2026.9.13

「第16回光州ビエンナーレ」開幕レポート。「You Must Change Your Life」が問いかける変化の速度とスケール

韓国・光州で、第16回光州ビエンナーレ「You Must Change Your Life」が開幕した。芸術監督を務めるのは、シンガポールを拠点とするアーティストのホー・ツーニェン。過去最少となる43組の参加作家をひとつの建物に集め、分子的な運動から身体、共同体、風景、惑星的な時間へと、異なる尺度で生じる「変化」をたどる。会期は11月15日まで。

文=大原愛美(編集部)

16th Gwangju Biennale, Gallery 1, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale
Foundation
前へ
次へ

 韓国・光州の光州ビエンナーレ展示館で、第16回光州ビエンナーレ「You Must Change Your Life」が開幕した。会期は11月15日まで。

 芸術監督は、映像やインスタレーションを通じて東南アジアの歴史と複数の時間性を扱ってきたホー・ツーニェン。チェ・キョンファ、パク・ガヒ、ブライアン・クアン・ウッドもキュレーターとして加わり、22ヶ国から43組のアーティストやコレクティブが参加した。

光州ビエンナーレ展示館 撮影=筆者

 展覧会タイトル「You Must Change Your Life(お前はお前の生を変えねばならない)」は、ドイツの詩人、ライナー・マリア・リルケ(1875〜1926)の詩『古代のアポロのトルソー』(1908)の最後の一行から引用されたもの。同作では、頭部が失われた古代彫刻に見つめられるような感覚の描写によって、鑑賞者と鑑賞対象である彫刻の視点の反転が表現される。そして結末に告げられる「お前はお前の生を変えねばならない」という言葉は、変化の方向や方法を指示するものではなく、人間は生を省みる姿勢を忘れてはならないという理念を意味している。本展もまた、変化を単一の出来事や明確な結論として提示するのではなく、身体や知覚、他者との関係をつくり変えていく継続的な実践としてとらえている。

 今回のメイン展示は、光州市内の複数会場へと拡張せず、光州ビエンナーレ展示館の5つの展示室に集約された。外へ外へと規模を広げるのではなく、ひとつの建物の内部へ深く進みながら、そこから再び都市や世界へと視野を開く構成だ。

記者会見より、左から、チェ・キョンファ、ホー・ツーニェン、パク・ガヒ、ブライアン・クアン・ウッド 16th Gwangju Biennale, Opening Press Conference, Photo: Hwang In Ho © Gwangju Biennale Foundation

 ホーは記者会見で、1990年代から2000年代にかけて国際展が拡大した時期には、グローバリゼーションや多文化主義、異なる地域間の対話をうながす役割があったと振り返った。そのいっぽうで、近年の大規模国際展をめぐっては、すべての会場を回り、すべての作品を見なければならないという「不安」が生じていると指摘する。とくに映像をはじめ、持続的な鑑賞を必要とする作品が後回しにされやすい状況を踏まえ、本展では作品数と会場を絞り、それぞれの作品を鑑賞するための時間をつくることが試みられた。また、展示は5つのギャラリーを異なる「世界」としてたどる構成となっている。各空間では、分子、身体、風景、宇宙、そして空気へと、扱われる変化のスケールが徐々に移り変わっていく。

一年と一瞬、地質学的時間が並ぶ場所

 第1ギャラリー「Molecules and Me」は、知覚できる大きさよりもさらに小さな、分子レベルの変化をテーマとする。ここで扱われるのは、物質や身体を固定されたものとしてではなく、絶えず循環し、分解され、再び結びついていくものとして見る視点だ。

手前がゴールディン+セネビー《Resin Pond》(2026) 16th Gwangju Biennale, Gallery 1, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale
Foundation

 展示室に入ると、まず床面を大きく覆う琥珀色の光沢が目に入る。ゴールディン+セネビーの《Resin Pond》(2026)は、約2トンの松脂を床に流し込んだインスタレーションだ。半透明の松脂は池のように展示空間へ広がり、鑑賞者の動線そのものを遮るように横たわる。松の樹にとって脂は、害虫や菌から自身を守り、傷口を覆うために分泌される物質だ。そのいっぽうで、エネルギーを多く含む化合物として、人間によって採取され、バイオオイルや燃料へと転換されうる資源でもある。自己防衛や修復と、外部による利用という異なる働きが、ひとつの物質のなかで重なる。

