占星術研究家・鏡リュウジが見たヒルマ・アフ・クリント。作家をかたちづくったスピリチュアリズムの源泉とは
スウェーデン出身の画家ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)によるアジア初の大回顧展「ヒルマ・アフ・クリント展」(〜6月15日)が、東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催されている。その作品と思想について、占星術研究家の鏡リュウジと本展企画担当の三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)に対談で迫った。(5月29日〜プレミアム会員限定公開となります)
聞き手・文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

スウェーデン出身の画家ヒルマ・アフ・クリント(1862〜1944)によるアジア初の大回顧展「ヒルマ・アフ・クリント展」が、東京・竹橋の東京国立近代美術館で開催されている(〜6月15日)。アフ・クリントは王立芸術アカデミーを優秀な成績で卒業し職業画家として活動したのち、神秘主義などの秘教思想やスピリチュアリズム思想に傾倒。交霊術の体験を通して独自の抽象表現を生み出した。その作品と思想について、占星術研究家の鏡リュウジと本展企画担当の三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)の対談で迫る。

三輪 今日はよろしくお願いいたします。ヒルマ・アフ・クリントは、そのバックグランドに神智学、人智学やスピリチュアリズム、オカルティズムがあり、美術の知識だけでは太刀打ちできない要素が多いと感じる作家でした。こうした分野の専門家でもある鏡さんにとって、アフ・クリントはどのような存在でしょうか。
鏡 秘教的な絵画を集めた画集などで、虹を思わせる色彩のピラミッド状の図形と車輪のような円を組み合わせた作品群「祭壇画、グループX、No1」(1915)はしばしば紹介されていたので記憶にはありました。でも、正直言うと、お恥ずかしながらアフ・クリントのことを強く意識したのは今回が初めてなのです。これほど秘教や心霊主義と深く関わっている作家だということで、俄然、関心を掻き立てられています。今回三輪さんにお話しを伺いながら、総合的に作品にふれられる機会をいただけて光栄です。

アフ・クリントとユングの共振
三輪 最初の展示室では、ヒルマ・アフ・クリントの前史ともいうべき、アカデミー在学中に制作された作品を見ることができます。人体のデッサンや植物の写生画からは、正確な形態把握や技術力の高さを感じ取ることができます。
2019年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で回顧展が開催された際は、こうしたアフ・クリントの前史的な内容は小さな紹介にとどまっていました。しかし、神智学、人智学やスピリチュアリズムといったものだけがアフ・クリントを構成するものではなく、たしかな美術教育がその背景にあったことは、本展で提示しておきたいと考えました。
美術の研究者は必ずしも神智学、人智学やスピリチュアリズムへの知見が豊かなわけではないからこそ、いろいろなところにその因果を見出してしまっているということもある。そういう意味では、今日、専門家である鏡さんにお話をうかがえるのは大変勉強になると思います。

鏡 アフ・クリントの作品群を見て真っ先に思い出したのが、精神科医、心理学者のカール・グスタフ・ユング(1875〜1961)でした。ユングはたくさん絵を描いているのです。とくによく知られているのが『赤の書』(1914-30)ですね。ユングは師ともいえるジークムント・フロイトと決別し、また第一次世界大戦前夜という社会的にも緊張感が高まった時期に、精神のバランスを崩して一種の「心霊現象」や幻視を体験するようになります。そこでユングは、内側から湧き上がってくるイメージを描いていった。こうしてできあがっていくのが『赤の書』です。
同書の挿絵として描かれたユングの絵は、幻視的で独特な色彩によって描かれており、爆発的なエネルギーを感じます。それはまさにユングが触れた強烈なヴィジョンの記録でしょう。また、そこには幾何学模様と鮮烈な色を組み合わせた、ミステリアスな「マンダラ」状の作品も多数含まれます。ユングのマンダラ群はのちのアフ・クリントの円形、車輪上の図像とも類似すると僕は感じるのですが、しかし、じつはユングは若い頃に静謐な風景画もたくさん描いています。アフ・クリントと違ってアカデミックな画術訓練は積んでいないと思うのですが、最初は美しく静謐な作品を描いていたのに、ある時期から内的な、あるいは霊的なヴィジョンを絵画化していくという変化が、ユングとアフ・クリント双方に見られる点にも興味を惹かれます。
ユングとアフ・クリントはほぼ同時代人ではありますが、直接の交流はなさそうなので、作品の類似性というのは時代精神の共振とでもいうべきものかと思います。いっぽうで、この二人を結ぶ細い糸はある。ベティナ・カウフマンとキャサリン・シャエピというユング派の心理学者の論文で読んだのですが、ユングの患者でもあり個人的にも近しい位置にいたマリア・モルツァーの姉妹がアフ・クリントの知人だったようなのです。さらに興味深いことに、ユングは『赤の書』の制作中に、「あなたがしていることは芸術だ」という女性の声を聴く。けれど、ユングはこの声を猛然と拒むのです。自分がやっているのは心理学的な作業なのだ、ということなのでしょうか。そして、この女性の声のモデルがマリア・モルツァーだったのではないかという説もあって……。

