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2025.11.15

被災した「能登瓦」の未来──「瓦バンクプロジェクト」が描く復興のかたち

2024年の能登半島地震からおよそ2年。奥能登では、いまも仮設住宅で暮らす人々の姿がある。そのいっぽうで、倒壊した家屋から瓦を救い、地域の景観と文化を未来へつなごうと動く「瓦バンクプロジェクト」の挑戦が続いている。今回は、その現場と、現地で開催中の「能登瓦」をテーマとした企画展「アウトサイド」の取材を行った。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

令和6年能登半島地震後、倒壊した家屋からレスキューされた「能登瓦」
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 2024年1月1日に発生した能登半島地震から、およそ2年が経とうとしている。とくに最大震度を記録した羽咋郡志賀町、七尾市、輪島市、珠洲市といった「奥能登」と呼ばれる地域では、現在も生活インフラの復旧が完全とは言えず、多くの住民が市内や周辺地域の仮設住宅での生活を余儀なくされている状況だ。

 同年7月、ウェブ版「美術手帖」では、建築家・坂茂を代表とする被災地支援プロジェクトを取材し、珠洲市・見附島の仮設住宅を訪問。その際、この地域の景観をかたちづくる「能登瓦」の保存を目的とした「瓦バンクプロジェクト」の活動を目にした。それから1年と3ヶ月余りが経ち、今回はその瓦バンクプロジェクトの取材のため、再び能登を訪れる機会を得た。

のと里山空港。羽田空港からは1日2便が往復している
珠洲市鉢ヶ崎総合公園前の道路。斜めに傾いた電信柱や、ひび割れたアスファルトの跡が地震の爪痕を物語っている。住宅街に入ると、かつて民家が建っていたであろう跡地も数多く見受けられる
珠洲市狼煙町の禄剛埼灯台付近から臨む風景。白く見える海岸は地震後に地盤が隆起したものだという

「瓦バンクプロジェクト」とはなにか

 地域の景観をかたちづくる瓦屋根。瓦の色やかたちには、それぞれの土地の特色が表れており、なかでも、光沢と深みのある黒色が印象的な「能登瓦」には、雪や潮風といった北陸地方の厳しい気候に耐える性質が備わっている。そもそも瓦屋根の家屋は減少し、瓦産業に従事する人も少なくなっている現代において、これらの文化を継承することは同地にとって大きな課題であった。

 「瓦バンク」は、2024年1月1日の地震を契機に、倒壊した家屋から能登瓦をレスキューするために立ち上がったプロジェクトだ。プロジェクトメンバーには、小松市を拠点に活動する鬼瓦職人・森山茂笑を代表に、森山はるゑ、吉澤潤、瀬尾裕樹子、新道雄大ら5名が名を連ねる。瓦バンクの活動は、瓦産業の継承・発信を目的として立ち上げられた前身プロジェクト「GAWARA」の設立直後に始まったという。

 能登瓦が織りなす景観や文化を後世に残すため、震災後は倒壊した家屋から瓦をレスキューして保存する取り組みが進められたが、その扱いには課題があった。そこで協力者として現れたのが、被災地支援プロジェクトとして仮設住宅の建設を進めていた坂である。坂との出会いを契機に珠洲市長と協議を重ね、現在、様々な活動が行われている。

令和6年能登半島地震後、倒壊した家屋からレスキューされた「能登瓦」。現在その総数は2万枚にも及ぶという
能登瓦
左から、森山茂笑(瓦バンク 代表)、吉澤潤(瓦バンク ディレクター)

坂茂や伊東豊雄といった建築家らとの協働

 瓦バンクによって保存された能登瓦は、徐々に再利用されつつある。例えば、坂茂による仮設住宅が並ぶ珠洲市・見附島には、新たに住民たちが集うための集会所が設置され、その屋根には瓦バンクで保存した能登瓦が使用されている。

見附島の集会所 外観。再利用された瓦は、珠洲市内にあった本住寺で使用されていたもの。市内では、本住寺をはじめとする寺院の倒壊も相次いだ
建築同様、紙管を用いてつくられたテーブル
見附島の集会所 内観。取材時には森山によるインスタレーションが展示されていた

 同じく珠洲市の北東部に位置する狼煙町には、被災地で人々の憩いの場をつくる「みんなの家」(*)プロジェクトが始動。今年7月には「能登のみんなの家」第一号が完成した。ここではイベントが開催され、月2回の食堂も開設されるなど、地域住民の交流拠点となっている。

珠洲市狼煙町。築142年という歴史のある禄剛埼灯台のふもとに位置する小さな町にも、能登瓦の風景が広がる
狼煙のみんなの家 外観 設計=クライン ダイサム アーキテクツ
狼煙のみんなの家 内観。近隣住民らの交流拠点となっている

*──「みんなの家」は、被災地で人々の憩いの場をつくるプロジェクトである。2011年の東日本大震災を契機に始まり、伊東豊雄をはじめとする建築家と、被災地域の住民、行政や協力企業らが協働して進めてきた。これまでに東北では16棟、熊本では地震や水害の被災地で130棟以上が建設され、現在も使用されている。https://www.home-for-all.org/

