2025.4.16

「LOVEファッション―私を着がえるとき」展(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポート。東京で見るファッションの夢と抑圧

初台の東京オペラシティ アートギャラリーで「LOVEファッション―私を着がえるとき」展が開幕。18世紀から現代までの衣装と現代美術の作品を通じ、装いがもたらすアイデンティティの変容や他者とのつながりを紐解く同展をレポートする。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、左がロエベ(ジョナサン・アンダーソン)2022秋冬のドレス、右がノワール・ケイ・ニノミヤ(二宮啓)2023秋冬のドレス
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 京都服飾文化研究財団(KCI)が所蔵する衣装コレクションを中心に紹介する 「LOVE ファッション 私を着がえるとき」。昨年から今年はじめにかけて京都国立近代美術館と熊本市現代美術館で開催された同展が、東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーに巡回、開幕した。会期は6月22日まで。

展示風景より、右がメゾン・マルジェラ(ジョン・ガリアーノ)2019春夏のジャンプスーツ

 本展は、KCIの豊富なコレクションから各時代の流行やその時代を象徴する衣装約100点や、帽子、靴などのアクセサリー約20点を「LOVE」(=「着ることの愛」)というテーマで紹介するもの。衣装のほかには、AKI INOMATAヴォルフガング・ティルマンス小谷元彦、笠原恵実子、澤田知子、シルヴィ・フルーリー、原田裕規、松川朋奈、横山奈美といった9名の現代アーティストによる現代美術作品も並ぶ。

展示風景より、左がジュンヤ・ワタナベ(渡辺淳弥)の2000秋冬のドレス

 会場は5章構成となっており、入口には展覧会タイトルと呼応するように横山奈美《LOVE》(2018)が展示されている。写真のように見える本作だが、これは手書き文字をもとにネオンをつくり、そのネオンを参照しながら絵画を描くというプロセスを経て制作されたものだ。

展示風景より、左が横山奈美《LOVE》(2018)

 横山による「LOVE」とともに、第1章「自然にかえりたい」が幕を開ける。ここでは、花や植物をモチーフとした柄や、毛皮や鳥の羽をはじめとする動物の素材を活かした衣服を展示。とくに18世紀の貴族たちが身にまとったドレスやスーツの繊細な刺繍やレースは、劇場的な装いをつくり出すための時代の情熱が感じられる。

展示風景より、ウォルト店(ジャン=フィリップ・ウォルト)のイヴニングコート(1900頃)

 本章では、小谷元彦が女性の毛髪を集め、編むことでつくり上げたドレス《ダブル・エッジド・オブ・ソウト》(1997)にも注目したい。身体の一部であったはずの毛髪がカットされると、その瞬間から廃棄物として扱われてしまうという価値の転換が織り込まれている作品。いっぽうで、髪を編むという行為は、古来世界中で思いを込める宗教的な意味合いがあったことも本作は示唆する。

展示風景より、小谷元彦《ダブル・エッジド・オブ・ソウト》(1997)

 第2章「きれいになりたい」では、洋服が各時代における美の追求のため、身体のシルエットをつくり出してきた存在であることを提示。

 52年秋冬のクリスチャン・ディオールのドレスは細いウエストの下から地厚な生地のスカートが張り出し、クリストバル・バレンシアガの64年秋冬のイヴニングドレスは巨大なフリルで肩が盛り上がっている。この10年余りの期間においても美のかたちが大きく変化していることがよくわかる。

展示風景より、左端がクリストバル・バレンシアガの1964秋冬のドレス、右端が1952秋冬のクリスチャン・ディオールのドレス

 川久保玲によるコム・デ・ギャルソンの97年春夏のコレクション「Body Meets Dress,Dress Meets Body」で発表された、ギンガムやマルチカラーのドレス。本来の人体とは異なる部分が膨らんでおり、身体のフォルムを強調してきた従来のドレスとは一線を画す思想が垣間見える。身体における美とはなにかを投げかけた歴史的なコレクションだ。

展示風景より、コム・デ・ギャルソンの1997春夏のコレクション「Body Meets Dress,Dress Meets Body」

 本章では、澤田知子による、自身が変装した証明写真を並べた作品《ID400》(1998)が展示されている。服、メイク、髪型、表情を変えて、様々なアイデンティティや社会的属性をイメージに表した本作は「自身を変形させる」「自身を表現する」という洋服の機能とも連関する。

展示風景より、左が澤田知子《ID400》(1998)、右が笠原恵美子《Untitled Slit #1》(1995)