三輪 興味深いお話ですね。アフ・クリントは自分が受けた影響を記したテキストはほぼ残していないので、我々としては推測するしかない。だから明確なファクトがあるわけではないのですが、こうして比較すると同時代で共有されていた何かがあったことは感じられます。
鏡 時代といえばアフ・クリントの絵画には、占星術の記号が見られるものもあります。この時代に占星術が復興してきているんです。
また渦巻きのモチーフも面白いですね。中心にある種子的なものが螺旋状に展開していく。小さな原点にも全体性が内包されていて、それがより大きく高度な全体性へと展開、進化していくという20世紀の「ホーリズム(全体論)」的思想の先駆としても見ることができそうです。この思想は20世紀初頭からの占星術にも大きな影響を与えました。
三輪 なるほど。占星術というものは、どのくらいの速度で学問として進化してきたものなのでしょうか。
鏡 いくつかのフェーズがありますが、近代においては17世紀半ばがひとつの大きな節目なんです。とくに英国では17世紀後半に占星術は下火になります。細々と続くものの、18世紀の啓蒙思想のもとで占星術はルネサンス時代まで持っていたリアイリティを失ってしまう。地球を宇宙の中心に置く天動説そのものが崩壊したのですから仕方がないですよね。しかし、19世紀の末になると、大きく復興します。アフ・クリントが傾倒した神智学は、占星術復興に大きな役割を果たしています。ユングは神智学、人智学には批判的でしたが、やはりこうした時代のムードのなかにあって、占星術復興には大きな影響を与えました。ユングは、自分の患者のホロスコープ(天体の配置図)をつくるなど、実践的に占星術を活用していたひとりです。アフ・クリントが占星術に関心を持っていたのは間違いないと思いますが、ただその象徴を使っていただけなのか、あるいは実際にホロスコープをつくったり、「霊的存在」と交流するタイミングを天体運動と合わせていたりしたのか、占星術家としては気になるところです。

スピリチュアリズムと女性
鏡 アフ・クリントはかなり高度な美術教育を受けているわけですが、本人はこうした教育を経て、自分が芸術家となっていくということを自然なことだと感じていたのでしょうか。
三輪 そうでしょうね。やはり王立芸術アカデミーまで行っているので、職業として芸術家をやることには強い意識はあったのでしょう。また、彼女の姉のイーダが、スウェーデンにおける女性の権利向上を推進した「フレデリカ・ブレーメル協会」に入っていたこともここでは考慮したいですね。女性が先進的な生き方を意識する素地はあったわけです。
鏡 その観点では、ジェンダーとスピリチュアリズムとの関係も非常に重要ですよね。近代神智学の創始者であるヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831〜1891)も女性ですし、19世紀末のイギリスで生まれたオカルティズム集団「黄金の夜明け団」でも女性が大きな役割を果たしています。また、近代タロットにおいても女性が多大な貢献をしている。いまもっとも使われているタロットの絵柄はパメラ・コールマン・スミス(1878〜1951)が描いたものですし、1940年代に生まれたフリーダ・ハリス(1877〜1962)が絵を描いた「トート・タロット」も大変評価が高いです。
近代スピリチュアリズムを考えるうえで、社会のなかでも「女性」はいろいろ考えなければいけないテーマなのです。
また、霊媒を担う存在も古くから女性が多い。当時、女性は労働力であり、弱い存在として見られていたから、目に見えない世界からの影響を受けやすいとされていたんですね。そのような環境において、自分の世界を構築していく人が現れてきたんだと思います。
三輪 アフ・クリントの再評価は、ピート・モンドリアンやヴァシリー・カンディンスキーに連なる抽象絵画の歴史を、女性の作家も含めて考えていこうという21世紀的な視座に立ったものでもあります。いまのようなお話を聞くと、同時に女性史におけるスピリチュアリズムなども考慮することが必要なのでしょうね。
絵画に散りばめられた様々なメッセージ
三輪 例えば「エロス」「白鳥」「進化」シリーズなどでは、なにか具体的な物語が展開しているわけではありませんが、大きなテーマとして男女の性というものがある。具象的な男性と女性が描かれたものもあり、直接的に性的なものが大きなテーマになっていたるものもあります。図像的な解釈としても、例えば「鍵」「フック」「穴」といったモチーフが、男性器や女性器のメタファーだととらえる向きが多いです。

