2026.6.6

「再編する ― NAMコレクションの現在」(長野県立美術館)会場レポート。地域の歴史としてのコレクションを新たなかたちで見せる

長野市の長野県立美術館で「再編する ― NAMコレクションの現在」が開催されている。会期は6月7日まで。担当は同館学芸員の茂原奈保子。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

彫刻のコレクションと平田尚也の作品群が並んだ第1章「彫刻という場」の展示会場。2階の吹き抜けから見下ろすことができる
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 長野市の長野県立美術館で「再編する ― NAMコレクションの現在」が開催されている。会期は6月7日まで。担当は同館学芸員の茂原奈保子。

 2026年は長野県誕生150周年にあたる。また同館の前身である信濃美術館の開館から60年、そしてリニューアル・オープンから5年の節目だ。開館以降積み重ねられた同館のコレクションは、長野県にゆかりのある作家の作品や風景画を中心に始まり、近年では国内外の近現代美術へと広がり、その所蔵数は5800点あまりに上る。

 本展は、こうした地域の歴史そのものといえる多彩なコレクションを、平田尚也、Barrack(古畑大気+近藤佳那子)、佐藤朋子という長野県にゆかりのある3組のゲストアーティストを迎えながら紹介。コレクションの価値を再定義するとともに、今後の美術館のあり方にも着目するものだ。

左から平田尚也《Bathroom prose》(2021)、萩原碌山《女》(1910)、平田尚也《Six-fold Apparatus (Suspended Beds)》(2024)

「彫刻」そのものと向き合う

 展示は3章構成となっている。第1章「彫刻という場」は、高い吹き抜けをもつ1階の展示室を舞台としている。ここでは、平田尚也の作品とともに、同館の持つ彫刻コレクションが展示されている。平田は1991年長野県上田市生まれ、埼玉県在住。武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。デジタルテクノロジーの進展により身体の仮想化が進む今日において、身体性やアイデンティティの変容を彫刻というメディウムそのもの問いながら探求しているアーティストだ。

中谷芙二子《Dynamic Earth Series Ⅰ》霧の彫刻 #47610(2021)。2021年、長野県立美術館オープン時に初公開されたときの様子 (c)Fujiko Nakaya 撮影:編集部
左から清水多嘉示《躍進》(1961)、《裸婦》(制作年不詳)

 担当の茂原はまず、長野県立美術館の彫刻コレクションを代表する作家として、清水多嘉示(1897〜1981)と中谷芙二子(1933〜)の2人を取り上げた。清水は諏訪郡原村出身で、現在の帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)の創設者のひとり。日本近代彫刻に大きな影響を与えた彫刻家だ。いっぽうの中谷芙二子は札幌市生まれ。大阪万博ペプシ館(1970)にて人工の霧を大量に発生させる「霧の彫刻」を初めて発表し、以降はヴィデオ・アートを軸にしつつ、80年代以降は全国で霧の彫刻を展開している。清水の地元ということもあり、同館コレクションには清水の系譜に連なる日本の近代彫刻が豊富だ。また、中谷の《霧の彫刻》(2021)は、定刻になると美術館建築を霧で包み込む、同館のアイデンティティのひとつとなっている。まったく異なるふたりの作家だが、双方がともに「彫刻」であることは、本章の主題となる問いかけとして機能している。

中央が内堀功《黒耀》(1972)。萩原碌山や中原悌二郎といった日本の近代彫刻を牽引した彫刻家の作品が様々な高さで展示されている

 展示室に無秩序に並ぶのは、裸婦や胸像をはじめとした、近代の人体彫刻の数々だ。ここに、ウェブ上に無数に落ちているパーツ「アセット」を仮想空間で組み合わせて彫刻を制作し、レンチキュラーや3Dプリント、映像などで出力された平田の作品が混ざり合う。「彫刻」という概念を分解するような平田の作品は、展示されているブロンズ像が持つ「裸婦」や「胸像」といったモチーフを弱め、造形そのものに目を向かわせる。

