2026.4.15

「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」(国立新美術館)開幕レポート。400点の作品と資料で振り返る思想と実践

東京・六本木の国立新美術館で、「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」が始まった。会期は7月6日まで。

文・撮影=橋爪勇介(編集部)

展示風景より、オートクチュールが並ぶ4章
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 日本人として初めてパリ・オートクチュール正会員となり、戦後のファッション界を牽引した森英恵(1926〜2022)。その没後初となる大規模回顧展「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」が、東京・六本木の国立新美術館で始まった。会期は7月6日まで。

展示冒頭を飾る森英恵の言葉

 本展は、オートクチュールのドレスを中心に、資料や映像、初公開作品を含む約400点で構成。森が提唱した人物像「ヴァイタル・タイプ」を軸に、その創作の軌跡と思想、さらには時代との関係性を多角的に検証する。

1章 日本の森英恵 ヴァイタル・タイプ

 森英恵は1950年代にキャリアを開始し、映画衣装の制作を通じて頭角を現した。戦後の高度経済成長期の日本において、家庭を持ちながらデザイナーとして社会的にも大きな仕事を成し遂げる姿は、新しい女性像の先駆けとして注目されるようになった。そんななか、森が1961年に雑誌『装苑』で新たに提唱したのが、本展タイトルにもなっている「ヴァイタル・タイプ」という人物像だ。

「ヴァイタル・タイプ」が提唱された『装苑』(1961年1月号)

 1章は、その「ヴァイタル・タイプ」に焦点を当てるもの。同誌において、ヴァイタル・タイプとは次のように説明されている。「いろいろなものを飾りたて、それを美しいとする時代はすぎ去りました。こういうとぎすまされた生活感覚のなかでは生き生きとし生命力に溢れ、敏捷げに目を光らせた女性が美しく見えるのです。そんな魅力をもった女性をヴァイタル・タイプと名づけてみました。」(ママ)

 それは、アーティストであり、働く女性であり、妻であり母でもあるという森自身と重なるものだ。この章では、その雑誌『装苑』をはじめとする当時の取材記事など通して、思想と実践の出発点が検証される。

1章に並ぶ映画衣装の数々

 また、森のキャリアを飛躍させた映画衣装の仕事にも注目。戦後日本の文化産業と密接に結びつきながら、デザイナーとしての基盤を築いていった過程が浮かび上がる。

第2章 アメリカの森英恵

 森は1961年に訪れたパリ、ニューヨークに刺激を受けたことをきっかけに、日本の美意識について改めて知ろうと、日本美術・文学・そして日本の布地について自ら学び直した。このときの研究成果をもとに、65年にニューヨークで初となるコレクション「MIYABIYAKA(雅やか)」を発表。「East Meets West(東と西の出会い)」と報じられ好評を得て、同地の高級百貨店での取り扱いがはじまった。また当時の『Vogue』アメリカの編集長ダイアナ・クリーヴランドに注目され、その評価は国際的なものとなる。

第2章展示風景

 本章では、海外進出期の作品や資料を通じて、森が日本人デザイナーとして世界と向き合った軌跡をたどる。オートクチュールという制度のなかで独自の美意識を打ち出し続けた姿勢は、日本文化の翻訳者としての側面も示している。東西の文化を横断するデザイン言語の形成過程が、具体的な衣装とともに提示される点が見どころだ。

第2章展示風景
第2章ではテキスタイルとドレスがリンクして展覧される

 なお、この章ではハナヱモリの大躍進を支えた、日本ならではの絹地を手がけた松井忠郎によるテキスタイルの数々も原画とともに紹介されている。 

展示風景より、イヴニングドレス(1967頃)とイヴニングアンサンブル(1966)

第3章 ファッションの情報基盤を作る―出版・映像・表現の場作り

 森の活動はファッションにとどまらず、建築やメディアへと広がっていく。第3章「ファッションの情報基盤を作る―出版・映像・表現の場作り」では、自社の成長とともに、新たな情報メディアを立ち上げることで、日本のファッションに関する発信力向上に大きく貢献したハナヱ・モリグループの事業に焦点が当てられる。

