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2025.12.16

「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」(東京国立近代美術館)開幕レポート。歴史から姿を消した戦後女性作家たちの表現に迫る

東京・竹橋にある東京国立近代美術館で、「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」が開幕した。会期は12月16日〜2026年2月8日。

文・撮影=大橋ひな子(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より
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 東京・竹橋にある東京国立近代美術館で、1950〜60年代の日本の女性美術家の活動に焦点を当てた「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」が開幕した。担当学芸員は成相肇。会期は12月16日〜2026年2月8日。なお本展は、豊田市美術館(10月4日~11月30日)で開催されたもので、本展の後には兵庫県立美術館(2026年2月28日〜5月6日)へと巡回する予定だ。

 1950〜60年代、日本では短期間ながら女性美術家が前衛美術の領域で大きな注目を集めていた。これの背景にあったのは、海外から流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」と、それに応じる批評言説であった。しかし、その後「アクション・ペインティング」という様式概念が流入すると、女性美術家たちは如実に批評対象から外されていく。豪快さや力強さといった男性性と親密な「アクション」の概念に男性批評家たちが反応したことがその理由だと考えられる。本展では、『アンチ・アクション』(中嶋泉[本展学術協力者]著、2019)のジェンダー研究の観点を足がかりに、戦後女性美術家14名の作品およそ120点が紹介される。「アクション」の時代に別のかたちで応答した「彼女たち」の独自の挑戦の軌跡に注目する内容となっている。

 参加作家は、次の14名。赤穴桂子(1924〜98)、芥川(間所)紗織(1924〜66)、榎本和子(1930〜2019)、江見絹子(1923〜2015)、草間彌生(1929〜)、白髪富士子(1928〜2015)、多田美波(1924〜2014)、田中敦子(1932〜2005)、田中田鶴子(1913〜2015)、田部光子(1933〜2024)、福島秀子(1927〜1997)、宮脇愛子(1929〜2014)、毛利眞美(1926〜2022)、山崎つる子(1925〜2019)。

 会場入り口を入ってすぐの空間には、今回の参加作家の作品がひとつずつプロフィールとともに紹介されている。広がる展覧会の導入として、個性の異なる作品それぞれに対峙しながら、各作家について知ることができるような構成だ。

展示風景より

 また、会場には「別冊アンチ・アクション」とタイトルがついたZINEが置かれており、全14篇からなるこれらは会場内に点在している。本展をより楽しむためには、その時代背景などを知ることが大きな鍵となるが、このZINEはその理解を助けるものとなるだろう。テキストは図録にも収録されておらず、会場でのみ入手可能なため忘れずに持ち帰ってほしい。さらに壁面には「アンチ・アクション」を紐解くための年表も掲示されているため、そちらもあわせて確認したい。

展示風景より、会場に置かれている「別冊アンチ・アクション」。全14篇用意されている
展示風景より、「アンチ・アクション」に関する年表

 本展は、11月30日まで豊田市美術館で開催された展覧会同様章立てはされておらず、来場者に同時代を生きた14名の作家同士の応答や連関を想像させる余白を持たせた空間づくりがなされている。また成相曰く、作家ごとに作品をまとめてはいるものの、どのような角度から見ても視界に2、3名の作家の作品が入るような構成となっている。同じときを生きた彼女たちが、それぞれの表現を追求しながらも、当時の空気にどう反応していたのかを探るきっかけとなる。

 今回展覧会のポスターにも起用された山崎つる子は、具体美術協会の会員として72年の解散まで在籍したメンバーであるが、その鮮やかな色彩が用いられた絵画作品に加え、ピンクや紫色の照明で照らされたブリキや木を用いた立体作品も紹介される。その手前には、金属やガラスを素材にした作品を多く手がけた宮脇愛子の立体作品が置かれ、互いに干渉しあうように見えるものの、不思議と違和感のない空間となっている。

展示風景より
展示風景より、山崎つる子の作品 ©Estate of Tsuruko Yamazaki, courtesy of LADS Gallery, Osaka and Take Ninagawa, Tokyo

