2026.5.24

「宮坂了作 ART 75歳」(越後妻有里山現代美術館 MonET)会場レポート。「農業」が美術の前衛性を加速させる

新潟県十日町市の越後妻有里山現代美術館 MonETで、越後妻有 MonET 連続企画展Vol.10「宮坂了作 ART 75歳」が開催されている。会期は6月14日まで。会場の様子をレポートする。

文・撮影=安原真広(編集部)

宮坂了作《ART》(2026)。ホームセンターで購入した竹箒と塗料で描かれている
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 新潟県十日町市の越後妻有里山現代美術館 MonETで、「農業」を自身のアイデンティティとしながら制作を続けてきた美術家・宮坂了作の個展、越後妻有 MonET 連続企画展Vol.10「宮坂了作 ART 75歳」が開催されている。会期は6月14日まで。ゲストキュレーターは美術批評家の椹木野衣。

宮坂了作、オープニングレセプションにて。地元諏訪の伝統的な木遣りの法被を身にまとい、長持ちを手にする

 宮坂了作は1950年長野県諏訪市生まれ。74年、カリフォルニア芸術大学を卒業。帰国後は郷里で農業に従事する傍ら不動産業を営みながら、農業委員や伝統文化の継承など地域の活動に取り組みつつ、現在に至るまで創作活動を行ってきた。本展はこうした宮坂の創作を振り返る回顧展であると同時に、新作とその創作の原点を紹介するものとなっている。

カプローの言葉「What is your starting point?」への回答

 宮坂のアーティストとしてのキャリアは、1971年、高松次郎が主催する塾の第1期生として美術を学んだところから始まる。72年には現代美術の追求のため渡米し、カリフォルニア芸術大学に入学。ここで宮坂は「ハプニング」の創始者であるアーティスト、アラン・カプローの教え子となり、アーティストとして大きな影響を受けることになる。

宮坂了作《What is your starting point?》(2024)。凹凸のあるペイントのうえに木材から切り出したアルファベットを配する

 カプロ―は宮坂に「What is your starting point?」という言葉を投げかけたという。宮坂は当時のことを次のように語った。「自身の出発点とは何か。そんなことを学校で問われるとは思っていなかった。必死に考え、この問いに対して導き出した回答が『Farmar』、つまり自分が生まれながらにしての農業従事者であるということだった」。

 以降の宮坂は、自身がアーティストであると同時に、農業に従事する者であるということを強く意識するようになる。会場に展示されている平面作品《What is your starting point?》(2022)は、カプロ―の言葉が宮坂に与えた衝撃を物語る作品であり、またかつて宮坂が問われたように、鑑賞者各々のアイデンティティの在り処を問う作品でもある。

《A・ファイヤー・フェスティバル》の衝撃

 宮坂はカリフォルニア芸術大学で特待生となり飛び級、さらにニューヨークのクーパー・ユニオン・アートスクールへの交換留学生に選ばれるなど、非常に優秀な成績を収めた。その契機となった作品が《A・ファイヤー・フェスティバル》(1972)だ。宮坂は京都の五山の送り火の大文字焼きに着想を得て、「ART」、自身のアイデンティティである「Agriculture(農業)」、さらに「America(アメリカ)」の頭文字である「A」の形状を、学校の敷地内にある丘の斜面で燃やすパフォーマンスを思い立つ。

宮坂了作《A・ファイヤー・フェスティバル》(1972)のパフォーマンス写真。大学構内の丘に「A」の文字を掘り、火を点ける様子が記録されている

 宮坂は斜面に縦30メートル、横10メートル、深さ50センチメートルの溝を数日かけて掘り、その穴の中に可燃ゴミを入れて燃やし、夜のカリフォルニアに「A」の文字を浮かび上がらせた。宮坂は当時のことを次のように振り返る。「カリフォルニア芸術大学のあるロサンゼルスは非常に乾いた気候の土地で、山火事も多く発生するため、屋外で火を点けるということは非常に危険な行為とされていた。『A』の文字を燃やすときも消防車が待機するなど、結果的に大がかりなことになって驚いたが、それも現地の人々に作品を強く印象づける要因となったのではないだろうか」。会場では、当時のパフォーマンスの様子を記録した写真が展示されている。巨大な「A」の文字は、大学構内のみならず遠くの街からも見えたという。

 本作はただ文字を燃やすつだけでは終わらず、燃えかすの残る溝に土を埋め戻して花の種をまき、それを肥やしに花を咲かせることで完成とした。生活ゴミを燃やし、それを肥料にし、さらに植物が生えるという循環。宮坂が自身のアイデンティティとして見出した「農業」の要素がここに表れている。

宮坂了作 《植物文字(春菊)》(2023-)。23日をかけて春菊が育ち葉をつける様子が記録された

  会場で展示されている《植物文字》(2022)も、本作の系譜にある作品と言えるだろう。「A」から「Z」までの文字のかたちに肥料と春菊の種を撒く。春菊は20日あまりで葉をつけるほどに成長し、これを収穫して食べることで、循環を体現するという作品だ。