第3章展示風景
『森英恵流行通信』10号(1966年9月3日)

 森は1966年、ファッションハウス森英恵で最新のファッション情報を紹介する媒体である『森英恵流行通信』(69年発行の63号から『流行通信』に改称、2008年に休刊)の刊行を開始。76年には森の長男が編集長を務め、サブカルチャー誌へと発展する『STUDIO VOICE』の制作をはじめたりと、様々なメディアの立ち上げも行った。さらに78年には表参道のランドマークとなった丹下健三設計のハナヱ・モリビル(2012年に取り壊し)を完成させ、森のショーを開催するほか、ファッションに敏感な人々の交流の場をつくった。

『STUDIO VOICE』や『流行通信』のアーカイヴ
かつてのハナヱ・モリビル

 本章では、ハナヱ・モリビルをはじめとする建築プロジェクトや、雑誌・映像などのメディア展開を通して、森がブランドを拡張し、セルフイメージを構築していった過程を検証する。ファッションを起点としながら、都市空間や文化産業に影響を与えていったダイナミズムが浮かび上がる。また、広く知られる日本航空の歴代制服(1967~2000)もこのセクションに並ぶ。

第3章展示風景
森英恵が手がけた日本航空の歴代制服

第4章 フランスの森英恵 オートクチュール

 本展の核となるのが、森英恵の代名詞ともいえるオートクチュール作品に焦点を当てる圧巻の4章だ。

手前にあるのはイヴニングドレス「蝶の黒いドレス」(1990年春夏)

 森は1977年に東洋人として初めて、また10年ぶりの女性のオートクチュールデザイナーとして、パリ・オートクチュール組合の正会員となり、作品発表を始めた。この章では、「蝶は国境を超える」「役者絵を纏う」「編む・折る・重なる」「変わり素材」「日本の文字を纏う」「刺す」「花を扱う」「お嫁さん」など、技法や素材に注目した様々なテーマをもとに、1977年のデビューコレクションから、2004年のファイナルコレクションまでが網羅的に紹介される。

1977年のオートクチュールコレクション

 とくに1977年のコレクションは、森の象徴的モチーフだった蝶を封印し、蛇をモチーフに用いるなど、ゼロからの出発として新たな表現を模索した様子が見てとれる。森が「初めて自分が表現できた」と語ったオートクチュールの世界に浸りたい。

手前はイヴニングアンサンブル「黄金色の鶴のドレスとカフタン」(2004年秋冬)
蝶をモチーフにしたコレクションの数々

第5章 晩年の活動と継承

 第5章「森英恵とアーティストたち」では、森英恵のクリエーションの誕生の鍵となった、多くのアーティストたちとの協業に焦点を当てる。本章では、松本弘子(モデル)、奈良原一高(写真家)、田中一光(グラフィックデザイナー)、岡田茉莉子(女優)、黒柳徹子(女優)、横尾忠則(美術家、グラフィックデザイナー)、佐藤しのぶ(オペラ歌手)らとの交流について、アーティスト本人所蔵の森の衣装や作品、また資料を通じて紹介される。

佐藤しのぶが着用したイヴニングドレス
横尾忠則がアートディレクションした『流行通信』も並ぶ
奈良原一高が撮影を手がけたカレンダーなど

エピローグ 現代への接続

 エピローグでは、小池一子をはじめ、生前、森英恵の近くにいた家族や友人へのインタビューを通じて、多角的に森の素顔に迫る映像を展示。

イヴニングドレス(1976年春夏、1980年頃、1985年秋冬)

 加えて、森英恵の孫である森泉・雪・星が2023年にテレビ番組『徹子の部屋』出演時に着用した3着のイヴニングドレスが展覧会の最後を飾る。

 日本のファッション文化を押し上げ、後世に様々な種を蒔いた森英恵。会場に並ぶドレスや資料の一つひとつは、華やかさの背後にある試行錯誤と決断の連続を物語る。それらをたどることで見えてくるのは、森英恵というひとりのデザイナーの軌跡であると同時に、時代を切り拓こうとした強い意志だ。本展は、その意志を現在に引き寄せて体感できる好機となっている。