 さらに奥に進むと、本展ならではの興味深いサインが現れる。「左右どちらの順路からでもご覧いただけます。」と書かれた指示の前で、来場者は各々左右に分かれて鑑賞を続ける。前述した通り章立てされていない本展は、決められた順路もなく、来場者は自身の意思で回遊しながら鑑賞することになる。しかし会場のつくりによっては意図せず鑑賞順序が決められてしまう場合もあり、豊田市美術館では大きな会場をほとんど仕切ることなく使用することでその難を乗り越えたが、同館ではあえて順路を選ばせる行為を挟むことで、より鑑賞体験(とくに順序)の自由度の高さを強調できたように感じられる。

展示風景より、奥に順路を来場者に選ばせるサインが置かれている

 左に進むと、赤穴桂子、芥川(間所)紗織の作品が展覧されている。本展のテーマである「アンチ・アクション」は、とりわけ1958年〜60年の短い期間をコアに組み立てられているため、紹介される作品も50〜60年代に制作されたものが中心となるが、本展ではひとりの作家が短期間のなかで大きく変えた作風の違いを比較することもできる。キャプションに書かれた制作年を参照しながら、挑戦をやめない彼女たちの探究心にも触れることができるだろう。

展示風景より、芥川(間所)紗織の作品

 サインを右に進むと、具体美術協会のメンバーであった田中敦子の作品が紹介される。田中は電球とコードによる《電気服》などでも知られるが、「具体美術協会の一員である」という紹介でとどまることもあったという。田中だけでなく、同じく具体美術協会に所属した山崎つる子や実験工房に属した福島秀子も同様に、属した団体こそ知られているが、作家個人へ光が当てられることは少なかったとも考えられる。

展示風景より、田中敦子の作品 ©Kanayama Akira and Tanaka Atsuko Association

 本展を紐解く切り口は複数挙げられるが、そのなかでも「素材」に注目することを勧めたい。多田美波はプロダクトデザインの仕事も請け負いながら、アルミニウムを用いた立体作品なども手がけていた。平面作品ではテグスを用いたものもあり、様々な素材を作品に取り込もうとしていた痕跡が浮かびあがる。

展示風景より、多田美波の作品

 同じく実験を重ねていたという点では、福島秀子の作品も興味深い。円形のスタンプが何度も押された痕跡を見つけることができるが、そのほかにも同じ作品のなかで様々な実験を繰り返しており、制作方法にも工夫がなされていることがわかる。また日本人女性として初めてヴェネチア・ビエンナーレ(第31回・1962)に参加したことでも知られる江見絹子も、斬新な制作方法を用いたひとりだ。自らの旧作を池に浸して絵具を剥がし、それをふるいにかけて新しい絵具と混ぜ合わせて用いるという手法を実践した。江見の果敢に挑戦を続ける姿勢がうかがえる。

展示風景より、福島秀子の作品
展示風景より、江見絹子の作品

 参加作家のなかでももっとも有名なのは草間彌生だろう。ここで特筆したいのは、パワフルで印象深い草間の作品が、同時代の作家たちの作品と調和しているという点である。草間作品が相対化されるほどの勢いとパワーを、同時代のほかの女性作家たちも持ち合わせていたといえるだろう。

展示風景より、左壁面には草間彌生作品、右壁面には多田美波作品 ©️YAYOI KUSAMA

 会場の奥の方で紹介されている白髪富士子は、具体美術協会の一員であり、「白髪一雄の妻」でもある。富士子は61年に具体を退会後、一雄の制作を支えるべく自身は制作の一線から退く。当時、戦後の自由な気風の象徴として女性の自立が謳われたいっぽう、そのじつメディアでは根強い「女性らしさ」をラベリングする風潮があった。その「女性らしさ」をかたちづくる要素のひとつとして、女性作家たちを誰々の妻というような役割で認識することも挙げられるが、仮に一雄の妻ではなく「白髪富士子」というひとりの作家としてのみ活動していたら、富士子はどんな作品を生み出し続けていたのだろうか。作品を前にして考えを巡らさずにはいられない。

展示風景より、白髪富士子の作品

 美術史において正当に語られてこなかった女性作家たちは、どのように自身の表現に向き合い、時代に応答したのか。本展は、そんな問いについて考えながら、激動の時代を生きた作家たちの勢いと挑戦に溢れた作品に向き合える機会となっている。なお同時期に同館で開催されるコレクション展では、「アクション」に関わる作品が紹介されているため、ぜひそちらもあわせてみてほしい。