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2025.12.22

「大正・昭和‘モード’の源泉 国立美術館 コレクション・ダイアローグ」(岐阜県美術館)レポート。国立美術館のコレクションを活用する第1弾

国立アートリサーチセンター(NCAR)が立ち上げた「国立美術館 コレクション・ダイアローグ」の第1回展覧会として、岐阜県美術館で「大正・昭和‘モード’の源泉 国立美術館 コレクション・ダイアローグ」が開催されている。

文・撮影=中村剛士

展示風景より
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 国立の美術館が所蔵する作品は、原則としてその館を訪れなければ観ることができるものだ。名品として知られていても、実際に目にする機会は決して多くない。国立アートリサーチセンター(NCAR)が立ち上げた「国立美術館 コレクション・ダイアローグ」は、そうした状況を前提に、国立のコレクションをどのように社会と共有し直すかを問いかける事業である。たんなる巡回展示ではなく、開催館が自館の所蔵品と組み合わせ、研究テーマごと再編集することで、新たな意味を引き出す。その第1回として岐阜県美術館で実現したのが、「大正・昭和“モード”の源泉」展だ。

 本展の軸となる国立工芸館のコレクションは、いわゆる日本の伝統工芸にとどまらない。陶磁、漆工、染織、金工、ガラス、木竹工、人形といった素材別の工芸はもちろん、工業デザインやグラフィック・デザインまでを視野に収め、近代以降の造形実践を横断的に捉えてきた、日本唯一の近現代工芸・デザイン専門の国立美術館である。この幅の広さがあるからこそ、「モード」という言葉を、服飾史の枠を超えて、生活と視覚文化の総体として扱うことが可能になる。

手前は小島一谿《平湯風景》(仮題・右隻、1920〜30年代、岐阜県美術館蔵)

 展覧会は、国立工芸館所蔵の工芸・デザイン作品152点に、岐阜県美術館所蔵の絵画・工芸作品を重ね、大正から昭和初期にかけての日本における“モード”の形成と変容をたどる。ここでいうモードとは、たんなる流行や装いではない。アクセサリーや家具、金工、ガラス、さらには雑誌やポスターといったグラフィックが同時に変化し、人々の生活感覚そのものが更新されていく過程を指している。工芸は鑑賞の対象である以前に、触れ、使われ、身につけられる存在であり、モードとは物質を通して社会の欲望や自己像が可視化される現象でもあった。

第1章の展示風景

 第1章では、いわば「モード以前」の状況が整理される。19世紀後半、万国博覧会を通じて日本の工芸品は欧米に紹介され、ジャポニスムとして熱狂的に受容された。しかし明治後期になると、従来の意匠に依拠した日本工芸は停滞を指摘され、ヨーロッパではすでにアール・ヌーヴォーという新たな様式が台頭していた。日本は、影響を与える側から、変化を迫られる側へと立場を変えていく。

 第2章では、その転換点が具体的に示される。1900年のパリ万博を視察した黒田清輝や浅井忠らは、絵画だけでなく、ポスターや書籍装丁、工芸デザインに強い関心を寄せた。杉浦非水が図案家へと転身し、三越を拠点に商業デザインの基盤を築いていく過程は、芸術と生活、制作と消費が結びついていく近代の姿を象徴している。百貨店の成立とともに、「流行」は一部の趣味ではなく、大衆的な感覚として組織化されていった。

杉浦非水《三越呉服店 春の新柄陳列会》(1914)、《東京三越呉服店 本店西館修築落成・新宿分店新築落成》(1925)。ともに国立工芸館の所蔵作品

 1925年のアール・デコ博覧会を扱う第3章は、本展の思想的な核である。幾何学的な構成、工業素材と装飾性の融合、グラフィックにおける大胆な視覚言語は、日本の工芸家や図案家に大きな刺激を与えた。帰国後の津田信夫や高村豊周らが「美術としての工芸」を志向し、伝統の再解釈を試みたことは、工芸が実用品から表現の領域へと踏み出す重要な契機となった。同時期に、帝展で工芸部門が設けられ、民藝運動や図案研究団体が相次いで生まれたことも、この時代の切迫した創造の空気を物語る。

第3章展示風景
長浜重太郎《水だまり和染壁掛》(1941、国立工芸館)の展示風景

 第4章では、モードが分化し、社会へと広がっていく様相が描かれる。富本憲吉が量産品に取り組み「民衆のための美」を模索したこと、農民美術運動が地域と工芸を結びつけようとしたこと、藤井達吉が「手芸」に生活美の可能性を託したことなど、工芸は次第に階層や性別、地域を越えて浸透していく。洋装や化粧の普及とともに現れたモダンガール、モダンボーイの姿は、モードが身体のあり方や自己像を更新する力を持っていたことを端的に示している。

手前は佐藤潤四郎《鍛鉄硝子吹込花瓶》(1940、国立工芸館蔵)

 本展が示すのは、様式史としての近代ではない。工芸、デザイン、グラフィック、消費が絡み合いながら、人々の生活感覚を変えていったプロセスそのものだ。世界恐慌や震災、戦争という不安定な時代にあっても、モードは未来を想像する装置であり続けた。そのことを、手に取れる物の集積として実感させる点に、本展の説得力がある。

左から、増田三男《銀鉄野草紋箱》(1940、国立工芸館蔵)、中川とも《放千鳥》(1936-38、岐阜県美術館蔵)

 そして忘れてはならないのが、会場である岐阜県美術館の存在だ。近代日本美術とフランス近代美術、とりわけルドン・コレクションで知られる同館は、工芸・デザイン研究にも継続的に取り組んできた。広い展示空間と落ち着いた環境は、作品同士の関係を丁寧に読み取るのにふさわしく、国立工芸館のコレクションを「借りてきた名品」としてではなく、思考を促す素材として受け止めさせる。コレクション・ダイアローグという枠組みが目指す「対話」は、まさにこの場所で具体的な手触りを得ている。国立と地域が出会うことで、コレクションが再び語り始める。その確かな始まりを示す展覧会である。

会場には撮影スポットも