきわめて少なかった。人毛や布地は経年でわずかにすすけた風合いを帯び、いまやそれが作品の世界観そのものと一体化している。本展では約30年ぶりに姿を現し、日本初公開となる。

ロン・ミュエク《エンジェル》(1997)ミクストメディア 110×87×81cm 個人蔵  展示風景:「ロン・ミュエク」(森美術館、東京、2026)

 「センセーション」展はチャールズ・サーチのコレクションを軸にYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)世代を世に出した伝説的な企画展だが、ミュエク本人はその括りに自覚的ではないという。ロンドンで学生時代を過ごし、YBAの作品を多く見てきた冨安も、同じ感触を口にした。

 「ロンドンでYBAの作品を見てきましたが、ミュエクは括りとして入っているだけで、YBAらしさはあまり感じません。スケールが大きな主題なのは確かですが、むしろ異色で、制作の作法はスペインのリアリズム絵画に近いところがあるように思います」。しかし、人物のたたずまいや衣服のディテールには、確かにイギリスの空気が宿っている、とも冨安は続ける。「改めて見ると、人物がいかにもイギリス人らしいんですよね。容姿も、衣服も。あの時代のイギリスの空気がそこに宿っている。私がロンドンに留学していた頃を振り返ると、学生でリアリズムに取り組む人はほとんどいませんでした。イギリスを拠点にしながらリアリズムを貫いてきたミュエクは、だからこそ唯一無二の存在になっているのかもしれません」。

 《エンジェル》は、ミュエクがロンドンのナショナル・ギャラリーで目にしたジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《ヴィーナスと時間の寓意》(1754〜58頃)に着想を得た作品である。幸福の象徴である「天使」のイメージからは程遠く、うつむいて力なく視線を落とすその姿は、聖性よりも倦怠を漂わせる。冨安の視線も、宗教画の影をすばやく捉えていた。

ロン・ミュエク《買い物中の女》(2013)ミクストメディア 113×46×30cm 所蔵:タデウス・ロパック(ロンドン・パリ・ザルツブルク・ミラノ・ソウル) 展示風景:「ロン・ミュエク」(韓国国立現代美術館ソウル館、2025) 撮影:ナム・キヨン 画像提供:カルティエ現代美術財団、韓国国立現代美術館 ミュエクが実際に目にした親子をモチーフにしているという

 「《買い物中の女》(2013)にも、聖母子像のような宗教的イメージを感じました。ご本人は語らないかもしれませんが、そういう受け取り方もあると思います。作家本人をモデルにした《マスクⅡ》(2002)を見たときには、カラヴァッジョの《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1609〜10頃)のダビデが持つゴリアテの首や、《洗礼者ヨハネの首を持つサロメ》(1600年代)の盆に乗ったヨハネの首が思い浮かびました。聖書を明確に引用しているわけではないけれど、作家の潜在意識の層に宗教画の身振りが沈んでいて、何かを生み出そうとするときに、自然と立ち上がってくるのかもしれません」。

世界を見つめる、ミュエクの眼

 本展のクライマックスを成す《マス》(2016)は、100点もの巨大な頭蓋骨で構成されるサイトスペシフィックな大作である。展示空間ごとに配置を組み直して立ち上げる本作は、森美術館では約300平米の空間に展開されており、その光景は圧巻だ。室内に足を踏み入れた冨安は、頭蓋骨の群れをゆっくりと見渡した。「これだけ積み上げられていると、すぐにカタコンベ(古代ローマ時代に迫害を逃れたキリスト教徒たちの地下共同墓地)が浮かびます」と、先にも触れた宗教的表象との連続性を感じさせるひと言。さらに冨安は一体ずつを覗き込んでいき、これらの集合がどのようにつながり、どこで固定されているのか。その理路を読み解こうとする眼差しを投げかけた。

 「作品のあいだを鑑賞者が縫うように抜けていく。そこに生まれる時間が良いですね。これほどの大きさとクオリティを兼ね備えた彫刻群を、そのままインスタレーションとして提示している例は、なかなかない。すごい迫力です」。

 冨安自身も、観客を歩かせる空間をつくり出す作家である。ミュエクと冨安、その設営の手つきはどう異なるのか。ミュエクの場合は、机上で綿密に会場内の作品構成を計算し、今回の《マス》も十分につくりこんだうえでインストールされ、会場での調整はわずかに留まったという。いっぽうの冨安は次のように語る。「施工が必要なものは事前に明文化しておくので、現場で動かすことはありません。ただ、物の配置については、むしろ現場を見ながら判断して組み立てていきます。お客さんの動きや触れ方を見ながら、開幕後も修正を重ねていくことが多いですね」。

ロン・ミュエク《マス》(2016)と冨安。「すべてが同じようでいて、微妙に色調を変えていますね。リアルな造形ですが、いっぽうで重量が軽いことも伝わってくる質感があります」

 ここで冨安の視線はふたたび頭蓋骨の群れへと戻っていく。「気になるのは、作品の重さです。本物の骸骨であればこのくらい、と無意識に計算してしまうので、これはどのように留まっているのかと、構造を考えてしまいます」。本物に限りなく近づいているようでいて、本物ではないことに観客が気づける余白がそこには存在している。ミュエクはそのふたつの位相を、同じ精度で組み立てているのだ。この拮抗が端的に立ち上がっているのが、暗闇のなかに巨大な男性の顔だけが浮かぶ作品《ダーク・プレイス》(2018)と言えるだろう。

ロン・ミュエク《ダーク・プレイス》(2018) ミクストメディア 140×90×75cm ZAMU  展示風景:「ロン・ミュエク」(森美術館、東京、2026) 顔の造形が浮かび上がってくるよう、綿密な照明設計が施されている

 「《ダーク・プレイス》は、見ているうちにバーチャルの世界に紛れ込んだような感覚になりました。浮かび上がってくる顔が極めてリアルなのに、リアルであるがゆえに、仮想現実のなかにいるような印象を強く受けるようにした緻密な照明設計が行われていますね。《マス》も、通常の光だけであれば、どこかに影が落ちるはずなのに、展示にはそれがない。光源が見事に隠されていて、明度のバランス調整も絶妙です」。リアリズムを極めると、バーチャルが立ち上がる。「サイズの逸脱と光の隠し方が、観客の知覚をいま居る場所から少しずらしてしまう」と冨安は語った。

 会場をひと巡りした後、冨安はミュエクが見ているものについて次のように語った。「ミュエクの過去作は知っていたので、人体や人間そのものに興味がある作家なのだろうかと思っていました。けれども本展を一巡してみると、その印象は変わります。人体への興味というよりも、世界そのもの、リアリズムを通して世界を見つめる目線があるのです。それをずらしながらつくっているのではないか。ミュエクが作品を語らないからこそ、見るこちら側に静かに残るものがあります」。