左側床上がニナ・カネル《Perpetuum Mobile(40 Kg)》(2009–2026) 16th Gwangju Biennale, Nina Canell, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale
Biennale Foundation

 その周囲には、目には見えにくい変化を扱う作品が点在する。ニナ・カネルの《Perpetuum Mobile(40 Kg)》(2009–2026)は、水を張った容器とセメント、超音波発生装置による作品だ。床に置かれた水面では細かな振動が持続し、隣に置かれたセメントにも、水分や振動を介した変化が生じていく。

 ここでは、変化は必ずしも目に見える劇的な出来事として現れるわけではない。水分、電気、振動、樹液といった物質の作用を通じて、静止しているように見えるものでも変化が進行していることが示される。

身体を変えるのは、訓練か、ケアか

 第2ギャラリー「Bodies and Bonds」では、変化のスケールが身体そのもの、そして身体同士の関係へと移る。空間は卓球台やサッカーコートのように二分され、そのあいだを鑑賞者が往復するように構成されている。

ロッセラ・ビスコッティ《Alfabeto》(2018)が展示されたアクリル板によって展示室が2つに分けられている 16th Gwangju Biennale, Gallery 2, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale Foundation

 ここで扱われるのは、訓練や反復によって形成される身体だけではなく、触れる/触れられる、支える/支えられるといった関係のなかで、身体がいかに変化していくのかという問いだ。

 展示室に入ってすぐに見えるのが、ユリウス・コラー(1939–2007)の卓球台を用いた一連の作品だ。《Ping-Pong(U.F.O.)》(1990)をはじめ、会場には複数の卓球台やラケット、記録写真などが並ぶ。コラーは1970年、スロバキア・ブラチスラヴァのギャラリーを「J.K. Ping-Pong Club」へと変え、来場者と実際に卓球をするプロジェクトを行った。その後も卓球をモチーフとする実践を繰り返している。

 コラーにとって卓球は、身体能力を高めたり勝敗を競ったりするためだけのスポーツではない。ひとつの球を相手とのあいだで往復させる行為は、対話や相互作用のモデルとして捉えられていた。固定された立場にとどまるのではなく、相手から返ってきた球に応答しながら、そのつど身体を動かす。本展示室全体もまた、こうした「往復」をひとつの構造としている。

前景にユリウス・コラー《Ping-Pong(U.F.O.)》(1990)、中景にインジ・エヴィネル《National Fitness》(2013)、後景に「五月の母の家(May Mothers House)」のメンバーによる絵画 16th Gwangju Biennale, Gallery 2, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale Foundation

 展示室奥に展示されるのが、光州の「五月の母の家(May Mothers House)」のメンバーによる絵画だ。「五月の母の家」は、1980年5月18日の光州民主化運動によって家族を失ったり、自ら負傷したりするなど、国家暴力によって人生を大きく変えられた女性たちの共同体として2006年に設立された。メンバーは22年からアーティストのチュ・ホンとともに、「記憶すること」「自分を見つけること」「連帯すること」をテーマとした絵画のワークショップを続けてきた。

 本展では、そのなかで制作された322点の絵画と、それらの作品にまつわる証言を収めた冊子が紹介されている。画面に描かれるのは、花や果物、家族との時間といった日常の記憶から、1980年5月の出来事、ろうそく集会、民主化運動や連帯の場面まで様々だ。

アンジェラ・ゴー《Craft》(2026)パフォーマンスの様子 撮影=筆者

 さらに、第2ギャラリーを出て第3ギャラリーへ向かう橋では、アンジェラ・ゴーの《Craft》(2026)が1日4回上演される。パフォーマーは、細部まで制御された手の動作を積み重ねながら身体のかたちを変化させる。そして鑑賞者の視線はランダムなタイミングで移動させられ、その注意は身体そのものにとどまらず、やがて橋や建築、その外側の風景との関係へと広がっていく。