瓦を通じて被災地の現状や文化背景を伝える企画展も

 現在、珠洲市には地域住民のほか、復興に従事する解体業者なども出入りしているようだ。そうした人々の交流の場でもある現地の銭湯「あみだ湯」では、瓦を通じて被災地の現状や文化背景を伝える企画展「アウトサイド」(~12月16日)が開催されている。

あみだ湯 外観
あみだ湯 内観
あみだ湯 内観

 同展の企画を担当するのは、元国立工芸館特定研究員の石川嵩紘だ。展覧会名の「アウトサイド」には、小松市を拠点とする瓦バンクと、金沢市に住む石川がともに被災者ではなく、あくまで「外部」の立場から震災と向き合っていること、珠洲市が石川県の北端に位置すること、そして瓦という素材が屋外で用いられ、人々の暮らしや地域の景観をかたちづくってきたこと、という複数のニュアンスが込められている。

 出展作家には、被災地を訪れ、それぞれの立場から能登と関わってきた山本基、七尾旅人、仮( )-かりかっこ-、宮崎竜成、大和楓、池田杏莉といった6名の作家が名を連ねる。作家たちは能登瓦や地域の文化をリサーチし、ジャーナリスティックな視点を踏まえながら、銭湯の利用者に“能登地方で築かれてきた文化や産業の歴史を発見してもらう”ことに重きを置いた表現を展開している。

 企画・キュレーションを担当した石川は次のように語る。「被災建物の公費解体は、今年11月に目処がつく見込みだと石川県は発表しています。解体作業が終わった後には何が残るのでしょうか? “アウトサイド”とタイトルにあるように、我々は当事者になり得ません。残念ながら、東日本大震災のときに比べ、能登半島地震に対する人々の関心の薄さも感じられます。それでも、アウトサイドな立場であっても、アートと地域を接続させながら、能登にあった文化を瓦を通じて伝えられたらと考えています」。

展示風景より、山本基《「モノクローム」 - 記憶への回廊》(2025)。「奥能登国際芸術祭」で恒久展示《記憶への回廊》を発表してきた山本が、その流れを受け、本展では能登瓦を支持体とした新作を公開している
展示風景より、七尾旅人《呼び声》(2025)
シンガーソングライターの七尾は、倒壊した建物から回収された能登瓦に、新作の詩「呼び声」を釉薬で記し、焼成した作品を発表している。静かでありながら、生々しい七尾の想いが伝わってくる
展示風景より、大和楓《ぽよぽよ新聞 瓦版 2025年10月号、11月号、12月号(原稿)》(2025)。能登瓦を題材に取材した内容を新聞形式でまとめている大和は、地域の産業史を丹念にひもときながら、時代考証的な視点を通して現代社会の構造まで浮かび上がらせている
展示風景より、池田杏莉《それぞれのかたりて / あしたも おはよう》(2025)。震災後、池田は自身も輪島を中心にボランティアに参加し、被災者との対話を重ねてきた。本作では、能登瓦の破片と、和紙にエッチングで描いたドローイングをひとつに組み合わせ、新たな立体作品として再構築している。和紙の褪色とともにドローイングが徐々に現れてくるという、時間の経過が作品のなかに組み込まれている点も特徴だ
展示風景より、仮( )-かりかっこ-《仮(切籠)》(2025)。「あみだ湯」を経営する新谷健太と、ゲストハウスを運営する楓大海によるアーティストコレクティブは、様々な集落から集めた部材を組み合わせ、祭りで使われる「キリコ」を制作した。現在、あみだ湯では被災家屋の木材を燃料として用い、街を弔いながら癒しを提供している
展示風景より、宮崎竜成《物質と記憶》(2025) 写真提供=作家
現地で滞在制作中の宮崎は、被災し再利用ができなくなった瓦に日記と絵を描き、その過程を映像で記録。描き終えた瓦は、ハンマーで粉砕し、顔料として用いてキャンバスに能登の家並みを描いている

アウトサイドな立場だからこそできること

 瓦バンクのメンバーや企画展に携わった石川、アーティストたち、そして坂をはじめとする被災地支援プロジェクト関係者も、今回の震災に関してはアウトサイドな立場にある。

 3回の取材を通じて、被災地や避難生活を余儀なくされる地域住民──いわばインサイドの人々──の様子をわずかにうかがうことができた。しかし、彼らにとっては、自身や家族のいのちや生活が最優先であり、当然のことながら文化に目を向ける余裕はほとんどない。そのような状況だからこそ、アウトサイドの力が必要とされる。いのち、生活インフラ、そして文化を同時並行でつなぐことができれば、いずれインサイドとアウトサイドの意識が交わる瞬間が訪れるはずだ。

 被災地の生活が徐々に取り戻される過程で、今後、瓦バンクプロジェクトに求められるのは、現地住民と意識を共有し、改めて能登の未来について考えていくことだろう。時間はかかるかもしれないが、その間も復興と同時並行でこのプロジェクトが進められていくことを願いたい。我々もアウトサイドの立場として、この状況を発信する一助になれればと思う。

瓦プロジェクトメンバー。左から、瀬尾裕樹子、森山はるゑ、森山茂笑、吉澤潤、新道雄大
写真提供=一般社団法人瓦バンク