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2024.9.21

「リキッドスケープ 東南アジアの今を見る」(アーツ前橋)開幕レポート。流動する風景を観測し、受容する

アーツ前橋で「リキッドスケープ 東南アジアの今を見る」がスタートした。会期は12月24日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、ゲゲルボヨ《クリムゾン・ヴェール》
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 アーツ前橋で「リキッドスケープ 東南アジアの今を見る」がスタートした。会期は12月24日まで。展覧会ディレクターは南條史生(アーツ前橋特別館長)、キュレーターは高橋由佳(アーツ前橋キュレーター)。

 本展は、流動する東南アジア地域の文化、社会の状況を「リキッドスケープ(流動する風景)」と名づけ、タイ・インドネシア・カンボジア・シンガポール・アフガニスタン・パキスタンから12組の作家(うち80年代以降に生まれた作家7組を含む)による22点の作品を全4章立ての構成で展示。気候変動や戦争・紛争、貧富格差といった世界全体の課題に相対した作品を紹介しながらも、東南アジアならではのとらえがたい様相に着目し、観測することを試みている。

 今回の企画について南條は、「前橋という街を国際的なアートマップに位置付けることを視野に入れ、企画をスタートした。アーツ前橋にとっては本展を第一歩とし、将来的にはアジアとのつながりを保ちながら展覧会プログラムをつくっていきたい」と今後の展望についても語った。

 第1章「もつれあう世界」では、3組の作品が展示されている。インドネシア・ジョグジャカルタを拠点とするゲゲルボヨは、同地のジャワ文明がたどってきた侵略から独立に至るまでの歴史を5章にわたって紹介している。「様々な文明による侵攻から良いことや悪いことを学び、現在のジャワがあることを伝えたい」とゲゲルボヨはその意図についても語った。

展示風景より、ゲゲルボヨ《クリムゾン・ヴェール》
ゲゲルボヨによる解説。インドネシアのジャワ文明は、マジャパヒト王国(ヒンドゥー教)、マタラム王国(イスラム教)、オランダによる植民地化、日本による占領時代を経て、現在独立に至っている

 タイ出身のジャッガイ・シリブートは、2点のテキスタイル作品を出展している。コロナウイルスが世界的に蔓延した最中、タイ政府はその対策に失敗。観光業で成り立つタイでは、多くの失業者を生み出してしまったという。このタペストリーは、失業者たちのユニフォームが再利用されマスクとなったものをさらに解体したものだという。

展示風景より、ジャッガイ・シリブート《Airborne(Phra Nakorn)》

 シンガポールの映像作家で、今年4月には東京都現代美術館で個展を開催したことでも記憶に新しいホー・ツーニェンは、2017年から継続して制作している東南アジアを批評した映像シリーズを本展のために仕立て直し、発表した。AからZまでの用語をテーマに自動編集し再生されるこれらの映像は、全部で26チャンネル。会場内に響きわたる26種類の音声のもつれは、まるで多様な文化が混交した東南アジアを表しているようであり、「東南アジア、そしてすべての国家はひとつの世界であるのか、はたまた複数で成り立っているのか」といったツーニェン自身の問いそのものでもあるという。

展示風景より、ホー・ツーニェン《CDOSEA(The Critical Dictionary of Southeast Asia)》

 第2章「発展のその先に」では、人間の活動が加速し続ける現代において、人間中心の価値観、そして地球全体はいったいどこへ向かっているのかを問う、2組の作品を紹介している。

 シンガポール出身のチャールズ・リムは、同国の工業都市の地下にある巨大石油貯蔵庫を撮影。無機質かつSFチックに撮影された映像は、猛スピードでどこかへ向かおうとしている現実を非現実的にとらえている。

展示風景より、チャールズ・リム《SEASTATE6: Phase1》

 タイ出身で建築家としてのバックグラウンドを持つウィット・ピムカンチャナポンは、アーツ前橋の地下に巨大な迷路を生み出した。これは装置が作動することでパネルが上下し、つねに道が変化していく仕様となっている。「迷路は西洋の文化であると思っていたが、旅をするなかで、タイ仏教に迷路を構築する伝統があることを知った」とピムカンチャナポン。悟りへの旅を反映したこの迷路は、現代における東南アジアの流動する風景の特徴とも一致するのかもしれない。