土地が人をつくり、人が土地をつくる

 第3ギャラリー「Landscapes and Learning」では、人間が土地をかたちづくると同時に、土地や都市の歴史が人間の知識や生活をかたちづくるという相互関係が扱われる。農業や教育、共同体に加え、都市空間に残された政治的な痕跡もまた、このギャラリーを構成する要素のひとつだ。この展示室は「風景と権力の関係を再考する」場として位置づけられている。

手前がロッセラ・ビスコッティ《The Heads in Question》(2009〜15) 16th Gwangju Biennale, Gallery 3, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale Foundation

 ロッセラ・ビスコッティの《The Heads in Question》(2009〜2015)は、その一例と言える。作品のもとになったのは、1942年にローマで開催予定だった万国博覧会のために制作された、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とベニート・ムッソリーニの巨大な頭部彫刻だ。第二次世界大戦の勃発によって博覧会は中止されたものの、ファシスト政権が計画した都市開発はのちにEUR地区として完成した。ビスコッティは2009年、その地区の建物の地下で、長年公に展示されることなく保管されていた5点のエマヌエーレ3世とムッソリーニの製頭部を発見した。

 その後、ビスコッティはこれらの頭部からシリコンとアクリル樹脂による型を制作。本展で展示されているのは、権力者の肖像そのものを再現した完成像ではなく、複製を生み出すための「型」だ。鮮やかな青色の頭部は切断され、内側が露出し、木製パレットの上に置かれている。記念碑として権威を示すためにつくられた像は、ここでは柔らかく、不安定で、内部が空洞になった物体へと置き換えられている。

 本作を通してビスコッティが焦点を当てるのは、ファシズムの象徴を保存するか破壊するかという二者択一だけではない。過去の権力を象徴するイメージが、都市や制度のなかにどのようなかたちで残存し、別の時代に再び見られ、解釈されるのか。その複製と展示のプロセス自体が、歴史的イメージの意味が固定されることなく変化し続けることを示している。

リジア・クラーク「Bicho」シリーズ(1960) 撮影=筆者

 また、ブラジルのネオ・コンクリート運動を牽引したリジア・クラークによる作品群も紹介されている。「Bicho」シリーズ(1960)は、蝶番で接続されたアルミニウム板からなる作品。板を折り曲げることで形態が変化し、ひとつの完成形に固定されることはない。クラークは絵画や彫刻から出発しながら、次第に身体や触覚、鑑賞者の参加へと関心を移していった。本展では「Bicho」シリーズとともに、のちに彼女が展開した身体的・治療的な実践を記録する映像作品《Memória do Corpo》(1984)も紹介されている。

闇のなかから、時間のスケールは宇宙へ

 第4ギャラリーに入ると、会場は一転して照明の少ない暗い空間となる。「Cosmos and Change」と題されたこの空間では、映像作品を中心に、神話、祖先の記憶、地質学的時間、そして人間以後の世界にまで時間と空間のスケールが広げられていく。

ルー・ヤン「DOKU」シリーズ 撮影=筆者

  ルー・ヤンは、自身の姿をもとにモーションキャプチャーで制作したデジタルアバター「DOKU」を主人公とする映像シリーズを展開。本展では《DOKU the Self》(2022)、《DOKU the Flow》(2024)、《DOKU the Creator》(2025)の3作品を紹介している。仏教思想や輪廻、空、身体の無常といった主題を、ゲームエンジンや3DCG、生成AIなどの技術と接続しながら描いた。

 本シリーズを通して、DOKUは複数の世界や身体を横断し、自己を固定された存在ではなく、周囲の条件によって絶えず形成され直すものとして示されている。過去・現在・未来が併存するような時間感覚も、第4ギャラリーが扱う宇宙的なスケールと重なる。

中央と右壁面がソーラブ・フラ《The Coast》(2013〜2019)16th Gwangju Biennale, Gallery 4, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol © Gwangju Biennale Foundation
ソーラブ・フラ《The Coast》(2013〜2019)の写真シリーズより 撮影=筆者