 1974年、宮坂は大学を卒業し帰国。以降、実家の農業と不動産業を生業としながら、作品制作を続けることとなる。帰国後の宮坂の活動を象徴するシリーズが「地図」だ。《地図(始まり)》(1975)は、このシリーズの出発点となる作品で、インドを中心とした色別標高地図に、日本列島のシルエットが青で描かれた。前述したパフォーマンスとは大きく異なる、伝統的な絵画の性格を強く帯びた作品と言えるだろう。

宮坂了作《地図(始まり)》(1975)。「地図」シリーズの始まりとなる作品

 以降、宮坂は色別標高地図をモチーフに「地図」シリーズを描き続ける。土地の高低により白から茶、茶から緑と色分けされ、また海はその深さによって水色から青へと変わっていく色別標高に、宮坂は人間が農業を営んで生活できる環境を平面上で可視化する機能を見出した。

オブジェを消さない

 しかし、宮坂の創作が、「ハプニング」の系譜に位置づけられるパフォーマティブな作品から、筆で描かれた精緻な平面作品へと移行した理由はなんだったのだろうか。宮坂はそこに、地元・諏訪において大きな存在感を示していた芸術家・松澤宥の存在があったと語る。「松澤さんとは私的な交流もあり、影響を強く受けている。『オブジェを消せ』(*1)という彼の宣言には、同じ芸術家として太刀打ちできないインパクトがあった。だからこそ、私は逆の方向、つまり『絵画』というオブジェにあえてこだわり、逆張りのように精緻な作品をつくっていこうと考えました」。

宮坂に送られた松澤宥の筆による「量子芸術」について書かれた書面

 会場には、松澤より宮坂に送られたという「量子芸術の根本中柱は賣れることを恥じる解かることを恥じる(後略)」と書かれた、直筆の言葉が展示されている。松澤への敬意ともに、その思想の逆を行くかたちで変化した宮坂の作風は、タッチを極力表に出さない、細心の神経を使って行われるペインティングとなっていく。繰り返し塗ることでムラが消され、色面の境界がはっきりと浮き上がるように表現されている様が、会場の作品を見るとよくわかる。

宮坂了作《仏の道》(1998-1999)。色別標高のスケールをモチーフとしたグラデーションが、平面に奥行きを与える存在として機能する
宮坂了作《仏の道》(1998-1999)。住宅で使われていたドアの廃材を支持体にしており、地の木目が活かされている

 以降、「地図」シリーズは宮坂のライフワークとなり、支持体やサイズを変えながら、農業や不動産業とともに、宮坂の生活のなかでつくり続けられることとなる。

*1──1964年6月1日の夜、松澤宥は「オブジェを消せ」という啓示を受けたとされる。以降、松澤は物質性を消去し、言葉や動きを提示することを重視する観念美術を提唱していった。

越後妻有で合流する宮坂の静と動

 宮坂の作歴を振り返ると、カプローの影響により養われた「ハプニング」の要素をもつ動的かつパフォーマティブな作品と、松澤の「オブジェの消滅」の逆をいく物質性と平面性にこだわった地図モチーフの作品という大きな二軸が存在することがわかる。この二軸を、自らのアーティストとしてのアイデンティティを確かめるように合流させた作品が、本展のために制作された大型作品《ART》(2026)といえる。

宮坂了作《標高の色のART》(2025)。高さ約2.5メートルの紙を体育館の床に置きながら制作された

 本作は宮坂がかつてカリフォルニアで試みた「A」に、「R」「T」を加えた3つの巨大なアルファベットで構成され、「ART」を成す。アルファベットはホームセンターで購入したという市販の竹箒で描かれており、それぞれ緑、茶、青という、宮坂の「地図」シリーズで使用される色が用いられる。アルファベットの横に配された色別のスケールも、地図作品との関連を伺わせる要素となっている。

 宮坂は本作を秋から春にかけて、農業従事者にとって生活の基準となる季節の変化を感じながら、半年以上の時間をかけて描いた。約60年前に宮坂がカプローの「What is your starting point?」という言葉から続く、「農業」という作家の一貫したアイデンティティも、本作では体現されている。

宮坂の祖父である宮坂武治が農業の発展に貢献したことを顕彰した表彰状

 キュレーションを手がけた椹木は、本展について次のように語った。「展示室には、宮坂さんの祖父である宮坂武治氏の農業への貢献を表彰した表彰状も6点展示した。宮坂さんはこれを展示することに少し困惑していたが、宮坂家が諏訪で連綿と農業に従事してきた確かな証であり、それこそが宮坂さんの作品の強度を支えるものと言える。こうした作家のアイデンティティも意識しながら作品を見てもらいたい」。

 70年代当時、最先端だったアメリカの現代美術の現場で高く評価され、その精神をそのまま持ち帰りながら、日々の生活のなかで作品をつくり続ける宮坂。本展に並ぶ作品は、美術における前衛性は各時代の潮流として評価されるだけではなく、生活のなかの局所的な営みに持ち込まれることで変容し、時代を超えた強度を持ち得るということを教えてくれる。ひとりの芸術家の回顧展でありながら、同時に現代美術の根底にある可能性を再度考えさせてもらえる展覧会となっている。