 第3章「ありのままでいたい」は、「きれいになりたい」とは異なる欲望として、自分自身を肯定し、認めてもらいたいという願いを反映したセクションだ。

展示風景より、中央がゴルチエ・パリ・バイ・サカイ(ジャン=ポール・ゴルチエ、阿部千登勢)の2021秋冬オートクチュール

 ここでは90年代に下着を表に出すスタイルを打ち出したシャネル、グッチ、プラダなどの衣服が並ぶ。本来は隠されているべき下着、そして肌を露出することは自身の身体をそのままに表現する方法のひとつといえる。

展示風景より、右がシャネルの1996春夏のブラ・トップ

 90年代にミニマルなファッションを牽引したヘルムート・ラングは、モノトーンのシャツやパンツと組み合わせるためのベルトやカバー状のピースを発表。洋服の構造を削ぎ落としていくことで、その内部にある身体を強調した。

展示風景より、ヘルムート・ラング2003春夏のカーディガン

 本章では、ヴォルフガング・ティルマンスの写真インスタレーション《Kyoto Installation 1988-1999》(2000)も壁面に展示されている。80〜90年代にかけての若者文化やゲイカルチャー、クラブカルチャーなどの一端をとらえた写真からは、生々しい身体への希求を読み取ることができるだろう。

展示風景より、ヴォルフガング・ティルマンス《Kyoto Installation 1988-1999》(2000)

 「私を巡る問い」と題された、松川朋奈の絵画作品シリーズにも注目したい。様々な女性にインタビューを行い、写真を撮り、話を聞きながら、彼女たちが現代社会で直面している問題や違和感をモチーフに描いた作品群。「ありのままの自分」を社会の中で認知することの困難さという根本的な問題を想起させる。

展示風景より、松川朋奈の絵画作品

 第4章「自由になりたい」は、コム デ ギャルソンの2020年春夏コレクションで構成。本コレクションは、ジェンダー/セクシュアリティ研究においても重要な文献となっているヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』を発想源としている。

展示風景より、コム デ ギャルソンの2020春夏のコレクション

 男性の主人公・オーランドーが昏睡状態を経て女性となり、やがて女性としての喜びに目覚めていく本作は、衣服におけるジェンダーについても問いを投げかける。本章では、こうしたジェンダーについての議論を、コム・デ・ギャルソンがどのようにコレクションや衣装で提示したのかを考えることができる。

 最後となる第5章「我を忘れたい」の会場では、デザイナーたちの多彩な表現による個性豊かな服の数々を展示。アレキサンダー・マックイーンのデジタルプリントで表現された爬虫類柄のドレス、ソマルタ(廣川玉枝)の肌のようなストッキング素材のボディウエア、ノワール・ケイ・ニノミヤ(二宮啓)の全身から触手が伸びたようなセットアップ、ロエベ(ジョナサン・アンダーソン)による唇型のアイコンが強烈なオフショルダードレスなどが並ぶ。洋服の可能性を迫力ある点数で感じることができるはずだ。

展示風景より、アレキサンダー・マックイーン2010春夏のドレス

 本章ではAKI INOMATAによる、自作したガラス製の殻にヤドカリを住まわせる作品「やどかりに『やど』をわたしてみる」シリーズも展示。ヤドカリが生きるためにまとう殻に意味や装飾性を付与する本シリーズは、人間にとっての衣服が、社会を生きるために不可欠な殻であることを想起させる。

展示風景より、AKI INOMATA「やどかりに『やど』をわたしてみる」シリーズ

 展覧会の最後には原田裕規による「シャドーイング」シリーズを展示。CGで生成した、日系アメリカ人をモデルとした「デジタルヒューマン」が「ハワイ・ピジン英語」を操って物語を語り、原田はその声をシャドーイング(復唱)することで「声の重なり」をつくる。同時に、自身の表情をトラッキング(同期)させることで、「感情の重なり」を表現した。表情もまた、衣服のようにまとうものなのだろうか。人間の表情のなかにある、積み重ねられた歴史、文化、経験とは何か。本作はそれが衣服のメタファーにもなっているかのように問いかけてくる。

展示風景より、原田裕規「シャドーイング」シリーズ

 満を持しての東京展となった「LOVEファッション―私を着がえるとき」では、展示されている衣服それぞれのディティールを楽しむことができる。いっぽうで俯瞰的に、服飾が人間の行動や規範、思想を左右するほどの力を持っていることを、改めて意識させられる展覧会だ。