 ソーラブ・フラの《The Coast》(2013〜2019)は、インド・タミル・ナードゥ州の海岸で行われるカーリー女神の祭礼を捉えた写真と映像作品だ。踊りや音楽、トランス、海への浸水を通じ、参加者の身体や感情、自己認識が一時的に変容していく様子を追う。破壊と再生の双方に結びつくカーリーの祭礼に、変化を日常のリズムに組み込まれた実践として描いている。

夜の光州で流れる、約11時間の「謝罪」

 第3ギャラリーのプログラムであるジェームズ・T・ホンの《Apologies》(2012〜)は、展示室、展示時間の枠を越えて展示される作品だ。

ジェームズ・T・ホン《Apologies》(2012〜)Courtesy of the artist and Empty
Gallery, Supported by Empty Gallery

 約10時間43分に及ぶこの映像作品は、政治家をはじめとする権力者が公に行った「謝罪」の映像を収集したもの。会期中は毎晩19時から21時まで、その一部が光州ビエンナーレ展示館の外壁3面にも投影される。展覧会場の内部で蓄積された権力、責任、後悔をめぐる言葉が、夜になるとビエンナーレ広場へ流れ出す仕組みだ。

 1980年の光州民主化運動の記憶を抱える都市において、誰が、誰に対して、どのような言葉で責任を表明するのかという問題が、都市空間のなかへ置かれることになる。

最後に残る「空気」

 5つのギャラリーをめぐる旅の終点となるのが「Air and Articulations」だ。ここでは、それまで展示を構成していた物質や身体、土地といった明確な対象は希薄になり、空気、呼吸、音、言語といった、目に見えないものへと変化していく。

ジャクリーン・キヨミ・ゴーク《Not Exactly BPM(Variation Rrose)》(2026) 16th Gwangju Biennale, Gallery 5, Installation View, Photo: Jeon Byung Cheol  © Gwangju Biennale Foundation

 中心となるのは、ジャクリーン・キヨミ・ゴークの《Not Exactly BPM(Variation Rrose)》(2026)。透明なビニール製の構造物、送風機、音響、マイクロコントローラーなどによって構成された大型インスタレーションで、テクノ・アーティストのRroseが本作のために制作した楽曲が用いられている。

 透明な壁面は空気によって膨らみ、収縮し、内部を進む鑑賞者の身体と音との関係を変化させる。鑑賞者は音を外部から聞くのではなく、空気と音によって構成された空間そのものの内部へ入っていくことになる。

奥側壁面がE・ルーン・カン《Image-Poems》(2026) Courtesy of the artist with KAIST Visual
Instruments Lab (Immanuel Yang, Suhyun Lim, Hyewon Yang, Jaeyeon Kim), Supported by the
Gwangju Biennale Foundation and BVLGARI

 さらに第5ギャラリー脇のロビーでは、本展のヴィジュアル・アイデンティティも手がけたE・ルーン・カンによる《Image-Poems》(2026)が展開される。参加作家から提供された作品画像を、大量のK-POPの曲の歌詞をインプットしたAIが分析、作品ごとにK-POP風の詩を作成した。写真と詩と73枚のポスターとして掲示するとともに、AI生成の音声によって読み上げる作品だ。これらは公式のイメージとして光州市内各所の屋外バナーや出版物、デジタルプラットフォーム、公式グッズを通して多くの場で目にすることができる。

「より多く」ではなく、それぞれの作品をゆっくりと注意を向ける

 今回の光州ビエンナーレは、規模の拡大によって国際展の意義を示すのではなく、限定された空間のなかで作品同士の関係と鑑賞時間を組み立て直そうとするものだ。ホーが「注意の持続可能性」と呼ぶこの問題は、作品をどれだけ多く見ることができるかではなく、ひとつの作品にどのような時間を渡せるのかという問いでもある。「You Must Change Your Life」と名付けられたこの展覧会は、鑑賞者に単純な変化を要求するものではない。見る速度や距離、身体の置き方を少しずつ変えながら、すでに進行している変化を感知するための場を提示していた。