2025.10.6

「BIWAKOビエンナーレ2025」会場レポート。近江の歴史と歩み、近江の歴史をつくる芸術祭

滋賀県近江八幡旧市街地、長命寺、沖島ほかで、テーマを「流転〜FLUX」とした「BIWAKOビエンナーレ2025 "流転〜FLUX"」が開幕した。会期は11月16日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、江頭誠の作品 撮影=平垣内悠人
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 滋賀県近江八幡旧市街地、長命寺、沖島ほかで「BIWAKOビエンナーレ2025 "流転〜FLUX"」が開幕した。会期は11月16日まで。水曜は休場(最終週11月12日は開場)。

 BIWAKOビエンナーレは、琵琶湖を中心に広がる滋賀県、主に近江八幡旧市街地を舞台に、国内外のアーティストが展示を行うアートイベントで、今年11回目の開催を迎えた。ディレクターは中田洋子が務めている。

展示風景より、原菜央の作品 撮影=平垣内悠人

 今年のテーマは「流転〜FLUX」。死と再生を繰り返し変化し続けるこの世の生物、あるいはすべての事象における流転を「アート」のなかに感じ、宇宙へと思いを馳せながら自己との対話を試みる場としての芸術祭のあり方を表した。

展示風景より、市川平の作品 写真提供=BIWAKOビエンナーレ実行委員会

 本祭についての想いを、中田は次のように語った。「2001年から数えて11回目、25年にわたって続けてこられたことが感無量だ。大津出身の自分が近江八幡の街に惹かれ、ビエンナーレという言葉がまだ普及していなかった時代から小さな一歩を積み重ねてきた。最初に芸術祭を始めたときは、店もほとんどなかったが、古い街並みを再生するきっかけであり続けられたと思う。街が変わっていくこと、まさに流転を体現してきた芸術祭。長い歴史を経て人が生きてきた街とアートのコラボレーションを楽しんでほしい」。

 各会場ごとに、展示の一部を紹介したい。

近江八幡旧市街

 琵琶湖のほとり、米原と京都のあいだに位置する近江八幡市は、中世以来多くの街道が通る場所として商業が栄えた。全国的に活躍する「近江商人」の拠点になったことでも知られ、現在もここにルーツを持つ企業は多い。旧市街は商人の街としてにぎわった、江戸末期から明治大正の街並みが保存されており、BIWAKOビエンナーレのハイライトとなっている。

近江八幡旧市街の街並み 撮影=編集部

山本家

 江戸時代から宿屋として営業しており、近江八幡を通る商人や旅人に宿泊施設を提供してきた山本家。ここでは、江頭誠、サークルサイド、田中真聡、村山大明、本原令子、森島善則、クラウディア・ラルヒャーが展示を行っている。

山本家 撮影=編集部

 江頭誠は、かつて多くの家で使われていた花柄の毛布の花を切り取り、中に綿を入れて立体化。部屋全体を覆うインスタレーションを出現させた。

展示風景より、江頭誠の作品 撮影=平垣内悠人

 村山大明はオオサンショウウオが何匹も重なりあい、惑星を思わせる球体になっている様から発想したインスタレーションを、田中真聡は厨房を命につながる創作としての料理の空間ととらえ、水や火、気流を体現するような可動作品を制作。ロバート・ハイスは日常のなかに使われていた座卓が天上に向かう苔に覆われて自然とのつながりを表した作品をそれぞれ展開した。

展示風景より、村山大明の作品 撮影=平垣内悠人
展示風景より、ロバート・ハイスの作品 撮影=編集部
展示風景より、田中真聡の作品 撮影=編集部

 陶芸家の本原令子は水の循環に着目した陶芸作品を展開。雨を想起させる長靴型の小さな器には周囲で採集した草花を、人が入れる大きな器は、そこに実際に人が入る映像作品とともに展示。焼くことで水を湛えられる陶器の不思議さとともに表現している。

展示風景より、本原令子の作品 撮影=編集部

 近江八幡市に移住した森島善則は、西の湖のヨシ原をめぐる日々をインスタレーションとして展開、サークルサイドは心の中に感情の流れを暗闇のなかの水流のように表現した。

展示風景より、森島善則の作品 撮影=編集部
展示風景より、サークルサイドの作品 撮影=平垣内悠人

 クラウディア・ラルヒャーは、女性の存在感を強めた日本美術史を再構想する架空の画像アーカイブを作成。歴史的な視覚資料にもとづいてAIで新たなデジタル画像を生成したうえで、それらを80枚のアナログスライドに転写。コダック・カルーセルで映写した。