左端が戸谷成雄《射影体》(2004)、右端が石井鶴三《風 試作》(1956)。彫刻の概念の多様性も感じることできる

 なお、今年4月に世を去った県内出身で平田の大学時代の恩師でもある戸谷成雄(1947〜2026)をはじめ、土谷武(1926〜2004)や山崎豊三(1955〜)といった、現代彫刻作家のコレクションも同じ空間に並ぶ。「彫刻」というメディアが有する多面性が、より露わになる。

「絵画」を並べて考える

 第2章「見ることの層」では、同館の平面作品のコレクションを取り上げる。担当の茂原は同館コレクションについて「男性作家に偏重しており、今後のコレクションの課題となっている」と語る。

左壁面が辰野登恵子《Aug-2-2003》(2003)、右壁面左から小松崎広子《平面の中のジグザグ形 D-8》(1995)、《平面の中のジグザグ形 C-35》(1994)、《平面の中のジグザグ形 B-34》(1993)

 辰野登恵子(1950〜2014)や小松崎広子(1935〜2025)の作品は、こうした観点で新収蔵(辰野作品は個人蔵[同館寄託])された。辰野の《Aug-2-2003》(2003)と小松崎の「平面の中のジグザグ形」シリーズ(1993〜95)は、いずれも高さ2メートルを超える大型の平面作品であり、その色調と構成、力強いマチエールには会場を支配するかのような強度が宿っている。こうした作家の魅力を再認できるのもコレクションのおもしろさといえるだろう。

左から堀内袈裟夫《泉の極智象B》(1962)、小松良和《Land scape'84 気流の音》(1984)。堀内は長野市出身、小松は伊那市出身の前衛画家
左から丸山晩霞《初夏の志賀高原》(1909頃)、吉田博《有明山》(1920)、長井雲坪《秋山群猿図》(1890)、菱田春草《羅浮仙》(1901頃)、赤羽雪邦《米国風景》(1914)

 ほかにも平面作品は、長井雲坪(1833〜1899)の山水画、小絲源太郎(1887〜1978)の油彩の風景画、ジャン(ハンス)・アルプ(1886〜1966)やセルジュ・ポリアコフ(1900〜1969)、靉嘔(1931〜)、オノサト・トシノブ(1912〜1986)らのリトグラフなどを展示。美術館が教育機関としての役割を持ち、実作品を目にしながら美術史を学ぶことができる場であることを再確認させてくれる。

 本章の最後では、Barrackの古畑大気と近藤佳那子、それぞれの作品を展示している。Barrackは2017年より愛知県瀬戸市を拠点とし、アートスペースとカフェを運営しながら、美術、食、地域の歴史、音楽、造形教育などをつなぎ合わせる多層的なプロジェクトを展開してきた。本展では1987年長野県生まれの古畑と、同年三重県生まれの近藤の、それぞれの創作が焦点化されている。

近藤佳那子《Spring has come》(2026)。春の情景を油彩で描き込んだ本展のための新作
古畑大気《add hermit mine(roof of hot water)》(2025)右。デジタルで描画した作品をターポリンに転写することで展示室の壁面を風景に変える

 古畑は身の回りの何気ない景色を、PCにより線と色面だけで描き、ターポリンに出力。いっぽうの近藤は水彩または油彩による絵画作品を制作。身の回りにある草木や花などを描いている。ふたりの制作は方向性は違えど、日常を「風景」として捉え直す試みとして共通するところが多いことに気づかされる。

長野の作家から地域の歴史を再読する

 第3章「歴史を再読する」では、長野の近現代の歴史を背景に、長野を舞台に展開された芸術運動を美術館のコレクションからたどる。

左が池田満寿夫が見たという丸木位里・丸木俊《原爆の図》の三部作(1950)の長野市巡回時のチラシ。右隣は池田満寿夫《真昼の人々》(1955)