鏡 男性原理と女性原理を結びつかせるという考え方は、錬金術でも大切にされていましたね。近代のオカルトや、さらにいえばユングの思想でも大変重要なモチーフです。ユング思想の大きな柱のひとつに「対立物の一致」があります。意識と無意識、アニマとアニムスなど、マンダラや錬金術の謎めいた絵画シリーズは、対立物が「弁証法的」に統合されていくプロセスの反映だというわけです。アフ・クリントの一連の作品も、二元的な存在がからみあい、対立しながら高次の調和や一致に向かっていくプロセスだというようにも感じられるんですよね。多分に僕が「オカルト脳」「ユング脳」になってしまっているからそう見えてしまうということもあるのかもしれませんが(笑)。
三輪 そう考えるとアフ・クリントは、まずは神智学、人智学、スピリチュアリズムについての造詣がある人に向けて描いていたと言えるのでしょうね。鏡さんのような方だと、図像からそのようなメッセージを読み込むことができるのでしょう。当時、この絵を見ていた人たちも、我々とは異なるメッセージを作品から受け取っていたはずです。
鏡 巨大な絵画シリーズ「10の最大物」も圧倒的な存在感がありますね。実物を見るとその大きさに驚きました。どうしてこれほどの大きさが必要だったのでしょうか。

三輪 アフ・クリントが語るところによれば、啓示を受けたから、これほどの大きさになったようで、これらの作品が収まる神殿を構想までしていました。また、本シリーズのいずれかが国際人智学協会の学会でも展示されたという記録が残っていますが、そのときにアフ・クリントは「本作は思想を同じくする人にとってはとても大事なものになるだろう」といった旨のことを講演で語っています。やはり、わかる人にはわかるはずだし、わかってほしいという思いがあったのでしょう。ただ、芳しい反応は得られなかったようで、以降、アフ・クリントは局所的な、自分の思想をそのままに受け取ってくれる、プライベートな場で作品を見せることが主になっていきました。