展示風景より、クラウディア・ラルヒャーの作品 撮影=編集部

カネ吉別邸

 「カネ吉別邸」は近江牛のみを扱う「カネ吉」の所有する町家で、江戸期に繁栄を極めた元材木商の家であったと伝わっている。ここでは赤松音呂、小松宏誠、野田拓真、ガブリエラ・モラウェッツ、パオラ・ニウスカ・キリシ、幸小菜、伊藤幸久、マチュー・キリシ、ホセ・ルイス・マルティナットが展示をしている。

カネ吉別邸 撮影=編集部

 小松宏誠は、3Dプリンタで出力したパーツと和紙による羽根を組み合わせた、シャンデリア状の作品を土間で展開。陶やFRPを素材とした人体彫刻を中心に制作している伊藤幸久。人体のフォルムを探求するだけでなく、素材の意味性や場の特性を重視する伊藤は、伝統的な和室に椅子の上に立って本を読む少女像を出現させた。

展示風景より、小松宏誠の作品 撮影=平垣内悠人
展示風景より、伊藤幸久の作品 撮影=平垣内悠人

 幸小菜は言葉を記したガラスのかけらを雨だれのように天井から無数に吊り下げた。23年に世を去ったガブリエラ・モラウェッツによる作品は、建物の2階を縦横無尽に走るかのように、映写と記憶を巡るものだ。

展示風景より、幸小菜の作品 撮影=編集部
展示風景より、ガブリエラ・モラウェッツの作品 撮影=平垣内悠人

まちや倶楽部

 300年近くの歴史を持ち、2008年に操業を停止した西勝酒造の旧工場は、「まちや倶楽部」と命名され、近江八幡旧市街のまちづくりやコミュニティビジネス等の活動拠点として活用されている。酒造のための室や蔵は天井の高い展示空間としても最適だ。ここでは市川平、田中誠人、エヴァ・ぺトリッチ、三好_槙田、瀬賀誠一 + 大野哲二、米谷健 + ジュリア、周子傑、坂本太郎 + 市川平、長田綾美、北野雪経が展示。

まちや倶楽部 撮影=編集部
展示風景より、長田綾美の作品 撮影=中田洋子

 米谷健 + ジュリアは、1950年代に天然ウランの採掘を行っていた岡山と鳥取の環境にある人形峠と、そこに伝わっていた土蜘蛛の伝説から作品を発想。ブラックライトによって発光するウランガラスにより、巨大なクモが暗闇に登場した。

展示風景より、米谷健 + ジュリアの作品 撮影=中田洋子

 エヴァ・ペトリッチは絶えず生成され続ける世界を、リサイクルされたレースやドイリー、手で結ばれた布片などで構成された、空間に浮遊する没入型インスタレーションを展開。 周子傑は、採石遺師の石壁、さらには自身の身体、基本、地面、テーブル上の小さな物体などを撮影し3Dモデルを取得。そのモデルを座標点で構成される点群データに変換した。

展示風景より、エヴァ・ペトリッチの作品 撮影=中田洋子
展示風景より、周子傑の作品 撮影=中田洋子

旧扇吉もろみ倉

 近江八幡の中でも代表的な醤油醸造元、平居吉蔵家のもろみ倉である「旧扇吉もろみ倉」。ここではsaiho✕林イグネル小百合による作品が展開。見る人の心の中に庭を現出させたいとの想いから、土壁や床面の土に彼岸花などのモチーフが現れている。

展示風景より、saiho✕林イグネル小百合の作品 撮影=平垣内悠人

禧長

 江戸期から畳、麻網を中心に卸売業を営んでいた喜多七右衛門の町家「禧長」。ここでは塩見亮介、河合晋平、草木義博、小曽川瑠那、田中太賀志、田中哲也、オード・ブルジン、Kikoh Matsuura、八木玲子、米津真理奈、マルタ・ルピンスカ、趙夢佳の作品を展している。

禧長 撮影=編集部

 生命力をコンセプトに作品を展開する田中太賀志は、屋敷の庭に命を育む巨大な植物を展開。陶芸家の田中哲也は花や種などに信楽透士の泥漿(粘土を液状にしたもの)をつけ、焼成し「時」を切り取った「時器TOK』を制作した。

展示風景より、田中太賀志の作品 撮影=編集部
展示風景より、田中哲也の作品 撮影=中田洋子

 塩見亮介は月における資源開発やそれに伴う戦争の可能性を考える宇宙倫理学をテーマに、月の兎と宇宙服をモチーフにした甲冑を制作した。

展示風景より、塩見亮介の作品、後ろはKikoh Matsuuraの作品 撮影=平垣内悠人

旧西川家住宅

 近江八幡市を代表する近江商人のひとりである西川利右衛門は、初代から昭和5年に11代が没するまで、約300年間に渡って活躍した。主屋は1706年の建築当初のかたちに復元されており、また3階建ての土蔵は、天和年間(1681〜1683)の建築という由緒正しいものだ。ここでは池原悠太、うらゆかり、ジュリアン・シニョレ、田代璃緒、森山佐紀が作品を展示している。

