2025.10.21

「東京ビエンナーレ2025」開幕レポート。歩いて見つける、街とアートの新しい関係性

東京の地場に発する国際芸術祭「東京ビエンナーレ2025」が12月14日までの会期をスタートした。「いっしょに散歩しませんか?」をテーマに、人々が出会い、共感し、そして社会に対して新たな視点を持つ機会の創出を目指している。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、佐藤直樹《そこで生えている。》
前へ
次へ

 東京の地場に発する国際芸術祭「東京ビエンナーレ2025」がスタートした。会期は12月14日まで。総合プロデューサーは中村政⼈が務め、共同ディレクターには並河進、⻄原珉、服部浩之、事業プロデューサーには中⻄忍らが名を連ねる。

 この芸術祭の目的は、市民とともにアートを創造し、社会的実践としての可能性を探ることにある。第3回を迎える今年のテーマは「いっしょに散歩しませんか?」。散歩という日常的な行為のなかで生まれるアートを通じて、人々が出会い、共感し、社会に対して新たな視点を持つ機会の創出を目指している。

 開幕に先立ち、中村は同芸術祭について次のように述べている。「一緒に歩くだけで、肩書きや立場が和らぐようなこともあると思う。すでにこころのなかにあるワクワクする気持ちを開くきっかけとしてのアートを見つけてほしい」。

 この芸術祭は、「上野・御徒町エリア」「神田・秋葉原エリア」「水道橋エリア」「日本橋・馬喰町エリア」「八重洲・京橋エリア」「大手町・丸の内・有楽町エリア」といった都内各所6エリアにて展開されている。野外の公共空間にも数多く作品が設置されているため、各エリアごとにピックアップして紹介したい。

上野・御徒町エリア

 まず、上野・御徒町エリアでは、歴代の徳川将軍の菩提寺として知られる「東叡山 寛永寺」が会場のひとつとなっている。通常は一般公開されていない寺院内部にも作品が点在しており、宗教空間として設計された建築そのものを味わえる点も、この会場ならではの魅力と言えるだろう。

 例えば、渋沢家霊堂の前庭には、彫刻家・森淳一による7点組の立体作品《星翳》が展示。魔除けとして数珠にも用いられるオニキスが素材として使われており、独自の形状を持つ台座とともに、大きな石から砂利までが敷き詰められた緑豊かな庭園と美しく調和している。

展示風景より、森淳一《星翳》

 また、ガラス作家・藤原信幸による「植物のかたち」シリーズは、利根川流域の小文間(おもんま)に自生する植物やその生命力をテーマに制作されたもので、寛永寺の貴賓室の空間に合わせて再構成されている。さらに、15代将軍・徳川慶喜が謹慎した「葵の間」では、古典絵画のリサーチをもとに写真や映像作品を制作する小瀬村真美の作品2点を展示。かつて同空間に掛けられていた慶喜による《西洋風景》(1887-97)と、ほぼ同時期に描かれた《日本風景》(1870頃)に着想を得ており、その歴史性が写真という技法で再構築されている。

展示風景より、藤原信幸《ガラスを使って自然を表現する「植物のかたち」2025》
展示風景より、葵の間に設置されていた徳川慶喜が描いたという《西洋風景》(1887–97)の複製
展示風景より、小瀬村真美《風景畫─葵の間、東叡山寛永寺》

 寛永寺の根本中堂前付近では、サウンド・アートの先駆者として知られる鈴木昭男や、黒川岳による音に焦点を当てた作品が点在している。境内を散策しながら、空間や設置された石から発せられる多様な音に耳を傾けてみてほしい。

展示風景より、鈴木昭男《「点 音(おとだて)」in 東京ビエンナーレ 2025》
展示風景より、黒川岳《石を聴く》

大手町・丸の内・有楽町エリア

 観光客やビジネスパーソンが数多く行き交う東京駅や皇居が位置する大手町・丸の内・有楽町エリアを見ていこう。

東京駅

 JR東京駅地下道に直結する行幸地下ギャラリーでは、グラフィックデザイナーとして活躍し、2013年以降は絵画制作に注力している佐藤直樹による、絵巻のような木炭画《そこで生えている。2018-2025》がずらりと並ぶ。ライフワークとして、大判のベニヤ板を横に描き継ぐかたちで継続的に制作されてきた本作は、現在では全長300メートルを超えるという。

 会期中は、大手町パークビル1階エントランスにて、《そこで生えている。2025-》の公開制作も行われており、実際の制作風景を間近で見ることができる。

展示風景より、佐藤直樹《そこで生えている。2018–2025》
展示風景より、佐藤直樹《そこで生えている。2018–2025》。最新作に向かうにつれて、小さな立体作品やドローイングなども登場する