鏡 現代においては、巨大な仏像なども博物館に展示されます。でも本来それらは「鑑賞」の対象ではなく「信仰」の対象だったはずです。信仰、崇拝という行為は、見ている者の心身に強い影響を与えるもので、そこには身体性を伴う。霊的な次元へと意識を開く装置でもあるわけです。教会のステンドグラスや金箔を貼られた仏像の光がかつての人々に与えた効果を想像してみたい。アフ・クリントがひたすらに作品を大きくする、という手段を選んだのは、「鑑賞」と同時に意識変容を導くための霊的空間の構築という意図があったんではないかと思うわけです。なんといっても「神殿」なのですから。
思い出すのは、現代の魔術の作業です。大きな神殿をつくることが物理的に難しくなった時代、タロットカードの図柄や幾何学図形を、心の中でドアくらいの大きさに拡大して「視覚化」する霊的訓練が行われました。その魔法のドアをくぐって「アストラル世界」へと意識を移行させるんです。まったくの勝手な想像ですが、アフ・クリントの巨大な作品は霊的世界の描写であると同時に、霊的世界を観想し、そちらの世界へと志願者の精神をイニシエートするためのスピリチュアルな装置だったのではないかと……。
もうひとつ、これは三輪さんのご指摘にもあることですが、アフ・クリントの作品のなかにある「体系性」も重要ですね。秘教的な思考というのは、一種のコスモロジーをつくり上げていくことが特徴です。人間と宇宙、地上と天上界、霊的な世界を階層構造としてとらえ、それを精緻にマッピングしていく。古今の霊的な思想や、時には科学までもスペクトルとしてとらえていこうとする。「存在の大いなる連鎖」を構想しようとするのです。しばしば「神殿」は、見える世界と見えない世界、その両方を内包するコスモスの縮図として構想されるものです。「原子」からカタツムリのような生き物、植物、キリスト、そしてよりイデア的な幾何学図形から光の表現まで、アフ・クリントが描いてきたモチーフの多様性、そしてそうしたものがいくつかの「シリーズ」になっていること、それがアフ・クリントのコスモス構築への強い内的衝動を表しているように感じるのです。
また、神殿というかたちで様々な要素をひとつの体系に統合したいというのも、多く見られる願望だといえるかもしれません。例えばアメリカの哲学者/心理学者であるケン・ウィルバー(1949〜)は、世界中の神学、哲学、宗教学をマッピングして統合しようと試みていますが、そういった統合化・体系化に対する欲望はスピリチュアルにはつきものです。
オカルティズムの思考と可能性
三輪 「祭壇画」に関しては、鏡さんもよく目にしていらしたということですが、この絵はどのようにとらえていますか?
鏡 マンダラをはじめ様々な「スピリチュアル」な表現の様式との共通性を強く感じますね。またしてもユングの用語でいえばそれこそ「元型的」な。

三輪 このマンダラのように、抽象的な図像をなにかに見立てたり、その類似性に意味を見出すという手法がオカルティズムにおいては根付いているように感じますが、これは何か方法論として確立されているのでしょうか。
鏡 その思考法自体がオカルティズムの基本だといえるかもしれません。この世界を類似のタペストリーとしてとらえて、「似ているものは似ているものと響きあう」、万物照応の場として感知するわけです。
三輪 また、晩年にかけてアフ・クリントは、幾何学的、図式的な作品から、水彩のにじみによる偶然性を活かした作品を制作するようになりますが、これは人智学の創始者であるルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)の影響を受けているとも言われています。

鏡 これがですね、現代の占星術と面白い共通性があるんです。シュタイナーの影響を受けた占星術家が占星術の有効性を証明しようと「科学実験」をしているんです。金属の化学溶液を紙ににじませ、そのにじみの模様が惑星の配置によって変化していく、などと主張するんですよ。例えば、伝統的に占星術において鉛は土星と紐づけられている。そして土星が強い位置に来たときには鉛溶液の浸透速度が上がることを実験で証明した、なんて主張するわけですね。これは一般的には占星術家が「科学的」「客観的」に占星術の有効性を証明しようとする試みだと考えられていますが、アフ・クリントのこの作品と並べるとまったく別の様相が見えてきますね。
水彩の「にじみ」は偶然ではあるけれど、秘教的なコスモロジーのなかではたんなる偶然ではない。普通の五感では感知しえない宇宙全体の運行のリズムが、絵の具を通して、それこそ「にじみ」出てくる。それは「偶然」でありながら、視点を変えればコズミックな秩序と法則の顕現だということになる。人間の作家は普段見えない宇宙の律動を可視化させる媒体なわけですね。近代的な意味での創作者ではない。ここでも「作家性」とは何かということが改めて問われるのではないでしょうか。
三輪 大変に興味深い関連性ですね。本日は鏡さんから様々な示唆いただけました。具体的な記述も少ないなか、改めて検討の余地を多分に残した作家だということがわかりました。
鏡 こちらこそ、ありがとうございました。私としても、これだけまとまったかたちでアフ・クリントの作品を詳細な解説とともに見ることができて、より理解が深まりました。