旧西川家住宅 撮影=編集部

 動植物や風景、建築物、電子記号、工業製品などをモチーフに、ペインティングや写真、画像のコラージュを通じて、事物が大きな流れのなかで循環していく様子を表現してきた池原悠太。日本間に出現した移りゆくものを描いた大型絵画は圧巻だ。

展示風景より、池原悠太の作品 撮影=編集部

 ジュリアン・シニョレは、長崎原爆を生き延び、キリスト教信仰にもとづいた言論活動と祈りを続けた永井隆への敬意を、「祈る」作品として表現した。 

展示風景より、ジュリアン・シニョレの作品 撮影=ジュリアン・シニョレ

西川庄六別邸

 西川庄六邸は、古い部分は1785年ごろに建てたとされる建築だ。江戸時代から蚊帳・綿・砂糖・扇などを商い、江戸・大阪に出店した商家の住宅だ。会場となるのはその別邸となっている。ここでは秋永邦洋、北浦雄大、西島雄志、原菜央、奥中章人、三木サチコ、新野恭平、あわ屋、檜皮一彦 + 城山恵美(車いす編み機実行委員会)、山田正好が展示を行っている。

 新野恭平はガラスをひと筋ずつつないでいき、巨大なクラゲを空中に現出させた。北浦雄大は漆という素材を通して、古くから続いてきた仏像に代表される宗教的な祈りを空中に浮遊する像や、調度品のような造形物で表現した。

展示風景より、新野恭平の作品 撮影=中田洋子
展示風景より、北浦雄大の作品 撮影=中田洋子

 人間の見えない部分を彫刻として人物像に表す三木サチコは屋根裏のスペースに小宇宙的な空間を創出。秋永邦洋は動物を虚ろな陶器に表し、そのうえに装飾を施すことで、現代の曖昧さを表現しようと試みた。

展示風景より、三木サチコの作品 撮影=平垣内悠人
展示風景より、秋永邦洋の作品 撮影=中田洋子

⻑命寺エリア

⻑命寺

 長命寺は近江八幡市の北西端、長命寺山の山腹にある寺院で、琵琶湖を広く望める景観でも知られる。今年初めて会場となった。開基は聖徳太子と伝えられており、平安時代前期に寺院の基盤ができたとされる古刹だ。現在の社殿は戦国時代に兵火で焼失したのち、再建されたものとされる。ここでは、石川雷太、陳見非、宇野裕美が展示を行っている。

長命寺 撮影=編集部

 写真、書道、篆刻、手製本などを主な表現媒体とする陳見非は、杭州を拠点に活動している。本展では、杭州の至福を表す4つの仏塔を本堂に持ち込み、文字や印を敷き詰めることでの仏教的なつながりと祈りを表現した。

展示風景より、陳見非の作品 撮影=陳見非

 「言葉の限界を言葉で表現するために、作品を制作している」と語る石川雷太。琵琶湖の眺望が美しい太郎坊権現社の隣で、空中に言葉が浮かぶような作品を設置した。石川は、作品が置かれることで、その背後にある環境や歴史に想いが前景化することが作品の根幹だと語る。

展示風景より、石川雷太の作品 撮影=中田洋子

 宇野裕美は鐘楼のなかで血の海から上部の鐘に向かって生命が流転し昇っていくように、ストレッチ布を組み合わせた作品を展開。ヘソの緒を思わせるひもも、生命のつながりを表現した。

鐘楼 撮影=編集部
展示風景より、宇野裕美の作品 撮影=編集部

369 Terrace Cafe

 長命寺のふもと、琵琶湖のほとりにあるカフェ「369 Terrace Cafe」。喫茶のみならず、カジュアルフレンチのコースも楽しめるここの最大の特徴は、広く琵琶湖を臨むことができる巨大なテラスだ。

369 Terrace Cafe 撮影=編集部

 石川雷太はここでも文字が空中に浮かぶ作品を展開。より間近に琵琶湖を借景し、5つの透明パネルと言葉を配置することで、このシチュエーションに華を添えた。

展示風景より、石川雷太の作品 撮影=編集部

 なお、このほかにも琵琶湖の沖合約1.5キロメートルに浮かぶ「沖島」でも展示が行われている。沖島へは近江八幡駅からバスで30分ほどの堀切港から船で10分ほどだ。

沖島の展示風景より、周子傑の作品 撮影=周逸喬

 25年近い時間をかけて、数多のアーティストが展示し、街を活性化させてきたBIWAKOビエンナーレ。京都と名古屋という大都市のあいだに花開いた豊かな文化を、アートとともに感じられる芸術祭となっている。