展示風景より、ウィット・ピムカンチャナポン《Planetary Seed》

 西洋諸国と比較し、東南アジアではジェンダーギャップ指数の低さを見ても、男女平等が立ち遅れている現状がうかがえる(146ヶ国中、タイ65位、インドネシア100位、カンボジア102位。なお、日本は118位といった有様だ)。第3章「女性性のカウンターナラティブ」では、社会の周辺的立場に置かれた女性たちによるカウンターナラティブ(対抗する物語)としての作品が紹介されている。

 例えば、タイのカウィータ・ヴァタナジャンクールは、女性の家事労働をテーマに、自身の身体を道具に見立てながらパフォーマンス映像を制作。苦しそうに歪んだ表情や辛そうな体勢で扱われる女性の姿があたかも大衆向け広告のようにポップでカラフルに表現されており、その問題を見えづらくしている現状を強く指摘している。

展示風景より、カウィータ・ヴァタナジャンクール《Shuttle》

 インドネシアのナターシャ・トンティは、先住民族ミナハサ族に伝わる男性を象徴する儀式を、10代の少女たちが行うファンタジー映画《Garden Amidst the Flame》を発表。男性中心社会から逸脱した視点で伝統が再解釈されている。

 カンボジアで姉妹としても活動するメッチ・チョーレイ+メッチ・スレイラスは、出産を「川をわたる」というカンボジアならではの表現をもとに映像と写真を展示。子供を産むという神聖でありながらもどこかグロテスクにも見えるその行為は、出産の壮絶さと女性の身体への多大なる負担をも表しているのかもしれない。

展示風景より、ナターシャ・トンティ《Garden Amidst the Flame》
展示風景より、メッチ・チョーレイ+メッチ・スレイラス《Mother of River》

 インドネシア・バリ島出身のチトラ・サスミタは、15世紀のバリより伝わる平面画法カマサン・スタイルを用いて、当時男性によって描かれてきた女性に対する誤った表現を解きほぐし、女性性をめぐるあらたな神話として描き直している。

展示風景より、チトラ・サスミタの作品群
展示風景より、チトラ・サスミタの作品群(一部)。円状に敷きつめられたターメリック粉には、古代古代バリより伝わる詩が記されている

 本記事冒頭で東南アジアの作家による展覧会であると言いながら、アフガニスタン・パキスタンの作家らが含まれることに疑問を抱いた方も少なくないだろう。第4章「漂流、ループ、循環」では、紛争や弾圧などを理由に国外避難することを余儀なくされた、難民としての背景を持つ作家らを含めた3組を紹介している。

 ハーディム・アリ + ムムターズ・カーン・チョパン + アリ・フロギー + ハッサン・アティらは、アフガニスタン・パキスタンの難民として現在はインドネシアでの生活を余儀なくされている。インドネシアでは自国よりは安全に暮らせているのかもしれないが、同地の住民からは「難民」というレッテルを貼られ、あたかも存在していないかのように扱われる日々が続いているという。映像作品《Voice and Noise》には、日常的な行為を行う顔のない人が映し出されており、前述のような扱いについて抗議の意が込められている。

展示風景より、ハーディム・アリ + ムムターズ・カーン・チョパン + アリ・フロギー + ハッサン・アティ《Voice and Noise》

 タイ出身のナウィン・ヌートンは、ポストインターネット世代の作家だ。ゲームやミーム文化といったインターネットカルチャーを引用し、8フレームのアニメーション作品を制作した。よく見ると一つひとつのアニメーションは干渉しあっており、この混沌とするディスプレイがタイの揺れ動く政治状況のメタファーにもなっているという。

展示風景より、ナウィン・ヌートン《Empty Tomb》
展示風景より、ナウィン・ヌートン《Empty Tomb》(一部)

 同じくタイ出身のコラクリット・アルナーノンチャイは、ニューヨークとバンコクを拠点に活動するビジュアルアーティストであり、ストーリーテラーだ。地下の展示室を広く使い、3画面で映像を投影。巨大なインスタレーション空間をつくりあげている。

 祖父の死をきっかけに「死者の魂は、どのように巡り、生まれ変わるのか」という問いに向き合ったという作家。3つの映像は同時再生され、日常や神話、詩を用いながら壮大な物語を生み出し、滔々と語り始める。どこかネットの仮想空間のようでありながらも、その死生観や人が寄りあう姿は不思議と現実味を帯び、受け手の心を強く揺さぶるだろう。

展示風景より、コラクリット・アルナーノンチャイ《Songs for dying》《Songs for living》
展示風景より