 版画や絵画をはじめ、多彩なジャンルで活躍した池田満寿夫(1934〜1997)は旧満州に生まれ、戦後長野市に引き上げた。長野県のとくに南信地域は農村の人口過剰により満州に多くの開拓団を送り出した地域であり、その歴史を記録し伝える満蒙開拓平和記念館も下伊那郡阿智村にある。池田は実作に満州生まれという自身の来歴を明確に反映させていたわけではないが、こうした長野と満州に横たわる歴史の一片に池田を位置づけることで、作品を見るための新たな批評眼が得られるだろう。

手前が松澤宥《のぞけプサイ亀を翼ある密軌を》(1962)

 諏訪を拠点に国内外で活躍し、日本の概念芸術の先駆者となった松澤宥(1922〜2006)は、早稲田大学で建築を修めたが、卒業後は諏訪で教師をしながら反物質的な芸術へと傾倒していく。終戦の翌年、松澤が大学を卒業した1946年に書かれた《「光・風・夢に寄せて─美の果敢なさと廃墟(Ruins)に就ての浪漫的断章」》には、「形態を信じない」という言葉が登場している。松澤のこうした概念が、倫理も物質も破壊した戦争への眼差しから来ているのではないか、という問い掛けがここではなされている。

左から上野誠《ヒロシマ三部作 鳩》《ヒロシマ三部作 女》《ヒロシマ三部作 男》(すべて1959)の3枚、《戦争はもういやです》(1952)

 上野誠(1909〜1980)は、戦後の労働者や社会的弱者に焦点を当てた、社会批評性の高い木版画を制作した版画家だ。その作品は、長野市の私設美術館である「ひとミュージアム上野誠版画館」で展示されていたが26年3月に閉館となった。長野県立美術館は閉館にあたり上野誠をはじめとした約250件の作品や資料を収蔵。散逸を防いだ。

村山槐多《猫を抱ける裸婦》(1916)。村山は信濃デッサン館のコレクションの中心となっていた作家。画家であり詩人として活躍したが、わずか22歳で世を去った

 同館は、戦没画学生の作品を専門的に収蔵する「無言館」に隣接しており、2019年に閉館した、夭折した画家の素描や絵画を展示する美術館「信濃デッサン館」のコレクションの収蔵も実施。会場では収蔵した素描のコレクションとともに、「無言館」の設立に奔走した画家・野見山暁治(1920〜2023)の作品も展示されている。

 こうした同館のコレクションと呼応するかのように、同館の周辺地域でリサーチを行い作品を制作したのが佐藤朋子だ。佐藤は1990年長野市生まれで、リサーチをもとに物語を構築し、レクチャーや語りを創出する美術家だ。

佐藤朋子《もみじちゃん─鬼女と水ともうひとつの東京》(2026)。左は作中で制作した、こっぱ(木片)人形の展示

 出品作品《もみじちゃん─鬼女と水ともうひとつの東京》(2026)は、長野市西北の鬼無里(きなさ)を舞台とした「鬼女紅葉伝説」が要素のひとつとなる。平安時代に都から信濃国へ流された貴族の女・紅葉が、望郷の念から「鬼女」となり荒らし回るが、最後は平維茂によって退治されるという伝説だ。佐藤は紅葉を魅力的な人物「もみじちゃん」ととらえ、彼女と旅をする。第二次世界大戦時に本土決戦に備えて軍部が設えた巨大な地下壕「松代象山地下壕」や、洋画家の山本鼎(1882〜1946)が上田市で提唱した「農民美術運動」と「こっぱ(木片)人形」などに触れながら、その旅は映像作品としてまとめられた。物語の想像力が、展示室のコレクションに象徴される歴史をつなぎ合わせる手つきであることが、本作からは伝わってくる。

 地方の公立美術館に対し、入場者数をはじめとする目に見える成果が求められるようになり、収蔵品の予算も削減されている現在、いかにコレクションを形成し、その歴史的文脈とおもしろさを伝えていけるのか。本展は現代の美術作家の手を借りながら、その困難な課題と向き合いつつ、未来への展望を示すものとなっている。