 また、同エリアにある大手町ファーストスクエアの壁面には、作家・大内風による、縦横10メートルにおよぶ大型作品《分散、上昇、規律、統合》が展示されている。具象と抽象を行き来しながら生の本質に迫らんとしてきた作家ならではの、豊かな色彩と力強い筆致にもぜひ注目してほしい。

展示風景より、大内風《分散、上昇、規律、統合》

八重洲・京橋エリア

 東京駅八重洲北口の大丸東京店前では、与那覇俊による《太太太郎》(2023)が大判出力で展示されている。大学在学中に音楽遊学を経験し、帰国後は精神的な困難を抱えながら、約10年にわたり自身の思考をまとめた「脳ノート」を書き綴ったという与那覇。その記録をもとに生まれた、カラフルで緻密な作風は国内外で高く評価され、2021年にはパリのポンピドゥー・センターにも収蔵された。まるでひとつの都市が描かれているかのような本作を、足を止めてじっくりと鑑賞してみてほしい。

展示風景より、与那覇俊《太太太郎 2023》
展示風景より、与那覇俊《太太太郎 2023》

 アーティゾン美術館周辺には、寛永寺でも作品を展開する鈴木昭男による「点 音(おとだて)」が点在している。また、取材時には鈴木と宮北裕美による自然と都市の雑踏を体感するようなパフォーマンスも実施された。「(音に耳を澄まし)感覚を開いてみてほしい」という鈴木のメッセージは、忙しないオフィス街において非常に意義深いものとなっている。

展示風景より、鈴木昭男《「点 音(おとだて)」in 東京ビエンナーレ 2025》
鈴木昭男・宮北裕美によるパフォーマンス

神田・秋葉原エリア

 神田・秋葉原エリアからは、築100年にも及ぶ風情ある看板建築が目をひく海老原商店を紹介する。元々呉服屋であったというこの場所を会場に展開されるのは、作品展示のみならず、様々なアクティビティやパフォーマンス、インタビューなどだ。ここでは主に、ノルウェーのオスロを拠点に活動するアーティスト集団による北欧と東南アジアの芸術的交流ネットワーク「テントハウス・アートコレクティブ&オーブンネットワーク」が、地域コミュニティと関わりながらプロジェクトを展開している。

海老原商店。奥行きのある空間や急傾斜の階段、吹き抜けなど、建築そのものの魅力も楽しめる
展示風景より、テントハウス・アートコレクティブ&オーブンネットワーク《その家は見た目より広い》

日本橋・馬喰町エリア

 日本橋にある室町・本町エリアの路地裏では、その都市構造を生かした「スキマプロジェクト」というユニークな試みが展開されている。ビルの隙間や店先のスペースなど、“スキマ”に展示された作品は、散歩の途中で何気なく出会う小さな発見とも言えるだろう。日常のなかにふと現れる非日常のような体験が、街の見え方や感じ方を新たにしてくれる。

展示風景より、ミルク倉庫ザココナッツ《萬葉草奔》
展示風景より、戸田祥子《跳ね返る、目と芽と》

 エトワール海渡リビング館の1階から7階まで(2階を除く)を会場に展示を行うのは、鈴木真梧、窪田望、アダム・ロイガート、L PACK.、チュオン・クエ・チー&グエン・フォン・リン、ピョトル・ブヤク、ナラカ・ウィジェワルダネ、エルケ・ラインフーバー、カミラ・スヴェンソン、マリアム・トヴマシアン、渡辺英司らだ。元々卸問屋であったというこの会場の巨大なフロアを生かし、アーティストらが意欲的に展示を行っているのが印象的であった。

展示風景より、窪田望《Inside Dementia》
展示風景より、渡辺英司《名称の庭 / エトワール海渡インスタレーション》

 また、同会場の3階では、畠山直哉片山真理、港千尋、SIDE CORE鈴木理策豊嶋康子、そして総合プロデューサーの中村を含む7組の写真家やアーティストが東京の街を歩き、「まちの今」を写真に収めた「Tokyo Perspective」プロジェクトによる展示も行われている。日頃から多様な視点を持って制作に取り組むアーティストらが、それぞれ異なる角度から見つめる街の姿とはいったいどのようなものか。作品を通じて、自身の暮らす街の新たな一面を発見することができるだろう。

展示風景より、豊嶋康子「Backshift 2025」シリーズ
展示風景より、SIDE CORE「underpass poem」シリーズ《INVISIBLE PEOPLE》

 この芸術祭の大きな特徴は、いわゆる“派手でインパクトのあるアート作品が目立つように設置されている”というタイプではない点にある。「いっしょに散歩しませんか?」というテーマが示すように、散歩という行為を通じて日常に新たな気づきや発見をもたらすことを重視しているのだ。そうした視点を促すような作品が、まるで街の風景の一部であるかのように、さりげなく数多く配置されている点こそが、この芸術祭の醍醐味と言えるだろう。